39. 第二の物語『魔女の子守唄』
その物語は、ある日村の外からやってきた少女から聞いた話だった。少女のことをその格好から『魔女のおねーちゃん』と呼んでいたが、彼女は怒ることなく苦笑していた。
小さかったわたしは彼女にまとわりついて、色々な話をせがんだ。彼女は博識だった。わたしの知らない話をたくさん教えてくれた彼女は御伽噺の魔女様のようだった。
なんでも願いを叶えてくれる魔女。だけど、いつも悪者で最後には退治されてしまう。
『どうして、魔女が幸せになるお話がないの?』
『魔女はね、とても悪いやつだから。こんな話があるわ―――』
むかしむかし、あるところに一人ぼっちの少女が森に住んでいた。
その少女は生まれたときから他人と違っていた。
彼女が歌えば、木々がよろこび足元で花が咲き誇った。
その歌声を遠く地平の彼方まで風に乗せれば、恵みの雨を降らせた。
『決して人と触れ合ってはいけない』
少女は亡くなった母のいいつけを守り、人と交わらず一人で森で暮らしていた。
ある日、少女は森で一人の少年と出会う。
少年は森の近くに住む狩人だった。
『あの森には魔女が住んでいるから入ってはならない』
少年は村のいいつけを破って森に入った。
父を亡くし、病気の母を助けるための薬代がほしかった。
「おまえが森の魔女か」
とんがり帽子に真っ黒なローブ姿、それは話に聞いていた“魔女”と同じものであった。
警戒する少年は弓を構えながら尋ねる。彼女は不思議そうに小首を傾けながら、ちがうよと言った。
「あなたはだあれ?」
大人たちから聞いていた話と違っていた。言葉を交わすうちに少女が全然怖くないとわかると、少年は肩の力を抜いた。
この日から、少女は一人ではなくなった。
ただ普通の少女として、少年と会っておしゃべりをする日々を楽しんだ。
少年も高鳴る胸に戸惑いながら、心を求め合い絆を育んでいった。
少女は自分の気持ちをぽつぽつと口ずさむ。その声は命の種となり、彼女の周りには色とりどりの花が咲き乱れた。
ある日、少年が暗い顔をしてやってきたことがあった。訳を聞くと、少年の母の体調がよくないらしい。治すには街で高価な薬を使わなければいけなかった。
「悲しい……の?」
少女のきれいな瞳がじっと見上げる。
不思議そうな、そして少し不安そうな、そんな表情をしていた。少年は泣きそうな気分になっていたが、どうにか我慢ができていた。
「治らない……の? 元気になら、ないの?」
少年の悲しそうな顔を見て「あ……」と少女はうつむく。
「あなたが悲しんでいるのを見ていると―――わたしも悲しくなる」
目の前のこちらの反応を怖がるように見る少女に、少年は「ありがとう」と笑ってみせた。
森の中で一人、少女は怖いぐらい真剣な表情をしていた。その瞳の奥にきらりと強い光が宿っていた。
少女は謳った。
初めて言葉に思いを込めて、誰かのために謳った。
次の日、少年は喜んだ顔をしていた。
母がよくなったことをうれしそうに話す少年を見て、少女もうれしくなった。
「もしかして、あれはキミがしてくれたの?」
うなずく少女に少年は目の縁に涙をためる。少女の手を取って、「ありがとう!」と何度も繰り返しお礼をいった。
「キミが魔女なんてウソだよ。こんなにいい人なのに」
少女は母からのいいつけを思い出す。決して人と交わってはいけない。人のために力を使ってはいけない。
そんなことはないと思った。こんなにステキな気持ちにしてくれるのだから。ずっと一人だったらわからなかっただろう。
しかし、彼女の力がささやかな幸せを奪い取る。
その日は雨だった。
天気の悪い日は少年は来ない。
少女は不安に思った。
少年が狩りをしなくてはいけない理由がなくなった。だから、もうここに来なくなるのではないかと……。
少女は謳った。自分の願いのために。
すると、厚く広がっていた真っ黒な雲が吹き散らされて太陽の光が差し込む。
少年が来るのを楽しみに待った。葉ずれの音にまじって聞こえたのは弾むような足音ではなく、がちゃがちゃとうるさい金属の音だった。
重たそうな剣や槍を持ち、硬そうな鎧を着込んだ兵士たちが少女を取り囲む。
「おまえが森の魔女だな。言葉だけで病を治し、雲を晴らす。その力を使って余のために働け」
混乱し怯える少女は少年の名を呼んだ。
その声は距離を越えて、彼の耳に届く。
どこからかともなく聞こえた少女の声。少年が不思議に思っていると、村の外がざわついた。
『領主様が魔女を捕まえたらしい』
これで安心して森の中に入れると、村人たちは安心した。
少年は走った。足に絡みつく草を蹴飛ばす。木の根につまづきそうになりながら急いだ。
いつもの場所。笑顔で駆け寄ってくる少女の姿はなかった。
自分のせいだった。
少女が悪い魔女ではないと、彼女の力を村人に教えたせいだ。
少年は少女の名前を叫んだ。しかし、その声が届くことはなかった。
『何故、神は無欲な人間に望まぬ力を与えるのだろう』
領主の館、決まってその少年は同じ場所で高い塀の上を見上げていた。
そんな少年を見下ろすのは領主の娘。行儀やダンスの勉強で疲れていたとき、ぼーっと窓の外を見下ろしたときに彼の姿を見つけた。
どうしてあの子はあんなに一生懸命に見ているのだろう。まっすぐに、それに、とても切なそうな瞳をする彼のことが気になり始めた。
そうして、少年のことを見続けるうちに、言葉を交わしたいと思うようになった。
でも、最初になんて声をかけようかと悩んでいると、彼が見ているのはいつも同じ場所だと気がつく。
そこは領主の館のはずれに立つ高い高い物見塔だった。分厚い樫の扉には外からかんぬきがかけられて、いつも見張りの兵士が立っている。
父である領主からも、そこには近づいてはいけないといわれていた。
少年が気にしているものはなんだろうか?
