8. 魔導院の魔王
魔導院―――その建物は王都の行政区画の端にある。その名前から仰々しい建物を想像するものも多いが、別にそんなことはない。
周囲の景色にとけこむ古めかしい建物を見上げる暇もなく、中に引っ張られていく。女の子に手を引っ張られている状況に恥ずかしさを感じていたが、周囲の反応は違っていた。
彼女はマホ。魔王を倒した旅の仲間の一人にして、王国直轄である魔導院の研究員。書類の上で見れば、非の打ち所もないようなエリートである。
実際に彼女に会った人間は二つの反応をする。
初めは意外そうな表情を浮かべる。小柄でまだ幼さの残る顔立ちに、可愛らしいという印象を感じる。次にその顔を見たときはというと―――
マホが傍若無人にも廊下の真ん中を突き進むと、他の職員たちが隅によけていく。彼らの顔は必死であり、触らぬ神にたたりなしといった感じである。
廊下の突き当たり、マホの名前が刻まれた銅版を掲げた部屋にたどり着く。どうやら、こいつ専用の実験室らしい。
壁の本棚には分厚い本や書類がつめこまれ、よくわからない機材が並べられている。
およそオレのような人間とは縁のなさそうなものばかりであったが、一つだけ見覚えのあるものがあった。
部屋の中央に置かれた作業机に、一振りの剣が置かれている。曇りの無い刀身の輝きがなつかしい。旅の間、ずっと側にいた相棒であった。
「ようやく資料の整理が終わって、あとは検証実験よ。だっていうのに、肝心の聖剣を扱えるあんたが見つからなかったのよ」
「聖剣を持ち出すなんて、よく許可がもらえたな」
「魔王討伐の報酬よ」
金や名誉よりも研究欲というのが、こいつらしかった。魔王討伐の旅に同行したのも、聖剣について研究したいという理由だった。
「……なあ、一つ聞きたいんだが、あれはなんだ?」
実験器具や薬品棚がならぶ片隅に小さなベッドが置かれている。簡単な台所までついていて、ここに住んでいるんじゃないかと思えてくる。
「ベッドよ」
「それはわかる。なんでそんなものがここにあるんだ」
「寝るためよ。決まってるじゃない」
話がかみ合わない。
だけど、なんとなく予想はついた。
下手をしたら徹夜で付き合わされるかもしれない。
「……急な用事を思い出した」
周れ右して、出口に向かおうとする。
しかし、回りこまれた。
冗談じゃない。無限といえるほどの魔力をもつこいつと違って、オレはただの一般人だ。こいつに合わせたらどんな目に会うかわからない。
「ちゃんと報酬は払うわよ」
報酬をちらつかされて、心が傾きかける。
「……そういう問題じゃない」
あいかわらずだった。研究のためなら人を人と思わない。それは自分自身も例外ではなく、命をかけた魔王退治の旅も研究のためだといっていた。
一度言い出したらしつこいというか、飽きることをまるで知らない。こちらが折れるまで説得交渉を続けてくる。
それは研究者として得がたい性格なのかもしれないが、説得される側としてはたまったものではない。
「お金じゃだめなの? だったら、わたしにできることならなんでもしてあげるわよ」
「……なんでも……だと」
なんとなく視線がベッドの方に向く。
エロいことさせろといえば、こいつなら即座にうなずくだろう。
マホは研究という一点に夢中になると、モラルとかデリカシーといったものが置き去りになる。
「あんた、もしかしてわたしに発情しているの? 節操のない男ね」
「また、おまえはそういうことを……。旅の途中、そんなことは何もなかっただろう」
旅の途中、雨に濡れるとこちらの目におかいまなく服を脱いで搾り出す。暖をとるために肩を寄せ合うこともあった。最初はどきどきすることもあったが、いまさら興奮することなんてない、はずだ。
「わがままね、じゃあ僧侶あたりに頼んで―――」
「やめろ、他人を巻き込むな!」
