第29話「退屈しのぎに」
「栄養豊富って聞いたけど、食べたことないなあ……」
「機会はあるさ。ミリアムに会えればな」
そんな話をしながら、ときどき馬を休ませつつ日が暮れるよりも前に森へ着くことが出来た。近くを通る川を見つけて、またそこでひと休みする。
澄んだ川のせせらぎを聞きながら泳ぐ魚のすがたにシャルルは楽しそうだ。
ローズはといえば馬車から離れてシャルルを川辺に待たせ、ひとり森の奥へと歩いて進み、五分もしないうちに戻ってくる。いささか困ったような表情だ。
「……弱ったな。ミリアムがいない」
「ええ? じゃあどうするの、ここでしばらく待つ?」
馬車には食糧もじゅうぶんに積んである。数日もミリアムが不在だったことはローズの記憶にもない。「そうしよう」と彼女は頭を掻きながら言った。
「たぶん暗くなる前には戻るはずだ。それまではここで過ごす」
「そっか。ふふ、楽しみだね。ミリアムさんに会うの久しぶりなんでしょ?」
「定期的に顔を合わせてはいるが、まあ、久しぶりと言えばそうかもな」
大きめの石に小さい石でガリガリと削って文字を刻む。それから指で文字をなぞると、いつもとは違う淡い金色の輝きに包まれた。
「シャルル、適当に枝を拾ってきてくれるか」
「うん、いいよ。枝を何に使うの?」
「たき火さ。暗くなると冷えるだろうから」
なんとなくローズには嫌な予感があった。ミリアムが今日は遅くなるのでは、という不安だ。だから念のため、たき火を焚いて暖を取れるようにしておくつもりでいた。
シャルルが枝を拾うあいだ、彼女はさきほどの石を馬車の近くへと移しておき、それからまた川へ近づいて握りしめた小石を釣り針と糸に変える。針だけが仄かに紫紺に輝いていて、川の中に放り込んでしばらくすると魚が自然と喰らいつく。
「わ、魚を釣ってるの? 初めて見たなあ」
「退屈しのぎにな。貴族様には運ばれてくるのが当たり前か?」
「まあ、どちらかと言えば食べる専門だね。川魚は経験ないけど」
「だろうな。いい機会だ、焼いてやるから食べてみろ。なかなか悪くない」
馬車の積み荷から塩の詰まった瓶を運び、シャルルが集めた枝のあまりを使って魔法で串を作り、魚に刺して塩をまぶす。
それからたき火の近くでじっくりと焼いていく。
「えへへ、良い匂いがしてきたね! 美味しそう!」
「フ。遠い国では、こうして塩で焼くのがいちばんらしい」
焼き上がり、いっぴきをシャルルに渡す。ふたり揃って「いただきます」とさいしょのひとくちをがぶりといく。
「……ん、おいしい! 身もふわふわだし、塩味が程よく効いてる!」
「城で出される料理より見た目は洒落てないだろうが、良いものだろう?」
「うん! もっと食べたいくらいだよ!」
はしゃぐシャルルにローズは嬉しそうにしながら。
「まだ三匹はある。食べたければ、あとはお前が食べてもいいぞ」
「えっ! ローズもおなか空いてるでしょ、半分ずつしよう?」
彼女は首を横に振って「そんなに要らないが」と返した。だがシャルルがひとりで食べることで気を遣わせては、せっかくの美味いモノもいまいちになるだろうと思ったのか「なら、いっぴき貰っておこうか」と串焼きを手に取った。
「ふふーん、やっぱりいっしょに食べるのがいちばんだよ!」
「お前もすこし慣れてきたみたいだな?」
「だって楽しいんだもん。……城ではこんなこと出来ないから」
始まったばかりとはいえ、ローズの旅が終われば彼女は城へ帰らなくてはならない。王族という立場に縛られている以上、逃げようもない現実と向き合わなければならないのなら、今をめいっぱい楽しもうと思った。
今ほどの自由をどれだけ求めても手に入らなくなってしまうのなら、どれだけの苦境のなかにあっても前を向けるように、たくさんの思い出を作っておこう、と。
たき火の前でしんみりとした雰囲気が流れる。ローズはなにも言わずに、ただ静かに魚を食べながら森の景色を目に映した。
(……そうだな。いつかは終わる、短い旅の物語だ。ずっと独りだったのに、なぜいまさら私まで少し寂しいなどと思っているのだろう?)
 




