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身代わり花嫁の幸福な婚姻 ~生贄に捧げられずはずの乙女の溺愛結婚~

ふわっと和風ファンタジーです

「おまえが貴美子の身代わりとなり、あの男のもとに嫁ぐのだ!」

「ああ、だから旦那様はななを引き取って、今日まで育てていましたのね」

「当たり前だろう。誰があのような薄ら気味悪い男に俺の大事な貴美子を嫁になどやるものか」

「わたし、今日まで酔っぱらったお父様の記憶違いかと思っていましたのよ。まさか、十年も前に川でおぼれたお父様を助けたお礼に、と娘のわたしを嫁に所望するなんて。図々しいにもほどがあるわ」



 垣田家の旦那様、奥様、お嬢様である貴美子さま。彼らが会話するその内容で、わたしは十一の時この家に買われた理由を理解した。


 そして、女中の仕事を覚える傍ら、読み書きや簡単な計算、それからお作法を仕込まれた理由も。

 最低限、良家の娘としての知識と作法を身に着けさせておかなければ、娘の身代わりを見抜かれると思ったのだろう。


 帝都から汽車に乗せられること数時間。

 これからわたしは誰とも知らぬ男のもとへ嫁がされる。


 光沢のある絹地の真新しい白無垢を着せられ、髪は文金高島田に結い上げられた。美しい花嫁装束に心が浮き立つこともなかった。

 旦那様の薄ら笑いが脳裏をよぎった。


「おまえには分不相応な装いだが、これで可愛い貴美子が救われるのなら安いものだ」


 カラカラと回る車輪の音が聞こえる。

 人力車に乗ったのは今日が初めてのことだった。横に座るのは垣田家の番頭の一人だ。

 彼はわたしが万が一にも逃亡しないための見張りだ。


 たどり着いたのは、河沿いに建てられた家屋だった。

 これから嫁を迎え入れるにしては、人の気配が薄い家だと思った。

 番頭に背中を押されて、わたしは敷地の中に足を踏み入れた。


 きん、と耳の奥で音が鳴った気がした。


「おお、待っていたぞ。儂の花嫁殿だ」


 突如聞こえた男の声に、え? と思う暇もなく腕を引かれた。強引なそれに、角隠しがばさりと地面に落ちた。


「旦那様とのお約束通り、お嬢様を連れて来ました」


 後ろから番頭の声が聞こえた。


 わたしは初対面の男の胸の中にいた。

 はっとして見上げる。男の目とわたしの目が合った。


 わたしを連れてきた番頭と似た年頃、二十後半から三十くらいだろうか。

 男がにやりと瞳を弓のように曲げた。瞳の中で瞳孔がギラリと光った。縦に長いそれに、背筋が怖気立つ。


 旦那様と奥様の会話を思い出していた。


「旧友との宴会の帰り道、川でおぼれたあなたに、助けてほしいかと声をかけてくる者がいた。俺はその声の主に命を救われた、などと聞かされた時は酔っぱらいの戯言だと呆れたものでしたよ」

「俺は確かに川に落ちて死にかけた。水の中に沈む俺のすぐ横に何かの気配を感じた。そいつは俺に言ったんだ。娘はいるか――と」


 旦那様は頷いたのだという。そうか、とだけ声は返事をした。


 気がつくと旦那様は川岸で荒い呼吸を繰り返していたのだという。膝をつき、必死に呼吸を整える旦那様の足元に影ができた。月の明るい夜のことだったそうだ。

 川の中で聞いたのと同じ声がこう言った。


「おまえを助けてやった。礼におまえの娘をもらおう」

「しかし! 俺の娘はまだ五つだ!」

「では十年待ってやろう。娘がよく育つように金回りを良くしてやる」


 旦那様はこの出来事を夢だと思っていた。

 声のあと、すぐに上を向くと、そこには誰もおらず夜空が広がっていたのだから。


 けれども、それから五年が経ったある日の晩、夢を見たのだそうだ。ねっとりした声に絡め取られた旦那様は夢の中でこう告げられたという。


「約束を忘れるな」と。


 旦那様は焦った。あれは溺れた時の衝撃が見せた夢だったはず。俺は自力で川岸に泳いでたどり着いた。

 けれども、夢はその後毎晩続いた。旦那様はついに言った。「覚えている」と。

 そして旦那様は、身代わりを育てるためにわたしを買ったのだ。


「離して!」


 わたしは思わず男の胸を押していた。体の軸が崩れ、尻もちをついた。小石に手を引っかける。

 男が鼻をすんすんと動かした。


「おまえの血の匂い……これはあの男の血縁ではないな!」

「!」


 わたしはびくりとした。まさかこんなにも早くバレてしまうだなんて。


「おまえ! この儂を謀ったな!」

「ひぃぃっ!」

 怒鳴りつけられた番頭は後ろず去り、そのまま脱兎のごとく逃げ出してしまった。


「ちっ」


 舌打ちのあと、男がしゃがみ込んだ。

 歯がカタカタと鳴る音が聞こえる。わたしが震える前で、男がねとりとした声を出す。


「まあいい。とりあえずおまえから食ってやろう。報復はそのあとだ」


 男の手が伸びる。

 いやだ。怖い。助けて。

 男が舌を出した。それはまるで蛇のように細長くて、わたしの首筋に張りついた。


「いや……」


 男の顔に鱗のようなものが浮かび上がる。

 人間ではない。直感で悟った。


「人間の娘の恐怖に固まるその顔は、何度見ても飽きない。丸のみにするのはもったいないのう……じっくり味わってから食ろうてやる」


 しゅうぅと靄がかかり、男の顔が完全に蛇のそれに変わっていた。


 食べられる!