それを彼の前にもって行けば、彼も興味を持って話しかけてくるのではないか。
少女は見張りの兵士に頼み込み何とか中に入れてもらおうとした。しかし、兵士も困り顔になる。ここには誰も通してはならない、と言われていた。
少女は意地になり、どうやってでも入ってやろうと思った。
物見塔の周囲をぐるりとまわっていく。日が当たらないじめじめした場所、壁にぽっかりと穴が空いていることに気がつく。
大人ではもぐれないが、子供なら通れるぐらいの穴だった。頭をつきだし中をのぞくと、薄暗い階段が上に続いていた。
肩を押し込み、引っかかるスカートの裾を引っ張る。中に入った。ぐるぐると続く螺旋階段を登っていく。かつんかつんと足音が反響している。
足を上げるのに疲れを感じた頃、扉が見えた。
ようやく一番上についたのだと、扉を勢いよく開いた。
そこは冷たい石を組んだ壁と床が見えるだけの部屋だった。物見のための窓は、すべて分厚い板で閉じられていた。板の隙間からわずかに日の光が入り込むだけで薄暗かった。
目をこらしていると、隅の方でぽつんと一人の少女が膝を抱えてうずくまっていた
透き通るような白い肌、流れる金髪が暗闇でぼんやりと光っている。とてもきれいな少女だった。
人の願いを唄にする少女。
それはこの世を映し出す。
それは醜いものと悪意を映し出す。
「ねえ、あなた。あそこに行きたいんだよね?」
不意に話しかけられ少年は、領主の娘にいぶかしむ視線を返した。彼女の格好は平民には手の届かない仕立てのよいものだった。
「わたしはここの娘なの。連れて行ってあげるわ。秘密の抜け道を知っているの」
祭りの日の夜は、館の兵士も街の見回りで忙しくなる。その日を狙って忍び込めばいいと、ひそひそ声で教える。
街から聞こえる祭りの音が二人の足音を消す。
「こっちよ」
少年は案内されるまま物見塔の裏側にやってきた。ぽっかりと空いた穴が見えた。
「その先を上って行けば、あなたの会いたいひとがいるはずよ」
「わかった。……ありがとう」
それまで警戒していた少年だったが、心の底から領主の娘に礼をいった。
穴の先に消えていく少年を見送ると、娘から表情を消える。少年が消えた穴を一度振り返ってから、見張りの兵士がいる場所へと向かっていった。
少年は数年ぶりに見る少女を前に立ちすくむ。
声を震わせながら少女の名を呼んだ。
少女は伏せていた顔を上げると、彼女の顔に驚きと喜びが広がっていく。
「ボクのせいでごめん……。今度は絶対に守るから」
少年は涙を流しながら少女の体を抱き寄せた。少女も少年の存在を確かめるようにしっかりと背中に手を回した。
しかし、その幸せは数刻ももたなかった。
乱暴に開けられた扉から兵士たちがなだれ込む。壁に追い詰められ、少女をかばい前にでる少年。
兵士の大きな手によって無理やりに引き剥がされる二人。
「小僧よ。その力は世界を変える力だ。貴様だけのものにしていいわけがない」
鋭い刃が少年の胸に向かって突き出された。
「―――っ!」
少女は数年間閉ざしたままだった口を開き叫んだ。
館は火の海と化し、祭りは災厄へと変化する。
恐怖を生むものに恐怖を。
少女は謳った。心の闇を謳った。
それは人々を闇で覆う。永遠に嘆き怯える闇となる。
彼女の声が響く。それは絶望で飲み込まれていた。
彼女の唄は続く……。暗い廃墟で謳う……謳い続ける……。
彼女は闇の中で生き、暗い世界しか知らなくなった。
わたしはあなたの子守唄。
この手が触れ合えなくても、この声が届かなくても。
わたしはここにいるよ。
わたしはあなたのそばにいるよ。
ずっと、ずっと……ずっと…………。
少年の魂に安らぎをと願いながら、静かに謳う少女の声だけが闇の中で響いていた。
その話は幼い自分にとってはあまり面白い話ではなかった。
だけど物語を語り終えた少女の表情はひどく印象に残っていた。悲しい結末のはずなのに、これでいいというように満足げなものだった……。




