「第一話 成仏できないっ!」03話:そして親友と出会ってしまった。
【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】
「でもね。私、別に位牌に愛着なんてないよ。万平くんのおじいちゃんの場合とは違うよ」
私は、万平くんに向き直った。
「うん。……それが僕にもわからないんだ。
えーと、史香さんは、なにか生前にものすごく大切にしていたものってある?」
私は、そう言われて考えた。
それなりに大事にしていたものが、ない訳じゃない。最初に浮かんだのは、こっそり書いていた日記だった。
それはちゃんと日記帳に手書きしたものだ。
誰かに読まれたら恥ずかしいとは思うけど、今となっては、別になくなっても困るものじゃない。
次にスマホが思い浮かんだ。
でもこれも最近に新型が出て買い換えたものだから、
万平くんのおじいちゃんのパイプみたいに長年使い続けたものって訳じゃない。
服だって、化粧アイテムだって、アクセサリーだって、みんなそうだ。
だとすると、思い当たるものはない。
「……うーん。特別に、これってものは、ないかなあ」
「うん。だからさ、お坊さんにお経をあげてもらったときに、
さまよっていた史香さんの魂が位牌に宿ったんじゃないかな?
元々、位牌って死者の魂を入れるものだし。……推測にすぎないけど」
「うん、そうかも。そうよ。きっと、そう」
私は、即答した。
きっと、万平くんのおじいちゃんのパイプに相当するものが、私の場合は位牌なのだ。
愛着もへったくれもないけれど、なによりもそれに触れるってことが証拠に違いない。
「あ、だとしたら。……お願いがあるんだけど?」
私は足を止めた。
「え? なに?」
万平くんは尋ねてきた。
私には考えがあった。
もし、万平くんのおじいちゃんのパイプと私の位牌が同じ関係を持つアイテムならば……。
「私の家に、いっしょに行ってくれない?」
「え? 史香さん家に?」
「嫌?」
「べ、別にいいけど……。夕方なんだし家の人いるんじゃない?」
「うん、でも、大丈夫」
叔父の帰宅は夜だけど、たぶん叔母がいるだろう。
でもうまくやれば、私の部屋への侵入は可能なはずだ。
「大丈夫かな? ……だって史香さんの姿は家の人には見えないんでしょ?
僕だけが、お邪魔します、って入って行くなんて無理だよ」
私は、それでも大丈夫と万平くんをなだめた。
「お願い、お願い、一生のお願い」
私は、両手を合わせて万平くんを拝んだ。
……よく考えたら、私の一生なんてすっかり終わっているんだけど、それでも思いだけは一生分だ。
「……うん、わかったよ」
「ありがとう!」
やっぱり万平くんはいい人だった。
私は万平くんを、せかすように歩き始めた。
ここは私のテリトリー。その角を曲がれば住んでいた家があるのだ。
「この家なの」
我が家に到着した。
予想通り台所には明かりが灯っている。叔母が帰宅しているのだ。
「玄関からは無理だけど、叔母さんはテレビを見ながら料理を作るから多少の物音は大丈夫なの」
私は、万平くんを庭へと導いた。そこから見上げると、私の部屋が見える。
「やっぱり、思った通りね」
「なにが?」
「窓が開いてるでしょ?」
叔母が窓を網戸にしていたのだ。
叔母は冷え性でクーラーが好きじゃないので、帰宅すると風を入れるために必ずこうするのだ。
「……史香さん。もしかして、この木を登るのかな?」
万平くんが庭に生える大きな柿の木を指さした。
確かにその枝は、私の部屋の窓へと続いている。
「万平くんは、木登りが得意?」
「いや、まったくだめ」
万平くんが即答した。
それも仕方ないと思う。万平くんは体育が得意って感じじゃなかったはずだ。
それにその木は幹の根元の方の枝は確かに太いけど、上の方はかなり細いし、柿の木の枝は折れやすいって聞いたことがある。
「物置にね、脚立があるの」
私は庭の片隅に建つ物置小屋を指さした。
中から万平くんが長めの脚立を持ち出した。それを二階へと立てかける。
