20. 少女のただ一つの願い
戦いながら状況の把握を急ぐ。
闇夜の中でどこに何体が徘徊しているか、まるでわからないこの状況は恐ろしく危険であった。
それでも、孤児院に近づけさせるわけにはいかない。
一振りごとにごっそりと体の中から何かが抜け落ちていく感覚がやってくる。
敵の状況と自分の状態の確認を欠かさない。聖剣を振り続けられる時間は刻一刻と減っていくのを感じていた。
まだ、大丈夫……まだ……。
どこかで音がはじけた気がした。眠りの浅い子供は頭を起こし、不安そうに周囲を見回す。悪い夢を見て、飛び起きるのを繰り返すうちに熟睡ができなくなっていた。
暗い部屋の中、手探りでドアにたどりつく。
がちゃりと、音を立てて扉が開いた。
そこにはいつも自分たちが走り回っている庭が広がっているはずであった。
月光を背に受けて何かが黒々とそびえ立っていた。
影に覆われた、何かが振り返った。
「あ、あぁ……ひぃあああぁぁぁああっ…………!」
子供の悲鳴が響き渡る。
同じ部屋で寝ていたロームは尋常ではない叫び声に飛び出す。そして、ありえない光景を目にした。
「ま、もの……どうして……こんなところに」
いなくなったはずのリーリャの姿がそこにあった。
魔物に囲まれ、一人で剣を振るい続ける彼女には余裕が見えなかった。
怖い……。
自分がいかに安全な場所で生きていたのかを思い知る。
すぐ目の前にリーリャがいる。そこは戦場であり殺し合いの場所だった。人間など一瞬で死体に作り変えるような威力が飛び交っている。
「ローム、子供たちを中に避難させてください!」
鋭い声にはっと顔を上げる。
およそ10年という期間で得た経験から、自分がとるべき行動を必死に考える。思い出す―――勇者であるヒイロから聞いた言葉を。シルフィから教えてもらった内容を。そして、リーリャのことを……。
「おまえら! 中に入れ! だいじょうぶだ、ねえちゃんががんばってくれてる!」
目の前の恐怖に凍り付いていた子供たちは、いつも通りのロームの大声に反応する。彼は自身の恐怖を押し込んで、無理やりに笑って見せた。
落ち着きを取り戻していく子供たちを見て、リーリャはそっと笑みをうかべる。
残り4体。建物に近づけないように倒しきればいい。
あと、3体……もう少し……まだ、まだいける。
彼女の魔力はほとんど残ってなどいなかった。それでも、命の火を燃やしながらかろうじて立ち続けている。
荒い息をつき、体をふらつかせる彼女は重病人のようであった。
途切れかけた意識の外から魔物が近づく。
せまる脅威を感じて体を動かそうとした。避けることも間に合わない。なによりも足に力が入らない。
魔物の腕がせまり、とっさに倒れこむようにして回避を試みた。直撃を避けたがかすめた衝撃が彼女の体を吹き飛ばす。
無様に地面を転がりながら、その勢いを利用して距離をとる。その手には剣を握ったまま、戦う意志は折れない。
だが、その命を削る戦いを見ているものにとっては違って見える。子供たちの恐怖の受け皿は、縁ぎりぎりまで一杯になっていた。
思い出すのは、暖かいものが冷たくなっていった感触。菓子の包み紙を破くように、簡単に人間が死体になっていった。
「やだ……いやだ……おかあさん……おかあさんっ!」
「ばかっ、もどれ!」
忘れていた恐怖を呼び戻された子供の一人ががむしゃらに走り出した。
もつれた足をひっかけて地面にころがる。慌ててロームが追いかけるが、魔物は新たに現れた二人を知覚していた。
足元に転がった小さな生命をつぶそうと足をあげる。
「ぐ……あっ……ああぁっ……!!」
かすむ意識をつなげとめるようと雄たけびが僧侶の口からほとばしる。
残された魔力をふりしぼり聖剣を振るった。剣閃が魔物の足を斬り飛ばし、その体が夜の空気に散っていく。
「…………あっ」
それっきり糸が切れた人形のように、僧侶は地面に倒れ伏した。
元々白いその顔がいまは紙のように血の気を失っている。呼吸も荒く、寒さの震えとは別に何かに耐えるように痙攣していた。
意識は焦っている。しかし、ぴくりとも動かなくなった指先からとうとう聖剣がこぼれおちる。
まだだ……まだ……終わっていない……。
「ねえちゃん、なにやってんだよ。早く逃げないと!」
かすむ視界の中で、ロームが子供を助け起こしている様子が映る。
そんな二人を覆う黒い影。
止めなくては、と思うのに体が動かない。悪夢の中の光景のように、目の前の景色はゆっくりと残像を描いている。
初めて神様に祈った。
見てくれているだけでそれだけでいいと思っていた相手に祈った。
―――助けて
今まさに二人の命がすりつぶされそうになる様を、神父は満足そうに眺めていた。周囲に控えている部下たちに合図を送る。
「いままでで一番持ちましたね。失敗作にしては予想外の成果です。もう少し子供の死体が増えたら、魔物の掃討を開始しますよ」
しかし、その顔を照らしたのは炎の華だった。
続けざまに、ぎりぎりまで収縮された炎の礫が魔物の体表に孔を穿っていく。
よろめく魔物の体。
影が魔物へと肉薄し、闇夜の中で鋭い切っ先が振り抜かれる。
残光のあとには、大きく切り裂かれた傷が残った。
ぐらりと傾く魔物の体にさらに魔法を叩き込む。
千切れかけた魔物の断面に割り込むようにして叩き込まれた爆裂が、魔物の肉体をさらに数百の破片に引き裂いた。
かすむ意識の中でリーリャは視線を上げる。
「無事か?」
一振りの剣を携えて魔物に立ち向かう少年の姿が、彼女の瞳に映っていた。
 