 恐怖で体がかちこちに固まっている。声を出すこともできない。わたしはこのままこの化け物に殺されてしまう。


 ぎゅっと目をつむった。


 ガタガタと体が震え、脳裏に故郷の両親と兄妹たちの顔がよぎったその時だった。

 一陣の風が上空から吹き付けた。


「ぎゃぁぁぁ!」


 耳障りな叫び声が聞こえた。

 もう一度風が起きた。


「滅びよ、悪しきあやかしめ」


 清涼な声が耳に届いた直後、断末魔のような叫び声が響いた。

 一体、何が起こったというのだろう。


「もう大丈夫だ」

 静かな声に導かれるように目を開けたわたしの前に、着物姿の青年が佇んでいた。

「さあ、家に帰りなさい」

「……」


 沈黙が流れた。

 動けないわたしに、青年が手を差し出してくれた。


 恐る恐るその手を取った。少しひんやりして、だけどどこか温かくもある不思議な心地がした。


「……帰る家、なくて……」


 気がつけば、私の口から言葉がポツリと落ちていた。


* *


「ではしばらくの間私の屋敷に滞在するといい」と言ってくれた青年が案内したのは、山の近くにある茅葺屋根の立派なお屋敷だった。


 客として正面玄関から中へ通されたわたしは、おっかなびっくり青年の後ろを続いてお屋敷の奥へと進んだ。

 奥のお座敷ででわたしは青年からいくつかの話を聞かされた。


「あれは近くの沼地に棲む大蛇のあやかしだ。悪さが目に余り私が赴くことになった」


 言葉は濁していたが、わたし以外にも被害に遭った人がいたのだろう。きっとその人たちは……と思うと、胸の奥が苦しくなった。


「今日はもう遅い。ゆっくり眠れ」


 青年はそう言い、部屋を後にした。

 気付けば日はとっぷりと暮れていた。


 いつの間にか浴衣が用意され、次の間には布団が敷かれてあった。人の気配はあっただろうか。布団はお日様の匂いがした。ふわふわな感触に、すとんと眠りに落ちた。


 翌朝、ご飯とお味噌汁と焼いた魚、それから煮物などが乗った御膳が用意され、わたしは目を白黒させた。


 きゅうとお腹が鳴った。

 そういえば、昨日からまともに食べていない。


 これ、食べてもいいのかな。でも、わたしはこんなにも立派なお屋敷でおもてなしをされるような人間ではない。


 生まれた家は雪深い寒村にあって、十一歳の頃口減らしのために売られた。お嬢様でもなんでもない。貴美子お嬢様をあの大蛇から守るための身代わりだった娘だ。


「失礼する」


 御膳を前に悶々としていると、襖の向こう側から昨日の青年の声が聞こえた。

 すっと襖が開き、彼が入室する。


「……食事は口に合わなかったか?」

「いえ。あの……、これは、わたしが食べても……よろしいのでしょうか?」


 恐る恐る聞くと、呆れたような声で「当然だが」と返ってきた。


 その声に、肩をびくりと震わせる。

 沈黙が流れた。


「まあま。ご主人様の不愛想ぶりは、熟知している私たちでもたまにどきりとしてしまいますからね。初対面のお嬢様でしたら、怖がって泣いてしまいますよ」


 朗らかな声が聞こえた。女性だ。

 少しふくよかな女性がいつの間にか青年の近くに座っていた。いつの間に? と目を白黒させていると、彼女と目が合った。


 笑顔を浮かべると目尻に細かな皺が浮かんだ。人好きのするその表情に心が弛緩するのが分かった。国の母よりも少し若い年回りだけれど、どこか懐かしい。そんな空気を纏っている。