「窓のところが机だから。手を伸ばせば届くから」
私は、一歩一歩、脚立を登る万平くんに説明した。
やがて二階に到着した万平くんは、がらりと網戸を開けると素早く位牌を手に入れた。
そしてゆっくり降りてくる。
「ありがと、ありがと」
私は、なんどもお辞儀をした。
「それよりも早く脚立戻さないと。これって、しっかりと犯罪行為だし」
万平くんが素早く脚立を元に戻した。
そして、二人してこっそり庭を出た。
「そう言えば、史香さんは光誉妙香信女なんだよね」
万平くんが位牌を見てつぶやいた。
「うん。……正直に言うとね。
私、史香よりも光誉妙香信女の方がすっきりするんだ。これって、やっぱり死んでるからかな?」
「え? じゃあ、史香さんって呼ぶのは困るのかな?」
万平くんが、言葉どおりに困り顔になった。
「ううん。そんなことはないよ。戒名じゃ長いし」
私はそう答えた。そして万平くんから位牌を受け取る。
「……あのさ、よく考えたらなんだけど」
家を去りながら万平くんがつぶやいた。
「なあに?」
「……位牌。史香さんが家に入って持ってくれば良かっただけなんじゃない?」
「え?」
「うん。だって史香さん、位牌だけは触れるんでしょ?」
「あ……そっか。そうだよね?」
私は、つい真っ赤になってしまった。
やっぱり私はおっちょこちょいである。
位牌を手に入れるだけならば、万平くんの手を借りる必要はなかった訳だ。
「で、これから、どうするの?」
私たちは、またあてどなく歩き始めそうだった。
「うーんとね、なにかに触りたいな」
「なにに?」
私は少し考えた。
「私と握手してくれる?」
「へ?」
万平くんは一瞬ぽかんとなった。
私は右手を差し出した。すると万平くんは真っ赤な顔になって右手を差し出してきた。
私はしっかり握って握手した。その手は私の手よりも大きかった。
……この質感。まちがいなく人間の手だ。
「ありがとう。ぜんぶ万平くんのお陰よ」
私は感謝した。これは本当の気持ちだ。
「……いいよ。別に大したことしてないし」
万平くんは謙遜する性格のようだ。
泥棒まがいのことまでしてくれたのに大したことは、してないというのだ。
「万平くん、これからの予定は、なにかあるの?」
「予定? ……別にないけど」
「そう。だったら街に行こうよ」
私は万平くんを誘った。
万平くんは嫌な顔ひとつせずにうなずいてくれた。
そして街に向かっている途中、商店街のアーケードが見えてきた。
駅が近いので人の数も増えている。
そして、そのとき、またひとつ奇跡が起きたのだ。
季節は梅雨入り前の初夏。
私以外の人たちの服装は、みんな夏服へと替わっている。
それは当たり前のことだ。なんと言っても暑いから。
だけど、幽霊の私には、気温なんて関係ない。
着の身、着のままの冬の制服姿。……なのに。
「……なんか、暑くなってきた」
私はつぶやいた。
照りつける西日がジリジリと肌を焼く様に感じる。
「ねえ、お願い。ちょっと持っててくれる?」
私は位牌を万平くんに渡した。
そして上着のブレザーを脱いでシャツの両袖をまくる。これだけでもかなり涼しくなった。
「あーっ、暑かったわ」
私がつぶやくと、万平くんがぽかんとした顔で私を見ていた。
「……どうしたの?」
すると、万平くんが少し首を傾けて答えた。
「……史香さん。位牌なしで物に触ってるよ」
「えっ?」
私は驚いた。確かに私は服を脱いで上着を手にしているのだ。
「……こ、これって、どういうことなの?」
私もきょとんとなる。でも、起こったのはそれだけじゃなかった。
そのとき、どすんと、なにかにぶつかったのだ。
「あ、ごめんなさい」
見ると、ベビーカーを押した若いお母さんが謝ってきた。
私の腰にベビーカーがぶつかったのだ。
街の往来でぼんやり立っていたのは私だ。だから、私も悪いことになる。
「いいえ。こちらこそ、ごめんなさい」
私も謝ると若いお母さんは怪我はないかしら? と尋ねてきた。
