第30話「疲れは取れない」
────翌朝。寝ぼけたシャルルを連れて、ローズはブリンクマン邸を訪ねた。昨晩の慌ただしさも嘘のようにメイドたちは右へ左へ大忙しで、応接間へ通されたあとはのんびりと夫妻がやってくるのを待つ。
「おい、シャルル。その寝ぼけた顔をどうにかしろ」
「……ごめーん、なんか疲れちゃってて」
「ふう。ま、昨日の今日だからな。またまじないでも掛けてやろうか?」
「いいの? ローズも疲れてるのに魔法なんか使って」
「お前があくびをしているのを見られるよりずっと良い」
「うっ、それはごもっともです……」
顔の前でパチンと指を鳴らし、紫煙がふわりと舞う。シャルルはあっという間に元気を取り戻して、さきほどまで細まっていた目がぱっちりと開く。元気の前借りなので、あとの反動でそう簡単には起きないくらいの深い眠りに落ちるかもしれないが。
そうこうしているうちに夫妻が身支度を整えてやってくる。フレデリクはどこか元気がなく、ソフィアはいくらかムッとしているのが分かったが、ローズはちらと様子をうかがうだけで黙ったまま出された紅茶に口をつけた。
「おはよう、ローズ。わざわざ来てくれてありがとう」
「ああ。そっちも大変そうだな、何かあったのか?」
「ええ。胃に穴が開くかと思ったわ、ドーナツみたいにね」
ストレスの原因はフレデリクにあった。彼が昨晩、帰ってくるなり悪びれもせず疲れたと喚き散らし、今日は先に休ませてくれとばかり言うもので、あれこれと気苦労の渦中にいたソフィアとしてはどれほど無事を待ちわびていたのか滾々と説教を重ねて、ようやく眠ったのが陽の昇り始めるような頃だった、と。
「それはそれは……フフッ、子供をあやすよりも苦労していそうだ」
「まったくよ。ほら、フレデリク。昨日の礼は?」
まるで子供のような扱いだ、とローズが口元に手を当てて笑った。フレデリクとしては笑いごとではないのかもしれないが、本人が招いた結果だ。彼は「昨日は助かったよ」そう礼を言ったが、ソフィアに「もっと丁寧に」と足を踏まれた。
「ソフィアさんって結構怖いんだね……」
「怒らせなければいいだけの話だ。コイツは寛大なほうさ」
ローズが見てきたかぎりではソフィアは誰に対しても優しく我慢強い。怒るにはそれなりの理由があり、フレデリクが彼女に大きな心配をかけておきながら、いつもと変わらないふうに接したのがまずかったのは明らかだろう。ただの遠出ではなく命の懸かった出来事である自覚があまりにも薄いのは、あまりに平和を享受しすぎているに違いない。
その命さえ風前の灯火にあったのを魔女という大きな存在に救われたのも当然ではないのだと理解させようとしていた。
「ま、私は気にしてないとも。ところで今日は別の話をしたくてね」
夫妻が席に着いてから、クッキーに手を付けてローズは話をつづけた。
「ジャファル・ハシムで工芸品を買ってきてくれと頼んでおいたが、トラブルに見舞われてしまっただろう? もしかしたらと思って、いちおう尋ねておこうと」
フレデリクが「ああ、それなら」と思い出して手を叩く。
「実はカスパール家に向かう前に、先に商館へ行って配達を頼んでおいたんだ。さすがに遠いからどうかと思ったんだけど、さすがに彼らも金貨を見て快く受けてくれたよ。屋敷に届けるよう伝えておいたから楽しみにしていてくれ」
聞いて安堵したローズは、クッキーを頬張りながら。
「助かったよ、届いたら遣いでも寄越してくれ。ゾーイには内緒でな」




