男爵令嬢のマネをして「で〜んかっ♡」と侯爵令嬢が婚約者の王子に呼びかけた結果
「で〜んかっ♡」
ローゼ男爵令嬢のお決まりの台詞、お決まりのポーズ。
ぴょんと軽く飛び跳ねて、首をちょこんと軽く傾ける。そして、エドゥアルト王子の腕を強めにぎゅっと掴むのだ。
剣技で鍛えられた硬質な腕に柔らかくてほんわりした腕が絡みつくと、王子の口元も自然と緩んだ。
「なんだい? ローゼ嬢?」
「えぇ〜っ? 呼んでみただけですよーぅ!」
「なんだなんだ。相変わらず変なやつだなぁ」
「うふふ」
……いつもの光景だ。
この馬鹿馬鹿しい様子をシャルロッテ侯爵令嬢は呆れた様子で眺めていた。
彼女の周囲の令嬢からは男爵令嬢を非難する声で満ちていたが、彼女自身は半ば諦念のようなどうでもいい気持ちで二人を見据えていた。
ふと、彼女は首を傾げる。
いつ頃だったか。
エドゥアルト王子がローゼ男爵令嬢に入れ込むようになったのは。
◆
シャルロッテとエドゥアルトは5歳のときに婚約を結んだ。国王と宰相であるシャルロッテの父親が決めた婚約だ。
幼い二人には恋愛感情などという意味も知らなかったが、それでも成長するにつれて情というものは芽生えていった。それは男女の愛情とは程遠い、友情や同志のような感覚だった。
将来、立派な国王と王妃になって二人で国を繁栄させよう……よくそうやって一緒に未来を語り合っていた。二人は仲間であり戦友だった。
シャルロッテはこのまま成人しても、エドゥアルトと一緒に国家のために切磋琢磨をしていくのだろうと信じていた。
転機は学園への入学だった。
この国では、貴族は15歳になると王都にある学園に全員通うことが義務付けられている。
そこにローゼが辺境の地より入学してきたのだ。
彼女は元平民で、父親が男爵位を金で買ったばかりなので貴族令嬢としての基本も出来ていなかった。
その奇抜な姿は他の令嬢からは眉を顰められていたが、貴族令嬢らしくない天真爛漫で飾らない性格に令息たちからは密かに人気を集めていた。
その中には、エドゥアルトもいた。
窮屈な王宮暮らしの彼にとってローゼの快活な姿は新鮮で、とても輝いて見えた。
そして彼女にとっても王子様である彼は、特別で憧れの人だった。
二人が惹かれ合うのに時間はかからなかった。
はじめは人知れずに愛を育んでいた。だが今では、エドゥアルトは「最愛の君」と堂々と公言して二人は深い交際をしていた。
シャルロッテは「王族としての品格に関わる」と、何度かエドゥアルトに諫言をしたが、彼は聞く耳を持たなかった。
二人の間に生まれた小さな亀裂はみるみる広がっていって、今や乗り越えられないくらいに溝は深く広くなっていた。
太陽の下を仲睦まじく並んで歩くエドゥアルト王子とローゼ男爵令嬢。
日陰でぽつねんと一人で佇むシャルロッテ侯爵令嬢。
王子を巡る二人の令嬢の対比はあまりにも残酷で、はじめは侯爵令嬢派だった者たちも「次期王妃は男爵令嬢に違いない」と、だんだんと離れて行ったのだった。
「もう、潮時かしら。……でも、やっぱり諦めきれないわ」
これまで夜の湖のように沈黙していたシャルロッテだが……ついに我慢の限界が来た。
◆
「で〜んかっ♡」
お決まりの台詞。
いつもの可愛らし最愛の君の呼びかけにエドゥアルトが振り返ると……婚約者のシャルロッテがニコニコと笑顔で立っていた。
彼女の姿を目視すると、途端にエドゥアルトは凍り付く。
「で〜んかっ♡ こんにちはっ!」
シャルロッテはちょこんと首を傾げて王子に異様に明るい声音で挨拶をする。そこには普段の高貴な姿など微塵も映っていなくて、ただ年相応の可憐な少女が存在していた。
いつもは濃いめの化粧も隙なくセットされた髪も今日は正反対で、薄化粧に軽く巻いただけの髪。香水も微かに香る程度で、棘のある薔薇ではなく野に咲くタンポポのような、ほんわかとした優しい雰囲気になっていた。
(かっ……可愛いな……)
エドゥアルトは思わず息を呑む。
令嬢として、そして王子の婚約者として完璧なシャルロッテだったが、その完成された淑女像故に一緒にいて酷く疲れる子だった。比較的自由な学園でも彼女の隣にいるだけで窮屈な王宮の延長のようで、彼は辟易としていたのだ。
そんな婚約者が、今日は様子がおかしい。
正直言うと驚きを隠せないが……悪い印象はしなかった。