そして私が大丈夫ですと答えると頭を下げて去って行った。
「あ、あれっ?」
私は気が動転した。なにか、とんでもないことが起こったのがわかったのだ。
「ま、万平くんっ! ……今のお母さん、……私が、見えてたんだよね?」
「うん。それに、ちゃんと声も通じたみたいだね」
「ね、ねえ。……これって、どういうことかな? まさか私、生き返っちゃったとか?」
でも、万平くんは残念そうに首を振る。
「そうじゃないと思うよ。第一、史香さんの骨はお墓にあるんでしょ?」
「あ、そっか」
ぬか喜びだった。
でも、これは大変なことだ。
私の姿が他人に見える。
それも万平くんのような特異体質の人じゃなくて、ふつうの人に姿と声を認知してもらえたのだ。
「それでもいい。あーっ、なんだか最高っ!」
私は、思いきり伸びをした。
すでに傾いている夕日で街はオレンジに染まっていた。
でも私には、その光が黄金の輝きに感じられたのだ。
「ねえ、万平くん。……デートしよ。ね、デート」
私は舞い上がってしまって思わずこう宣言した。
おそらく女慣れしてない万平くんは、またまた真っ赤になるに違いない。
でも、私の予想に反して万平くんは冷静な顔になっていた。
そして、なにか考え込んでいる様子に見えたのだ。
「万平くん、どうしたの? ……私とデートじゃ嫌かな?」
「うん。いや、別に嫌じゃないんだけど。……気になるんだ」
「なにが?」
私は、やきもきしていた。
もう、そんなのどうでもいいじゃない、なんて思っていた。
ところが万平くんは、腕組みをしてしまい、いよいよ深く考え始めてしまったのだ。
「……範囲は? 効果は? ……うーん」
「ねえ、万平くん!」
私は、しびれを切らして声を強めた。
すると、万平くんは、はっとした顔になり我に返ってくれた。
「ああ、ごめん。……ちょっと、考え込んじゃってさ」
「なにが、どうしたの?」
「うん……」
万平くんは、ぽつりぽつりと語り始めた。
「いや、えーと、じいちゃんのときは、こんなことは起きなかったんだ」
「こんなことって?」
「うん。姿が僕以外の他人に見えることなんてなかったんだ。
あくまでも、なにかに触ることができるだけだった」
「そうなの?」
「うん。これには訳があるのかな? って考えていたんだ。でも、……わからない」
「別に、いいんじゃない」
私は、笑顔で答えた。
訳なんていらない。だって、こんなに素晴らしいことが可能になったんだから。
「理由なんて、いいんじゃない? 万平くんは考えすぎだよ。
きっと、万平くんのおじいちゃんの場合と違って万平くんの能力が上がったとか、
私が幽霊としては特別だとかだよ」
深く考えたくない私は、適当に言ってみた。
「そうかな。……うーん」
どうやら、万平くんは理詰めな性格なようだ。納得がいかないと満足できないみたい。
「史香さん、ちょっと、実験してみていい?」
「えーっ」
私は、ちょっと不満だった。なんだか面倒くさい気がしてきたのだ。
「いや、本当に、ちょっとだから」
仕方ない。万平くんの顔から梃子でも動かない決意みたいなものを感じたからだ。
「どうすればいいの?」
私は訊いた。
「ちょっと、僕から離れてくれるかな。徐々にでいいから」
私は、言われるままに万平くんから距離をとった。その距離約五メートル。
「これでいい?」
「うん。そこでさ、なにかに触ってみて」
私は、道ばたにあった真っ赤な郵便ポストに触れてみた。ひんやりとした金属の質感が手に伝わる。
「大丈夫、みたいだね」
万平くんがそう言った。
「ねえ、これに、なんの意味があるの?」
私は、このなんだかわからない実験とやらが不満だった。さっさと遊びに行きたかったからだ。
だけど万平くんは、まだ満足できないようだった。
「もうちょっと、離れてみて。今の倍くらいの距離で」
「えーっ」
私は、少しむくれながらも、またちょっとだけ歩いてみた。
「これでいいの?」
私と万平くんとの距離は、およそ十メートルくらいになった。
