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怪しい物、魔とよばれた物たち

ミノタウロスとは何者か?

作者: K John・Smith

     挿絵(By みてみん)

     『 ミノタウロス 』


 猛牛の頭を持つ半人半獣の怪物で、アニメ、ゲーム、漫画など、現代のエンターテイメントによく姿を見せます。

 迷宮にひそみ、怖るべき闘争心と怪力を宿し、ザコとは一線をかくする難敵と描かれることも多いです。

 人が持てないような大きな斧が定番の武器。牛頭の亜人種族として登場する作品もそれほど珍しくはありません。


 ──2021年、丑年も残りわずか。


 牛頭の怪物、ミノタウロスにまつわるウンチクをお届けします。

 ギリシャ神話の裏話や近隣の神話とのつながり、筆者の感じた疑義などをご紹介します。


 さまざまなメディアに登場したミノタウロス。

 このエッセイで、あなたの中の「手あか」がついた牛頭の怪物のイメージに一石を投じましょう。



 **



◎ ミノタウロスの物語

 ミノタウロスのエピソードのおさらいから。


── クレータ島のミノス王は、海神ポセイドンの支持をえて王位につきますが、生贄にする(海神のもとに返す)約束を守らず、海中から遣わされた神の牡牛を我が物にしてしまいます。


 怒ったポセイドンは、ミノス王の王妃に呪いをかけて牡牛に対する邪な恋情を抱かせました。王妃と牡牛の獣姦から生まれたのが、半人半獣の怪物ミノタウロスでした。


 ミノス王は、凶暴な怪物をクレータ島の迷宮に閉じ込めると、獰猛なさがをぶつける生贄として、毎年、都市アテーナイに少年少女を差し出させました。


 のちにアテーナイの国民的英雄となるテセウスは、ミノタウロスを倒そうと、クレータ島に生贄に混じって渡りました。若者はミノス王の娘アリアドネの助けを借りてミノタウロスとの戦いに勝利し、迷宮からも無事帰還するのでした。



── 強欲な王、呪いによって生まれた半人半獣、生贄にされる罪なき人々、若き英雄と敵国の王女との恋愛。

 戦いの舞台となる、帰ってきた者のいない迷宮。

 戦士と異形の巨漢の一騎討ち。


…ファンタジーの冒険の要素の、詰め合わせのような伝承です。



 小説、アニメが人気の『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?(ダンまち)』。

 この物語のはじめの頃、主人公は英雄に憧れる無名のルーキーで、ミノタウロスにダンジョンで出会ったときも、逃げることすらできず、出会った強者に助けられました。


 幾つかの出会いや事件を経て、かれはミノタウロスと再び出会い、大敵に単身、戦いを挑みます。

 激戦は名シーンでした。


……では、ギリシャ神話の英雄テセウスがどれほど熱く戦ったかというと、しょぼ(げふんげふん) … 出会った・勝った、とかなりあっさり。


 むしろ、テセウスは正真正銘、生贄だったのでは? と思うくらい無計画でした。


 クレータ島についたとき、テセウスは武器をもっておらず、迷宮を脱出する方策もなかった様子。短剣を渡し、脱出手段(『アリアドネの糸』と呼ばれます)を講じたのは、敵王の娘でした。

 出会わなかったら、一目惚れされなかったら、どうなっていたでしょう。



◎ミノタウロスの神話

 ミノタウロス退治の話は、実は、ホメーロスの「イーリアス」など、ギリシャ神話の主要な執筆者の有名作品に登場しません。


 ミノタウロスの話が大きく取り上げられたのは、比較的新しい時代、ペルシャ戦争以降だそうです。


 ペルシャ戦争は、ギリシャ勢と東の超大国ペルシャが激突した大戦争でした。長く断続的に戦いは続き、都市アテーナイが陥落するなど、ギリシャ本土は荒廃しました。


 古代ギリシャ人たちは、強大なペルシャを暴虐で野蛮とし、異民族を「バルバロイ」と呼び蔑視する姿勢が、この戦争で根づいたようです。

 さらに『文明都市アテーナイは、神話の時代から野蛮な勢力と戦って勝利を重ねてきたのだ』と。文明種族が蛮族を下す伝承を取り上げました。



    挿絵(By みてみん)

