清水FCエスプレッソ
大内義隆の衆道趣味は史実です。
ザビエルに非難されてキレました。
清水FCエスプレッソ。
麻呂の所属するこの団体は所謂えれべーたーくらぶ、であり、名門であった過去からすると落ちぶれた者達である。
かつては隆盛を誇った者が転落する。盛者必衰の理はどの世界にもあるものでおじゃる。
「(織田殿が現代を生きておられたらどのような世界になった事か。)」
まず羽柴殿のような事になるであろうが。
竹千代が作りし泰平の世にはならなかったであろう。
現代の泰平の世もまた竹千代が基礎を築いたもの。竹千代の血族、朝廷が血を流して現代の平和を謳歌しておるのだ。
麻呂はそこに尊敬の念こそ抱きはすれど貶めるつもりはない。
清水FCエスプレッソに話を戻す。
清水FCエスプレッソのジュニアユース。麻呂は中学一年生にしてえーすなんばーとやらの10番を背負っておる。
これは特例的な措置のようだが、麻呂の鞠さばきを見て監督が決めたそうだ。
麻呂の同い年には工藤常光という麻呂にも負けぬ者もおるのだがな。
この者のぽじしょんは麻呂と同じDMF。
麻呂が類い稀な鞠さばきを武器に攻め上がるのに対し、工藤の武器は守備などのうまさ。
技術は麻呂に敵わぬとしても非常に使える者であり、麻呂はもしも誰かと組めと言われたらこの者と組む。
次にFWの柳田真二。
この者はちーむのえーすすとらいかーというものであり、ちーむの柱である。
この者の槍働きによりちーむが何度窮地より脱した事か。同世代一のFWであり、ちーむの二年生えーすである。
麻呂の目から見て目立つ選手はその程度。
あとは十把一絡の有象無象ではあるが、このような状況ではちと不安も残るであろう。
麻呂が鍛えねばなるまい。
力なき者達でも戦略を巡らせば勝てる。
それは我が父義元が討たれた桶狭間の戦いなど歴史が示した事実だ。
とはいえど我が身はしがない最小学年の者。
ここで不遜な行いに出れば今川の二の舞でもある。輪の中での実力なき者に誰か付いてくるほど世の中甘くもなく、また麻呂に全員を引っ張る力はない…悲しい事に。
しかしながら麻呂には個人としての天与の才を預かった。麻呂が実績を残し、麻呂の力でちーむの勝利に貢献していけば麻呂の力はいずれか認められるであろう。
その時までは時を待つ他は無い。
じゅにあゆーすの大会の全国大会というのは年に一度、そしてそれ以外ではりーぐ戦を戦う。
総当たりの戦いであり、成る程これは軍団の力を測るにもってこいの戦いの仕方だ、と納得したものだ。
我ら清水FCエスプレッソと同じりーぐにいるのは同地区の好敵手、ジュエル磐田。
かつては三冠を成し遂げるなど日の本屈指の強豪であったが、新陳代謝の激しい世界の中で我ら清水FCエスプレッソと同じくえれべーたーくらぶと化してしまったちーむである。
このちーむのじゅにあゆーすに見るべきものはいない…まぁ麻呂の目から見て、ではあるが。
当面はこの磐田に負けぬようにするのが目標であろう。
我が清水FCエスプレッソジュニアユースは言っては悪いがその程度の軍団なのだ。
「麻呂のいる所はいつも逆風ばかりよの。」
久しく出た昔の言葉は単なる愚痴…。
だが、今川のように麻呂の代では潰さぬ。
いや、麻呂の力で日の本一のユースとする事が目標でおじゃる。
ーー
この時代、剣の道場もあり、麻呂も気分転換に時折剣を振るっておる。
この時代の剣。
それは麻呂の生きていた時代からすると随分と洗練されており、また一つの流派が主であるのか剣術の形はどれも同じ。
「(義輝様は不満しかあるまいのう。)」
確かに剣術は洗練され、技術の上では麻呂達の時代とは比較にならない。
だが。この時代の剣術と麻呂達の剣術には決定的な違いがある。
それは殺気。
相手を殺さねば生きられぬ、という状況に陥った時、剣術というのは生きる為の手段の一つでしかない。
剣術、体術、槍術、馬術。
この四つがありてこその兵であり、どうにもこの時代の剣術は剣術のみに特化し、体術や槍術を軽んじておる。
別にそれはそこまで悪い事でなく、これこそこの時代の豊かさの象徴であるのだが。
しかし我が師、塚原卜全に言わせるならば棒切れを持った踊りと酷評する事であろう。
同門であった義輝様も同じくであろう。
しかし麻呂はこれはこれで悪くはないと考えている。
「おめぇーん!」
麻呂の面が相手の面を打つ。
一本の旗が上がり、勝負あった麻呂は面を脱いで風に当たる。
「氏真の奴反則だろ、サッカーも天才級に上手くて剣道も強いなんて。」
周囲の妬む声が聞こえるが…麻呂程度の剣でそう言っていては義輝様や卜伝様を相手にした時に死ぬ目に遭うぞ?
他は大内殿の名を聞く。
大内殿は元々向学心のお強い方ではあったが、今はその向学心から難関私立学校と呼ばれる麻布へと行かれ、そこでも成績上位の生徒として名高い。
…彼の性癖については…問うまい。全寮制の学校でそのような不祥事の伝聞を聞かぬというならそれでよし。
麻呂も成績は悪くはない。
が、大内殿と比較されては困る…というくらいである。
義輝様も京へと向かわれ、京の学校で剣道の選手として頭角を現しておられる。
生きた世代は違えど、こうした自分と同じ身の上の人間がまたこの世界で若くして頭角を現している事は喜びでもあり、重圧でもあり。
いつの時代も変わらぬ月の光を見ながら麻呂は早川殿と竹千代の面影を見つけ、ひとつ溜息を吐いたのであった。