48. キミは誰よりも願う人
例えば―――軍に所属する兵士の場合。
治安部の自分の席で頬杖をついていた。指先でペンを遊ばせながらボーっとしていた。
待機を命じられてからどれぐらい時間がたったかのかは定かではない。同僚に何回目の鐘が鳴ったのか聞けばすぐに答えが返ってくるだろうが、そんな気にもなれない。
彼女は待つことには慣れていた。必要とされる瞬間まで待ち続けるという作業に対して耐性を獲得していた。
「先輩、どうしたんですか?」
声をかけてきた同僚に気だるげな視線を向ける。目だった特徴はないが、素朴な雰囲気は親しみやすさを感じさせる青年であった。何を勘違いしたのかシルフィを英雄視しているような節があり、まっすぐに憧れの目を向けられるのがむずがゆい。
「長かった任務が終わったからさ。こうしてだらだらしながら自由に浸っているんだよ」
「監視任務でしたっけ? 大変でしたね」
任務を言い渡されたのは五年前、とある少女を監視しろという内容だった。
史上最年少で魔導院への入所を果たしたという天才ときいていたが、見た目はかわいい女の子だった。
詳しい事情を知らされないまま、兵士らしく任務を忠実にこなした。報告書にはなんでもない彼女の日常が書かれているだけだったが。
両親を失くし、ただ一人研究に明け暮れる毎日。それが彼女の日常だった。彼女の父は娘を置いて、唐突に蒸発したらしい。
もしかしたら、彼女に自分と同じものを見ていたのかもしれない。
シルフィの記憶にある父といえば、酒焼けした顔で怒鳴り声を上げる。たまに酔っていないときだけ優しくしてきた。自分の感情を制御できず、自分が恵まれないことを周囲のせいにしてきた。
だが、それでも父親だった。愛したかったし、尊敬したかった。
ある日、いつものように酒瓶を抱えて帰ると動かなくなっていた。眠るように安らかな顔をしていた。
死んでから気がついた。自分は何もしなかった。耐えていれば、いつか父が変わってくれると待っていた。
一方で、あの子もまた亡くなった父親の影をひたすら追いかけていた。
……わかっている。彼女と自分は全然違う。生まれも育ちも、悲しいまでのまっすぐな意志も。
もしかしたら、理由がほしかっただけなのかもしれない。彼女に近づくための理由が。
その日は、背伸びして本棚に手を伸ばしている彼女の姿を見ていた。魔導院の資料室で、ちらほらと他の職員の姿も見えていたが手を貸そうとするものはいない。それどころか、そそくさと部屋からでていく。
魔力について深く知る彼らにとってすれば、彼女は人間の姿をした魔物ともいっていい存在だったから。
「ほら、お嬢ちゃん。これがとりたかったんだろ」
「誰よ、あんた。子供あつかいしないで」
代わりにとってやった本を差し出すと、ムッとした顔でこちらを睨んでくる。淡々とした顔で机に向かっているよりは、よほど子供らしい無防備な表情だった。
他人の厄介なんて引き受ける余裕はない。自分のためだけに生きるとしばらく前に誓ったはずなのに。
けれど。
なぜだか放っておけなかった。
何にせよ、手を差し伸べてしまった。
監視対象に近づきすぎだと上から注意されながらも、あの小柄な少女と関わっていった。
これまでも、これからも彼女の仕事はいつも手遅れであった。本質的に、宿命的に決して事態を先んじることはない。事が起これば慌ててでかけ、野蛮で、非効率な方法で対処する。
無駄ばかりが多く、労力の割りに報われることがない。それが軍人としての彼女のあり方であった。
自問自答を頭の中で繰り返す。
あの子を犠牲にせずに済む方法があるのか? そんなものはない。答えは『否』だ。
あの子を逃がした場合、何か利益があるのか? 誰も得はしない。世界が滅びるだけだ。答えは『否』だ。
あの子自身助かりたいと思っているのか。答えは『否』だ。
―――考えてもしょうがないことばかりを考えて
―――諦めてはいけないことを、いくつも諦めて
―――それを悲しいと思う気持ちさえなくしてしまったようだった。