◎ミノタウロスとの戦い


 ギリシャ神話の英雄と怪物の激突というと、ヘラクレスのヒドラ退治、ペルセウスのメドーサ退治(…からの海の怪物討伐)、イアソン率いるアルゴ船探検隊などが有名です。

 ミノタウロス退治の原典に、戦技や知謀をつくした戦闘はありません。しかし、両者の武器には注目すべき点があります。


 ミノタウロスの愛用の武器といえば大きな斧ですが、元祖・ミノタウロスは素手でした(あるいは片手に持てる石)。『ギリシャ、ミノタウロス、壺』で検索してみて下さい。

 ミノタウロスの壺絵は、人間のテセウスと背格好が大差なく、ねじ伏せられたり逃げ腰だったり……


 この構図は── 『文明ギリシャ』と『野蛮(異国人)』の対比です。


 現実の対外戦争がきっかけでクローズアップされた、若き英雄が異国の怪物を倒した物語。

 文明人の戦士は金属の武器をふるい、野蛮な怪物ケダモノは素手か石。両者は、対等に戦うのではなく、一方が他方を駆逐する関係でした。



……先に紹介した『ダンまち』の主人公は、ミノタウロスとの対決に短剣で臨み。ミノタウロスは、最初は大斧でしたが、途中で手が使えなくなると、大きな角をふりかざした突進や素手の戦闘に切り替えました。


 主人公は美女の救いの手を断わり、ミノタウロスとの死闘に臨む点でテセウスと真逆ですが、作者はギリシャ神話の原典に準じたように思えます。

(制作秘話などは確認していません)



◎ミノタウロスのすがたはどこから来た?


 怪物ミノタウロスの人気の高さは、なんに由来するのでしょう?

 異形のすがたが激情に駆られて力を爆発させるさまが、暴力的で強烈な「オス」のイメージをふりまくからでしょうか。



 日本に暮らしていてピンときませんが…… 大きな角をもち力強い牡牛は、いくつもの文明で神聖視されました。

 例えば、旧約聖書のヤハウェは、禁を破って偶像がつくられたとき牛のすがたにされました。伝説的指導者で、このとき偶像崇拝に怒ったモーセも(誤訳がきっかけで)のちに、二本の光る角を頭に生やしたすがたで描かれました。



 田中芳樹の人気小説シリーズ「創竜伝」は、現代によみがえった中国神話の龍王の四兄弟が主人公です。その冒険の背景には、神話の時代から続く竜神(竜種)と牛神(牛種)の対立がありました。


 強欲で残忍な牛神は、神話時代の戦いで竜神に敗れましたが、ヨーロッパ・アメリカの文明を背後から操り、現代社会に支配の手を広げています。

 その過程で、西洋文明では、東洋で賢く尊いとされる竜神(竜)が、暴力的で愚かなケダモノ(ドラゴン)におとしめられます。


 また、アメリカの巨大財閥の連合体のトップで牛神のしもべだった男は、シリーズの途中、牛頭人身の異形に変わりました。



 古代の牛信仰は世界中に広くみられました。メソポタミアやエジプト、インドの神話には、神の化身や神獣(神の使い)、あるいは神そのものの牝牛や牡牛が登場します。

  北欧神話において世界の始まりにあらわれたのは原初の巨人(ユミール)で、つぎは原初の牝牛(アウズンブラ)でした。


 ギリシャ神話も牛を神聖視しました。


『海のゼウス』ポセイドンは牛の神でしたし、ゼウスの息子アポローンは自分の牛の群れを飼っていました。

 計略と雄弁の神(トリックスター)ヘルメースの最初のエピソードは、生まれた日、この牛を50頭も盗んだ事件です。


 ゼウスの妻で最高位の女神ヘーラーは「牝牛の眼をした女神ヘーレー」とも形容され、牝牛を聖獣にしました。


 そして、全能の性豪もとい最高神ゼウスのシンボルは牡牛で、ミノタウロスの伝承にも関わりがあります。… ミノス王はゼウスの子供です。

 ゼウスは、フェニキアの王女エウローペーに白い牡牛に化けて近づき、ティルス(中東のレバノン)からクレータ島へさらって子供を産ませました。


 つまり、ミノス王もまた、牡牛と美女から生まれた存在でした。


 しかし、ミノス王は異形ではなく、暴力的衝動や幽閉とは無縁に育ちました。

 ミノタウロスは、なぜ暴虐な怪物だったのでしょう?



