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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

矢間の向こう 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へえ、姫路城の矢間って、昔は4000くらいあったと見られているんだってさ。

 単純に4000丁の鉄砲でもって、相手を迎撃できる備えがあったというわけで、これだけでも城主の経済力がうかがい知れるね。

 僕の地元の城はすでに影も形もなく、あったと伝わる矢狭間はせいぜい100程度だとか。

 とはいえ、場所も地域のいち山城。攻め落とすのに姫路城並みの人が押し寄せることもないだろう。別に鉄砲じゃなくて、矢なり石なり降らせればそれでいいとは思うけれど。


 これらの矢狭間は、外敵を攻撃することをメインとしているけれど、中には城郭内に設けられることもあるらしい。

 いわゆる隠し部屋の様相でね。城内部に敵が入り込んできたときに、巧妙に隠しておいた矢間から、えいやと槍を繰り出して攻撃するのを意図していたとか。

 その矢間をめぐる昔話を、最近耳にしてね。

 聞いてみないかい?



 聞いたところによると、その矢間は隠し部屋の中でも、内側の通路に面する柱の中に作られていたという。

 いざ使う時には、あたかも木の表面を模した穴より槍を突き出して、攻撃する。普段はのぞき穴のついた薄い板を表面に張り、いざというときに穂先でもろとも突き破って相手を襲うのだとか。

 しかし言うは易く行うは難しというやつで、穴から槍で相手を正確に突くのは大変だ。

 さっと走り抜ける相手を、きれいにとらえるためには、自分の突き出す穂先の速さも計算に入れ、角度さえも正確でなければならない。

 混戦になったらなったで、今度は絶えず入り乱れる敵味方を正確にとらえ、事故を防がなくてはならなかった。

 自然、ここに潜むものたちはずば抜けた技量が求められることになり、定期的な戦の訓練の折にはたんぽ槍でもって、柱の向こう側を走り去る練習相手、およびもみ合いの乱戦の中、目印をつけた兵のみを正確にとらえる訓練を行っていたという。

 要求される基準は厳しく、自然とその役割の者は勘を鈍らせないままの専任として、有事に柱へ潜む役を仰せつかっていたのだとか。


 むろん、彼らへ仕事が回ってこないに越したことはないのだが、かの城の数十年の歴史のうちに、奇妙な事件があった。

 すでに恒例となっていた、柱の矢間越しの突き出し訓練。それは階層を越え、合計8箇所に用意された矢間で行われるが、そのうちのひとつ。天守に一番近い地点で起こった。

 当時の一番老齢である担当者は、訓練当初こそ正確無比な突き出しでもって標的をとらえ続けていたが、乱戦のおりになってふと突き出しが途絶えてしまった。

 これまでと打って変わっての音沙汰なさぶりに、次第に訓練参加者も不安になってきて、老人を柱から引っ張り出そうとしたのだとか。


 果たしてそこには、もとよりしわだらけの身体で倒れ込んでくる老人の姿があった。

 長く戦に関わってきただけあって、訓練が始まる前までは血色のよい格好を見せていたんだ。

 それがいまは、すっかり顔も肌も青ざめてしまい、布団にくるまる幼子のようにぶるぶると震えるばかり。歯の根も合わず、しばらくはまともに口を聞けなくて、一挙に10歳も老け込んでしまったかのようだ。

 半日ほどして、ようやく落ち着いた老兵は、皆に自分の見た者を語った。



 柱の隠し間へ入った時、老人の背筋に冷たいものが走ったそうだ。

 風邪をひいたかとも思ったが、寒気はすぐにおさまって、このときは気を取り直したらしい。

 しかし、柱の向こうで人のひしめく、もみ合いになる乱取りが始まってからしばらくして。

 敵の目印となる、紫色のハチマキを締めるものを、正確に突き倒していった老人。合計して30人ほどを突いたところで、ふと矢間全体を隠すほどの近場で、横切るものがあったんだ。

