54. 長い長い物語の終わり
「……恥ずかしいところを見せたわね」
乱暴に目元をぬぐい、こちらを見る魔法使いはいつもどおりの表情にもどっていた。
「あんた、この後どうするかは考えているの?」
マホの中から分離された特異点は、今もそこで魔力を吐き出し続けている。
「特異点を封じて世界を修復するつもりだけど、なんかいい案ってないか?」
マホを助けたあとのことについては、ほとんど何もわからなかった。いきなり投げっぱなしにするオレを呆れ顔で見ている。
「まったく……、色々と調べたんでしょうから全部教えなさい」
総本山の禁書庫で知ったこと。この世界の成り立ち、そして初代勇者の成したこと。三人で調べた内容を話していくが、マホは顎に手を当てたまま黙考している。
「いっそのこと、世界をいったん魔力だけの姿に戻して作りかえてやればいいなんて思ったけどな。さすがに無理だよな」
人一人を作り出すことさえ、魂を触媒とした命がけの魔法によってようやく成しえた。ここまで世界を構築した初代勇者の力をもってしても、世界は不完全であった。
ただの思いつきだったが、マホの反応は予想外であった。
「なるほど、そういうことね……。だいじょうぶよ、勇者。打つ手はあるから。父様がそれを教えてくれた」
「なんだって……?」
不敵な笑みを浮かべながらマホが口にした言葉に耳を疑う。
「簡単なことよ。あくまでもこの世界のルールに従って対処すればいい。対象はこの世界そのもの。そして、ここには世界の全ての魔力が集まっている」
確信に満ちた顔には、一つの不安も見えなかった。
「やっぱり、おまえはすごいな」
マホの父親は、決して絶望と贖罪から犠牲になることを選んだわけじゃなかったんだ。
賭けたんだ……。この世界をどうにかできる人間、それがマホだった。まだ小さかったこいつの中に可能性を見たんだ。
「あんたが最後の勇者になるのよ」
魔法使いが提案したこと、それは―――二度と特異点を発生させない世界に作り変えることだった。
やるべきことは二つ。
一つは、世界中の魔力をこの場に集めること。
「いい調子ね」
そういう魔法使いの手には聖剣の鞘が握られていた。聖剣の力を封じるための鞘であったが、実際のところは違っていた。
「まさか鞘が歴代の勇者たちの魂の結晶だったなんてな」
「魂といっても、その残りかすのようなものね。だけど、1000年でつもりつもったその量はたいしたものよ」
聖剣こそ、この世界の基準点である。その前ではあらゆる魔力は平均化される。勇者たちの力の残滓は散っていく魔力を引き寄せて固定する。
それが彼女の導き出した答えだった。
過去に積み上げた小石が知らぬ間に大きな結果をもたらす。
このところそんな風に感じることがおおい。
過去が現在をつくり、今が未来をつくりだす。
目に見えぬつながりがそこに確かにあった。
いくら苦しくても孤独な戦いが待っていようとも、こんな悦びがあるから何度でも立ち向かおうと思えるんだ。
「世界は寝ぼけているのよ。魔力の循環をさぼりだし、澱み魔物を生み出す。だから、その聖剣でたたき起こせばいい。なるべく強烈な一撃を頼むわよ」
魔法使いの合図と共に聖剣を大地へと突き立てた。この地に集まっていた魔力が世界中に散っていき、生まれたばかりの世界と同じとなった。
「これで、物語の終幕だ!」
物語とはたくさんの人間の思惑の集合体。数々の勇者たちの思いがこもる古びた白鞘が高く掲げられた。
術式が発動する。魔法使いの手に握られた白鞘が光の粒となって散らばり、世界を覆っていった。
黒く立ち込めた雲を吹き散らし、青い空が一面に広がった。
それっきり……
まるで何事もなかったように、静かに風が吹きぬけていった。
これが魔王と勇者と世界の物語の幕引きであった。
すべてが終わり森の外へと向かおうとした。リーリャやシルフィも待っているだろう。
「痛った……、うん、痛いな」
顔をしかめるマホの足には何も履いてなかった。
「どうしてうれしがる」
「初めての感覚だったからな。今まで痛みや体調不良なんて感じる体じゃなかったから」
「だからって、進んで痛みを感じる必要なんてないだろ」
生まれなおしたマホは、生まれ変わった世界を楽しむ。まるで子供のように無邪気な表情だった。
森を出たあたりに二人の人影が待っていた。
魔力が晴れたことを知って、シルフィとリーリャがうれしそうに駆け寄ってくる。しかし、その動きが途中で止まり、視線がオレたちの上で止まる。
「わーお」
「なんだよ」
気の抜けた声をだすシルフィに怪訝な目をむける。絶対に無理だといわれたことを成し遂げたことへの賞賛ではないのは確かだろう。
「驚きの気持ちを言葉にしてみたんだ。いやぁ、まさかお姫様抱っこしてくるとは思わなくて。それに魔法使いちゃんの格好もだいぶきわどいよね」
「しょうがないだろ、服も靴もなかったんだから」
二人が服や靴をとってくるというので、マホをおろして木の幹に背中を預けながら待つことにした。
千年に及ぶ物語が終わったというのに、ちっとも高揚感や満足感といったものを感じない。そこにあるのは、ただの日常だった。
「……そういえばさ。研究室にあった絵本ってなにか特別なものなのか?」
急な質問に、マホはどうしてそんなことを聞くのかという顔をしている。
「おまえがときどきあの絵本の背表紙を見ているのに、気がついてたんだ」
「あんなのは別に大切でもなんでもない、ただのどこにでも売っている絵本よ」
強がって見せているが、あの本は何度も開いた跡がついていた。おそらくは彼女の父親との思い出がつまっていたのだろう。
マホがいつも身に纏っていた黒ローブ、あれも形見だったのだろう。それを消してしまったことを謝ると、やっぱり同じような反応を返してきた。
「いいわよ。もう、いいの……」
そういうマホの視線は遠くに向けられている。
空を見上げると、流れていく雲の船が青空を泳いでいく。
「さて、これから何をすればいいかしらね。後のことなんてなあんにも考えていなかったから」
「好きなことすればいいだろ」
「そうね……」
立ち止まっていた場所から最初に踏み出す一歩をどこに向けるか。その目指す先で、自分という存在に変化とあたらしい意味を与える。
しかし、その答えはすぐにでたらしい。
「……思い出したよ。小さな頃やってみたいことがあったの」
それがなにかと聞くと、「完成したら見せてあげる」とマホは笑って見せた。こういうときの彼女は本当に幼く見えるが、同時にそれはひどく魅力的だった。
 