○ ミノタウロスは、邪神? のすがた

 神話学者の中には、ミノタウロスをフェニキアのモロクと関係が深い、とみなしている人がいるそうです。


 古代の中東のモロク(モレク)信仰は、多くの人間が生贄にされたことで知られ、旧約聖書の『列王記』上第11章には「アンモンの人々の神である()()()()()モレク」と記されています。


 モロクとは神の名ではなく生贄の儀式の名称、といわれることもあり。『牛頭のブロンズ像』に生きた人間をおさめて焼き殺したと伝えられています。

(Wiki「モレク」より)


 クレータ文明にモロク(モレク)信仰、あるいはその変種カルトがあったという具体的証拠は見つかっていません。しかし、ギリシャ神話には興味をそそられる伝承があります。


 クレータ島の番人「タロス」です。


 タロスは、ギリシャ神話に登場するブロンズ製のロボット(自動人形)で、アメリカ映画「アルゴ探検隊の大冒険(1963)」のストップモーションアニメの巨像があまりにも有名です。


 もっとも、神話伝承のタロスは、映画で広まった巨人のイメージ(湾口をまたぎ、大型船を持ち上げる)と異なり人間大で。光沢のある黄金色だったかも知れません。

(青銅は本来光沢のある合金で、添加物によって、黄金色などさまざまになります)


 さらにタロスは、ゼウスが美女エウローペーに与えたとも、その息子のミノス王が鍛冶の神から受け取ったともいい。その役目は『クレータ島の守り』でした。

 島に近づく船を投石で破壊し、近づく者があればブロンズのからだを赤く熱して、抱き付いて焼いたということです。


 また、牡牛の姿だった、との別伝もあるそうです。



 ミノタウロスの伝承にも「精巧な作りもの」の牛が登場しました。


 呪われた王妃は、牝牛の作りものの中にひそんで、牡牛への恋情を叶えたとされます。見方をかえると、生きた女が牛の作りものに押し込められて神(神の使いの牡牛)に捧げられたことになります。

 それは、残忍な人身御供の光景です。


 ミノタウロスの牛頭のすがた、少年少女を毎年生贄にするありさまも、モロク信仰の儀式を連想させます。




○ ミノタウロスはクレータの牛信仰、文化の歪曲?


 人食いの怪物の伝承は、実在した牛頭の神像と生贄の儀式のイメージから生まれた ──とてもわかりやすい話です。

 しかし、クレータ島にあった牛信仰の儀式や風俗を、ことさら残忍に倒錯的に脚色して話を作ったとも考えられます。


 クレータ島の古代社会には、アクロバットで危険な闘牛(牡牛跳び)がありました。ただ跳びさえすればよかったのではなく、跳び方の優雅さ、 巧みさ、完成度が重視されたそうです。


「ミケーネ文明におけるスポーツ 」https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjshjb/29/0/29_1/_pdf


 ── によると『前方転回跳び』と呼ばれる跳び方は、つぎの通りです。


1 ) 男子の跳躍者は、高い跳躍台から牡牛の頭の上方へ跳び込む、あるいはアシスタ ントによって頭を低くさせられた牡牛の頭の上方へ跳び込む。


2 ) 牡牛の両肩付近で両手を突き出して、前方 転回跳びを行う。


3 ) 牡牛の背後に両足で着地する。


… この跳び方は、跳躍者がダイビングするような動きをして、角で突き刺される危険が少ないということですが、些細なミスで惨事になったことでしょう。


 勇気を証明する儀礼が、いつしか美的な特徴をもつ危険なスポーツとなり。牡牛を相手にした競技(⁉︎)に男子だけでなく、女子も参加したそうです。



【参考】『牛跳びの壁画』イラクリオン考古学博物館

http://isekineko.jp/greece-iraklionmuseum.html


 牡牛の背中に手をついた人間が、宙で反転返りしています。さらに壁画の左手、別の少女とされる人物が、突進してくる牡牛の真正面で角をつかんでいます。

(死ぬから……)


 猛り狂う牡牛の怪物の生贄に少年少女が差し出された、と、いうミノタウロスの伝承は。わこうした危険な競技(儀式)に関わりがありそうです。



 また、クレータ文明の王は、7年ごとに行われる聖なる結婚 hieros gamosの祭式で、牡牛の仮面をして牛神のすがたになり。儀式として女神と交わると、供犠の牡牛殺しをしたといいます。


