「第二話 学校の怪談話」06話:そして私たちは書道部へと訪れる。
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それから、数日後のある日のことである。
季節はとうとう梅雨入りし、どんよりとした小雨が降りしきる一日だった。
その日、私がいつも以上に誰もいない霊園墓地の丘にいると、
傘をさした万平くんが訪ねてきてくれた。
時刻は夕方。学校帰りである。
「大鷹と永井さんは、その後うまくつきあってる」
そんな報告を受けた。私は安堵する。
「だけど、登下校も別々で周りにはつきあってることを隠してるみたいなんだ」
「それはきっと、亜季の希望ね」
私は知っている。亜季は自分のことをあまり周りに言いふらすのが好きじゃない。
自慢していると思われるのが嫌いなようで、自分の家が資産家だと言うことさえ知っている人は少ない。
「そう思う。それに大鷹も剣道一筋で張り切ってるみたいなんだ。今度、大きな大会があるみたいだし」
亜季と大鷹くんは、主にスマホを使っての通話やソーシャル・ネットワークでのやりとりして、
校外で会っているようだった。
そしてそのことを知っているのは万平くんを含めてわずか数人だけらしい。
「今日は史香さんに話があるんだ。……妙な話なんだけどね」
万平くんが、そう話を切り出した。
誰の姿もない霊園なだけでなく、小雨に消音効果があるのか周囲からは音がまったくない中でだった。
「……学校に……幽霊が出るんだ」
「ええっ!」
私は、叫んでしまった。
万平くんは、そんな私を見て、ゆっくりとうなずく。
「そ、そんな……」
「今、学校ではその話題で持ちきりなんだ」
「ええっ! 私じゃないよ」
私は、大きな声を出した。
「うん。それはわかってるよ」
そうなのだ。
私はあれから何度か学校には行ったけど位牌は持って行かなかったし、万平くん以外と会っていない。
(もっとも万平くん以外に私の姿が見えるはずがないけど……)
そして、万平くんが私のことを他人に話す訳がないからだ。
それに、亜季と大鷹くんも万平くんの話では、私の姿を見たことを、誰にも話してないと聞いている。
「でも、幽霊の正体は史香さん、ってことになっている」
「ええっ! どうしてよ?」
私は二度驚いた。
「うん。ことの発端は書道部で部員たちが騒いだことなんだ。
誰もいないはずの書道室で、墨をする音がした、とか、半紙に文字が書かれていたことがあったんだ」
「ど、どんなことが、書かれてたの?」
「書きかけなんだ。なんだか、幼稚園児が書いたみたいで文字になってない。
墨がべったりな部分もあれば、かすれてしまっているところもあるようなんだ」
「字になってないの。……でもなんで、それが私のせいになるの?」
「うん。身近で死んだ人が史香さん、って理由もあるんだろうけど、いちばんの理由は手紙なんだ」
「手紙? なにそれ?」
二年三組の私が生前に使っていた机に手紙がいつの間にか置かれていたというのだ。
女っぽい文字で書かれたもので、『この学校の全員を呪ってやる』と、あったというのだ。
「なにそれ? それ、絶対に私じゃないよ!」
私は、憤慨した。
私は、私のおっちょこちょいで事故死したのだ。学校のみんなに恨みなんてある訳がない。
「そう。もちろん、僕も史香さんじゃないのはよく知っている。
だけど……、手紙には『紅林史香』と名前が書かれてあったらしいんだ」
万平くんは、二年四組なので直接見た訳じゃなく、私がいた三組の人から聞いたらしい。
「……それでね。今では史香さんの幽霊話が一人歩きしてしまっていて、
書道部のいたずら書きの習字も史香さんのせいにされてしまってるんだ」
「うそ。……それ、やだよ」
学校のみんなが私に悪意を持つ。
いくら、死んでしまって通学してない私とはいえ、
いわれのないことで悪霊呼ばわりされるのは我慢ができない。いや、違う。悲しいのだ。
でも、私には、その疑いを晴らすための手段はないし、
身の潔白を証明するために弁明させてもらう機会もない。
「万平くん、どうしよう? 私、……このままじゃ嫌よ」
私は万平くんに相談した。と、いうよりも頼ってしまった。彼しか、私の話し相手はいないのだ。
「うん。僕もここに来るまで、それを考えていたんだ。
……史香さん、どう? 学校に行ってみない? いろいろ調査すれば対策も浮かぶと思うんだ」
「学校か。……あんまり気が進まないけど、それしかないよね」
私は同意した。雨が降ってることが嫌な訳じゃない。私が戸惑ったのは、また別のことだ。
……その理由はまだいえない。
「……いつ行くの?」
「うん。今からはどう? まだ、学校には部活で大勢残ってるし」
