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病身の姫君②

 見下された。

 見下された。

 見下された。


 高貴な身分の連中からすれば庶民も庶民、定職にもついておらずスリなどで食っている白狼な路傍の草程度であり底辺扱いになるのは分かり切っていた。しかし貴族のしきたりに疎い白狼は、自身が受けた扱いに憤慨せずにはいられなかった。

 もとより血の気は無駄に多い方である。

 こんなに馬鹿にされた対応をされるなら、下手に面通しなんてせずさっさと隙をみて脱走してやればよかった。いや今からでも遅くない。なんならさっきの周への意趣返しも兼ねて金目のものを頂いて逃げてやる。という思考に白狼が陥るのは当然と言えば当然であったし、実行するだけの行動力もあった。


「おっさん、寝たか―」


 深夜、白狼は部屋の対角に置かれた寝台に向かってこっそり声をかけた。問いかけに応える声は布団を隔てているせいかくぐもっていて、しかも寝ぼけているのか明確な発音ではなく唸り声に近い。

 しめしめ、と白狼は舌なめずりをした。

 屈辱の「お目通り」後。ひとしきり暴れた白狼は、事情を知る周に監視されている都合上、離宮の中でも姫の宮に近い周の部屋の一画で寝具に縛り付けられていた。

 周なりにぎっちぎちに縛り上げたつもりで安心しているのか、部屋の対角では寝台で大の字になって寝ているらしい。捕らえた小僧がスリを生業にしていると知っているのに暢気なことである。

 だぶついた着物のなかで白狼は身じろぎをした。縛り上げられるときに着物の余った部分を上手く折り畳み身体の厚みを胡麻化した分、折りたたんだ部分がほどければ縄の戒めもたるみが出る。数回身をよじれば、あっという間に小柄すぎる白狼の身体からするりと縄が解けおちた。

 動きにくい宦官服と袴はその場に脱ぎ捨て、上下とも裾が短い麻の下着姿になった白狼は靴も脱いで足音を忍ばせた。思った通り寝台では周がかすかにいびきをかいて眠っている。そうっとその場を離れ、薄く開いた窓に体を滑り込ませた。

 部屋の外を覗き伺うが、あたりに人の気配もないようだった。月もなく、ところどころの柱に備え付けられた燭台の灯りで物陰は闇より暗い。逃げ隠れするには好都合だ。

 白狼は用心深く部屋の外に出ると、柱の陰で灯りが届かないところに身を潜めた。宮は広大で門までの道順は覚えていないが、庭園に行ってしまえばあとは塀を乗り越え外に出られるだろう。


 しかし、その前にさっきの腹いせをするつもりだった。


 小柄な体を生かして柱や壁の陰に紛れ、周の部屋の前からじりじりと白狼は姫の部屋へ近づいて行った。

 姫のいた建物やさっきの部屋などは、控えめな装飾ながらも高そうな調度品は整っていたし探せばきっともっと高価なものが出てくるだろう。白狼のような庶民など、この機会を逃したら皇族どころか貴族の邸宅にも入れない。どうせなら腹いせがてら金目のものを頂いて、街を出る路銀にしようという欲もある。

 時折見回りの兵が歩いているところがあったが、思いのほかすんなりと宮までたどり着いた白狼は音もたてずに扉の中へ忍び込むことに成功した。自身の小柄な体つきに感謝しつつ、床に這いつくばるようにあたりを伺う。

 できれば簪や櫛、髪飾りや耳飾りのような小ぶりなものがいい。持って逃げる際に邪魔にならないもの、と白狼は目を凝らす。姫君に「お目通り」した部屋には調度品はあるもののそういった装飾品はおいていないようだった。

 やはりもっと奥かとあたりを付け、白狼は宮の奥へと足を進めた。奥の部屋のさらに奥には衝立がありうっすらと灯りが付いている気配がある。おそらく姫君か、あるいは女官の寝室なのだろう。探せば何か盗めるものがあるかもしれないと白狼はほくそえんだ。

 しかしだ。

 宮を歩いていても見張りなどに出くわす頻度が低すぎるのが気になった。ここは一般の家庭ではない、皇帝の離宮である。しかも噂によればここにいる帝姫は病弱で療養に来ているはずの姫だ。もっと警備や世話をする女官がいてもおかしくないのではないか。

 そう考えると白狼の胸はざわついた。おかしい、しかし好都合ではある、しかし妙だ。

 好都合ではあるがこのまま探索を続けることは危険ではないか。衝立の陰に隠れつつ相反する思考に囚われた白狼の歩みが鈍った。

 その時。

 昼に嗅いだ花のような濃厚な香りに頭部を包まれた瞬間、白狼のみぞおちに強い衝撃が加えられた。分厚く腹に巻いた麻のさらし布のおかげで腹の中身をぶちまけるほどではないが、それでも相当に強い衝撃だ。

 殴られた、と瞬時に理解した白狼は両脚で大きく後ろに飛びずさった。着地と同時に暗がりへ向かって蹴りを放てば、足の甲で何か柔らかいものを捕らえる。当たった感触は軽い。脚を振りぬくとその瞬間、ぐっという人のうめき声が聞こえた。

 逃げるか、戦うかという二択。白狼は瞬時に戦うほうに舵を切った。

 背中を見せて切られたりすれば命はないし、ここで叫ばれてしまえばどのみち捕らえられて命はない。蹴りの感触と香の匂いで、相手は女である可能性が高い。強い匂いを追えば暗がりのなかでも間合いが取りやすそうだと踏む。

 であれば、と白狼は人の気配がするほうへ拳を繰り出した。

 悲鳴を上げられる前に潰すつもりだった。しかし白狼の予想に反し、相手は悲鳴を上げるでもなく拳を受け反対に殴りかかってくる。ちっというどちらの者か分からない舌打ちが聞こえた。

 静かに格闘すること二呼吸程。二人の動きに合わせるように、ふわりと燭台の灯りが揺れた。いつの間に奥の部屋に入り込んでいたのだろう。燭台を覆っていた厚手の布が空気の動きで揺れている。

 その漏れた灯りに映し出された相手の顔を見たとき、白狼は息を飲んだ。同じく相手も絶句したように目を丸くしている。


 白狼と組みあっていたのはこの宮の主である姫君だったのだ。


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