「さあさ、たんと召し上がってくださいな。お代わりもありますよお。御櫃ごとお持ちしましょうか」

「い、いえ。結構です」

 といったそばからお腹がぐぅっと鳴った。恥ずかしい。


「腹の方が正直だな」


 青年の声がどこか柔らかくなった。


 わたしはとにかく恥ずかしくって、それから逃れたくて箸を取った。

 炊き立ての真っ白なご飯もお出しの利いたお味噌汁も、ふわふわの焼き魚も味の染み込んだ煮物も美味しかった。


 わたしが朝食を食べている間、女性がちょこまかと動き回り、襖と縁側の戸を開けた。


 まだ陽の光に暖められていない凛とした空気が入り込む。

 あらかたお腹の中に入れると、青年がいくつか質問をしてきた。

 わたしは、ぽつぽつと自分の身に起こったことを語った。


「だったらしばらくの間この家にいればいい。時間が過ぎれば心の傷も癒えて次を考える余裕も生まれるだろう」

「い……いのですか?」

「もちろん」


 青年はあっさり頷いた。


「そういえば、名を聞いていなかったな」

「ななと申します」

「なな?」

「……はい。七番目に生まれたので、なな、と」


 先に生まれた兄や姉たちは半分が夭折したと聞かされた。生き残った兄や弟を食わせるためにわたしは遠い地へ売られることになった。


「そうか。なな……なな……」


 と、そこで青年がふと庭を見た。黄色の花が揺れている。


「今日から菜花(なのか)と。そう呼ぶ」

「え……?」

「あの花は……どこかきみに似ている」


 わたしの視界の先で数本の菜の花がそよ風に揺れている。

 彼の言った意味をどう受け止めればいいのか。


「菜花様! まあ、愛らしくてぴったりなお名前ですこと! 旦那様ったら気障ですわねえ」

「……うるさいぞ。(こう)


 コウさんと呼ばれた女性の指摘に、青年がそっぽを向いた。


 わたしは再び庭を見た。数本の黄色い花たち。そういえば、故郷でも春になると菜の花がたくさん咲いていた。兄さんに手を引かれて歩いたあぜ道を思い出す。

 用件は済んだとばかりに青年が立ちあがった。


「あの」

 つい、その背中に向かって声をかけていた。


「なんだ?」

「あなた様のことは……、わたしは何とお呼びすればいいのでしょうか?」

「そうだな……。きみが呼びたいように呼べばいい」

「え?」


 もしかして名を明かせないような事情があるのだろうか?


「考えておいてほしい」

「ええ……?」


 そう言ったのち、青年は今度こそ出ていってしまった。


* *


 同居生活が始まって一週間が経過した。


 物心ついた頃から働くことが常であったわたしにとって、この屋敷での生活は慣れないことばかりだった。


 まず、客人扱いされることに慣れない。

 だって、わたしは別にお嬢様でも何でもないのだから。


 紅さんに家事の手伝いを申し出ても「ご主人様のお客様にそのようなことをさせてはわたしが怒られてしまいます」と言われ、やんわりと拒否された。


 静かなお屋敷だけれど、働き手はある程度いるらしく、広い屋敷の中は清潔に保たれているし、出される食事も美味しい。


 でも何もしていないと落ち着かない。

 しかも、だ。


「きみの着物を仕立てる。欲しい反物を選ぶんだ」


 目の前に広がるのは色鮮やかな反物の数々。光沢のある生地は絶対に絹だ。

 だって、貴美子お嬢様が着ていた着物と同じくらい艶やかだ。


 目を白黒させたわたしを前に「気に入るものがないか」と落胆の声が落ちてきた。


「い、いえ。(すい)様。わたしには高価すぎるといいますか……。わざわざ反物を用意していただかなくてもいいといいますか……」


 呼びたいように呼べばいいと言われたわたしは、青年のことを、翠様と呼ぶようになった。

 どうしてかと尋ねられれば、明確な答えはないのだけれど、何となく浮かんだのだ。


 青年、翠様はどこか浮世離れした雰囲気を纏っている。背は平均的な日本人男性よりも高く、黒い髪は夜空のような深い色だ。切れ長の瞳は一見すると冷たくもあるけれど、わたしのことを気にかけてくれていることが端々に察せられる。


「これまで用意していただいたお着物で十分事足りていますし……」

 わたしはそうつけ足した。


「あれはきみのためにあつらえたものではない」

「すみません! わたし、どなたかのお着物をお借りしていたのですよね。すぐにお返しします」

「そういう意味ではなくてだな」

「わたしなどは古着で十分なのです!」

「いや……早とちりをするな」


 翠様の困惑する声も聞こえずわたわたと狼狽するわたしの耳に、軽やかな笑い声が聞こえた。

 山のような反物を運んできた青年だ。


「ははっ。この男がここまで困った顔をするのも珍しい。菜花、といったね、きみ」

朔助(さくすけ)、菜花などと気安く呼ぶな」

「いいじゃないか。ここでは皆に菜花って呼ばれているんだろう?」

「は……い」


 わたしはこくりと頷いた。

 朔助さんがにこりと笑った。その横では翠様が渋いお茶を一気飲みしたかのようなお顔になっている。


「菜花はどんな色が好きかな」

「ええと……?」


「梅重や葵色、こっちの撫子色も可愛いと思うよ。西陣や白鷹の御召縮緬を持ってきてあるけれど」


 わたしなんかが触れるのもおこがましいのでは、というような高級生地ばかりが無造作に畳の上に置かれている。


 朔助さんの風呂敷包み一体どうなっているの?