「えっ! 今から……」
「そう。……疑いは、できるだけ早く晴らした方がいいと思うんだけど」
「うん。……それは、そうなんだけど。……書道部にも行くんだよね?」
私は、万平くんの顔色をうかがいながら、おそるおそる尋ねた。
「うん。知り合いもいるし、そのつもりだけど」
「わ、わかったわ」
私は覚悟を決めた。そして、万平くんとふたりして霊園の丘を降り始める。
「か、傘、入る……?」
突然、万平くんが尋ねてきた。顔はちょっと赤い。
「えっ! え、……大丈夫よ。……ほら、私、幽霊だから雨、関係ないし」
私は、あわてて断った。
「……そう」
万平くんの声には元気がないように感じた。
「あ、ごめんね。気をつかってくれたんだよね」
「あ、そうかな。
なんとなく一人だけ傘さしてちゃ悪いと思っちゃっただけだから。だから気にしなくていいから……」
万平くんは、そう答えた。私は、彼のそういう自然な親切がいいと思った。
ただ、やり方に照れが入るので、ちょっとスマートとは言えない。
でも、……そこが、万平くんらしいと言えばらしい。
「せっかくだから、入れてもらおうかな?」
私は、そういって万平くんの傘の中にピョンと跳ねるように入った。
すると万平くんは傘をずらして私の方に差しかけてくれた。
「ありがと」
私はお礼をいった。万平くんは、どういたしまして、と返事をする。
ちらっと、顔をのぞいたら白い歯を見せての笑顔だった。
そして私たちは、しばらく相合い傘で歩いた。
私は口数が少なかったが万平くんもあまり話をしなかった。行き先は、もちろん学校だ。
学校は霊園を抜けて狭い通りを左折。
すると大通りに出るので後は一直線なのだ。そして、その途中に私の家がある。
「ねえ、万平くん。位牌、どうしようかな?」
私は、万平くんに尋ねた。学校で他人に私の姿を見せるには位牌が必要だからだ。
「うーん。いちおう念のため持って行った方がいいかも」
「そうだよね。だったら、私、取って来るから、ちょっと待っててね」
私は家が近づくと傘の下から抜け出した。
そして通りに万平くんを残すと、ひとりで自分の部屋に行く。
そして、いつも通りに机の上に置いてある位牌を手にする。
すると、ふと部屋に違和感を覚えた。妙に部屋がこざっぱりしているのだ。
「……あっ」
私の部屋が片付けられ始めていた。
本棚の本が残らずなくなっており、その下にある段ボール箱に収められているのだ。
見るとハンガーにかかっていた衣類のいくつかも姿を消している。
「……とうとう、私の部屋が、なくなっちゃう」
私は寂しさを感じた。
確かに、いくら部屋が余っていると言っても、もう使う人は誰もいない部屋なのだ。
叔父たちが整理し始めたとしても不思議はない。
私は、階下へと降りる。
すると異変は他にもあった。居間に飾ってあった絵画や花瓶などがなくなっているのだ。
他にも細々としたいくつかのものの姿も見当たらない。
「……どうしたんだろう?」
私は疑問を持つ。
だけど外に万平くんを待たしているのだ。
私はテレビを見ていた叔母の前を素通りして玄関へと向かう。
もちろん叔母は私の姿には気がつかなかった。
「模様替えでも、してるのかな?」
私は万平くんと合流すると家で起こっていた現象について意見を言ってみた。
「そうかもね。史香さんの部屋を空き部屋にするつもりなのかもしれないね」
「うん。ちょっと寂しいけど仕方ないよね」
すでに私が死んで二ヶ月が経つのだ。叔父叔母を責めるつもりは、私にはない。
私たちは、再び学校へと向かい始めた。
「……史香さん。ちょっと思ったんだけど」
万平くんが、いきなり足を止めた。つられて私も足を止める。
「なあに?」
「位牌のこと、考えた方が、いいかも」
万平くんは、私が上着の下に隠し持っている位牌について、そう口にした。
「え? どうして?」
「うん。史香さんの部屋が片付けられたなら、
位牌も史香さんの机の上にいつまでも置きっぱなしってことは、なくなるんじゃない?」
「……あっ! そうかもっ!」
確かにそれは考えられる問題だ。
私の部屋がなくなるのだ。だとすると位牌の場所も変更される可能性は非常に高い。
「位牌なんだから、どっかにしまい込んじゃうってことはないんだろうけど」
「そうね。うーん、困ったな。居間に置かれちゃったら、持ち出すことが難しくなるわね」
叔父叔母夫婦の家には仏壇がない。
だから今まで私の部屋に置いていたのだ。
幸い私の部屋には叔父叔母はあまり出入りしないので、心置きなく持ち出すことができていた。
でも私の部屋が整理され始めたってことは、置き場所が変わるのだ。
例えば仏壇を購入したりして人目に付く場所に変更された場合、持ち出すことは難しくなるのは間違いない。
