第16話「たとえ悪魔でも」
するどく睨みつけられて、ふい、とゾーイは目を逸らした。
「……誤解だよ。別に悪さなんて企んでないし、弄ぶつもりもない」
立ち上がってほこりを払いながら、はあ、とため息をつく。
「この身体の持ち主だって自分がどこの誰かもわかってなかったんだから」
ゾーイと名がつくよりも前、森に捨てられた日。狐に襲われて死ぬところだったのを、気まぐれにも哀れだと思って助けようとしたことが切っ掛けで、彼女は赤子の魂と契約を交わして命を救った──はずだった。しかし、あろうことか赤子の肉体を再生するために一時的に取り憑いたとき、取り込むような形になってしまい、肉体からの乖離も叶わず人間として生きることになった。最初で最後の失態、とがっくりする。
「焦ってたらいきなり、あの金髪が来て……なんて言ったっけ、そう、フレデリク! 契約した魂はそれほど執着もなったのか、あっさりとアタシに身体を明け渡しちゃって。よく分かんないまま、あれよあれよと十四年! 最初は本当くたびれる思いだったよ」
思った以上に人間の身体は弱々しく、赤子の身体では何もできないからと耐えているうちにゾーイと名付けられ、炭鉱夫たちから愛され、ブリンクマン家からやってくるメイドたちからの手厚い世話を受け、やっと最近になってあれこれと出来るようになったばかりだ。ところが、その矢先にディロイに目を付けられてしまった。
「まさか大貴族の娘で命を狙われてるなんてね。いつのまにやらみんなと仲良くなってきたし、アタシもちょっとは人間として馴染めたかなって思ってたのに」
ゾーイは今の生活が気に入っていた。慎ましく過ごしていれば皆が愛してくれる。黙っていれば、多少は働かされるものの菓子はもらえるし、ときどきで馴染みのない贅沢も許される。愛想を振りまくのもそれなりに面白いらしい。
「人間の笑顔ってのは思ったより悪くなかったんだよね。だから、これからもアタシはゾーイとして生きていきたい。ペトラとだって仲良くなれれば、って考えてるくらい。でも、あっちはどうなのかな。アタシが本当の我が子とは違うってわかったら……」
不安が胸中を蝕んでいくように広がる。なにも知らずに必死になっているペトラが真実を知ってショックを受けてしまったら、どうなるだろうか。ひどく嫌われるのもいやだったが、それ以前に本来の肉体の持ち主が既に野生動物にかみ殺されていたなどと知っては、正気でいられるかどうかも怪しいものだ、と。
ローズはテーブルを降りる。彼女の話を半分聞きながら、傍を抜けて。
「さてな、私の知ったことじゃない。人間として生きるというのなら、真実を伝えるべきかどうかは自分で考えて結論を出せ。誰もがそうして生きているんだから」
魔女とて例外ではない。隠してきたこと、伝えてきたこと。どちらもたくさんある。正しいと思っていたことが間違っていて、間違っているかもしれないと思ったことが正しいこともあった。だが、それらのすべては〝結果〟だ。辿り着くまでは分からない。
「せいぜい悩めよ、炭鉱のお嬢様。存外、お前とのお喋りは退屈しなかった」
休憩所を出て行こうとするローズを「待ってよ」と呼び止めた。お互い、振り向くことはなく、立ち尽くしたまま。
「ホンモノの悪魔でも人間らしく生きれると思う?」
「どうかな、私は悪魔ではなく魔女だから。だが──」
扉を開けば夜風が勢いよく飛び込んでくるのに、紅い髪が靡く。
「誰かを想う気持ちがあるのなら、悪魔らしくはないのかもしれんな」
休憩所のなかを「ハハハッ」と魔女の高笑いが響き、カンテラの炎が揺れる。彼女のすがたは静かに夜の闇へと溶けていった。