「うん。そしたら、その木に触ってみて」
言われて見ると、私の真横に街路樹があった。
見上げると、青々としたたくさんの葉が風に揺れている。私は、そっと手を伸ばす。
「……あ、あれ?」
素通りしていた。
一抱えもある幹に触れようとしたら、私の右手は、するりと通り抜けてしまったのだ。
「これって……?」
私は焦りを感じた。また物に触れることが、できなくなったと思ったからだ。
「え、……どうしよう?」
私の声は、徐々に小さくなる。
すると、万平くんが近づいてくるのが見えた。そして私の前に立つ。
「史香さん、もう一度、触ってみて」
「この木?」
「そう」
私は、今度はこわごわと手を伸ばした。触れなかったら、どうしよう、って考えていた。
でも、手触りがあった。ごつごつとした木肌が手にしっかりと感じられたのだ。
「あ、触れた」
すると、万平くんは再び腕組みをして、考え顔になった。
「……わかったよ。僕が位牌を持っている場合、史香さんは、
だいたい十メートルくらいなら実体化できるんだ」
「そ、そうなの?」
「うん」
万平くんはうなずいた。
言われてみると、確かにさっきは触れなかった街路樹に今は触ることができた。
私は彼の意見は正しいような気がしていた。
「ってことはさ、私が万平くんから、あんまり離れなきゃいいってことよね?」
「たぶん、そういうことになると思うんだけど……」
その後、私たちは実験をした。
例えば私が位牌を持っていたときは、なんにでも触ることができたけれど万平くん以外の人に認識してもらえなかった。
だけどこの場合、私の姿は見えなくても位牌だけが見えてしまう。
位牌だけが宙に浮かんで見えるシュールな絵面になるのだ。
しかしそれも私の上着の下とかポケットに収めることで解決する。そうすると位牌も見えなくなるのがわかった。
――つまり、私は万平くんが位牌を持っている場合にしか他人には姿が見えないのだ。
「うまくは説明できないけど、万平くんが特異体質だってことでオッケーなのかな?」
「うん。僕が特別なのか史香さんが幽霊として特別なのかはわからないけど、そういうことになるのかな」
これが、ふたりが出した結論だった。
とにもかくにも条件付きだけど、私は実体化できるのだ。これはとてもうれしい出来事だった。
それから、私たちは商店街のアーケードをくぐった。
「ハンバーガーが食べたい」
と、私が、せがんだからだ。それは以前に話していた期間限定の商品だった。
お店は夕方なので、当然混んでいた。
「ねえ、こっちの席が空いてるよ」
私はトレーを持ってついてきてくれる万平くんに手招きした。
そして窓際の向かい合った席に腰かけた。
ちなみに位牌は万平くんの通学鞄に収まっている。
そして鞄は万平くんの膝の上にある。
つまり万平くんは間接的に位牌に触れているのだ。
この行為の理由は簡単で位牌なんて人前で出せるようなものじゃないから。
「ねえ、これって、けっこういけると思うんだけどね」
私は一口かじってそう言った。
そのハンバーガーはチリビーンズが入っていてチリの辛さと豆の歯ごたえがなんとも言えないのだ。
「うん。思ったよりも旨いと思う」
万平くんも、まんざらじゃないような顔で食べていた。
私は、今のこの時間が楽しかった。
誰にも見られないし、声も伝わらない、そして、なんにも触れない私は過去のものとなったのだ。
そして生きている人と同じに誰かとおしゃべりしながら食事ができることが、とてもうれしかった。
だから訊いてみた。
「ねえ、私たち、他人からどういう風に見えているのかな?」
すると万平くんは、
「え?」
と、一瞬きょとんとなる。
「どういう関係に見えるか、ってことよ」
私は、ちょっといじわるに言ってみた。万平くんの反応が見たかったからだ。
「うーん。……食い意地のはった二人の高校生」
「なに、それ?」
私が顔をのぞき込むように見ると万平くんは目をそらして赤くなる。
やっぱり万平くんは正直者で、照れ屋さんだった。
