6. 母と子
やつらを生み出す『魔王』の討滅と同時に、『魔物』も姿を消したはずであった。
しかし、現実に目の前にいる。視界に映った光景に理解力が追いつくのに若干の間が必要だった。
より魔力の大きいこちらを危険と判断したのか、のそりとその巨体をこちらに向ける。
乱れた思考を無理やりに一つにしぼっていく。
風を切る音が視界の端から聞こえた瞬間、体を横に転がす。
叩きつけるように振り下ろされる腕は空を切り、いきおいのまま木にぶつかる。人間の胴よりも太い幹がたやすくへし折られ、飛び散った破片が頬を傷つける。
なかば無意識に腰に手をのばすが、頼りになる相棒はない。
「……どうするよ、これ?」
現在、魔物の餌食にならずに済んでいるのは、魔力で維持している防御壁のおかげである。半透明の板を盾のようにかざして、魔物の接近や攻撃を防いでいる。
しかし、平面的な盾は体全体を覆うものではないため、攻撃をさけるための立ち回りを要求されている。
魔法の発動のための術式を組み立てようとするが、回避しながらでは間に合わない。
伸びた脚が振り回される腕が続けざまに地面に穴を開けていく。
それに、一撃で魔物をたおすほどの破壊力を撒き散らせば、襲われていた女性も巻き込みかねない。
「おい! そこのあんた、立てるか!」
「え? あ? たす……助けて……」
「いいから、動けるかって聞いているんだ!!」
悲鳴とも嗚咽ともつかない声をもらしていた女性が、こちらの大声にほおをはたかれて目に光が戻る。
逃げようと足を動かすが、つま先が地面をこするだけだった。恐怖の色を浮かべながら、首を横に振っている。
目立った外傷はないようだ。しかし、目の前の恐怖になす術も無く怯えて動けずにいる。
無理もない。こいつらに対しては勇気や胆力でどうにかできる相手ではない。
実際に魔物を目の前にした人間なら誰もが納得するだろう。魔物とは人間にとって絶望そのものである。
「ほらほら、ダンスの相手はこっちだ」
魔物をひきつけ、女性からじりじりと距離をとろうとしたとき木々の向こうから赤ん坊の泣き声が聞こえた。
無言のまま異形は森の外へと動き出した。
「待て、このヤロウ! ……くそっ!」
魔力を練り上げ術式を組むが、飛び跳ねる魔物との間の木々が邪魔をする。
そして―――
ロームの悲鳴に、寒気が背中を駆け上がっていくのを感じた。
枝が頬をこするのを構わず強引に茂みを抜けた。その先ではロームをかばうように、リーリャが魔物の前に立ちはだかっている。
人体をたやすく破壊する腕が伸ばされる。
あの手につかまれば、ロームや赤ん坊の小さな体などひとたまりもないだろう。ぼろきれのようになった姿が生々しく描かれる。
絶対にはずすわけにはいかない。
横手から魔物へと迫り、組んでいた術式を発動させる。
それは一番使い慣れた魔法。単純な衝撃波を起こすものであった。
回避できない距離で炸裂した衝撃が魔物の体を吹き飛ばす。しかし、至近距離で発動した魔法の余波がこちらにもやってくる。
「ぐぅっっっ!!」
体を地面に叩きつけられ、肺の中の空気が口から吐き出される。痛みにこらえながら体を起こそうとするが、痛みのない魔物の復帰の方が早い。
膝をつくオレを巨体が見下ろしている。
「にいちゃん……にげて……にげろよ……!!」
ロームの悲痛な声が耳に届く。
術式を組む時間はない。
手元に武器もない。
このまま死ぬ、そんな結末はごめんだった。
極限まで縮小された時間のなかで、リーリャの姿が視界の端に映った。
合図はない。それでも、彼女がどう動くかは知っている。
魔物にまとわりついた魔力が高まり輪郭をとる。形成された光の輪が魔物を拘束する。
しかし、完全に動きをとめることはかなわずピシリとヒビの入った。それで十分だった。
「さすが、頼りになる」
イメージは剣。
体中の魔力をあつめた右手が光を帯びる。
すべての体重と力をのせて強化された指先が魔物の体を貫き、腕の半ばまで埋もれる。
光の輪が砕け散り、拘束から脱した魔物が胸元にとびこんだ無謀な人間を振り払おうとする。
「つれないじゃねえかよ、なあ。プレゼントを受け取ってくれよ」
右手を埋め込んだまま、魔力を解放する。
魔物という埒外の存在はほぼ魔力で構成されている。
そこに異物が急激にながしこまれた結果―――魔物の体が水風船のように膨張する。
破裂音とともに上半身がふきとぶ。
残された下半身が崩れ落ちていく。
魔物の体は地面に倒れこむ。重たい音を立てる前に、塵となり風に吹き散らされていった。
やつらの死体が大地に還ることはない。
そんな様子から、アレが自然に生まれたものだとは思えなかった。しかし、そんな思案は無意味だ。考えて答えの出るものではない。
「……他には、いないみたいだな。ローム、怪我はないか?」
周囲に他の魔物の気配はない。緊張を解いて、ロームのもとに向かう。赤ん坊も無事なようだった
「オレなんかよりもにいちゃんのほうが……」
「気にするな。傷なんて大したことない」
涙声のロームの頭をぐしゃぐしゃと乱暴になでてやる。
女性の方もリーリャが面倒を見ている。ところどころ土よごれがついているがケガはないようだった。
「……ありがとうございました。おかげで助かりました」
そういって頭を深々とさげる。彼女に何か腑に落ちないものを感じていた。愛想笑いも擦り切れた布をはりつけたようにぎこちない。
「ほんとうに、助けてほしかったのか?」
「それは……」
うつむいて気まずそうにする。
薄暗い森の中で、赤ん坊の泣き声が響いた。
はっとした表情でリーリャが抱えているの赤ん坊を見る。
「この子はあなたのお子さんですね」
「僧侶様なら……私よりもこの子を幸せにしてくれるって……そう思ったんです」
「ふざけるな!」
言葉をさえぎったのはロームだった。顔を赤くしてまくし立てる。
「こいつじゃ、この子を泣き止ませることなんてできなかった。かーちゃんと一緒にいたいに決まってるだろ」
「私ではこの子がどうして泣いているかなんてわかりません。おしめが濡れたのか、それともお腹がすいたのか、怖くてないのているのか」
リーリャが女性の前に赤ん坊を差し出す。怖々と受け取ると、母の胸に抱かれて赤ん坊はおとなしくなった。
「……ごめんね……ごめんね」
涙を落とす母に赤ん坊が手をのばし、ぺたぺたとその頬をなでた。
親子の様子をみながら、ロームの表情はどこか寂しげだった。
女性と赤ん坊を街の中まで送り届けると、3人で孤児院に向かう。
「なあ、にいちゃんって本当に勇者だったの?」
「勇者はもう廃業したから。ただの無職だ」
「……あいつとも、さっきみたいな戦いをずっとしてきたんだよな」
リーリャの顔を見るロームの表情は暗い。
「悪いな、勇者のイメージを壊したか?」
戦っている最中、考えていることは死にたくないということだけ。死の恐怖の中、足を前に踏み出さなければ生き残ることはできなかった。
「ううん、見直したっていうか、その……、いや、なんでもない。今日はありがとな」
夕陽の中、駆けて行くロームの姿がとけていった。
「リーリャ、魔物の件はオレから報告しておくよ」
うなずくリーリャの顔も心配そうであった。
今の平穏がまがいものであるだなんて……。ただ、偶然、魔物が残っていたと思いたかった。