43. 日常の終わり
祭りが終わり、賑やかさと一緒にマホも王都から旅立った。頻繁に会う仲ではなかったが、それでも遠くにいってしまったという寂しさがあった。
こうした日々の積み重ねが日常となっていく。しかし、ときに日常というのは予想外に大きく変化を見せる。
濃さを増す夕闇の中、孤児院の入口に人影が複数見えた。
全員が同じ服装をし、同じ武装でそろえている。
先頭の人間がゆっくりと歩く中、彼らは直立不動の姿勢のままである。
「シルフィ、だよな?」
普段の緩い格好とは対照的なかっちりとした軍服は初めて見るものだった。その表情も同様に軍人の顔をしていた。
「勇者様、魔物が出現しました。国からの要請を伝えます。『聖剣によって魔物を滅せよ』とのことです」
目の前に差し出されるのは一振りの剣。白鞘に収まった柄をこちらに差し出している。そこには有無を言わさないものがあった。
それはちょうど、故郷の村に兵士たちがやってきたときの雰囲気と同じであった。
「僧侶殿、あなたも同行し勇者様を補助せよとのことです」
あのときとは逆に、リーリャが連れて行かれる側として立っている。
物々しい雰囲気に子供たちが不安そうにするが、教会のシスターたちが連れて行く。
「返答は?」
シルフィが促してくる。そこに切羽詰った焦りが含まれていた。
その緊張から想像するのは一つ―――魔王の復活。
魔王との戦いにおいて、戦える人間の数は問題ではなかった。致命打となる攻撃を有しているか、それが勝敗を決した。
節を曲げて、シルフィがここに来たということが窮状を示していた。
「……わかった。いこう」
本来なら即答することができたはずだった。
だけど、心配そうにこちらを見るロームの視線に躊躇いを感じてしまった。
帳のようにあたりを覆い隠す夕闇の暗さに感謝した。さもなければ、ロームは勘のよさからオレ達が極めて危険な話をしていたと気づいていただろう。
「ローム、大丈夫です。少し出かけてきます。他の子達のことお願いしますね」
隣のリーリャは安心させるように微笑んでみせた。
向かう先は大聖堂跡地、そこに魔物が出現したらしい。
「マホは?」
「彼女は既に王都から離れていました。早馬を向けているところです」
「そうか……」
いるはずの存在が一つ欠けていることが不安の影を落とす。
「ところで、シルフィ、そろそろその口調はなんとかならないか」
「……あー、ようやくつっこんでくれたね。いやぁ、一応部下の手前、それっぽくしなきゃいけないじゃん。みんなー、勇者さんのお許しでたから気楽にしていいよー」
シルフィが声をかけると、彼女に随行していた兵士たちも一斉に肩の力を抜き出す。
「隊長、ひどいじゃないですか。いつも話してたのと全然違いますよ。なにが『勇者様は規律に厳しい人』ですか」
さっきまでのいかにもな軍人然とした雰囲気はなく、陽気なやりとりが飛び交う。
「自分、マーカス二等兵といいます。勇者様に会えて光栄であります!」
「あ、ああ、よろしく」
さっきまでの重たい雰囲気などなく、これから向かう先がピクニックのようだった。
「おい、シルフィ、ほんとに急がなくても大丈夫なのか?」
「いまのところ魔物は動き出す気配はないからね。警戒して軍で包囲しているところだよ」
「魔王、じゃないんだよな……?」
心配するオレにシルフィは首を横に振る。
場所は大聖堂跡地。以前に出現した魔物とおなじぐらい強力な個体らしい。
もしかしたら、あの魔物の残骸が時間をかけて再生したのかもしれないという話だった。思い出すのは、マホが放った大規模魔法によっても殺しきることができなかった。
だったら、聖剣をつかって倒すのがいいという結論にいたるのは理解できた。
しかし、疑問にも感じる。あのクルツ神父が魂をこめた一撃をあびて、なおも生き残ることができたのかと。
「ねえ、勇者さん」
思考をめぐらしていると、不意にシルフィが声をかけてきた。
「これが終わったらさ、ゆっくりしない? 報酬もでるらしいしさ」
「なんだよ急に……。ゆっくりなんていままでもしてただろう」
「まあ、そうだね。いつも通りか」
よくわからないまま、シルフィは肩をすくめてみせる。
魔物とは何なのか。その答えはいまだにわからない。
どこから来るのか、目的も、正体もくわしくわかっていない。
ただ確かなのは、ソレが人間を脅かすもの。敵であるということ。疑問に思うより前に、とりあえず倒せばまた日常が戻ってくる。
「勇者さん、準備はいいかな?」
そこはかつてクルツ神父が魔物をつくりだした大聖堂の跡地。瓦礫が残るばかりだったが、その中心にぽつんとたたずむ黒い影を見た。
その姿形は以前のものとは違っていた。
子供がいたずらで幽霊のマネをしてシーツをかぶったようなのっぺりした魔物だった。大きさは人と変わらないが、それが発する圧はいままで相対した魔物とは格が違っていた。
ふきあれる魔力の濃さに気分が悪くなる。
本当にこいつがただの魔物……?