「どっ……どうしたんだい、今日は? いつもと雰囲気が違うじゃないか」と、エドゥアルトは念のため警戒しながら恐る恐る尋ねる。
するとシャルロッテはしおらしい様子で、
「実は……わたくし、反省いたしましたの」
「えっ? 反省?」
予想外の言葉に、エドゥアルトは目を丸くした。
「えぇ。わたくしは殿下の婚約者として立派に務めなければと意気込んでいたのですけど、結局は自分のことしか見えていなかったのですわ。規律ばかりを重んじて、殿下のお気持ちなど微塵も考えておりませんでした。ローゼ様のお姿を拝見して猛省したのです」
「シャルロッテ……!」
日頃の気品の高い姿とは打って変わってうら悲しい様子の婚約者は、エドゥアルトの閉ざされた心の扉を叩いた。
まさかプライドの塊のような彼女の口からこのような殊勝な言葉が出てくるとは思わなくて、彼は驚愕を超えて感動に打ち震えていた。
「それで……その……」
シャルロッテは令嬢らしからぬ上目遣いで婚約者をチラリと見やる。
「なんだい?」
瞬く間に婚約者に絆されたエドゥアルトは、懐かしい気持ちを覚えながら幼少の頃と同じ優しい視線を彼女に向けた。
「あの、あのね……」シャルロッテはもじもじと身体を動かす。「お詫びの印に……クッキー、作ってきたの」
「クッキー!?」
エドゥアルトは目を剥く。まさか侯爵令嬢が菓子なんぞを手作りするなんて……。
貴族の令嬢は基本的には料理など自ら作らない。男爵家のローゼでさえ使用人に作ってもらっている。
それを、王子の婚約者である、高位貴族の、気高い、シャルロッテが……!
彼の胸にバチリと電撃が走った。
(俺のために……わざわざ……あのシャルロッテが!)
「殿下……」シャルロッテが瞳を潤ませながらコツンと首を傾げて言う。「迷惑……だった?」
「迷惑なわけないだろうっ!!」
「きゃっ!」
エドゥアルトは急激な気分の高揚のあまり、勢いよくシャルロッテを抱き抱える。そして二人並んでベンチに座って、彼は生まれて初めての令嬢の手作りの菓子を口にした。
「旨い……!」
婚約者の手作りクッキーは流石に王宮で出されるプロが作った菓子には程遠かったが、ほのかに甘くて優しい味がした。まるでシャルロッテの愛情が深く詰まっているような。
「本当?」シャルロッテは頬を染める。「喜んでくれて良かった! 殿下のために早起きして作ったんだよ?」
(俺のために……!)
エドゥアルトは猛烈に感激していた。あんなに疎んじていた婚約者が今では愛おしくて仕方がなかった。
自分はこんな健気な子をどうしてこれまで放っていたのだろうか……と、愚かな己を酷く呪った。
「シャルロッテ……。俺のほうこそ済まなかった。なにやら思い違いをしていたようだ。これからは、また婚約者として君の側にいてもいいか?」
「殿下……」シャルロッテのほんのり赤い頬がますます上気した。「もちろんですわ! その、これからも……よろしく、ね?」
「もちろんだ、シャルロッテ!」
ついに愛情が弾けて身体から溢れ出たエドゥアルトは、がばりと情熱的にシャルロッテを抱き締める。
彼女ははにかみながら微笑んだ。その屈託のない笑顔は侯爵令嬢の顔ではなく……純粋な恋する一人の少女そのものだった。
(――計画通りね)
シャルロッテは心の中でほくそ笑む。
全てが彼女の計算通り。勉強熱心な彼女は、此度の王子と男爵令嬢の大恋愛について、無言を貫く水面下でずっと調査・分析を行っていたのだ。
なぜ、王子は男爵令嬢に惚れたのか。
彼女のどこが良かったのか。
男爵令嬢と自分たち貴族令嬢との差異はなにか。
令息たちの心を鷲掴みにする彼女の魅力はなんなのか。
密かな調査の結果、彼女はある事実に辿り着いたのだ。
王子は男爵令嬢自身が好きなわけではない。
男爵令嬢の平民的な立ち居振る舞いが好きなのだ。
ローゼは元平民なだけあって、貴族の常識を知らない。令嬢としての所作も教養も、なにもかも。だから生まれた時から王宮暮らしのエドゥアルトにとって、彼女の全てが新鮮だったのだ。
王子の周囲には家格の相応しい人物が配置される。彼らは総じて高位貴族の出身で、幼少の頃から一流の教育を受けてきた。
そんな中で培養された王子にとって、貴族社会では非常識すぎる男爵令嬢は感動するほどに目新しかった。
だから、王宮という狭い世界から飛び出したいと常々思っていたエドゥアルトは、これまで触れたことのない領域にフラフラと引き込まれて行っただけだったのだ。