 あきらかに大きさと容量が合っていない。


「友禅も色々持ってきているんだった。ここに出していないもので確か……」


 朔助さんは突如閃いたように顔をぱっと明るくさせ、風呂敷に手を突っ込む。


「うわっ!」


 わたしは思わずのけ反った。

 だって、その手が明らかに風呂敷を通り越し、畳の中に吸い込まれているから。まるで水の中に手を突っ込むように朔助さんの腕が沈んでいく。


 そして水をかき混ぜるかのように腕を回し、引っこ抜く。

 ぽいぽい、といくつもの反物が畳の上に転がる。


「すす翠様……?」

「細かいことは気にするな」


 翠様がつぅっと視線を逸らした。

 気にします! 気にしますから!


「やっぱり友禅は眼福だよねえ~」


 こ、こんな優美で美しい反物で着物を仕立てる……?

 わたしには無理です。


 白を通り越して顔を青ざめさせたわたしの様子を一瞥した翠様が朔助さんに一言。


「そういえば、最近は銘仙が流行っていると聞いたが?」


「ああ、銘仙もいいよね」


 再び朔助さんが風呂敷に手を突っ込……以下略。

 気にしない。気にしないようにしよう。


「銘仙なら手持ちならこういうのがあるけれど」


 矢絣、十字絣、雪絣といった絣模様から大きな花模様が描かれたモダンなものまでたくさん出てきた。


「……」


 これまでの人生で着物を仕立てることなどなかった。そもそもわたしのように売られてきた人間は誰かの着古しを譲り受けて繕って着るのが普通で……。


 何を選んでも分不相応な気がする。

 などと固まっているわたしの前で翠様が複数の反物を選んでしまったのだった。


* *


 ちくちく、とわたしは針を動かす。

 昼下がり、開けた縁側からそよそよと風が入ってくる。

 無心で針を動かしていると、すっと茶碗が置かれた。


「あまり根を詰めるな」


 見上げると翠様がいた。

 彼がわたしの近くに座った。


「針仕事は好きなのです」

「そうか」

 わたしは針を置き、茶碗を持ち上げた。


「美味しいです」

「茶を入れるのは嫌いではない」


 ふっと翠様が口の端を持ち上げた。

 時折見せてくれる笑みに引き寄せられる。


「大福も持ってきたが、食べるか?」

「いいのですか?」


「きみのために買ってきた。先日、美味しそうに食べていただろう」

「……ありがとうございます」


 顔に熱が集まるのが分かった。

 数日前におやつをもらった時、確かに食べる速度が速かったのは覚えている。

 あれを観察されていたのかと思うと気恥ずかしい。


「どうした?」

「い、いえ」


 懐紙の上に置かれた大福を手に取った。豆大福だ。

 ほんのり塩味が中の粒あんの甘さを引き立てている気がする。


「翠様は召し上がらないのですか?」

「私は茶だけでいい」

「もしかして、この豆大福最後の一つだったのでは?」


 その可能性に思い至った。


「違う」


 短くそう言った翠様が立ち上がり、襖を開けて奥へ行ってしまった。

 しばらくすると、山のように積んだ大福を持って戻ってきた。


「まだたくさんある」

 そう言って翠様が大福を手に取って一口食べた。


「甘いな」

 そう言ってゆるりと笑った。


「翠様が淹れてくださったお茶に合います」

「そうか」


 黒い双眸がどこか柔らかで、わたしは彼につられるように微笑んだ。


 大福を食べ終えたあとも翠様は同じ部屋に留まっている。


 わたしは再び針仕事を始める。


 今縫っているのは翠様が先日買ってくださった反物だ。わたしの着物なのだから、仕立てはさせてほしいとお願いすると、「菜花様も手持ち無沙汰ですものね」と紅さんが援護してくれた。