 儀式の様相は、ミノタウロスのすがたや、誕生にまつわる伝承を連想させます。

【参考】 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/minos.html)



○古代のギリシャ本土とクレータ島

 歴史をたどると、戦争の勝者の神話に敗者の神が組み入れられて、怪物や下級神にされてしまうことがあります。

 ギリシャ本土とクレータ島の場合、力関係の逆転が起きていました。


…… 紀元前2200年ごろ、ギリシャ本土やエーゲ海の村落は(民族移動による?)破壊にみまわれました。

 集落は激減し、文化伝統が断ち切られて大規模な建築物がつくられなくなりました。


 一方、クレータ島は災厄を免れて、色鮮やかな工芸品、大きな建築物が島で作られました。この頃、クレータ島が地域の中心地でした。


 ギリシャ本土はその後、クレータ島から文化を取り入れて力をつけてゆき。最期に、ミケーネ文明(本土)が、クレータ島を征服したと考えられています。


 テセウスの怪物退治の伝承は、アテーナイがクレータとの支流関係を絶った、歴史の寓話ということです。



 ただし、現実の歴史は伝承と逆で。

 クレータ島の側が歴史ある文明国家。ギリシャ本土の民は一度野蛮に近づいて、クレータに学んだ側でした。

…… 例えば、古代ギリシャは青銅器文明でしたが、クレータ島にはいち早く鉄器がもたらされたようで、鉄の遺物(農具)も発見されています。

(製鉄が島内で行われたかは不明です)

 


 ミノタウロスの伝承は、ギリシャ本土がクレータ文明の過去の栄誉を奪い、おとしめるためにつくられた? …しかし、神話の改竄は可能だったでしょうか。


── 事例があります。


 ダイダロスは、ギリシャ神話で最高の発明家で「イカロスの翼」の造り手として有名です。

 ミノタウロスの伝承にも登場し、王妃が入った「牛の作りもの」や「クレータ島の迷宮」はかれがつくりました。青銅ロボットのタロスの造り手ともいわれます。


 ダイダロスの出身地は、今日、ギリシャ本土のアテーナイとされているますが、元々クレータ島の発明家として伝えられ。アテーナイの隆盛に伴い、出身をアテーナイに変更した神話が流布されたといいます。


 ダイダロスの発明に、クレータ文明のシンボルの「斧」が挙げられているのは『真の伝承』の名残りかも知れません。



○ミノタウロスは、クレータ文明の武力のキャラクター化⁉︎


 ミノタウロス(ミノス王の牛)とは、クレータ島を支配した王の力、とくに軍事力 (抗いがたい暴力)をあらわしている、との見方があります。


 神話のクレータ島は、守り手として、神から高度な自動人形を与えられていました。現実のクレータ文明が、文化的軍事的に優越した国家だった反映でしょうか。

 だからこそ、アテーナイをはじめとするミケーネ文明は、力関係が逆転すると、クレータ文明を野蛮で残忍な怪物のすがたに蔑めた……


 ずっとのちの時代。

 大日本帝国は開国以降、西洋列強からひたすら科学技術や諸制度を学びとりましたが、国力が増すと対立を深め、第二次世界大戦のさい、アメリカやイギリスを《鬼畜》呼ばわりしました。そのまま戦争に勝利していたら、米英を野蛮で強欲とする歴史を記したでしょう。



  また、ミノタウロスが、クレータ島の軍事力の擬人化と考えると、『ミノス王の牛』という言い回しは武将の異名……『甲斐の虎』や『 越後の龍』のような……に聞こえます。


  先に紹介したタロスは、クレータ島の言葉で「太陽」を意味したそうです。こちらも、正体はブロンズの全身鎧がトレードマークの武将で、クレータ島の防衛(投石機)部隊の指揮官だったかも…




○ ミノタウロスは、太陽と海の神の子?

