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紅髪の魔女─レディ・ローズ─  作者: 智慧砂猫
紅髪の魔女レディ・ローズとプリンセス
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第5話「列車に揺られて」

 列車が動き出す。シャルルの慣れ親しんだ町の景色が徐々に離れていく。窓に手を触れて、しばらく会えない風景をしっかりと目に焼き付けた。今はもう不安よりも期待が勝っていて、表情は優しい喜びが灯っている。


「ローズ。これから行くのはどんな町なの?」

「ウェイリッジという小さい田舎町だ。そこで二泊ほどする」


 城での優雅な暮らしぶりは本人が望む望まないに関わらず「当たり前」として根付いているだろう。いきなりあれこれと冒険心に任せて試させるよりも、まずは庶民らしい生活──とはいえローズもそれなりに贅沢ではあるが──を覚えてもらうために、治安の良い小さな町として最も近いウェイリッジを目指すことにした。


「あの町は良い。私も頻繁に訪れるが、とにかく肉料理と酒が美味い。お前、たしか歳は十六だったか。ヴェルディブルグではもう酒は飲めるはずだな?」


「うん。母様もぶどう酒は好きだから怒られないと思う」


 たぶんと付け加えると、ローズが可笑しそうに口元に手を当てた。


「バレなければいいさ。長い人生には、ちょっとのスパイス(悪い遊び)も必要だ。お前が私をあの憎らしい女王に告げ口したりしなければの話だがね」


 別に告げ口をされたところでローズにとっては痛くもかゆくもない。その気になれば取引をする相手はマリアンヌ以外に大勢いるし、咎められたとしても簡単に縄で首を縛られるような存在ではないのが本物の魔女だ。窮地を掻い潜る術もある。


「ま、まさか。そんな怖いことできないよ」

「ふうん、そうか。それはもしかして報復を恐れて?」


 おずおずと俯きがちに頷いて返事をしたシャルルに彼女はまたも笑って。


「私が執念深く見えるか。いや、あるいは魔女といえば幸福も不幸もまとめて届けるものだと信じているか。それはそれで面白い。たしかにそういう魔女も昔にはいたらしいが、私は酒を飲んで忘れてしまったほうが有意義に感じるよ」


 グラスを持つ仕草をしてにやつく瞳は、喉を通るアルコールの味を思い出して期待と高揚に満ちている。歴代の魔女の誰も彼女ほど酒を好んだ者はいない。町につけば真っ先に酒場へ向かうすがたが簡単に想像できた。


「……と、その前に少し腹が減ったな」

「そういえば。でも何も持ってきてないや」


 乗り込む前にパンでも買うべきだっただろうかと思ってお腹を押さえたシャルルに、ローズはチッチッと指を振って、銀貨の詰まった革袋を手に持つ。


 じゃらじゃらと中身の硬貨を座席の上に放り出して、なにをするのか凝視していると、彼女が銀貨一枚を取ったとき握った手のなかが淡く紫色に輝きを放つ。


「よく見ておけよ、シャルル。この袋は今、完全にからっぽだが……」


 握りしめていた銀貨を革袋のなかに放り込み、ふーっと息を吹き込んで膨らませると空気を逃がさないように口をぎゅっと握って閉じ、軽く振ってみせる。彼女が手を突っ込んで取り出して見せたのは、銀貨ではなく一個のりんごだった。


 彼女は魔法で銀貨を本物のりんごに変えてみせた。味はいまいちらしい。


「すごい、なんだか手品みたいだね」

「そういう演出さ、驚かせるためのな。食べるといい」

「え、いいの。先にもらってしまって……」


 困った様子をみせたのにローズが訝しむ。彼女はどうにも落ち着かない様子で投げられたりんごを受け取り、申し訳なさそうにしている。


「お前の家ではスプーンに手をつける順番があるのか?」

「えへへ、そんなとこかな。いつもテーブルについたら、まず母様が──」

「はっ、下らん。そんな悪弊(あくへい)なんぞ捨てろ」


 革袋から出した大量の銀貨を詰めながら、彼女は不機嫌な顔をする。


「誰が最初だなんだと、そんなものはみんなが揃ったときの『いただきます』と『ごちそうさま』だけでいい。精神的に窮屈な食事は、たとえ一流の料理人を雇っても三流の味にしかならん。心が豊かであれば、どんな料理も美味いものだ」


 傍に銀貨の詰まった革袋をぼすっと投げ置いて、彼女は本を開く。


「って言いながら、ローズはなにも食べないんだ?」

「ん?……ああ、私は必要ない。行先はそれほど遠くないからな」


 どこかぎこちない返事にシャルルが首を傾げるが、そっと本に視線を落として何気ないふうを装ったので無理に尋ねはせず、りんごを齧った。ローズはふと何かを思い出したように本を閉じて挟んでいた栞を引き抜き、ハンカチへと変えた。


「使え。手が汚れるだろう?」

「あ、うん。ありがとう、助かるよ」


 ハンカチを受け取ったシャルルに、ローズは優しく微笑む。


「そういえばローズはずっとひとりで旅を?」

「ああ。魔女は元来そういうものだ。歴代もそうだった」


 また本を開き、今度は最初から読み始める。彼女はそのまま話を続けた。


「定住地を持つのは恋をして子育てをするときだけ。今のところ私は不老不死を満喫しているから、その予定は当分ない。お前こそどうなんだ。もう十六なら、否が応でも婚約者の候補くらいは用意されているんだろ?」


「それはそうだけど……でも、私はもっとローズのように自由でいたいよ」


 何をするにも、どこへ行くにも彼女には選択の自由がない。マリアンヌや、それを取り巻く人々の言葉に従うばかりの生活には、うんざりしていた。そこへやってきた誰に従うわけでもないローズのすがたは、ひたすらに魅力的で羨ましかった。


「ふふん、そうか。かごのなかの鳥は嫌だと。しかし……自由に羽ばたきたい気持ちは理解できるが、空はただ青いばかりではない。この旅でよく覚えておくといい。なにも早急に答えを見出す必要はない。ゆっくりこれから決めていけ」


 本のページをめくり、指で文字をなぞりながら。


「世界は広く人生は短い。これがお前にとって本当に良いものになるかは知らないが、今は楽しむといい。少しくらいのサービスはしてやろう」

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