 最初は渋っていた翠様も最後は了承してくれたのだ。

 撫子色に楊梅色の十字絣の銘仙を、翠様は「菜花に似合う色だ」と評してくれたけれど、多分にお世辞が入っていると思う。


 時折視線を動かすと、翠様が視界の端に映った。

 同じ室内で、会話をするでもなくただ静かに過ごす。


 会話がなくても不思議と心地よかった。

 どうしてだろう。ただ彼が側にいる。

 そのことに慣れているわたしがいる。


 彼は本を読んだり、物思いにふけったりすることが多い。


「どうした?」

「い、いえ」


 見つめすぎたのだろう。彼と視線がかち合い、わたしはあたふたと針を動かした。


「痛」

「どうした」


 慌てたせいで針を指に刺してしまった。

 翠様が即座にわたしの手を取った。


「だだ大丈夫です。ほんの少し掠っただけで、ほら、血も出ていませんし」


 とんでもなく近しい距離に声が上擦ってしまう。

 触れた手の感触に妙に胸が騒いだ。


「あ。すまない」

「……いいえ」


 一番最初に助けられた時のことを思い出していた。あの時差し出された手を取った時のことだ。

 あの時初めて触れた翠様の手のひらにわたしはきっと心を助けられたのだ。


* *


「菜花、足元が悪い」


 そっと差し出された手を取った。

 朝か夕のどちらかに、わたしは翠様と屋敷の周りを散歩する。

 庭園の外は野山が広がっていて、たまに翠様は山菜を取ったりする。


「菜花が来てから屋敷の中が華やいだと紅たちが喜んでいる」


 翠様の口調は柔らかだ。

 握ったままの手から彼の温もりが伝わってくる。


「いつまでも御厄介になるのも……」


 そろそろお屋敷に居候させてもらってひと月だ。

 お屋敷での生活は春の陽だまりのように暖かで緩やかで、わたしはこの生活に慣れてしまうのが恐ろしくもあった。


「菜花は、人の里が恋しいか?」

「え……?」


 ぽつりと言った彼の言葉がよく聞き取れなくて、呆けた声を出した。


「いや。何でも」


 そう言って翠様が歩く方向を変える。

 しばらく歩くと、耳の奥にキンと何かの音が響いた。


 目を瞬く。人々が生活を営む音が急に聞こえ出したからだ。

 しばらく歩くと民家が増えた。通り沿いには米屋や酒屋、雑貨屋などが軒を連ねる。


「ここで大福を買った」

「いらっしゃい」

 暖簾をくぐるとしわがれた声が出迎えてくれた。


「何か食べたいものはあるか?」


 団子やおはぎ、それから豆大福も並んでいる。

 おばあさんが「草団子はいかがかね?」と勧めてきたため、こくりと頷いた。

 包んでもらった竹皮の中からふわりと蓬の香りがした。


「今、私の着物を縫ってくれているのだろう?」

「はい!」


 話題の転換につい元気よく返事をした。


 自分の着物を仕立て終わったわたしは、紅さんがどこかから持ってきた男物の反物で翠様の着物を縫い始めた。

 背丈と肩幅の寸法を図らせてもらった時、改めて男性であることを意識してしまったのは内緒だ。


「菜花が側にいて落ち着くのは私も一緒だ」

「っ!」


 独り言のような響きのそれがはっきりとわたしの耳に届いた。

 それは一体どういう……?


「そろそろ帰るぞ」


 繋いだ手がぎゅっと強まった気がした。


 頬がじわじわと熱くなる。

 心臓がとってもうるさく騒いでいる。

 でも、わたしの口はちっとも動いてくれなくて。


 わたしは手を引かれたて翠様と一緒に屋敷へ帰った。


* *


 翠様はわたしが仕立てた着物を気に入ってくださったようだ。


 とある日の昼下がり、黒地に青藤色の縦縞の御召の上から羽織を着た彼が「菜花も着替えるように」とわたしに告げてきた。

 梔子色の御召に着替えたわたしに頷いた翠様に促され庭に降り立つ。


「少しの間触れることになる」と許可を求めてきた。


 どきまぎしながら頷くと、翠様の腕がわたしの背中に回った。

 気がつくとわたしは彼の胸の中にいた。

 近すぎる距離に顔を赤らめていると、ふわりと両足が浮いた。


 そして。

 驚きの声を上げる間もなく、空へと飛び立ったではないか。


「お気をつけて~」という紅さんの声が遠くで聞こえたような……気がしたけれど、それどころではなかった。


 びゅうびゅうと風が吹く空を……飛んでいる?

