1 郷田川義治の日常は崩れ去る!
いつもの放課後の教室。
窓から夕日が差し込む誰もいないこの空間が僕は好きだ。
ただ永遠に続くかに思えるそのような時間はある日突然崩れ去るものだ。
そう、今僕の目の前で床に倒れているこの女性が現れたように……。
「…………」
「……そろそろ退いて貰えると嬉しいんだけどな」
「あ、ご、ごめんなさい!」
女性のこの言葉で僕はすぐさま彼女に覆いかぶさっていた状態から飛び起きた。
彼女は僕が通うこの学校、常陽学園1年の中で1番、いや学園全体でも見ても確実に1番といっていい容姿を持つ鳳樟院楓……!
入学当初から話題に尽きることのない学園の王女。
そんな相手に根暗オタク男子のこの僕がこんな真似をしたことが知れたら……。
そうなれば間違いなく学園の男子、いや学園全体を敵に回すことになるだろう。
僕が立ち上がると、彼女も立ち上がる。
だが何故かその表情は、怒っている様子ではなく笑みを浮かべていたのだった。
──こうなる少し前
「あぁ、今日もやっと終わった! おい、みんなでこれから駅前に遊びに行かないか?」
「お、いいね! 俺もう腹が減って死にそうだ」
この日も授業が終わり、周りのクラスメート達はそれぞれの時間を過ごすため足早に教室を後にし始めた。
無論、僕に話しかける奴は一人もいないのだが。
僕の名前は、郷田川義治。まるで戦国武将みたいな名前なのことは触れないでいただけるとありがたい。
僕はクラスに1人はいる、いわゆる根暗男子というものだ。
だけどそのことを卑下するつもりはない。僕は過去のあるトラウマから3次元の人間が苦手なのだ。特に美少女というものには恐怖すら覚えてしまう。
だから僕は表情を見られないように前髪で顔を隠し、出来るだけ目立たず生活をするように心がけているのだ。
そのお陰?か、入学から2ヶ月程経った今でも連絡事項を除いて誰かに話しかけられることは皆無。
ただ、何事にも例外はあるけど……。
「おい義治! もう授業終わってんぞ。いつまでもそんなところにいないで一緒に帰ろうぜ!」
「……僕はいいよ。てか、翔は野球部の練習があるからどうせ一緒に帰れないだろう??」
「へへへ、まぁそうだな! どうせ断られると思ってたからからかっただけだ。それで今日もしばらく教室に残るのか?」
「そうだね、なんかこれが日課になってるんだよ」
「……かぁ~。全く、お前みたいな変人は生まれて初めてだぜ! まぁ暗くならないうちに早く帰れよ!」
「うん。翔も練習頑張って」
「おう!!」
そう言って右手を上げると、翔は笑みを浮かべながら教室を後にした。
彼は陽田翔。先ほど言った僕の中の例外だ。
入学すぐにあった自然学校で僕と宿泊施設の部屋が一緒になったのがきっかけで仲良くなった唯一の友人。
彼は整った容姿に180以上はある長身。さらに1年生にして野球部のレギュラーになったという絵に描いたようなリア充。
当然友人も多く、翔に好意を寄せる女子も少なくないだろう。
ただどういう訳か翔は僕と時間を共にすることが多々ある。
あまり人目に付くようなことは避けたいんだけど、翔には不思議と僕も気を使うことがないためにこのような関係がずるずると繋がっているのだ。
「……何故か気が合うんだよなぁ。普段の立場は正反対なのに」
しばらくして僕以外誰もいなくなった教室の中。
窓際の一番後ろの席、まぁここが僕の席なのだがそこから運動場に視線を向けると野球部、サッカー部と多くの運動部が汗を流していた。
翔の奴、頑張ってるなぁ。そう言えば地区予選が近くなってきて頑張らないとって言ってたっけ。
いつもと変わらない風景。その風景を見つめていると制服の右ポケットに入れてあるスマホが震える。
「……なになに、今から部室に来い? 今日は部活は無いはずじゃなかったっけ?? ……はぁ、多分また部長の気まぐれだろうけど、行かないと後がめんどうだしな」
スマホの画面に映される文字に、僕は机に掛けてあるリュックを掴むと先ほどよりも夕日が差し込み始めている教室を後にしようとした。
だが教室の扉をいつものように開いたその時、現れた人影に気づくのが遅れ勢いよく床へと倒れ込んでしまったのだった。
……痛てて、この時間に人がいるなんて思わなかったから反応が遅れた。
ん? なんだこの右手の感触は……。それにこの匂いは、じょ、女性の……!
その通り、僕の目の前に倒れていたのはこの世で1番関わりたくない存在。
それもただの女子ではない。とびきりの美女だったのだ。
しかも彼女の胸に触れてしまうというおまけつきだ。
終わった……。これが知られると僕の学園生活は……!
「……そろそろ退いてくれると嬉しいんだけどな」
胸を触られていることに気が付いた彼女は顔を少し赤らめながらそう呟く。
な、何をしているんだ、早く手を退けるんだ僕! そして立ち上がれ!!
「あ、ご、ごめんなさい!!」
僕は勢いよく立ち上がり、同じく立ち上がった彼女に恐る恐る視線を向ける。
嬉しいことに彼女に怒りの感情は見られない。
ただ笑みを浮かべていたのだ。
「………し、失礼します!! あとさっきはごめんなさい!!」
「あ、ちょっと待って……」
僕は彼女のその表情に、勢いよく頭を下げ教室を後にした。
彼女は何かを言って廊下まで追ってきたがそんなことは関係ない。
ここで逃げなければ! ただその思いだけが頭を支配していたのだ。
「……僕の学園生活はこれでお終いだぁぁぁぁ」
その声は虚しく校舎の中に響き渡った。