第17話「クロユリ地区」
用意された馬車は町へ出た跡、途中でローズを降ろして再び走り出す。シャルルたちと別れた彼女の足はすぐにクロユリ地区を目指した。
華やかな表通りとは違う腐敗の温床。リベルモントの闇の部分。薄暗く汚れ切った裏通りを抜けた先にあるスラム街は浮浪者や孤児のたまり場だ。ぼろきれのように荒んだ服を着る者たちにとって、突然やって来たローズは美しい一輪の花に思えた。どこまで歩いても彼らの好奇のまなざしが付いて回る。
「おい、少し聞きたいことがあるんだが」
寝そべった浮浪者の男に声を掛ける。生気のない顏が彼女を見上げた。
「……なんだよ、俺は眠たいんだ。ほっといてくれ」
「ならこれをやる。答えてくれるか」
手に握った銅貨をりんごに変えてみせると男の前に転がす。彼は驚き、慌てて拾ってかじりつく。ちらちらとローズを見ながら「何が聞きたいんだ」と尋ねた。彼女は「モンステラという名に覚えは?」そう問いかける。
「モンステラ……ああ、アイツか。ここよりもっと奥で暮らしてるよ。最近よく、きれいなガキが土産もんを持って訪ねて来てたぜ」
ローズは訝って聞き返す。
「土産物か。どんなものを持ってきてたんだ?」
「紙だとかカップだとか……ときどきで違ったな」
すべて金になりそうなものだったと聞くとローズは肩を落とす。
「聞かせてくれて助かった、これは礼だ」
投げたのは銀貨一枚。しばらく生きるには十分な額だ。商会へ持って行けば、みすぼらしい服を脱ぎ捨てて宿に泊まりながら新しい職につくか、あるいは今のような生活を続けるにしても、いくらかの贅沢はできる。
「い、いいのかこんなに。質問に答えただけだぞ」
「運が良かったとでも思え」
彼女は今、男に構っていられない。ほぼ決定的と思える言葉に頭を悩ませるので忙しく、とにかくモンステラの姓を持つ男に会いに行かねばならないと急いだ。
(ボリス……もし私の推測が正しいのなら、さぞがっかりするだろうな)
できれば冗談であってほしいと願いながら進む途中、道を誰かが塞ぐ。
数人の男が彼女の前に立った。気付けば背後にも彼女の退路を断つようにしてさらに何人かの気配がある。見るからにごろつきで、ボリスの不安は的中した。
「悪いが急いでいるんだ。そこを通してもらえないか」
男たちは顔を見合わせて小馬鹿にするようにけらけら笑う。
「魔女様。俺たちにもお恵みを頂けませんかねえ?」
「通りたいんでしたらどうぞ、払うもん払っていただければ」
なるほど、卑怯な連中だ。魔女であると知りながら彼らは自分たちが美味しい思いをするために行く手を塞いだのだ。多勢に無勢なら安全を選ぶと見立てて。しかしローズは態度を変えない。要求の一切に応じる気はなく、時間が惜しいときに足踏みさせられた事に腹を立てた。
「二度は言わんぞ。そこを通せ、痛い目に遭いたくないならな」
警告をして手のひらをうえに向ける。いったいどのタイミングで手にしたのかローズは魔導書を持ち、紫煙が足下をふわりと満たしていた。男たちはまだ余裕そうにしていて、これ以上の言葉は意味を成さないだろうと彼女はげんなりする。
「だからお前たちには何も与えられないんだよ」
揺蕩う紫煙は突然、強い光を放つ。単なる目くらましだが、油断していた彼らには効果覿面だ。男たちがうろたえている隙に突き飛ばして押し通った。「おい、逃がすな!」と背中を殴りつける耳障りな叫び声に強めの舌打ちを飛ばす。
「あの程度だと時間稼ぎにしかならないか。……面倒だな」
魔導書を通しての魔法ならば普段より体力の消耗はないが、それでも無理をしないとシャルルに約束した彼女は絶対に破らないと誓っていて──まして、まんがいちにもクロユリ地区で倒れては困るので──とにかく逃げるしかなかった。
「──レディ・ローズ。こちらです!」
クロユリ地区の淀んだ空気を突き抜ける澄んだ声。突然、曲がり道から伸びた手に腕を掴まれて驚かされたが、その声に聞き覚えがあった彼女は咄嗟に理解する。男たちがやってくると同時に彼女を掴んだ誰かが腰に提げた剣を引き抜いた。
「魔女とはいえ丸腰の女性を複数人で追いかける……なんとも見下げ果てた方々だ。そんなに遊び相手が欲しいのなら、このボリス・ラナンキュラスがお相手致しましょう」