ならば、自分がその「型破りな令嬢」になればいい――そうシャルロッテは考えた。
真面目な彼女はお忍びで王都へ下り、平民の友人を作って平民の常識や平民の恋愛事情を学んでいった。
同い年の少女や、果ては娼館の人気ナンバーワンの娼婦に男女の駆け引きの運びを教えてもらったのだ。
料理も練習して、平民のようなヘアメイクや言葉遣いも勉強して……苦労の末、彼女は男爵令嬢を凌駕する平民然とした令嬢に変貌を遂げたのだった。
(侯爵令嬢が男爵令嬢に負けるなんて絶対にあり得ないわ)
シャルロッテには王子の婚約者としての矜持があった。
王子の婚約者になったその日から、未来の王妃になるために血の滲むような努力をしてきた。そして名実ともに、王子の婚約者に相応しい完璧な令嬢になったのだ。
そんな誉れ高い己が、ぽっと出の元平民の男爵令嬢なんかに婚約者を取られるなんて許されない。
こんな屈辱は侯爵令嬢の自分には要らない。
(絶対に、エドゥアルト殿下をわたくしの元に取り戻してみせる……!)
◆
「で〜んかっ♡ あ〜ん?」
「あ〜ん……うん、旨い!」
「本当? 嬉しい!」
王族専用のバルコニーで、思わず二度見してしまうような光景が繰り広げられていた。
我が国の王子と……恋愛勝負に脱落したはずの侯爵令嬢が和気藹々……と言うよりもイチャイチャイチャイチャと昼食を摂っていたのである。
いつもは男爵令嬢がいたはずの王子の隣の席は、彼の婚約者である侯爵令嬢に取って代わられていたのだ。
これは一体どういうことかと、学園中が揺らいだ。
否、元々あの席は婚約者である侯爵令嬢のものだ……いやいや、おそらく身分を盾にして男爵令嬢から奪い取ったのだ……それにしては、王子の様子がおかしい、まるで自ら侯爵令嬢に寄り添っているような…………。
――と、様々な噂や憶測が飛び交う中、当の二人は周囲の視線など眼中になさそうに、凝縮した空間の中で甘いひと時を過ごしていた。
「今日は殿下の好きなローストビーフのサンドイッチをたくさん作ったの。いろんなアレンジをしているのよ。いっぱい食べてね?」
「俺が好きなものを覚えててくれたのか? シャーリーはなんて可愛いんだ!」
「だって、殿下の婚約者だもん! 当たり前よ」
「そうか、そうか。――ほら、殿下になっているぞ。エド、だろう?」
「あっ、いけない、わたくしったら。……エド様♡」
「シャーリー♡」
「はい、あ〜ん♡」
「あ〜ん♡」
バルコニーの外が一層ざわめいた。信じられないものを目の当たりにして、生徒たちは開いた口が塞がらない。
(わたくしが衆人環視の前でこんな真似をするなんて、屈辱だわ……)
シャルロッテは心の中で毒づく。馬鹿に合わせた己の馬鹿な姿を、身分の低い者たちにバルコニーの上からまるで演劇のように見せ付けていることに羞恥心を覚えた。
だが、今は我慢だ。
これまで耐えてきたのだ。これくらい微風のように受け流さなければ。
(そうよ、まだ我慢のとき。王子を完全に籠絡するまでは……)
二人のバルコニーでの昼食会は終始甘過ぎる空気のまま、幕を閉じる。
◆
エドゥアルトとシャルロッテが縒りを戻したという噂は立ち所に広まった。
最初は「あの王子と男爵令嬢の恋仲がそう易々と崩れるはずがない」と疑ってかかっていた者たちも、二人がベタベタと親密に寄り添っている姿を直に見て、噂は本当だと認めざるを得なかった。
そして、学園内のパワーバランスにまたぞろ歪みが生じる。否、今回は元に戻ったと言ったほうが良いのだろうか。
男爵令嬢派だった者たちも「やはり侯爵令嬢こそ身分も教養も王子に釣り合う正当な婚約者」だと、掌を返して侯爵家の派閥に戻っていった。
それに比例して、ローゼの立場はぐんと悪くなる。
元より彼女は「卑しい身分のくせに厚かましくも王子に近付く女」と、特に令嬢たちから快く思われてはいなかった。
しかし、仮に彼女を刺激して王子の勘気に触れると己の家門の立場が悪くなる。だから令嬢たちはモヤモヤして鬱々とした気持ちを、少しずつ少しずつ胸の中に溜め込んでいたのだ。
そんな暗澹とした空気のところに、シャルロッテのどんでん返しの大逆転である。これには令嬢たちは歓喜した。
これで、あの礼儀知らずの男爵令嬢に大きな顔をされずに済む、やはり我が主は侯爵令嬢なのだ……と、シャルロッテの支持はどんどん厚くなって行った。