 眼下には小さな家々があって。


「翠様⁉」

「大丈夫。私が菜花を落とすものか」


 い、いえ。そういうことではなく……。という言葉をわたしは飲みこんだ。


 翠様がわたしの背中に回している腕に力を込めた。

 抱きしめられているこの状況にもいっぱいいっぱいになってきて……。

 酸欠に陥りそうになったその時、わたしの足がとんっと地面に着いた。


「着いたぞ」


 ぱっと離れて辺りをきょろきょろすると、そこは街の外れだった。

 翠様がわたしの手を引き客待ちをしていた人力車の方へ向かった。


 先ほどまでとは少し遠くなった距離に、胸の奥にぽかりと穴が開いた心地になる。

 そんな自分の気持ちを追い払うかのようにわたしは盛大に顔を左右に振った。


「どうした?」

「何でもないです」


 翠様は「そうか」とだけ言って、先に人力車に乗り手を差し伸べた。

 横並びで密着するのが妙に気恥ずかしくてもぞもぞと体を動かした。


 翠様の隣で落ち着きのなさは、人力車の軽妙な走りへの興奮へと変わっていった。


「ここは帝都ですよね? わたし、何度かこの辺りへおつかいに来たことがあるのですが、こんな風に人力車で駆け抜けるのは初めてです」


「そうか。菜花はこのあたりに住んでいたのか。であれば横浜界隈の方がよかったかもしれないな」

「いいえ。お世話になっていたのはここから歩いて一時間くらいのお家でしたので、十分楽しんでいます」

「気をつかっているわけではないのだな」


 翠様が真剣に尋ねてくるからわたしはこくこくと頷いた。

 だってこれまで自由に街を歩くことなんてなかったから。おつかいだって番頭や女中頭と一緒だった。


 やがて人力車が大きな西洋建築物の前で停車した。

 翠様が勝手知ったる体ですたすたと歩きだすから、わたしも慌てて横に並ぶ。


 生れてはじめて入ったのは百貨店と呼ばれる場所。

 上階へ向かい、到着した喫茶室でわたしは口の中で唸り声を上げる。


 まさかこんなにもお高そうな場所で食事をするとは……。

 わたしの遠慮癖をとっくに見抜いている翠様が給仕係にさっさと注文してしまった。

 基本的に好き嫌いなく出されたものを食べていることを彼は知っている。


 しばらくしたのち、銀色の器に乗ったお菓子が提供された。


「これは……?」

「カスタプリンだそうだ。牛乳と卵を使った洋風の菓子だ」

「なるほど」


 だから柔らかな黄色なのか、と納得したわたしは銀匙でカスタプリンをすくった。

 ちょっぴり固めなそれを恐る恐る口に入れる。

 すると僅かな苦味と一緒に優しい甘みが広がった。


「ん、美味しいです」

「そうか」

 翠様の前には珈琲のカップが置かれている。


「翠様は食べないのですか?」

「こういう場で紳士は珈琲を嗜むものだと聞いている」

「無理に勧めてしまい申し訳ございません」


「いや、いい。今度また、あの和菓子屋で団子を買って一緒に食べよう」

「はい。楽しみです」

 先の約束にわたしはつい笑顔を零してしまった。


「今はそのカスタプリンとやらを楽しむ時間だろう?」

「そうでした」


 わたしははむっとカスタプリンを口に入れた。

 洋風のお菓子を食べたのはもちろん初めてで。


 餡子とは違う甘さにうっとり瞳を細めれば、それをほほえましそうに見つめる翠様の視線に気がつき、ハッとして俯いた。


「別に恥ずかしがらずともいいだろう。どんな顔をしていても菜花は愛らしい」

「翠様!」


 そういうところが心臓に悪いのです! そう叫びたいのをこらえて、わたしは必死にカスタプリンを食べ続けた。


* *


 その後、わたしたちは少し辺りを散策することにした。


 翠様は同じ建物内でわたしの小間物を見繕おうと提案してきたけれど、絶対にお高い品ばかりだ。

 別の意味で心臓がきゅうきゅうと痛くなるのは目に見えていた。


 大通り沿いには洋風建築が目立つが、交わる細い道沿いにはまだ和風の木造建築が多い。


「この通りを真っ直ぐ向かうと銀座にでる」

「昔、この通りが東海道の始まりなのだと教わりました。すごいですねえ。ここからずぅっと歩くと京の街に通じるのですね」


「私なら京の都もものの数分でたどり着けるが」

「先ほどのあれですか?」

「まあ、そうだな」


 言葉を濁したわたしに対して、翠様が微苦笑を漏らした。

 ええと、これは深く突っ込んでしまってもいいのかな?

