無能は本当に無能だったのか
戦国時代に家を潰したり無能の烙印を押された武将達のストーリー。
戦国時代。
それは弱肉強食の世界。
家を潰し潰され、様々な思惑の蠢く修羅の世界である。
麻呂はかつて今川氏真と呼ばれた男。
海道一の弓取りと呼ばれし父義元の跡を継ぎ、武運無くその後を文化人として過ごした者におじゃる。
現代の日の本に一幼児として再び生を受けた麻呂ではあるが、四百年近く眠っている間に世の中は全て様変わりしておった。
麻呂の常識では測り得ぬ鉄の猪に農地を走る鉄の馬。
てくのろじーとやらの進化に戸惑った麻呂ではあるが、そこは戦国一の鋼メンタルと呼ばれた麻呂。すぐに己をあじゃすとし、この世界に相応しいよう自らを律した。
だがこのような奇跡が起こるのは麻呂のみと自惚れる程に麻呂は自分を高く評価はしていない。
麻呂と共に幼稚園とやらに通った先には周防国の大内義隆殿が。
小学校とやらには室町幕府13代将軍足利義輝様がおられた。
「我は生前修められなかった学業の道を極めたい。今の時代は明などと比較にならぬ学業の宝庫である。」
大内義隆殿はそう言い、足利義輝様は
「この平和な時代に剣は不要であろうが、余は剣に生きるしかない。」
と言われていた。
そして麻呂はーーーー
「オーオーオーオーオオオオー!」
生誕の地のほど近く、清水FCエスプレッソのジュニアユースに所属する一蹴鞠の選手となった。
大内殿と学問の道へ進むのも、足利様と剣の道を極めるのも趣のあって良い事であったが、生前蹴鞠を極めていた麻呂は学校…麻呂の時代でいう寺子屋ー
そこで天才少年、ONOの再来など言われ、こうしてぷろの下部組織の一員となったのであった。
和歌百般に通じ、武芸の道を嗜んだ麻呂にとってこの世界は優しい。
こんな麻呂の生活にもいくつか足りぬものがある。
それは。
幼き頃からの親友、竹千代の存在と我が最愛の妻早川殿の存在だ。
竹千代とは今川の人質時代から親交があり、今川を潰してしまった麻呂にすら息子の教師をやってほしい、と申し出てきた程の交わりであり、早川殿は不甲斐ない麻呂に終生共にいてくれた。
麻呂にとってかけがえのない存在…。
天才ともてはやされ、女人にそれなりにモテる麻呂が親友と呼べる存在や恋人を作らぬのはこの一点に尽きる。
「氏真、ボールボーイだからな、今日!」
「心得ておる。」
一軍の試合での周りの世話も我らジュニアユースの仕事。
戦国の頃よりこの辺りの仕事はお手の物だ。
試合の後にこの世界の父母が麻呂を迎えに来る。
父は役所に勤める公務員。母は医療に携わる看護士。
世間一般にいう中流家庭のごく平々凡々な当たり前の幸せな家庭。
…言っては悪いが、我が父義元にくらぶれば当然の如く甚だ見劣りしてやまぬが、我が父は海道一の弓取り。
そのような人間と比する者がそうそうにいるはずがない。それは学業の師も同じく太原雪斎僧であればこのように回りくどく分かりにくい説明などせず、もっと簡素にわかりやすく教えるであろうな、と軽い失望に見舞われた事もあった。
だが…この二度目の生が天の示した配剤としても天は麻呂に何の天命を与えたのか。
大内殿は学問の、義輝様には剣の。
それぞれに与えられた天命というのは分かりやすいくらいだが、麻呂には何の天命が下されておるのか皆目見当がつかない。
麻呂に与えられし二度目の生の天命。
それは蹴鞠の道であろうか。