「ねえ、史香さん。……いっそ、ダミーを作るってのはどうかな?」
「ダミー? なんの?」
「もちろん位牌のだよ。それとそっくりの位牌を、もう一個作るってこと」
「えー。それは無理だよ」
私は、即座に否定した。
「だって位牌って、けっこう高いんだよ。何万円もかかるんだから」
そうなのだ。位牌はけっこう高価なのである。
私の位牌は叔父たちの私への気持ちなのか、紫檀製なのでけっこう高いのだ。
「そっか。それは、僕には無理だな」
「うん。それに、戒名を入れたりするとかで作るのに時間がかかるみたいだから簡単には作れないよ」
確かに万平くんのアイディアは悪くはなかった。
ダミーを作って置いておく。
そうすれば私の本当の位牌は万平くんに預けっぱなしにできるから、
あれこれについてなんの問題もないからだ。
だけど現実には難しい。
「まあ、位牌なんだから押入れにしまい込まれちゃうってこととかは、ないと思うんだけどね」
「そうだね」
私たちが、そんな話をしているうちに都立大谷南高校へと到着していた。
学校はすでに放課後だけど万平くんが言う通り、まだ大勢の生徒が部活で残っていた。
小雨の中、学校の敷地の外側道路をランニングしている陸上部員たちが、
元気な掛け声とともに私たちを追い越して行く。
私たちは、通用門を通って昇降口へと向かった。
私はてっきり二年生の教室がある二階へと行くのかと思っていたけど、
万平くんはそのまま一階の廊下へと足を進めていた。
途中の事務室から電動ドリルの音が聞こえてきた。
通過するときにガラス越しにのぞくと黄色いヘルメットをかぶった作業服姿の男の人が、数人いるのが見える。
どうやら、なにかの工事をしているらしい。
「万平くん、教室には行かないの?」
「うん。この時間、教室に行っても誰もいないから」
「ああ、そっか」
うっかりしてた。
今は、授業が全部終わった後なのだ。時間に拘束されることのない私には学校のスケジュールが感覚的に抜け落ちていた。
……私は、もう完全に部外者なんだな。
「とにかく、書道部に行ってみようと思ってるんだ」
「……書道部に?」
私の声は小さくなる。
「どうしたの?」
「……ううん。なんでもない。行ってみよう」
なんでもない訳じゃない。だけどひとりで行く訳じゃないんだ。私は、そう自分にいい聞かせた。
人通りが少ない一階の廊下の奥まで進む。
校庭から運動部の元気な声が聞こえてくる。あれは野球部だろうか?
耳を澄ますと吹奏楽部の音楽も聞こえてきた。音楽室はちょうどこの階の真上にあたる。
そして私と万平くんは、廊下の突き当たりに到着した。
そこが書道室だった。
「史香さん、入ってみよう」
「う、うん」
万平くんが、私を見て尋ねてきたので私は小さくうなずいた。
そして万平くんが、なぜか真剣な顔になって一息入れるとそっと静かにドアを開けた。
中には部員が十五人ほどいるのが見えた。
みんな畳に正座して筆を持ち、紙に向かっている。
その姿勢は背筋がぴんと伸びていて、私は目を見張った。
私は生前、書道部になんて、まったく来たことがなかった。
特に興味もなかったし親しい部員もいなかったからだ。
知っているのは文化祭に作品展示をしてあるのを遠くから見たことや、
全校朝礼のときに誰それさんが、
都の大会でどこそこまで行って表彰されたとかを見たくらいしか縁がない。
私はひとりの男子生徒を見ていた。
すっと筆を紙におろしたあと一気に線を引くその力強さに思わず圧倒される。
また隣の女子生徒を見ると、細い筆で丁寧にそして繊細に一文字を描いていく。
その間に女子生徒の呼吸は止まっていて、ただ見ている私にまで張り詰めた緊張が伝わってきた。
書道とは真剣勝負だったのだ。
私は、今までの書道に対する認識をいっぺんに改めた。
それまでの書道部に対するイメージはもっと和気藹々にしゃべりながら、
ときどきお茶を飲んだりして楽しく時間を過ごしている、お遊び部活だと思っていたのだ。
それは野球部やサッカー部、そして大鷹くんが所属する剣道部みたいな、
見ていて活動の大変さがわかりやすいスポーツ系とも違い、
文化系部活でも曲が遠くまで聞こえてきて、その腕前のすごさがわかりやすい吹奏楽部のような、
はっきりとした技術の差が判断しやすい部活動なんかと違って、その取り組みの姿勢を知らなかったからだ。
さらに見ると学年によって取り組みが違うようで、一年生は、主に半紙で練習をしている。
そして二年生、三年生は書き初めに使うような長い紙に大書きしている人たちや、創作活動の一環なのだろうか立体的な多角形の箱のようなものに筆を向けている人や、
特殊な墨を使うのだろう、白いTシャツに文字を描いている人もいた。