 正直に言うと、翠様の正体についてどこまで尋ねていいのか分からない。


「さっきは、少しびっくりしました」

 ぽつぽつと話し始めたわたしに、翠様の纏う空気が引き締まったのが分かった。


「だって、急に風がびゅぅぅって、突然地上が遠くに行ってしまったので。あ、でも体には強い風は当たらなかったので不思議だなあと思いました」

「私が菜花を傷つけるわけがないだろう。結界を張ったんだ」

「やっぱり、翠様のご配慮だったのですね」

「私のこと……怖くないのか?」


 不思議体験をさせておきながら、翠様は突如そんなことを言った。


「次に不思議な体験をさせてくださる時は前もっておっしゃってくださいね。突然ですとびっくりしてしまいます」


 ふわりと微笑んで見上げると、翠様はしばしの間口をわずかに開いたままぼんやりとした。

 それからややして「分かった」とだけ言った。

 ホッとしたような顔がどこか幼く思えた。


「人に賑わいが恋しくなれば、こうして帝都でも京の都でもどこへでも連れて行ってやる。だから……どうか私の――」


「なな!」


 翠様の声と女の甲高い声が重なった。


「あなた、ななじゃない!」


 一瞬誰のことかと思った。

 そういえば、最近ずっと菜花と呼ばれていて忘れていた。わたしの本来の名前だ。


 視界の先に一人の少女が佇んでいた。

 艶のない黒髪を無造作にまとめ、色あせた紺の木綿着物を着た彼女は、商家かどこかの奉公人だろうか。

 けれども、驚きに目を見開くその顔に見覚えがあった。


「貴美子……お嬢様?」

 そう、彼女はつい数か月前までわたしがお仕えしていた垣田家の一人娘、貴美子お嬢様その人だった。


「あ、あんた……まさか、隣にいるそいつがお父様がおっしゃっていた男だというの?」

 貴美子お嬢様がじとりと翠様をねめつけた。


「えっと……それは」

「ちょっと! お父様はちゃんとそこの娘をお嫁に出したでしょ! なのにどうしてこんなことになるのよ?」


 口籠るわたしを無視して彼女は一方的に言い募る。


「こんなこと、とは?」


 対する翠様が冷ややかな声で問い返した。


「ななを嫁に出した途端に、お父様の会社が大変なことになったのよ。不渡り? とかいう債権を掴まされて一気に資金繰りが悪くなって……。お父様は夜逃げをするし、お母様の実家にまで人が押しかけて。おかげでわたしたちのこと、伯父様たちは邪魔者のように扱うようになったわ! 従姉妹たちのつかい走りをさせられて……こんな屈辱ってないわ」


 貴美子お嬢様が握りしめた手が小刻みに揺れている。


「わたしが今こんなみすぼらしい格好をしているのに、どうしてななが絹の着物を着せてもらっているのよ! おかしいじゃない」


 貴美子お嬢様が突如わたしに掴みかかろうとする。


 寸前で大きな手が割って入った。

 翠様だ。

 彼はそのままもう片方の手を天に突き上げた。


 するとぶわりと風が生まれた。


「きゃぁぁ!」

 その風に突き飛ばされた貴美子お嬢様が後ろに尻もちをついた。


「ちょっと、何をするのよ」

「私の菜花を傷つけようとするからだ」

「菜花?」

「彼女のことだ。私が名づけた。私の花だ」


 翠様がわたしの肩に腕を回し、ぎゅっと引き寄せる。

 それを見上げた貴美子お嬢様がぎりりと唇を噛みしめる。


「お父様を助けた男がこんなにも見目麗しいだなんて、聞いていないわ! 大事にしてもらえるならわたしが嫁いだのに!」


「おまえは何も知らないのだから仕方がないが……」

 翠様が嘆息した。


「おまえの父親が契約を交わした相手は私ではない。大蛇のあやかしだ。あのあやかしは私が所用で留守にしている間、あのあたりで悪さをしていた。目に余ったため退治に赴いたところ、菜花が食われかけていた。私は彼女を助け、帰る場所がないと言うから居場所を与えた。それだけだ」


