エピローグ②『仕事終わりの報酬』
適当な席に座り、窓から楽団の人々に手を振って別れを告げ、景色がゆっくり流れ始める。楽しかった思い出を荷物に首都ペレニスが遠のいていくのを眺めた。
今頃は誰もが新しい明日のために今日を生きている。
がたんごとんと揺れる中で、ローズは魔導書を開く。
「良い時間だったな。忙しくはあったが落ち着きもあった」
「また友達も増えたし、美味しいお店も見つけたしね」
「フルーツサンドは少し恋しいが」
「うっ……。ごめん、また埋め合わせはするから!」
あたふたするシャルルを横目に笑う。
「いいさ、冗談だよ。また一緒に食べに来よう」
「……! うん、そうだね。また来よう!」
すっかり機嫌のよくなったシャルルの頭を優しく撫でる。リベルモントを離れ、遠くヴェルディブルグの慣れ親しんだ地へ帰るための列車が汽笛を鳴らす。
いつの間にか二人の正面の席に座ったシトリンが、ローズへ向けて「何を綺麗に全部終わったみたいな顔をされているんですか?」とひどく不満そうにした。せっかくの空気を邪魔するなと言いたげににらんだ彼女は、途中でハッとする。
「す、すまん……お前のことを忘れていた。確か────」
「シロップたっぷりのパンケーキです」
食い気味に言われて、ローズも苦笑いをするしかない。
「直接食べるなら用意してくれると言ったのはローズ様でしょうに。ずっと待っていたんですよ? いくら契約上は仕方ないとはいえども、紙くずみたいに使い終わったらポイだなんて、そんなご無体な話がありますか?」
わざとらしく泣くふりをして、ハンカチで目じりを押さえるシトリンに「分かった分かった」と銀貨を二枚取り出すように言った。
「ちょうど魔導書も開いていたところだ、出してやるとも」
本の上に置いた銀貨二枚が紫煙に包まれ、ぼんっと小さく破裂するような音を立てる。晴れたら温かいパンケーキの乗った皿とフォークがあった。
「……フッ。分かれば良いのです、分かれば」
できたと分かると奪い取るように手もとへ持ってきて甘ったるい香りを列車内に満たしながら、ひとりほくほくと嬉しそうにパンケーキを食べ始める。これがなければやってられないとばかりに、ちらとローズを見た。
「そんなにじっと見つめられてもあげませんよ?」
「いらん。誰が食うものか、鼻がひん曲がりそうだ」
「ボクも甘いモノは好きだけど、これはさすがに……」
もはやシロップのかかったパンケーキというより、シロップに浸したパンケーキだ。見目にも食欲が消えていきそうな甘いものが、彼女には好物でたまらない代物らしい。
「そうですか、では全部いただきます」
そう言って、ぺろりと平らげてしまった。
「大変満足でした。やはり仕事のあとのおやつは格別ですねえ」
食べ終えたシトリンがぽいと投げた食器はどこかへフッと消えてしまった。ローズが購入した山のような本と同様に、彼女にしか分からない手段で片付けた。
「ふふ、シトリンってよく食べるよね」
「ええ。私が食べるのは本来、魂ですから」
シトリンは悪魔であって人間ではない。人間の食事でも腹が満たされない事はないが、栄養的な観念から言えば〝生き物の魂〟であることが望ましい。にも拘わらず、彼女はそういった本来の悪魔としての食事をせず──ミランドラの件のように理由があれば別だが──基本的にはローズとの共有で済ませている。
「人間の食事ではあまり栄養が取れないのです。たとえローズ様と共有していても、栄養の吸収率には大きな差が出ます。なので、普通の三倍は食べませんと」
なぜかえっへんと自慢気に話す。シトリンからすると、悪魔が人間の魂に手を出さないのはとても難しい事なのかもしれないとシャルルは思った。
「へえ~。ボクだと胃もたれしちゃいそうだよ」
「三倍も食べて胃もたれで済めばいいがな」
普通の人間は自身が満足する三倍も食べられないだろうとローズが指摘すると、シャルルは「ボ、ボクもそう思ってたよ?」と少しだけ恥ずかしそうにした。
「あ……ねえ、ところでさ。ずうっと気になってたんだけど、シトリンって、どこでローズと知り合って『この人と契約を交わそう』って思ったの?」
悪魔が人間と契約するのは珍しい事ではない。だが、魔女となれば話もまた変わってくる。彼女は不老不死であり、魂は絶対に得られないのだから。
シトリンはぐいっと身を乗り出してシャルルに顔を近づけた。
「ふふ。気になりますか? それはですね────」