そして、驚いたのがその静かさだ。
室内には十五人ほども人がいるのに私語ひとつない。
聞こえてくるのは、息づかいと、墨をする音だけだったのだ。
書道部とは『道』の文字が表すように、剣道部や柔道部と同じ鍛錬の場なのがひしひしと伝わってきた。
「書道部って、すごいんだね」
私は、今更ながら感心してしまった。
「うん。大会も近いしウチの書道部は伝統あるからね」
私の声も小さかったが、答えた万平くんの声もやはり小さい。
それはもちろん、熱心な部活動の邪魔をしてはいけないと思ったからだ。
そのうちにひとりの人が万平くんに気がついた。そして立ち上がって寄って来た。
「よお、相田。どうしたんだ?」
どうやら万平くんの知り合いのようだった。確か万平くんと同じクラスの人で磯田くんという男子生徒だ。
「うん。例のアレ、もう一度見せてくれないか? ……幽霊の仕業ってやつ」
「幽霊の? ……ああ、あれか。まあ、入れよ」
そう言って手招きされたので、万平くんと私は書道室に入った。
そのときだった。
私の背筋がぞくりとした。
それは寒さなんかでくる体感的なものじゃなくて、もっと感覚そのものが刺激された感じなのだ。
……だから、嫌だったのに。
ひとことで言えば嫌な予感。もしくは嫌な雰囲気。そんな感じだった。
「……万平くん。私、なにか嫌な感じがするの。
……ううん。書道部の人が、って意味じゃなくて、この部屋全体から」
「うん。それは僕も感じている」
万平くんが小声で返答した。小さな声なのは周りに大勢の人がいるからだろう。
……万平くんにもわかるんだ。私は気のせいじゃないことを実感した。
「これなんだ」
磯田くんは部屋の隅まで案内すると、無造作に置かれた半紙の束を見せてくれた。
確かに万平くんが言っていた通りだった。
墨がべったりな部分もあれば、かすれてしまっているところもあって書きかけの文字というよりも、
落書きって言った方がいい出来具合である。
正直いって高校生の書くような代物じゃない。まだ字を覚える前の子供の仕業に思える。
そして、磯田くんは言う。
「紅林の幽霊が書いたっていう話だよな。なんで紅林はこんなことするんだ?
書道部に恨みでもあんのか?」
ちょっと憤慨気味に磯田くんは言う。私はその言葉にぐさりと来た。
「私じゃない! 私はこんなことしないよ!」
思わず大声を出していた。
いわれのない言いがかりだ。憤懣やるかたない。でも、その声が届いているのは万平くんだけだ。
「紅林さんが、やったなんて証拠はないだろう?」
万平くんが、抗議の声を出す。
「まあ、そうなんだけどね。あくまで噂なんだ。
……だけど、毎晩のようにこうも続いちゃ、疑いたくはなるな」
磯田くんがそう言った。
「毎晩……?」
「ああ、ここのとこ、毎晩だ」
万平くんと私は顔を見合わせた。
私は首をぶるんぶるんとなんども横に振った。私じゃないとの意思表示だ。
だけど万平くんはそんなことはわかっている、とでも言いたげに軽くうなずいた。
「磯田。こんなことは今回が初めてなのか?」
「ん。……どういう意味だ?」
「以前にも、こんなことがなかったのか、って意味だ」
すると磯田くんは、しばらく考え顔になった。
「……そう言えばあったな。ずっと前だけど」
「ずっと前? どれくらい前か、思い出せるか?」
「うーん。半年……、いや去年だな。夏の大会の前だったから、……ああ、ちょうど一年前くらいだ」
「一年前? 一年前の今くらいか?」
「うん。……間違いない。そう言えば、去年もこんな落書きがあった」
磯田くんは書道部員の二、三人に問い合わせてくれた。
そして、間違いなく去年の今頃に今回のようないたずら書きがあったのを確認してくれた。
そして、それだけじゃなくて一昨年にもあった事実がわかった。三年生が憶えてくれていたのだった。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。
私の別作品
「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」連載中
「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み
「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み
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「その身にまとうは鬼子姫神」完結済み
「こころのこりエンドレス」完結済み
「沈黙のシスターとその戒律」完結済み
も、よろしくお願いいたします。