12話
「あっ、そう言えばカビトくんにコーヒーを入れる約束をしていたんだった。それを飲めば嫌でも冷静になれるだろうよ」
「それって、この前ネズミに飲ませてたブレンドですか? 二、三日修行僧みたいに坐禅組んだまま動かなくなったっていう」
「飲めるかそんなん! それ聞いてやったぁ飲もうってなる人どこにも居ないですよ!」
ちくしょう遂に声を上げてしまった。今まで散々我慢してきたのに、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。転移による逃走を諦めて壁から踵を返し、未だ円卓の席に座るエウレカの近くに詰め寄った。
「ひぃん怒鳴られた。聞いてくれよフラウ、私怒鳴られたんだ。天才なのに、凄い人なのにぃ」
「よしよし、怖かったね。ほらカビトくんも落ち着いて。コーヒーは私が淹れるから、ね?」
抱き着くエウレカの頭を撫でながら微笑むフラウ。ひっつき虫を着けたまま席から立ち上がり、部屋の隅に置かれたコーヒーメーカーの元へと行ってしまった。ふんわりした見た目の割に動じない人だ。
「フラウさん、教会出身でずっと孤児の子守りをしてたらしいですよ。前に自分で言ってました」
「……だから慣れてるんだね、子守り」
自身と変わらないくらいの背丈を抱えながら作業を淡々と進めるフラウの姿は、とても楽しげで時折覗く横顔には聖母めいた笑顔が浮かんでいた。それと比べると、どうしてもエウレカが厄介な子供に見えて仕方ない。それも頭に「クソ」の字が着く類の子供だ。
「うぇへへ、フラウって中々良い体してるよね。軍部より先に、こっちに侵入しちゃおっかなぁ」
「転移魔法で上空に飛ばそっか。それか地中深く、どっちが良い? ねぇエウレカちゃん」
「嘘、冗談。そんな仲間に色目なんて使わないに決まってるだろう? だから君もそんな怖い目をしないでくれ謝るから。調子に乗ってごめんなさい」
「うん、謝れて偉いね」
母子、というには子供の方が若干邪悪だが、二人は仲が良いのか会話の声が弾んで聞こえる。和やかな空気に身を任せている場合では無いのだが、壁の魔法陣が作動しない以上僕がここから逃げる事は不可能なので、諦めて大人しく席に着いた。タクミくんはいつの間にか再び本を広げ、つらつらとページを捲っている。
ふと思ったのだが、タクミくんに頼んでみるのはどうだろう。少年ながら僕よりずっと優れた魔法使いである彼ならば或いは作動も出来るかもしれない。そう思い彼の肩をつつくと、胡乱げな視線が僕を睨めつけてきた。
「言っときますけど、変に逃げない方が良いですよ。僕もそうでしたから」
「……それって?」
「僕も逃げようとした……というか、勧誘を断って逃げたんですけど、エウレカさんが四六時中追いかけ回してきて。授業中でも関係無しに。心身果てますよ、アレは」
それだけ言って、彼は本に視線を戻してしまった。つまりは「逃げられない」と、そういう事らしい。
「あぁそうだ、今日は確認だけだから安心してくれたまえよー」
一体何をどう安心すればいいのか、やたら美味いコーヒーを飲みながら僕は深い溜め息をつくのであった。