なにがなんでもやらせるだろう。なまじ魔導院で偉い立場になったせいで、他の職員が犠牲になる可能性がある。
なんでこんなやつがと思うが、こいつの残していった研究成果のおかげで各都市の防衛機能が一気に向上したとか聞いている。
「……魔力を使い切る方向はなしだからな」
「わかったわ、じゃあ早速始めるわよ。すでに時間も無駄にしてしまったからね」
こいつの『わかった』という言葉ほど信用できないことはわかっていた。
数時間後。
ベッドでぐったりとしているオレの姿があった。結局、使うハメになった。
魔力を使い果たすと、全力で走り回って息切れしたような気だるさで動くこともままならない。悪くすると気を失って昏倒する。
ダメージを与えずに人を行動不能にする、真の魔王はここにいた。
「いやあ、さすが勇者ね。おかげでだいぶはかどったわ」
マホは嬉しそうに、実験結果をまとめた紙をとんとんと机の上で揃える。
「んで、報酬はなにがいいの? 魔導院のトップの座とかどう? あれの弱みなら握っているから追い落とすのなんて楽勝よ」
「いらんわ!!」
「じゃあなにがいいの? 早くしてちょうだい」
「普通に金でいいよ。今の生活すこし厳しいから、助かるよ」
「お金ね。それなら楽でいいけど、褒賞で受け取った分はどうしたの? けっこうな額だったはずよね」
「そんなものはもうない。使い切った」
「はぁ? なあに、博打にでもつぎこんだの?」
「いいだろ、なんでも。とにかく、金欠なんだ」
心底あきれたようにため息をはかれた。
早いとこ、安定した収入がもらえる職を見つけよう。
そんなことを考えている、椅子を引き寄せて魔法使いがベッドの近くに座る。
「……いいのか、研究の方は?」
「今日の分は終わったからね。あんたとおしゃべりすることに特に理由はないよ。それとも、勇者は何にでも理由がないと納得できない人間なのかしら」
「別に楽しいことなんて話せないぞ」
「それじゃあ、あんたの幼馴染の女の子に振られた話とかどうかしら?」
……なんでこいつが知っている。
得意気な顔でこちらを見下ろしてくる。シルフィから聞いたのか? いや、でも、リーリャは知っていないみたいだし。
「……告白はしていない。だから振られてはいない」
「あら、そうなの……? 失恋の条件を書き換えないといけないみたいね。だったら、わたしも失恋はしていないってことになるわね」
「へ……ほんとか……!? おまえに好きな相手がいたなんて驚きだな」
『失恋』なんていう単語は魔法使いから飛び出すとは思わなかった。恋愛なんて時間の無駄とか言いそうだ。
あらためてマホをみる。眉間にシワをよせて考え込んでいる姿は近寄りがたいが、整った顔立ちではある。やぼったいローブ姿よりも、豪奢なドレスの方が似合いそうな容姿をしている。
「もったいないな、ニッコリ笑って好きだっていえばいい返事がくるかもしれないぞ」
「ふうん、そういうものなのかしら?」
「いや、まあ、あんまり自信はないけどな……」
魔力も回復してきたようで、多少ふらつく体を起こす。
「相変わらず回復が早いね。それじゃあ、次の実験を―――」
「おまえはやっぱり魔王だな!」
「知らなかったの? わたしこそ無意味より意味を見出し、この世の根源へと手を伸ばす者よ」
その口調は自慢げなものではなく、しごく当たり前のことをいっているようであった。それがマホという少女である。
「そろそろいくからな。それと、告白がうまくいかなかったときは……まあ、好きなもんでもおごってやるよ」
「無職におごってもらうなんて、とても愉快そうね」
「失敗するほうを期待してどうするんだよ。じゃあ、またな」
ひらひらと手をふりながら部屋をでる。
そういえば、オレが振られたことの口止めしてなかったな。
だけど、そんなこと頼んだら代わりに何をさせられるかわかったものじゃない。
リーリャには勘付かれないように、なんとか誤魔化す方向でいってみよう。