 以下は伝承から拾った話のタネ、勝手な想像です。


── もともと、クレータ文明の最盛期、島の人々を祝福する神話伝承があり。のちに、ダイダロスのそれよりも徹底した改竄で、怪物の伝承にされてしまったのかも知れません。


 ミノタウロスを生んだ、呪われた王妃の名前はパーシパエーといい、その意味は「すべてに輝く」だといいます。

 ギリシャ神話で語られる、パーシパエーの血統は高貴です。太陽神ヘーリオスの実の娘で、神の血を引くため、不死だったとも伝えられています。


 つまり、ポセイドンは、太陽神の娘に(当人に落ち度がないのに)呪いをかけて獣姦させたことになります。

 太陽神と紛争になってもおかしくない暴挙です。


(… ちなみにポセイドン自身は、自分の息子が軍神アレースの娘を強姦してアレースに撲殺されると激怒し。アレースを神々の裁判にかけました)



  パーシパエー本人も、おそろしい力をもっていました。


 キルケーはギリシャ神話に登場する魔女(魔法に長じた女神)で、人間を豚に変身させたり、スキュラを生み出したとされます。


 パーシパエーは彼女キルケーの姉妹で、同じように凶悪な魔術を操り、ミノス王の浮気対策にとんでもない呪いをかけたことがあります。

 それは、王が射精すると相手の女の体内に毒虫(多)が放たれるというもの……


 パーシパエーを、ポセイドンが呪った?

 パーシパエーはなす術なく、その呪いにかかって翻弄された?


 本当は違ったのかも、と想像します。


 クレータ文明がギリシャ本土より優勢だった時代。

 クレータ島の人々を祝福した神話伝承があり。それは、クレータ島の太陽神の娘と、海神(牛神)が愛情によって結ばれて偉大な神の子が生まれる物語だった……


 ミノタウロスには、人として与えられたアステリオス(Asterios)という名がありました。その意味は「星」とも「雷光」ともいいます。


 太陽と海の神性から生まれた、若い神の名。あるいは、アテーナイのテセウスに相当する、クレータ島の国民的英雄の名前なら似合いといえます。

 


 **



 今日伝わる伝承では、ミノスはほかの兄弟と王位を争い、ポセイドンの支持で王になりました。

 にもかかわらす、ポセイドンをすぐに裏切った …… どうかしています。


  クレータ島の人々の動きの「無さ」も不可解です。

 ミノスは、即位するなり海の神を怒らせました。新王に、クレータ島の人々が従いつづけたのは不自然です。


 ポセイドンも、なぜミノスの王権を許したのか。なぜ、裏切った王が海を越えて勢力を広げ、アテーナイを恫喝するほど栄えるのを許したのか。




 物語の原型があって、それがクレータ文明をほめたたえ祝福する内容だったなら。


 ミノス王はポセイドンを裏切らず。海神ポセイドンがかつて女神アテナと争い、手に入れられなかったギリシャ本土のアテーナイを、ミノス新王のクレータ島が征服するストーリーだったかも知れません。


 パーシパエーは、ポセイドンの寵愛を受けてアステリオス(獣人ではない)を生み。

 ミノス王は、パーシパエーを妻に迎えて、神の子を王家に入れた……


( ……クレータ島の先王が、美女エウローペーを妻にし、ゼウスの子のミノスを養った先例にならって、です)


 アテーナイのテセウスなどは、仮に登場したとしても、アステリオス王子を短剣で襲う暗殺者役だったでしょう。



 それがのちの時代、呪いから生まれた怪物誕生。一方的なテセウスの活躍の伝承(アテーナイとクレータの英雄の決闘ではない)に書き換えられたのなら。

── 手ぶらで乗り込んだテセウスの無策、ミノス王の無思慮な強欲、パーシパエーの無力さ。そして、知性も武器も無いミノタウロスの不遇も、一方的な改竄の結果、と、解釈できそうです。


【もちろん『クレータ文明を祝福する、ミノタウロスの伝承の原型』は想像です。実在しません。念のため】




◎ ミノタウロスは地底にひそむ怪物?


 最後に、ミノタウロスの科学的解釈にふれます。


 ミノタウルスの神話が形づくられた頃、クレータ島の地下活動は非常に活発でした。人々は足下の地響きや地鳴りから『地下にひそむ怪物』をイメージし、不穏な活動を説明した、という説です。


 クレータ島は、大規模な地震災害に縁深い場所です。

 クレータ文明の長い歴史は「旧宮殿時代」と「新宮殿時代」に分けられます。大地震によって一度、国の中枢の宮殿が破壊されたのです。


 ずっと後の時代の、クレータ地震 (365年)を例にします。

 この大地震は、震源がクレータ島の近海。マグニチュード8以上だったと推測されます。古代末期の人々に深い印象を残し、数々の著作家が出来事に言及し、多くの記録が残されました。


 激しい揺れで、ギリシャの中央および南部、北部リビア、エジプト、キプロス島、シチリア島、スペインなどに壊滅的被害が生じ、クレータ島のほぼ全ての都市が破壊されました。

