第22話「普通への憧れ」
席を立ち、ローズは「手伝おう」と袖をまくった。クロヴィスも行こうとしたが、「たまにはゆっくりしていろ」と制止する。
「ローズさんに動いてもらっておいて座っているのは……」
「私がしたいからするだけだよ。お前は気にしなくていい」
彼を部屋に残してローズとマリーは厨房へ。
「パパとなにを話していたの?」
ローズはやんわり首を横に振った。
「大した話じゃないさ。それより上手く行ったのか?」
「ええ、とても! シャルルは手際が良くて助かったわ」
「……はは、私よりも優秀で良かったな」
マリーの嬉しそうな表情は、過去に自分が手伝ったときにはなかったものだったと振り返る。彼女が「そんなことないわ」と返したが、ローズには取り繕って励ましているのが見て分かるくらいだ。
とはいえ自覚もあった。魔法以外でこれといって才能はなく、あれこれと楽をして生きてみれば必要のなくなった知識や経験はゆっくり欠け落ちていく。
自炊をした時期もあったが、魔女として貴族を相手に良い稼ぎをするようになってからは旅ばかりで〝とりあえず外で食べる〟というのが当たり前になり、マリーに教えてもらったことも今ではすっかり記憶の片隅に置き忘れてしまっている。
「ま、いいさ。私は美味いものが食べられれば、それで」
「あら。でもたまには手料理を誰かに振舞うのもいいものよ?」
「かもな。いつか気が向いたらやるとしよう」
そんなときは永遠に来ないが、と後に続いていそうな言葉だった。
厨房にやってくると大きなテーブルの上には盛り付けられたサラダや、カップになみなみと注がれた温かいスープ、肉料理などが所狭しと並べられていて、シャルルが運ぶための大きなプレートにせっせと載せている真っ最中だ。
「あ、ローズ! 見て、料理いっぱい作ったんだ!」
「ああ、手際が良かったと聞いてるよ。私も鼻が高い」
駆け寄ってきたシャルルの頬を優しく撫でて褒める。彼女は少し照れていた。
「どれ、このプレートのものを運べばいいのか?」
「お願いできるかしら。少し重たいかもしれないけれど」
「任せておけ、何も問題はないよ。こうすれば────」
プレートの両端に触れる。ふわりと紫紺の輝きが舞って、彼女は軽々とプレートを持ち上げた。これくらいは朝飯前だとばかりに自信たっぷりな顔つきで。
「頼もしいわ! じゃあ、シャルルはお水の瓶を二本、お願いね!」
「おっけー、任せて。……ふふ、なんか楽しいね」
マリーが先に別のプレートを運んで行くのをゆっくりした足取りで追いながら、不意に笑ってそう言ったシャルルにローズは優しく「悪くはない」と答えた。
「城での生活では在り得ない経験だろう? 疲れたりしないか?」
「まさか! 他の子はどうか知らないけどボクは楽しいな」
「なら良かった。帰りたいと泣き出すんじゃないかと心配だったんだが」
「城にいるよりずっといいよ。みんな気を遣うばっかりだから……」
自ら進んで何かをしようと思ったことは多々ある。料理をしてみたくて厨房へ行ったこともあるし、忙しそうに掃除をしている侍女たちを見れば、何かひとつでも助けになれないだろうかと考えたりもする。けれども、だれひとり彼女に頼んだり任せたりする者はいなかった。
「結局、身分が邪魔をして普通の経験なんてものは積めなかったからさ。なんだか、いつもさみしかったんだ。誰かに頼るばかりじゃなくて頼られたいと思うし、いっしょに何かをしたいんだ。普通の暮らしが大変なのは分かってるけど……それでも、ボクには羨ましくて仕方なかった。こういう過ごし方が、たまらなく」
城のなかでの生活は檻に閉じ込められているのと同じようなものだった。窮屈で、いつも他人の顔色ばかり窺って楽しいと思えたことだって数えるほどかもしれない。それも純粋だった幼い頃に限って。
「お母様は、きっとボクを今も純粋で世間知らずな小娘だって思ってるんだろうね。自分の立場を弁えてなくて誰にでも懐くような子だ、って」
ローズはくすくす笑う。心中で『大正解』と面白がった。
「ならば多くの経験を積んでマリアンヌを驚かせてやらないとな?」
「はは、そうだね。母様を驚かせたいかも。たくさん教えてね」
彼女は微笑み、力強くゆっくりと頷いて。
「ああ。お前の頼みを聞くのも面白そうだ」