 紫の帯。柱の中の許される空間で、角度をつけながら外をのぞき見ると、周囲の者よりひとまわりの矮躯の持ち主が、壁沿いをかけていくところだった。


 自分に喧嘩を売ってきたな。

 そう感じる老人は、パッとみた後姿を目で追い続けた。

 殺到する皆の中でも、あの鉢巻きの主は見失わない。いくらかの相手を、取り除けるようにタンポ槍で突き飛ばしながら、やがて再び近づいてきた矮躯の主へ、老人は槍を繰り出した。


 ぐっと穂先が重くなったように思えた。

 すぐに引こうと思ったが槍はすんなりと離れず、突いた相手も引かれる穂先にそって、ぐんと老人の手元へ近づいてきた。

 眼前まで寄ってきた顔を見て、老人は柱に入った時と同じ、背筋を凍らせるような寒気を感じた。

 槍で突き、それに釣られて目の前までやってきたその矮躯の男は、自分の姿。

 厳密には戦場に立つようになったばかりの、若き日の自らの姿と瓜二つだったという。

 そう気づいたときには腰が抜け、槍も取り落としてしまったが、穴の内側へ飛び込んできた穂先には、もう若き自分の姿はなかったという。


 このまま戦に関わっていたら、死が近い。

 そう察するや、鞭打っていた老骨に急激な重みを感じ、彼はほどなく出家してしまったという。

 この話は他の矢間担当の者の心も乱し、及び腰な空気が漂い始めていたらしい。

 ささいな士気の低下も、大事に至っては命取りになる。なれば、それを早急に拭わねば。

 そう考え、かの老兵に代わって矢間役を買って出たのは、歴戦の将のひとりだった。かれもまた戦に出ること20回を下らない熟練の戦い手だった。



 はじめこそ、慣れない役目に過ちを重ねることもあったが、数度も減れば目も身体もなれてくる。

 大将首を求めて、戦場を駆けまわる時の嗅覚が、躍る鉢巻きを瞬く間にとらえて、次々と槍を繰り出していった。

 そうして何日かののち。柱に近寄るのを嫌がる者さえ現れる槍さばきを前に、挑発するかのように柱の前を横切る、鉢巻き姿の武者の姿があった。


 ――現れたな。


 そう思った時には、日々伸ばしていた長尺の槍を突き出していた。

 あらかじめ話を聞いていたから、反応も早い。

 老人が一度は見送ったのに対し、将は駆け去ろうとするその背中へ、正確に槍を突き出していた。



 これもまた聞いた通りに、タンポ槍で突いたにもかかわらず、トリモチにでも引っかかったかのように、引くや手元へ飛んでくる身体。

 それが途中でぐるりと向きを変え、自分と向き合うような形に。

 頭から血を流し、開ききった目と口でもって武者に近づいてくるのは、いまより幾分か若い己の姿。

 その不吉きわまりない出で立ちは、並の者に老人の二の舞を踊らせるに十分な衝撃ではあったが。


「喝!」


 一帯を揺るがし、乱取りしていた者たちさえ、一瞬手と足を止めてしまいそうな大音声だった。

 そこに一拍遅れて、武者が控えていた矢間の壁がボロボロと崩れていく。

 柱を模した遮りは、武者の身体の形の穴を開けて崩れ去り、そうして全身をさらす武者は、そうと分かるほど肌を紅潮させていたんだ。

 引き寄せた槍の柄尻を、とんと床へ突き立てて武者は集まる一同に告げる。


「矢間が見せたのは、我々の心の中にある死への恐れ、あるいは渇きだ。

 用意されながら、その真の役目を果たすことなく、時を過ごすばかりだった矢間。そいつの抱く本懐への望みが、想像の死を生み出させたのだ。

 想像が真に迫るのならば、それすら飲み込み糧とせよ。こうして見聞きし、味わう痛みもすべては自らの確かな歩み。強く受け止めていくがいい」



 以降、これらの矢間が真の仕事を成すことはなく、城は取り壊されてしまった。

 が、かの将も兵たちもまた、隠居するまでの間をよく戦い抜いたという。

 


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