第27話「おまじない」
瞳に映る決意。自分にとって正しい行いをしようと選択した少女に、ローズはフッと笑って椅子から立ち上がり手のひらを上に向けた。
「シトリン、本を寄越せ」
そのひと言があってから誰も瞬きをした覚えはなかったが、たしかに彼女の手には魔導書がある。淡い紫の光を放つ魔導書を開いて見つめながらローズはなにかを小さく呟き始めた。それから光がゆっくりと揺れて消え、ぱたんと閉じると、フェリシアの額を指先でちょんと軽く突き、にやっとする。
「え……あの、魔女様。今のはなにを?」
「勇気の出るおまじないさ。いざというときのためのな」
時が来れば分かると言われて不満に思いつつ「わかりました」と返すに留める。聞いたところで彼女が答えてくれる気はしなかった。
「では話は終わりだ。また夜にでも会おう」
フェリシアを部屋から出して、ようやく落ち着く。はあ、と深いため息をもらすのを見てシャルルはくっくっと笑う。
「なんだ。ひとが疲れてるのがそんなに可笑しいか?」
「ええ? 違うよ、ローズ。魔法使わなかったでしょ」
「……なんだ、気付いてたのか」
普段から傍にいるシャルルには魔法を使ったかどうか見分けがつくようになっていた。魔導書が光り輝いていたときは使うのだろうと思って眺めていたが、消えたとき、彼女の背中を押すための演技だと分かったと彼女は言う。
「ふふん、今のボクにはローズの考えてること分かるんだからね」
「さてな。なんのことだか私にはさっぱり見当もつかないが」
「またまた~。モンクシュッド家がすごく厳しいのはボクも知ってるよ」
「……ふう。最近、お前にはちっとも隠し事ができんな」
「へへ、ありがと。褒められてるのか分かんないけど」
魔導書をベッドに放って、ローズはまた窓際のソファに深く座ってくつろぐ。
「アイツは昔のお前に似ている。性格というよりは境遇がね」
「あの子も鳥かごの中に、ってこと?」
「できれば手を貸してやりたいが今回は難しいな」
今回ばかりは他にやるべきことが多いので、本人が自力で解決するのを祈るしかない。ただ、すこしくらいは背中を押してやれることもあるだろう。ゆっくり目を瞑って深呼吸をしたら、ローズはしずかに寝息を立て始めた。
「わ、相変わらず寝入るのはやいなあ。風邪ひいちゃうよ」
ベッドの隅にたたまれている毛布を広げてふわりと優しくかける。一瞬、もぞっと動いたが目を覚ます気配はなく、シャルルはベッドのうえに放置された魔導書を持って彼女の対面にあるもうひとつのソファに座り、しずかに開く。
内容は読めるものであっても理解はできない。だが、読んでいるだけでなんとなく楽しめた。分厚く重量感のある本をひざのうえに乗せていると、いつもローズが持ち歩かずにシトリンに預けている理由が分かった気がした。
「面白いですか、読んでも魔法が使えるわけでもないのに」
どこか嫌味のある言い方をする声に、彼女はがっくりとして。
「ボクのこと実は嫌いだったりしないよね、シトリン?」
「まさか。どちらかと言えば好きですよ」
背後に気配もなく立っていたシトリンは淡々と答えた。
「本をお預かりしようと思ったのですが熱心に読んでいらっしゃいましたので、ひとまず声を掛けさせてもらったんです。まだお読みに?」
差し出された手に仕方なく魔導書を渡して、つまらなそうにする。
「ただローズと同じ知識が欲しかっただけ。……もしかして変かな?」
「さあ、それはご本人に聞いてくださいませんと。では失礼します」
さっさとシトリンはすがたを消してしまい、本を取り上げられて退屈になってしまったシャルルはぼんやりと窓のそとを眺める。そのうち差し込んだ陽の温かさに舟を漕ぎ始め、やがて彼女もゆっくりと眠りに落ちていった。