令嬢たちは、これまでの鬱憤を晴らすように、ローゼに対して辛く当たるようになった。彼女にとって頼りの王子様も今や婚約者に首ったけだ。
完全に居場所のなくなった彼女は体調不良を理由に、いつしか学園に来なくなっていた。
◆
「で〜んかっ♡ ――きゃっ!」
婚約者に駆け寄る途中で小石に躓いて転びそうになるシャルロッテを、エドゥアルトは抱きかかえるように支える。
「おっと、危ない。気を付けないと駄目だぞ、シャーリー」
「えへへ、ごめんなさい。わたくしったらそそっかしくて……」
「そんなところが君の魅力だよ、我が最愛」
「そんな、恥ずかしいわ」
「恥ずかしがるところも可愛いね」
「もうっ、エド様の意地悪ぅ!」
「はははっ。本当に愛らしい、俺のシャーリーは」
「むぅ!」
シャルロッテはわざとらしく口をぷくりと膨らませる。林檎のようなまぁるい頬を、エドゥアルトは愛おしそうにつついた。
(なんて可愛らしいんだ、俺の婚約者は! 最高だっ!)
(……単純な男)
二人の砂糖菓子のような甘ったるい交際はなおも続く。
元より身分の高い者同士、同じく一流の教育を受けていた二人は話が合って話題も事欠かなかった。そこに男爵令嬢を超える庶民的な可愛らしさを備えた侯爵令嬢は、王子にとってまさしく「理想の女性」だったのだ。
高位貴族である二人は甘くありながらも、貴族らしい清い交際をしていた。
二人の間には常に側近や護衛が控え、口づけさえもしていなかった。
エドゥアルトとしてはもっと深い交際をしたかったが、シャルロッテが「わたくしたちは国中の紳士淑女の手本でなければ」と制止していた。
その代わり彼女はエドゥアルトが求める以上の、貴族令嬢としては斬新で且つ可憐な立ち居振る舞いをして大いに彼を満足させていた。
エドゥアルトは日に日にシャルロッテへの愛情が大きくなった。そして、男爵令嬢などにうつつを抜かしていた過去の己を酷く内省していた。
なぜ、あのような女に夢中になっていたのだろうか。
自分の最愛はずっと隣にいたではないか。
そう思えば思うほど、婚約者への愛情は湖に沈んでいくように深く重くなっていったのだ。
◆
それから数ヶ月が経って、ついに学園の卒業式の日がやって来た。
エドゥアルトはローゼと交際をしていた頃は、この日にシャルロッテに婚約破棄を突き付けようと考えていた。だがそれも彼方に忘却して、彼は今日、改めて最愛の君に愛を伝えよう……と、決意していた。
「シャルロッテ」
エドゥアルトは緊張で少し強張った身体で愛しの婚約者の名を呼ぶ。
「なんでしょう、殿下?」
シャルロッテは首を傾げる。普段の姿とは違って少し他人行儀で冷淡な声音の彼女は、己と同じく緊張しているからだろうか。待っていろ、すぐに愛の囁きで喜ばせてあげるから……と、エドゥアルトは口火を切る。
「俺は君が好きだ。心から愛している。一時は気の迷いで身分の低いつまらん女に靡きかけたが、やはり俺の最愛は君だ、シャルロッテ。これからも、良き伴侶として共に生きていこう」
「まぁ……」
シャルロットはみるみる困り顔になって、眉根を寄せる。
「ど、どうした?」と、エドゥアルトは婚約者の予想外の返答に困惑した。
シャルロッテはくすりと笑って、
「殿下はまだご存知ないのですか? わたくしたち、本日付で婚約破棄が決まったのですよ。もちろん殿下の有責で」
「はっ…………」
エドゥアルトは頭が真っ白になって、凍り付いた。まさに青天の霹靂。そんなこと側近からも父王からも全く聞いていない。
(最後まで計画通りね。馬鹿な人で良かったわ)
シャルロッテはしたり顔をする。彼女は国王に頼んで婚約破棄の件は己から伝えるので、それまで王子には黙っていて欲しいと懇願していて、なんと快諾してもらえたのだ。
国王は愚息に激怒していた。だから被害者である哀れな侯爵令嬢の願いを全て聞き入れたのだ。婚約解消ではなく、王家有責で婚約破棄となることも。
なぜなら――……、
「殿下、わたくしたちの婚約破棄はもう数ヶ月前に決定していたのです。国王陛下が決断されたことですわ」
「そんっ……な、なんで…………?」
茫然自失としていたエドゥアルトがやっと上擦った声を上げた。彼の脳裏には疑問符でいっぱいだった。
シャルロッテは自分のことを愛しているのではないのか?