 大津波も発生しました。

 地中海の南部および東部沿岸、特にリビア、アレクサンドリア、ナイルデルタが壊滅し、死者は数千人。船が3キロメートルも内陸に運ばれたというとです。

 

 クレータ文明の人々が、地鳴りを感じたとき。足下の大地の底で、爆発しようとする圧倒的力、怒声を上げてもがく怪物をイメージする…… ありそうなことだと思います。

 その発想にそうと。

 ── ミノタウロスが地下の「迷宮」に入れられ。生き埋めにされず、施錠して監禁されることもなかったのは。

 地底の暴力は封じようがない。いつか出口を見つけて解放される、ということでしょうか。


 神話をみると。

 パーシパエーは先に太陽神の娘と紹介しましたが、本来、クレータ島の大地の女神だったと考えられています。

 そして、ポセイドンは、地震をコントロール出来たとされます。


 クレータの大地の女神と、地震の神(の化身)が結ばれて子をなす筋立ては、クレータ島の人々が、地の底深くの脅威を怖れた痕跡でしょうか?


 牡牛の頭が、屈強な肉体にそなわるすがた。

 それは「ポセイドンの力を継いだ知性と神性」が「荒ぶる大地」を支配するイメージ??


 


 ところで、ミノタウロスが地底の荒ぶる力の化身(あるいはそれを抑えられる新しい神)だったなら………


…… テセウスがたった一人で、短剣一本で倒してしまうのは、とんちんかんというかとんでもない話です。

 ギリシャ本土の、地震の惨禍を知らないものがよく理解せずミノタウロスを『矮小化』したことになるでしょうか。



    挿絵(By みてみん)

◎ 結び

 今回、ミノタウロスの起源を列挙し、想像を加えてみました。


 おもな情報は Wikipedia です。その他の重要な情報源も示したので、より詳しく知りたい方は確かめてみてください。どの説がどれほど学術的に支持されていて、K John・Smithが加えた想像がどれほど正しいのか…… 脇に置かせてもらいます。



 残酷な生贄の儀式で知られる、聖書の悪神の似姿


 少年少女を相手に、競技場で猛り狂う牡牛。


 牛頭の仮面をつけて、祭礼に臨む王。


 王の「牡牛」と呼ばれる闘将。


 そして、太陽神と海神の血をひく神の子。クレータの若き英雄「アステリオス」。


 あるいは、大地の女神と地震の神の間に生まれた、地の底深くで暴れる力(地震)の化身。



『斧をふりかざす脳筋の牛の怪物』。そんなイメージは変わったでしょうか?


 ミノタウロスには、これだけいろいろなイメージが潜んでいます。エンターテイメントのミノタウロスは伝承や歴史に縛られず、さらに自由で、いろいろなすがたがあっていいはずです。


 漫画、アニメ作品「かつて神だった獣たちへ」には【恐怖に取り憑かれて、砦に立てこもる牛頭の擬神兵】が登場しました。

 このミノタウロスはことごとく特徴が逆転 ── 闘争心ではなく恐怖心に支配され。だれかに閉じ込められるのではなく、自分から閉じこもり。中から出られない迷宮ではなく、外敵の入れない砦をつくっていました。

 

 ミノタウロスは今後、エンターテイメントでギリシャ神話の伝承をこえるような、オリジナリティーあふれる姿を見せてくれるでしょうか。

 それともますます飽きられて、主人公にぞんざいに倒されたり、半人半獣の兵隊扱いされてゆくでしょうか。


 あるいは、新たな英雄の新たな冒険で、ギリシャ神話の枠組みをたもちつつ、闘志あふれる激戦を見せてくれるでしょうか。


 ミノタウロスが牛頭の怪物と、たくましくも分かりやすいビジュアルからテレビゲームなどでひろまりました。

 しかし、ミノタウロスが人気を得たのは、その姿に様々な歴史が込められて、ほかにはない存在感があった からではないでしょうか。


 ミノタウロスがただのマッチョで終わらない物語は、次の丑年までに、またいくつも生まれることでしょう。




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 

本エッセイは、NOMAR様にヒントとアドバイスをいただきました。


* * 記事に関連した短編 * *


ミノタウロスの憂鬱(作者・NOMAR)

_________ https://ncode.syosetu.com/n1114fa/


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