そのときだった。
目をそらしていた万平くんの目が一瞬大きく見開かれたのだ。
なにを見たんだろう、と、その視線を追った私も驚いてしまった。
――そこには、私の友人たちがいた。
「……亜季」
私はつぶやいた。
近くのテーブルに私たちと同じ都立大谷南高校の制服姿の女子高生が四人座っていた。
その中に私の親友も混ざっていたからだ。
残りの三人も私のクラスメートで、割と仲がよかった人たちだった。
亜季と知美と千佳と梓だ。
その中でも永井亜季は、私のいちばんの友人だった。
出身中学も同じで高校でも同じクラスになったことから親密さはいよいよ増して、
お互い他人に言えない秘密をいくつも共有する仲になっていた。
亜季の良さは大きなお屋敷に住むお嬢様なのに、まずは人柄がいいことだ。
誰にでも笑顔で接して、頼まれ事も嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれる。
それに美人である。
つまりはパーフェクトな女の子なのだ。
「ねえ、万平くん。あの子たち、私の友達なの」
私は思わず立ち上がろうとした。
亜季たちに、私の姿を声を認めて欲しかった。私もここにいるのよ、と叫びたかった。
……でも、万平くんは首を横に振った。
「みんな三組の人たちだよね。知ってる。だけど、……酷だとは思うけど、史香さんは幽霊なんだよ」
その言葉は私に突き刺さった。
吸血鬼が銀の杭を胸に打ち込まれたときは、きっとこのくらいグサリと感じるに違いない。
私は反論したかった。……でも、できなかった。
私は、万平くんの言いたいことがわかってしまったのだ。
「……私の姿、見られたらまずいんだよね。……やっぱり」
「うん、そうだね。とんでもない大騒ぎになると思う」
「どうしよ?」
私は手で、外に出る? って示した。
だけど、万平くんは首を横に振る。
「今、立ち上がると、かえって目立つから駄目だと思う」
そう言われて私は辺りをうかがった。
いつの間にか店内には人が少なくなっていた。確かに真横に位置する私たちが立ち上がれば目立つ。
「どうしよ?」
「うん。なるべく、そっちを見ないで頃合いを見て外にでよう」
私は、万平くんのその提案にうなずいた。
そして、ふたりして窓の外をながめるようにした。
それは、もちろん、私たちの顔が見えないようにするためだ。そして、窓ガラスには亜季たちが映っていた。
「……うっそー。亜季、その話、断ったんだ」
「うん。悪い人とは、思わないけど。……それほど、親しくないし」
亜季たちの会話が聞こえてきた。どうやら亜季は今日も誰かに告白されたらしい。
亜季はサラッサラの長い髪で色も白い。
そしてスタイルは女の私から見てもうらやましいほどなので、そういう話はしょっちゅうあった。
「あーあ。でも亜季はいいな。私なんか、誰もコクってくれたことないんだから」
知美が、少しすねたような顔をした。
「えー。それは知美から行動しないからだよ。
知美って二組に隠れファンクラブがあるらしいって、二組の子から聞いたよ」
「うっそー。それ私、初耳」
亜季が答えると千佳が驚いた顔で、知美を見る。
そんな会話がいつまでも続きそうだった。
私としては級友たちのその後の情報が入手できて楽しくもあったのだけれど、
私の存在がばれやしないか、どきどきもしていた。
まして今は万平くんという男の子といっしょなのだ。
そして、そんなときだった。
「……そう言えばさ、史香ってアレでけっこう人気あったみたいだよ」
梓が、いきなり私の名前を告げた。私は驚きで跳ね上がりそうな気持ちになる。
「史香のアレって、なあに?」
亜季が問い返す。
その表情はきょとんとしていて女の私が見てもやっぱりかわいい仕草だった。
私は、ふいに懐かしさを感じる。
「思い込みが激しくて、おっちょこちょいなとこ。
ほら、去年あったじゃない。亜季に接近してきた男子を自分のことが好きだと勘違いしたことが」
