第10話「偽装工作」
ローズの頭の中にはすでに計画ができあがっている。訳も分からないままのグレゴリーを邸宅の正門まで連れて、シトリンがやってくるのを待った。
予定通り、彼女はきっかり三十分──たった一秒の狂いもなく──で邸宅の前に馬車を停め、荷台を覆っていた大きな布をはぎ取ってみせる。
「遅れました、ローズ……様。こちらが例の馬車です」
見ればシトリンはメイド服を着ている。森で出会ったときはもっと普通の服装だったのに、言葉遣いまで変えていたので驚きつつも、軽い咳払いをして考えるのを後回しに冷静さを保った。
「レディ・ローズ。こちらの方はいったい……?」
「私が最近雇ったメイドだ。森で放置された馬車を回収させた」
荷台にあるのは袋にたっぷり詰まった胡椒の実と、壺の口までを埋める大量の塩だ。グレゴリーが積み荷を確かめるなり目をぎょろっとさせて驚く。
「こんなに大量に、いったいどこの誰が」
「小汚い奴隷商の連中が仲介取引に運んだものだよ」
「奴隷商が森に!?……あ、すみません、声が大きかったですね」
恥ずかしそうに、こほん、と一拍置いて彼は尋ね直す。
「仲介取引とはいったいどういう……?」
「誘拐事件を起こしているのはバルトロ商会だ」
それが真実だとハッキリした力強い口調で彼女は言った。
「憲兵の巡回を掻い潜り、連中は貴族相手に奴隷として住民を売るようになったんだろう。理由までは特定できないが……それは本人たちから聞くとしよう」
「そうか、バルトロ商会が……」
表向きは協力的にしながらグレゴリーが先導する憲兵隊の巡回時間とルートを把握し、交代時間などの隙を狙って奴隷として高く売れそうな人間を見つけてはさらい、仲介人の奴隷商たちに引き渡す。
奴隷を買うなどおよそ貴族のやる事で、金品を運ぶよりも香辛料などの高く売れるものを運ばせて怪しまれないように取引しているのだ。
グレゴリーは腸が煮えくり返りそうな気持ちを抑え込み、深呼吸をして自己を見失わないようにしながら「しかし、どうやって口を割らせるのですか?」と尋ねる。これまで証拠ひとつ見つからない徹底ぶりだ。相手の狡猾さは認めざるを得ない。
「まあ、私たちに任せておけばいい。お前はいつでも連中を捕まえられるよう、近くにでも潜んでいろ。安全が確保できたら合図を出してやる」
手で梳いた真っ赤な髪は、とたんに美しい金色に変わり、ぽんと叩いた服は黒とは正反対に明るい白に染められる。仄かに紫煙が周囲を漂った。
「おおっ……なんと。魔法を目の当たりにするのは初めてですが、本当に奇跡でも起こしているようですな! それで、これからどうするのです?」
ローズにとっては大した魔法ではないが、グレゴリーには──およそ普通の人間は誰でも──貴重な機会だ。苦心していた顔つきが少しだけ穏やかになる。魔女の力を目の当たりにして、安心感からすっかり元気を取り戻していた。
「シトリンと私の二人で、奴隷商のふりをしてバルトロ商会へ行く。連中から話を聞き出せたら、あとはお前たちが捕まえるだけだ。簡単だろう?」
「ええ、それならもう……すぐに憲兵たちを集めておきましょう」
「できるかぎり普通の格好をさせろよ。怪しまれるからな」
もちろんですと親指を立てて、邸宅のすぐ傍にある屯所へと向かって行く。意気揚々と事件解決に進む彼の足取りは軽やかで、ローズはフッと小さく笑った。
「忙しいヤツだな。……では私たちも仕事にとりかかろう」
「はい、ローズ様。あ、ところでレディ・ローズと呼んだほうが?」
「そんなものどっちでもいい。お前の好きなように呼べ」
「ではかっこよく登場するときはレディ・ローズと……」
呼び方がかっこいい、とシトリンは言う。ローズはそんな機会など来るものかとあきれたが、まさか七十年後にミランドラの騒動で本当に言うとは夢にも思わない。そして彼女はそのときが来ても今日の事を覚えてなどいなかった。
「さ、はやく馬車に乗れ。バルトロ商会まで一直線だ」