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19. 『僧侶』の始まり

 深い森の奥に、その朽ちかけた教会はあった。

 目的はしらなかった。そこには、食べるのに困った子供たちが集められていた。


 寝て起きる部屋にはそれ以外の用途がないがらんとした空間だった。まるで牢獄を連想させるが、雨露をしのげて周囲を警戒することなく眠ることができるなど、いままでの生活と比べるとかなりましといえる。


 少女がいつからそこにいたのか、一番古い記憶をあさってもわからない。この古びた教会の中ですごすことが当たり前になっていた。

 床も天井もすべて灰色、亀裂の隙間からみえるわずかな青、それが世界のすべてだった。

 外界との出入り口は分厚い鉄の扉が締め切られ、常に武装した大人が睨みをきかせている。

 

「何度言えばわかるのですか、私の手を煩わせないで下さい」

 

「……ごめんなさい」

 

「痛いですか? 苦しいですか?」

 

「………ごめんなさい」

 

「道具は痛みを感じないはずです。さあ早く立ちなさい」

 

 土まみれになりながら、手に持った剣を支えにふらつく体を起こす。

 

「醜い姿をさらさないでください。確認しますよ、野垂れ死に確定のあなたを拾って育ててあげたのは誰ですか?」

 

「……先生です」

 

「よろしい、あなたは私に従っていればいい。感情も意志もいりません。あなたはこの剣と一緒ですよ。ひとではない、ただの道具になりなさい」

 

「……はい」

 

 機械的にうなずく少女をみて、それでいいと笑みを向けてくる。

 殴られると痛い。だけど、痛いを嫌いにつなげられなくなって、平気になっていった。

 

 目的も理由もわからない訓練の中で、自分と同じ境遇の子供たちの存在が救いだった。ボソボソの硬いパンと薄いスープを前に、同じ食卓を囲う。このときだけは、他の子供たちもうっすらと笑みをうかべていた。

 

 子供たちは自身を『道具』だと教え込まれた。

 ここでつくられた道具、だから、以前の記憶がないことを不思議だと思わなかった。どんな扱いを受けても『道具だから』とだけ思った。

 そうして、自分たちの命を意識することはなくなった。

 

 最初からいた子供たちはだんだんとすくなくなっていった。

 傷の痛みを気づかってくれた優しい子も、外の世界のことを面白く話してくれた年上の男の子も、いつも悲しそうな顔で声を震わせていた女の子も、みんないなくなった。

 さよならをいったことはない。

 姿を見なくなったとき、もう二度と会うことはなかったから。

 

 とても悲しかった。もう一緒に笑いあうこともできない。

 残っているのは物言わぬ冷たい石像だけだった。

 なにがあってもいつも穏やかな顔をした女のひと、それが『神様』だと聞いた。

 

 少女は祈りのために手を合わせることもせずに、ただ見上げる。

 育ててくれる親がいなくても、友達もいなくなっても、どこかで誰かが気にしてくれているひとがいる。女神像を見ているとそんな気になれた。

 

 でも、目の前にいるのはやっぱりただの石像だった。

 

「やれやれ、あれだけ用意したというのに、残ったのは一番の出来損ないですか」

 

 一人残った少女には何の感情も湧きあがってこなかった。いつからか何かに期待することをやめた。

 

「喜びなさい、ようやくあなたが使われるときがきましたよ」

 

 神父は嬉しそうに言う。

 

 ―――魔王が現れた、と

 

………………………………………………

………………………………

………………

 

 感覚の端に引っかかるものが追憶を停止させる。

 体がさび付いたように体がうまく動かない。おそらくは連日の魔力の使いすぎが原因だろう。握っているだけで魔力を浪費していく聖剣を振るい続けた代償だった。

 

 顔をあげ、周囲を見回す。

 かつて一緒にいた子供たちの姿はない。

 またこの廃教会に戻ってくることになるとは思わなかった。

 

 ノックが聞こえ、返事を聞くまでもないと扉が明けられる。

 

「つぎの『仕事』の準備ができましたよ。あなたの働きぶりは上からも評価されています。あなたの将来は任せてください」

 

 クルツ神父は穏やかな微笑をうかべながら言う。一見するとその表情は、信徒達の前で説法をするときと同じものだった。しかし、リーリャを見下ろす瞳の奥には何の感情も灯っていない。

 リーリャは黙ったまま神父の視線を受け止めるだけだった。

 

「どうしましたか? ずいぶんと感情的ですね。もしや、良心の呵責に苛まれているのですか。戦いのための道具がずいぶんと人間らしい表情をするようになりましたね」

 

 最近よく思うようになった。

 このまま、使い潰されても次が用意されるだけだ。

 だったら、この計画自体が無意味であると思わせることができたら―――もしも、自分が魔物に簡単に負けたら。なにもできずにみじめに殺されたとしたら。

 

 逃げることができないのなら共に滅びるまでだ。

 

「なにか考えているようですね……。ですが、これが終われば一区切りつきます。あなたの仕事は終わりです。約束しますよ」

 

 解放を告げる言葉。しかし、喜びよりも不信感の方が強かった。

 

 人目を避けるように中央通りから一本それた裏路地を通っていく。表通りからの光が届かない建物と建物の間をすすんでいく。視界を照らすのは空から降り注ぐ月と星の光だけだった。

 その道はリーリャにとって見覚えのある店ばかりが並んでいた。昼間であればにぎやかな声もなく、閑散とした印象が澱んでいる。

 

 そして―――

 

「…………どうして」

 

 もう遠い記憶のように感じられる懐かしい場所にたどり着いた。

 闇夜のなかで蠢くいくつもの異形の影を見た。

 眠りの底に落ちている街中で、いまは何も起きていない。

 

「どうして、孤児院に……!? 話が違います!」

 

「なんのことですかな。魔物の発生をわれわれが操っているとでも? いつも通り、街を脅かす魔物を滅ぼすことがあなたの仕事ですよ」

 

 問答をしている間にも魔物たちは孤児院に迫っていく。数が多い。

 

「いいのですか? あなたの大事な大事な子供たちが犠牲になりますよ」

 

 リーリャは決してクルツ神父のことを信用することはなかった。約束など守るつもりもないのも予想できていた。



 しかし、結果は―――見てのとおりである。


 

 駆け抜け、聖剣を抜き放った勢いのまま一閃を放つ。

 結果を見るヒマもなく、次の魔物へと向かっていった。

 

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