梓がいたずらっぽく答えると、ああ、そう言えば、と一同にくすくす笑いが広がる。
私はと言えば恥ずかしい話を思い出させられて耳まで真っ赤になってしまった。
ことの顛末は、こうだ。
私と亜季はいつもいっしょにいた。
そしてある日のこと、隣のクラスの男の子が私に話しかけてきたのだ。
確か大下くんという男子だ。
それは私のプライベートのスケジュールに関する質問だったので、やんわりとにごしたのだ。
でもその翌日も、その大下くんはやって来た。そして、その次の日も……。
「いい加減にして! 私はあなたのことなんか、ちっとも好きじゃないんだから!」
私はキレた。
人通りが多い昼休みの廊下で大声で叫んでしまったのだ。みんなが一斉に振り向いた。
私の勢いにおののいたその大下くんは、しどろもどろになって弁明を始めたのだ。
すると目当ては私じゃなくて亜季だと告白したのだった。
どうやら、いつも亜季といっしょにいる私から情報を聞き出そうとしたらしい。
……まったくの早とちりだった。お陰で私は公衆の面前で大恥をかいたのだ。
「あの勢いの良さっていうか、気っぷのよさ、っていうか、それでファンになった男の子もいるみたい」
……なんてことを話していた。ちょっと、うれしくもあり、くすぐったくもあった。
「ねえ、そういえば亜季って好きな人いるの? 訊いたことないけど」
突然に知美が亜季に尋ねていた。亜季は一瞬戸惑い顔を浮かべる。
……私は知っていた。
亜季には好きな人はいない。それは面食いとか、えり好みが激しいとかじゃなくて、亜季の性格の問題だった。
亜季は、四方八方に笑顔を振りまいているように見えるけど、実はかなりの人見知りなのだ。
だから亜季のテンポとかリズムとかに、ゆっくりシンクロしてくれる人じゃなくちゃだめなのだ。
亜季は、そんな誰かが現れるのをずっと待っている。
でも、……驚いたことに、亜季はゆっくりとうなずいたのだ。
「……実はね、いるの」
「ええっ! ねえ、それ誰、誰? 私たちの知っている人?」
千佳が猛然と質問していた。
「うん。……でも、まだ言えない」
――私は、驚いていた。
そんな人がいるなんて、ちっとも知らなかったし、
亜季が好きになれる人が身近にいる可能性なんて思いもしなかったからだ。
……私の知らない亜季がいる。
それが私には、寂しく感じられた。
でもそれは亜季の恋に反対する訳じゃない。むしろ、相談されたら全力で応援したかった。
でも、……私は、亜季たちの輪には、もう入れないのだ。
なんでと尋ねられたら、私はこう答える。私はそっち側の住人じゃなくて、幽霊だから。
「……史香さん、どうしたの? 顔色、悪いけど」
「ううん。大丈夫よ」
私は答えた。
でも、声はかすれていたので、うまく伝わらなかったかもしれない。
だけど、万平くんはなにも言わなかった。
私は、そんな万平くんに感謝した。そしてそっと顔をうかがった。
万平くんは私に横顔を見せていた。
視線をたどると、ある一点を見つめているようだった。
――万平くんは、たったひとりの女の子だけを、ずっと見ていた。
それに私は気がついた。
「……あっ」
私は、万平くんの視線の先に気がつかないふりをしていた。
私たちは無言になった。
友人たちの会話は、いつまでも終わらない様子だった。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。
私の別作品
「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」連載中
「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み
「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み
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も、よろしくお願いいたします。