それでも、と思う。なんともわがままな自分自身にあきれ果てる。たった人間一人で世界に何ができるというのだろう。
『シルフィ』という人間は利己的だ―――そのはずだった。
実際にそうではなかった。
諦めてしまっている。
そうして、自分のために生きることで、自分も他人も傷つかないようにしていただけだった。
「先輩、お客さんだそうですよ」
「誰よ、わたしに用なんて……。いないって言っておいて。ついでにこのまま長期休暇でもとろうかな」
しかし、後輩は戸惑うように扉の向こうを気にしている。壁越しに荒っぽい足音と引きとめようとする声が響いてくる。
近づいてきた声は、ノックもせずに乱暴に扉を開いた。
そこにいたのは勇者だった。別れる前に見た落ち込んでいた表情はどこにも残っていない。
シルフィにとって、彼の用件はいくつか想像できる。黙って次の言葉を待っていると、次に聞こえたのは予想外の言葉だった。
「手伝え!」
そういった彼の顔には諦めというものはひとかけらもなかった。
「マホと一緒になって騙してくれたおまえに拒否権なんてないからな」
「ちょっと待ってよ。勇者さん、一体何をしようっていうんだ」
強引に連れ出されるまま、勇者の後をついていく。
街の中はいつもと同じ日常が続いている。
「“何か”をやるんだよ。他にやれることがない。なんていっても天下無敵の無職さまだからな」
「がんばっても、またつらい思いをするだけだよ? あの子が考えを変えることもありえない」
「あいつがどんなに頑固かなんて知ってるよ。決して素直に言うことなんてきかなくて『なぜ?どうして?』とくり返して、結局思い通りにする」
彼女は死を望んでいる。
でもそれは、なにもせず身を引きすべてを神にまかせるような死ではない。彼女は神に助けなんて求めない。すべては彼女の意志の元に決められたことだった。
「あのね、世の中キミを中心に回っているんじゃないんだからね」
「そうか? 目を閉じれば、それだけで世界が消える。世界の息の根を止めるのなんて簡単だ」
「キミってやつは、まったくなんてことをいうひとなんだ!」
その強引さは彼女を思わせるものだった。
どうしてか、口元が緩んでいく。
「ねえ……、勇者さんは何か後悔していることはある?」
「後悔? 後悔まみれだよ。失敗してはわんわん泣いてる」
おどけた仕草で泣いた振りをする。そういう役どころはわたしのはずだったのにな……、とシルフィは苦笑を浮かべる。
「わたしはさ、後悔とかしたことはないんだけど、『あー、あのとき後悔しておけばよかったな』って思うことはあるんだ」
ひとはどこかでだれかが毎日死んでいる。皿洗いや床掃除をして。明日のことを不安に思いながら今日が去っていく。そして、人生を悔いながら最期をむかえる。
「だけど、彼女は満足していた。こういったんだよ『いい人生だった』って」
「知ってるさ。あいつはいつでも全力だ、後悔する余地なんて残さない。だからオレも本気で行く。生きていれば意見の衝突なんていくらでもあるだろ」
勇者はあきらめないらしい。
待つだけでは駄目なのだ、望んでいるだけでは望む結末はやってこない。
ずるいなぁ、本当に……。
「さっきはああはいったけど、協力してくれるかって聞いてもいいか?」
「残念ながら、今のわたしは勇者さんに逆らえない立場でしてね。上からは勇者に協力しろと命じられている。だから、キミから命令があれば、どんな不本意なものでも聞かなければならない」
「オレは友人として、おまえにお願いしているんだ。命令なんてするつもりはないぞ」
まるでわかっていない顔で頼んでくる勇者を半眼でひと睨みした後、シルフィはため息をもらす。
「わからないかなぁ。今のは『協力するけれど体面上まずいから命令してほしい』っていう意味なんだよ」
シルフィは頭痛をこらえるように頭に手を当てながら、前髪の隙間からチラリと視線を向ける。
「……おまえも手間のかかるやつだな。じゃあ、命令だ。マホを助けるのを手伝え」
「ああ、いやですね。勇者に命令されてしまえば、従うしかありませんね」
そうして口元を緩めた勇者と二人で笑いあった。
 




