第39話「悪魔らしさは要らない」
その後、永遠の誓いとしてシャルルは魔導書を開き不老不死の呪いを受けた。ローズと何があっても分かたれる事はないという固い決意のもとに。
たった三人ではあるが、久しぶりに顔を合わせて積もる話もあるだろうとシャルルの誕生会をしながら近況を報告しあうなどして時間を過ごす。ここしばらくほとんど笑顔らしい笑顔のなかったローズも楽しそうなのが声色から伝わってきた。
ヴェルディブルグに次の列車が到着する頃、もうそろそろ出発しなければと歓談もほどほどに裏門で準備されたローズの馬車に乗り込み、ついに二人の旅が始まろうとしていた。マリアンヌとシャルルは最後に強く抱きしめ合う。
「行ってきます、お母様。どうか元気で」
「あなたも。体調の管理には気を付けるのよ」
まだ二度と会えないわけではない。ときどきは帰ってくる事もあるだろう。それでも、いつかは必ずシャルルは大切な両親と別れるときがやってくる。すぐには理解できない悲しみが訪れるのは、彼女の純粋な優しさを考えれば明白だ。
それでも傍にはローズがついている、とマリアンヌは安心する。
「定期的に手紙を送るわ、ローズ。行先は教えておいて」
「もちろんだ、約束しよう」
月明かりの下、紅髪が美しく照らされる。深碧の瞳がマリアンヌを映して、心の底から感謝を示すような穏やかな感情をみせた。何よりも安心できる優しさを。
「では出発だ、シャルル。列車に乗り遅れる前にな」
「うん! それじゃあ、お母様。また会おうね!」
月夜を去っていく馬車が見えなくなるのは早かった。マリアンヌは小さく手を振りながら、遠く小さい姿を見送ってメイドたちに「もういいわ、ありがとう」と仕事に戻るよう伝え、一人で城に帰ろうとする。
寂しくはあったが、その足取りは軽いものだった。
「マリアンヌ女王陛下、お疲れさまでした」
ふと言われて立ち止まる。通り過ぎたはずの誰もいない場所には月明かりの美しさにも負けない黄金色の髪をした女性が立っている。
「シトリン・デッドマン。あなたの言われた通りにできたかしら?」
「ええ。……ですが、あなたには悪い事をしたかもしれません」
「いいのよ、あの子がそれで幸せなら構わないわ。私も満足してる」
でも、とマリアンヌは不思議そうに言った。
「あなたって本当に悪魔なの? 天使様の間違いではなくて?」
「……最初の悪魔たちはそうだったのかもしれませんが」
前置きしてシトリンはルビーの瞳を月明かりにきらりと輝かせる。
「私は正真正銘の悪魔です。どことも分からぬ場所で産まれ落ち、人々を堕落させてきた存在。叶わない恋ばかりする哀れな道化とも言えますけど」
寂しそうに彼女は言った。主従関係で我慢するしかないと思いながら。
「ふふっ。悪魔らしくない方ね、あなたは。いきなり現れたときは呪い殺されるとでも思ったけれど……あなたのおかげでシャルルも幸せそうだった。でも本当はあなただって、やろうとしたらローズを独り占めできたでしょうに」
わざわざシャルルと結びつけなくても時間は解決したはずだ。マリアンヌのそんな考えにシトリンは首をゆっくりと横に振った。
「あの方には時間なんて関係ありませんよ、百年だって二百年だって愛せるでしょう。そして百年や二百年でも後悔するでしょう。そんな姿を見て楽しいと思えるのだとしたら、それこそ悪魔的です。私は人間が好きで、あの人が好きで……だから幸せになってほしい。大切な人には誰よりも、自分よりも」
夜空に光る星々を見上げて、シトリンは静かにそう言った。
「良い人には良い人がつくものです。私の入る余地なんて最初からどこにもなかった。マリアンヌ、それでも私は誓いましょう。ローズ様のお傍で仕えるかぎり、あなたのご息女はシトリン・デッドマンが命に代えても守り抜いてみせます」
まるで騎士の誓いだ。悪魔らしくない彼女の想いの強さにはマリアンヌもただ静かに頷く。きっと任せても大丈夫だ、と。初めて姿を見せたシトリンの事を思い出して、ふと笑いだしてしまう。
『シャルル様をどうか、ローズ様のために旅へ出してはあげられませんか。これは取引です、お互いにとっても悪くない話だと思って……ええ、そう、きっと』
マリアンヌは記憶を取り戻す方法などないだろうと思っていた。だがシトリンは『私にならば可能です、悪魔である私なら』胸を張ってそう言った。たったひとりの選び抜いた主人が、いつまでも暗い顏をしているのが見ていられなかったから。
「なにがおかしいんですか。私が馬鹿にでも見えましたか」
「ええ、とっても。それから私も同じくらい馬鹿に思えたわ」
親馬鹿に、と彼女はくっくっと笑う。
「ねえ、シトリン。よかったら少しだけお茶をしていかない?」
「……ええ、いいでしょう。今日はそんな気分です」