―――『わたしたちが倒した魔王は弱かった』
それを口にした彼女の存在はここにはない。だけど、軍の兵士や魔導院、教会の支援もある。何も問題はない。
ひさびさに握った聖剣の感触。すらりと引き抜くと曇りのない刀身が夕闇を切り裂く。
シルフィとリーリャも武器を構える。
「で、何か作戦とかあるのか?」
「勇者さんが陽動……といっても、倒してくれて構わないよ。わたしも軍もフォローに専念するから」
要するに、こちらで合わせるから好きにしろということらしい。軍の指揮に合わせるなんてやりかたは知らないから、そちらのほうがやりやすい。
先頭に立ち、剣先を魔物に合わせる。
「……いくぞ」
そして、戦闘が始まった。
蓋を開けてみると、その魔物の強さはいままでのものとは違っていた。早いとか力が強いというのとは訳が違っていた。
あらゆる攻撃がとおらない。
相手にとって余裕のある攻撃でさえ防ぐのに精一杯だった。その証拠に、やつが最初に立っていた位置からまったく動いていない。
「くそっ、またか……!」
舌打ちをつきながら攻撃を中断し、防御に回る。
女神のような姿をした魔物も知性のかけらをもっていた。しかし、この魔物は明らかにこちらの意図を読み、対応してくるという異質さを見せている。
もっとも厄介なのは、こちらのやることを予め知っているかのように先回りされることだった。
連携をつぶされたところに後方からの支援がはいり、魔物から距離をとり仕切りなおす。
仲間の二人もやりずらそうにしている。
攻め手に欠けている。こんなときにこそ必要な存在がこの場にはいなかった。
「くそっ、マホのやつはこんなときになんでいないんだ!」
吠えてみるが、あの黒帽子はどこにも見当たらない。
魔物は積極的に攻めることはせずに、不気味にたたずんでいる。
「……二人とも、あれをやるよ」
シルフィの囁く声に応じて、リーリャもうなずく。
何度も繰り返した連携。仲間の気配だけで次の動きがわかる。
リーリャと並んで相手に向かって直線的にせまる。
捨て鉢のような突撃に、相手は反応する。
リーリャが全力ではった障壁が相手の攻撃を散らしていく。さらに、攻撃を加えられることで、ガラスの割れるような音を立てて障壁が砕け散った。
そこまでがすべて囮。死角からせまったシルフィの攻撃がくるはずであった。
唐突に魔物は背後に向けて攻撃を放つ。
「シルフィ!!」
これも読まれていたのか。
しかし、そこにシルフィの姿はなかった。
状況を飲み込めないまま、肩に体重を乗せられた。
あっと思ったときには、オレを踏み台にシルフィが魔物に飛び掛っていた。
魔物にも予想外だったらしく、はじめて動きを見せた。後ろに一歩分跳び退り、振り下ろされたナイフを避ける。
ようやく生じた隙に踏み込み、とうとう魔物の姿を聖剣の届く圏内に捕らえた。
聖剣を振りかぶる。
そして……
それから……
―――違和感
命のやり取りの最中に迷いは致命的な隙を生み出す。そのはずだった。
「勇者さん、どうしたんだい?」
絶好の機会を捨てて、魔物から距離をとるオレをシルフィがいぶかしげに見ている。
次の攻撃をと急かす様子はどこか焦っているように見えた。
お互いの動きが止まり、先に動いたのは魔物だった。
「…………やっぱり、変なところであんたは鋭いんだから」
聞き覚えのある声だった。
そして、魔物を覆っていた黒いもやがその内に吸い込まれていった。
そこに見えるのは魔物の素顔。
まず、見えたのは紅の髪。
同じく紅い瞳が静かにこちらを見ている。
「……うそだろ」
その姿はまぎれもなく―――マホだった……。
 




