第8話「懐かしさに花を咲かせて」
言っておきながら恥ずかしかったのか、髪にも負けないくらい顔を真っ赤にしてそっと座りなおしたローズはコーヒーを一気に飲み干した。
「そ、そろそろ行くか……。あまり待たせるのも悪いからな」
集会所ではハヴェルが待っている。いつまでものんびりと休んでいるわけにもいかず、柄にもないことを口にした気恥しさを少しでもかき消すために急いだ。
「あ。……うん、そうだね。話をしなくちゃ」
「先に外で待っている。カップはテーブルにそのままでいい」
二個のカップくらい帰って来てから洗えばいいと先に家を出る。テーブルの隅には魔導書が置きっぱなしになっていたが、彼女が忘れるはずもなく、持ち歩くよりは置いていったほうが楽なのだろうとシャルルもコーヒーを飲み干して席を立つ。
敷地の入り口近くで石垣にもたれ掛かってぼんやりと空を見上げているローズは、やや疲れた表情をしている。本当なら家でゆっくりしたかったに違いないが、まだもうしばらくお預けだ。
せめて日が暮れるまでには終わらせたい気持ちに満ちていた。
「ごめん、待たせちゃったね。行こう?」
「ああ。行く前に、これを持っておけ」
立てかけてあった傘を手に取る。空を泳ぐ雲の色が灰に濁っているのを見て、これからまた雨が降り出す予想ができた。いちど山に雲が引っかかれば、風が吹こうがそう簡単には去ってくれない。
大雨になってまた風呂に入る手間を考えてシャルルに渡す。
「あと三十分もすれば大雨になるだろうな。まったく……嵐に見舞われたばかりだ、ここ最近は天気も機嫌が悪い。私は晴れているほうが好きなんだが」
「そうだねえ。でも、ボクは雨の日に部屋にこもるのも嫌いじゃないよ」
城で暮らしていた頃、退屈なときは散歩に出ていたが、雨が降ってしまえば庭を歩くことも叶わない。そんな日には部屋で読書に耽るのが当たり前だったシャルルは、音楽を聴くよりも雨が窓を叩く音に心地良さすらあった。
「そうそう。雨で外に出られないときは料理とかを作るのもたのしいかもね。マリーに色々教えてもらったけど、いちばんは愛情をこめて作ることなんだって。『あなたの料理を食べてくれるひとの顔を思い描きながら、丁寧に作りましょ!』って」
ウェイリッジでの思い出だ。旅が始まったばかりの頃に訪れたウェイリッジで、仲良くなったマリーといっしょに手料理を作って振舞ってくれたのを、ローズはフッと笑って「アイツらしいな」と懐かしむ。
「今も元気にしてるのかなあ。旅から旅へってなると手紙のやり取りとかが大変だよね。頻繁に連絡を取ってるのって母様くらいなんじゃない?」
「そうだな。ミランドラの件以降も何通かやり取りをしているし……」
のんびりと坂道をくだりながら思い出話に花を咲かせる。ウェイリッジを訪れたのは、二年前に再び契約を結んで旅を始めた頃。挨拶のついでにあれこれと必需品を買いそろえるときに寄ったきりで、そのときにはマリーは忙しく外出していて会えないまま、町を出ることになってしまっていた。
「そろそろ顔も見たくなってきた頃か。次の目的地はウェイリッジにしよう」
「わ、いいね! マリーもだけど『鍋の底』の人たちも元気にしてるかな」
「あいつらはいつでも元気さ。奢られた酒と美味いメシさえあればの話だが」
「ハハ、あのときはボクも元気いっぱいだった」
「食べ過ぎて外に涼みに出たんだったな。そしてフランシスを怖がっていた」
ローズがいたずらに笑い、シャルルは「いじわるだなあ!」と頬を膨らませる。
「でもフランシスさんと仲直りさせてくれたのはとっても感謝してるんだ。前はじっくり話せなかったけど、こんどは三人で遊び歩いてみたいね」
「構わないとも。だが、それだとマリーが嫉妬しそうだ」
指摘されてシャルルがぽかんとした。
「……ほんとだ、じゃあ四人にしよう! 美味しいものをたくさん食べて、いっぱい旅の話をして、それからそれから……ふふ、やりたいことが多すぎるかな?」
相変わらずの無邪気さ。けれども前よりは自分のやってみたいことを口にするようになっていた。ローズはそれがとても心地良く、嬉しかったのか「長めに滞在期間を取ろう。みんなでゆっくり露天風呂に浸かるのも悪くない」と、彼女がしてみたいと思ったことから出てこなかった提案をする。
「わあ……すごく期待しちゃうなあ、それ」
「だろう? ま、とりあえずは用件を済ませるとしよう」
時間を忘れるほど話は弾み、いつのまにか集会所の前までやってきていた。旅行の計画は帰ってからでも遅くはない。期待に胸を膨らませ、ハヴェルのことなど半ばどうでもよくなりながら、集会所の扉に手を掛ける。
「……お前が私に隠していることも気になるしな?」
「げっ……! そ、それは言えないかなあ、なんて。ハハハ……!」




