第34話「幸せになって欲しいから」
「それなら今度こそ私の出番ね、ローズ?」
すっかり気合ばっちりのマリーは「まだだよ」と返されてがっくりする。
「ベアトリスは連れて行ってもらわなくちゃならないが、いろいろと用意が必要だからな。お前、いますぐウェイリッジに帰るわけじゃないだろ」
「そ、そうだったわね……観光に来たばかりなのを思い出したわ」
自分の馬車でリベルモントまで来ているマリーが、ヴェルディブルグの王都により近いウェイリッジにモンステラ親子を連れて行って戻ってくるなど、頼むにしてはあまりに時間がかかりすぎる。さすがにローズもそこまで無理を言うことはない。
「あの親子にはウェイリッジでしばらく宿泊してもらう。ふたりをヴィンヤードに連れて行くのは、お前がゆっくり観光を終えて帰ってからでじゅうぶんだ」
ひと月、あるいはふた月を過ごせるだけの金を親子に渡しておけば、生活には困らない。気候や生活水準の似通ったヴェルディブルグなら悩みも少ないだろう。すべては終わってから。そう言って「私たちも少し宮殿で遊んで行こう」とシャルルの肩に手を置く。
「遊んでいくって何をするの、ローズ?」
「フ、ちょっとした準備だよ。マリー、お前も手伝え」
「あらまあ。私、庶民だけどいいのかしら?」
「関係ないさ。それにお前なら人気者になれると思うがね」
「じゃ、期待しちゃおうかしら。ふふ、楽しみ!」
ボリスとフェリシアを仲間に入れようとせず、ふたりを置いて行ってしまう。
ぽかんとしていると、ボリスは頭を掻きながら。
「行っちゃいましたね。私たちはどうしましょうか、フェリシア?」
「あんたはベアトリスのところにでも行って来たらいいじゃない」
ツンとした態度で言う。ボリスは戸惑いが隠せない。
「え、えっと。フェリシア、私は何かしてしまいましたか」
「あんた好きなんでしょ、ベアトリスのこと。……知ってるから」
彼女はうつむき、きゅっとこぶしを握る。本当は引き止めたい、自分に振り向いてほしい。行かないでほしい。そう願っていても、叶わない。顔を見れば見るほど胸が締め付けられ、苦しくなっていく。鼓動は速く、振り絞った声はか弱い。
「行きなさい。いつかまた会えるなんて甘えたこと言ってたら、あんたにそんな機会なんて永遠に来ないわよ。ちゃんと気持ち伝えなきゃ」
彼は頬を掻く。彼女の強い言葉に、どう返していいか迷った。
「フェリシア、それは叶わないんです。私はラナンキュラス家の模範として生きていかなければならない。どうにか彼女の身分を証明して結ばれたらと思っていましたが、この状況ではとても……終わりなんです、これ以上は踏み込めない。だからせめて────」
「だからなによ。家のことばっかり気にして自分の人生も生きられないの?」
目に涙を浮かべ、彼を睨みつける。履いた靴が石畳を強く踏んだ。
「時間なんて限られてんのよ。想いは言わなきゃ伝わらないって分かってるでしょ!? この瞬間を逃して、あんたそれでこの先いっかいも後悔しないなんて言える!?」
「そ、れは……後悔しない、とは言えません」
「だったらさっさと行く! ぐずぐずすんな!」
これまで抱えて来た渾身の想いを込めて、ボリスの脚を蹴った。
「痛っ……。フェリシア、あなたってひとは……すみません」
彼女がそうまでして突き放そうとする優しさに、謝罪が口をついて出る。それから彼はすぐに背を向けて「ありがとうございます」と走り去っていく。
ひとり取り残された少女は、愛した男のすがたが見えなくなってから、ふうっとひと息ついてその場にうずくまる。全部終わってしまった、と胸中でぽつりとこぼして。
「最っ低。なんでこんなにつらいんだろ?……ううっ、うわぁぁぁん……!」
ひとり大泣きする彼女を風が優しく撫でるように吹いた。