「なっ……。蛇? 退治……? なに、それ」


「あのあやかしは、契約のためにおまえの父親に富を与えていたようだな。だが、おまえの父親は娘を嫁に出すという約束を違え、身代わりとして菜花を差し出した」


 翠様は淡々とした声で言った。


「それでも……その蛇とやらは、あなたがやっつけてくれたのでしょう?」

「あの大蛇はおまえの父親に恨みの念を持ちながら消えていった。その念が父親に取り憑いているのだろう」


 あまりの情報量に貴美子お嬢様が口をパクパクと開けたり閉じたりさせた。

 隣で聞いているわたしも驚きの連続だった。


「じゃあ、この先わたしは一体どうなるのよ?」

「さあ」

 翠様が気のない体で答えた。


「父親の因果に巻き込まれたのはおまえだが、そもそもおまえが大人しく大蛇に嫁いでいれば、少なくとも奴は私に退治された時に無用な恨みは抱かなかっただろうな」


「だったら……今、ななが絹の着物を着ている立場は、本来ならわたしのものだったってことよね? なら今すぐにわたしに返しなさいよ!」


 突如矛先が戻ってきて、わたしはびくりと肩を震わせた。


 確かに、貴美子お嬢様が大人しくあの大蛇に嫁いでいたら、翠様が助けたのは彼女ということになる。

 となれば、今のわたしの立場は貴美子お嬢様のものであるわけで。


 そこまで考えたわたしの胸がちくりと痛んだ。

 だって、想像してしまったから。


 わたしに対して優しくしてくれた翠様だったけれど、もしも助けたのが貴美子お嬢様だったら、同じような優しさを彼女に向けたのかもしれないと。


「何を世迷言を。私が惹かれたのは菜花だ」

「わたしの方がそこのななよりも美人だし育ちだっていいわ」


 立ち上がった貴美子お嬢様がわたしに突進してくる。

 翠様が再び腕を上げた。

 つむじ風が生じた。


「なっ……これ、何よ!」


 風が貴美子お嬢様を取り囲む。

 突然のことにわけもわからないという顔をする彼女の周囲で風がくるくす周り、舞い上がった。必然的に貴美子お嬢様も高く飛んでいった。


「うるさい娘だったな」

 翠様は呆れたような口ぶりだ。


「ええと、お嬢様はどこへ?」

「さあ。あまり遠くには飛ばさなかったから、適当に家路につくだろう」

「はあ……」


 大丈夫なのかな。


「道草を食ったな」


 翠様が歩き出した。

 わたしの視界に人力車や歩く人々の姿が映り出す。


 今まで気にも留めていなかったが、そういえば周囲から人々の気配が消えていた。

 大通りでつむじ風が起こり、人が空へ舞い上がったというのに誰一人騒いでいない。


 もしかしたら、翠様が何か細工をしたのかもしれない。

 さっき、結界? とかって話していたから。

 今回もそういう、不思議な術を使ったのだろう。


* *


 その日の晩、お風呂から上がったわたしは浴衣姿で広縁に座っていた。

 五月の夜風はまだ冷たいけれど火照った体には心地いい。


「風邪を引くぞ」


 そんな声と共に肩に羽織をかけられた。


 翠様の香りに包まれて、心臓の鼓動が速くなったのを自覚する。

 翠様も浴衣姿だ。

 彼がわたしの隣に着席した。

 屋敷の夜は静かだ。時折風が吹き、葉擦れの音が聞こえるくらい。


「いかがしましたか?」

「本当は昼間に伝える予定だったのだが、邪魔が入ったからな」

「垣田家の皆さんは……」

 わたしは声を沈ませた。


「菜花が気にする必要はない。あの娘の父親が蒔いた種だ。因果を背負うのは当然のことだ。むしろきみは巻き込まれた方だろうが」


「それは……まあ確かにそうなんですが。わたしだけこんなにも幸せなのが申し訳なくて」

「菜花は今、幸せだと感じてくれているのか?」

「はい。翠様がとてもよくしてくださっているので。それに、紅さんをはじめとする皆さんにも」

「皆、菜花のことが好きなんだ」


 その好きに、翠様は入っているのだろうか。

 浮かんだ考えに蓋をして、わたしは言葉を紡ぐ。


「わたし……皆さんのご好意に甘えてばかりで。もう十分英気を養いました。ですから、そろそろ今後のことを考える頃なのだと思います」


 でないと、わたしはますます翠様から離れられくなってしまう。

 隣にいてくださることが当たり前のように感じてしまう。

 今ならきっと、間に合うから。この気持ちに名前を付けてしまう前に、胸の奥に仕舞うことができる。


「それは……ここを出ていくと?」


 翠様が口を開いた。

 その声は覇気がなく、少し掠れて聞こえた。

 わたしは小さく顎を引いた。


「だめだ」

「え……?」


 拒絶の言葉に小さく目を見開いた途端に、体を引き寄せられた。


「出ていくなんて言うな。ずっと私の側にいろ。菜花にいてほしいんだ」

「翠……様?」


 ひりひりと切実な声がすぐ近くから聞こえた。

 耳から入った翠様の言葉が意味を持ち、熱となってわたしの体を駆け巡る。


「昼間言いたかったことだ。どうか私の側に。妻になってほしい」

「わわわたしが?」


 驚きに心臓が跳ね上がった。


「菜花以外に誰がいる?」


「だ、だって……。貴美子お嬢様に再会した時、わたし思ったのです。もしもあの時わたしが身代わりに嫁入りしていなかったら。翠様はきっと貴美子お嬢様をお助けして、この屋敷に連れ帰って……」


 言いながら自分の声が消沈していくのが分かった。


「助けはしただろうが、菜花に恋をするこの気持ちを、あの娘に抱くことはなかったぞ」


 呆れた声につられるように、わたしは顔を上げた。

 すると、声の通り呆れた顔の翠様がそこにいた。


「酷いではないか。私のこの気持ちをそのように軽いものだと考えているのか?」

「それは……その」


「確かに最初はただの情けだった。だが、腹の虫がなっているのにもかかわらず、膳を遠慮するような謙虚なところや、いつまでも遠慮癖が取れない慎ましい菜花のことが気になっていった」


 翠様がわたしの頬を優しく撫でた。


「菜花の隣は心地いい空気が流れている。ただ同じ空間にいるだけで胸の奥が満たされるんだ」

「わたしも……、翠様が同じ座敷にいてくださるだけで心地よいのです」


 同じ思いを抱いていたことが嬉しくて、わたしはこくこくと同意した。

 すると翠様が瞳を和らげた。


「そうか。自惚れてもいいのか?」

「わたしは怖かったのです。翠様にこれ以上惹かれては後戻りできなくなりそうで」

「後戻りしなければいいだろう?」


 嬉しそうに翠様が顔を近づけた。

 そうしてわたしの唇にそっと触れた。


 重ねた唇から彼の気持ちが伝わってくるようだった。

 優しい口づけは、やがて情愛を求める懇願へと変わっていって。

 わたしは翠様の求めに応じるように背中に腕を回した。



 それからしばらくして。

 夫婦の契りを結んだわたしたちは正式に夫婦になった。


 翠様の本当の名前を教えてもらい、そして彼が人の世界では神と呼ばれている存在であることを知った。

 わたしは、この世の理からほんの少しだけ外れた土地にあるお屋敷で、今日も翠様と一緒の時を過ごす。



一年以上ぶりの投稿でめちゃくちゃ緊張しています。

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読んだよ~、代わりにぜひよろしくお願いいたします!!



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