なぜ、父上は愛する二人を引き裂こうとする?
「殿下……」シャルロッテは小馬鹿にしたように鼻で笑って「数ヶ月前、ローゼ様があなたのお子を懐妊されたときに決定されたことですわ」
「懐妊だって!?」
エドゥアルトは目を剥いた。鳩尾を思い切り殴られたような、ズンとした重い衝撃だった。
たしかに、男爵令嬢とはそういう行為をしていたが、まさか……懐妊?
「そうですわ。ローゼ様が学園をお休みになっていたのは懐妊の影響で体調が優れないからですわ。ですので、無事に出産するまでは自宅で静養するようにと陛下がおっしゃいましたの。春には生まれるそうですわよ。おめでとうございます、お父様。――あら、平民はパパと呼ぶのでしたっけ?」
「いや……その……だって…………」
エドゥアルトの額から流れた汗がポトポトと地面に落ちた。くらりと意識が宙を舞う。
「陛下は婚約者がいる身でありながら他の令嬢に手を出して、あまつさえお子まで儲けたことに大変お怒りでしたわ。その報いとして、殿下は本日で王位継承権剥奪のうえ男爵家へ婿入りですって。一代限りの爵位らしいですわ。良かったですわね、最愛の君と結ばれて」
(違う……!)
エドゥアルトは力なく頭を振る。もはや声を上げることもできなかった。
自分が愛しているのは男爵令嬢ではない。
たしかに一時は彼女の新鮮さに惹かれたが、探していた真実の愛は婚約者であるシャルロッテにあったのだ。
「男爵令嬢には懐妊の目眩ましのために、わたくしが学園で道化役に徹していると伝えておりますわ。混乱を招かないようにお二人の婚姻・懐妊の発表は卒業の日に……と言うと、彼女、とっても喜んでおりましたわよ? 自分との愛を貫くために殿下が頑張ってくれている、って。お似合いの二人ですわね」
「…………」
「そうそう、わたくしの今後を心配してくださっているのなら、ご心配なく。同じく今日付けで隣国の公爵令息様との婚約が決まっておりますの」
「はっ!? 隣国!?」
「えぇ。だって今のままでは恥ずかしくてこの国にいられませんから。王子と婚約破棄になって、しかも学園での平民のような下品な振る舞い……このような醜態を晒して、もう恥ずかし過ぎてこの国にはいられませんわ。ですので、隣国で一からやり直そうと思って。婚約者の公爵令息様は愚かなわたくしを笑って受け入れてくださる心の広い方ですわ。一時はどうなることやらと思いましたけど、素敵な殿方と巡り会えて本当に良かった。わたくしの真実の愛とやらは隣国にあったようです」
シャルロッテのエドゥアルトに対する情は、彼とローゼが親密な仲になった頃にはすっかり冷めていた。
……だが、このままでは諦めきれない。
平民出身の下位貴族に負けて無様に散るなんて、侯爵令嬢としてのプライドが許さなかった。
そこで、彼女はエドゥアルトをもう一度己に振り向かせるように努力した。
彼の愛情を取り戻したい……そして自分のことを心から愛してもらった上で、ゴミクズのようにポイと捨てようと決意したのである。
(底知れぬ絶望を与えてあげるわ……!)
計画は面白いほど上手く行った。単純な性格でお世辞にも怜悧だと言えない王子は見事に侯爵令嬢の術中に嵌ったのである。
「では、殿下――あら、もう違うのですね。一代限りの男爵さん?」
「っ…………!?」
我に返ったエドゥアルトに向かって、シャルロッテはこれまでの王妃教育の集大成のようなカーテシーをする。それは、侯爵令嬢としての矜持が内包された凛とした美しい姿だった。
「身分が違い過ぎてもう二度と会うことはないと思いますが、どうかお元気で。ローゼ様とお幸せに。
――では、ご機嫌よう」
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