⑤
「まずこのカカオの実からじゃが、いや、ほんと巨大じゃのこれ……とにかくカカオの実、カカオポッドと呼ばれる外の白い実を剥いて中のカカオ豆を取り出しローストする。外皮を剥き、潰して胚芽を取り除く。工程は面倒じゃが細かくしっかりの。異世界ごほんごほん……とある伝手で手に入れたカカオバター、ココアバターとも呼ばれるものを入れボウルに移して湯煎しながら混ぜ、馴染んだところで粉砂糖を入れる。ザッハトルテに使うから少し苦めでよいじゃろ。あとはテンパリング、最初に全体が溶けるまで温度を上げ、その後二十八度から三十一度くらいで安定させる。乳成分の割合で温度は変わるが、今作っておるのはこれくらいじゃな。テンパリングはやり過ぎると食感がザラザラになるから手早くの? とまあこの工程を自動人形に任せてと」
「いやいやいや」
「ん? 何か問題があるかの?」
チョコレートから作る場合は言う通りに動く人手が欲しい。食挑者五人組も考えたが、あやつらがどれだけ出来るか分からんし、ジュジュのワガママじゃからの。
こうやって土魔法と創成魔法の合わせ技で自動人形を作り助手にしておるが、バーバリーは文句でもあるのかの?
「……一つ聞くが、自動人形は人のサイズに近づくほど作るのが難しく、調理補助なんて細かな命令をこなせるものは一流の魔法使いじゃないと作れないのは?」
「……知らんかった。ジュジュはお菓子の事なら多くを知っとるがそれ以外の事はあまり興味がなくての」
「そういう問題じゃないんだが、いや、もうこれ以上何か言うのは野暮だろうぜ。ああ! 楽しみだなジュジュアンさんの菓子!」
半ばヤケクソ気味に叫んでおる気がするが、色々と突っ込まんでくれるのは面倒がなくて良い。
チョコレート作りは自動人形に任せて、ジュジュはもう一つのほうに取りかかる事にしよう。
「ずんだ餅、ニッポンのトーホク地方の郷土料理として有名なお菓子じゃ。中の餡子にはさまざまな豆を使うが、ソラ豆を使う餡子もあるので今回はそれじゃな。まずソラ豆を湯がいて薄皮を剥き、潰してペースト状にした後銅鍋に移す。水、砂糖を入れ焦げないように注意しながら混ぜていき、水分が飛んで程よい固さになったら火を止め水飴を少し入れ、混ざれば完成じゃ。冷ますためにパッドに移してと——お、チョコレートも出来たようじゃな」
ジュジュが手を叩くと地面がモコモコと盛り上がり自動人形の二体目が姿を現わす。ずんだ餡は出来たので、餅のほうをそいつには作ってもらう事にしようかの。
さすがにギルドももち米までは用意しておらんかったのでこちらで用意し(セバスチャンに言うと一分弱でダイフクまで行き戻ってきおった)、それを餅にする。
本来は一晩水に浸けなければいけないが、魔法で水に浸けたもち米の時間を一晩分加速させたから大丈夫じゃろ。
いつもは調理に魔法を使うのは意に反するのじゃがな。時間もかかるし致し方ない。
「餅はザッハトルテの生地を焼き始めてから蒸すようにの。あ、チョコレートを作ったおぬしはオーブンの温度を百八十度で予熱しておいてくれ。それが終わったら卵白を混ぜてメレンゲ作りじゃ」
テンパリングが終わり滑らかになったチョコレートは湯煎にかけられてボウルに入れてある。あまり温度を上げ過ぎるとこの後混ざるバターが溶けるから注意じゃな。
「バターをボウルに入れホイッパーでクリーム状に混ぜ、そこに湯煎しておいたチョコレートと砂糖を加える。馴染んだら卵黄を三回〜四回に分けて混ぜ合わせ、それが馴染んだら——おぉ、丁度いい時にメレンゲが出来たようじゃの。メレンゲに数回に分けて入れ、ゴムベラで底からしっかり混ぜる。ここはあまり綺麗に混ぜずマーブル状になれば良いぞい。用意してあった薄力粉を粉ふるい器にかけながら加え、潰して空気を抜かぬように注意しながらキッチンペーパーを張った容器に入れ、オーブンで三十五〜四十分ほど焼く。竹串を刺してくっ付いてこなければ焼き上がりじゃ」
オーブンで焼くのに結構時間がかかるので、その間にとアンナが食挑者証を持ってきてくれた。冒険者と同じで食挑者もランクがあり、EランクからSランクまで用意されておる。ただSランクでも飛び抜けて強く優秀なものはEXランクというものに上がり、その発言力は小国の王族レベルだとか。まぁ、ジュジュは積極的にランクを上げる気はないので関係ないの。
食挑者試験を受けたのは人族の管理しておる魔境や森にスムーズに入る為じゃ。無資格者が勝手に入れば密猟と見なされるからの。人族に生まれたのなら人族のルールは守らねばならん。
「ではこのカードに一滴でいいので血を垂らしてください——はい、これで登録完了です。今からジュジュアンさんはEランク食挑者です、今後精進を重ね、目指せ憧れEXランク! ……です、はい」
多分試験に合格したものにはそう言う決まりなんじゃろうが、尻すぼみになった声を聞いてさすがにジュジュも申し訳なく思ってしまうぞい。うーむ、次からはもっとしっかり手を抜かねばな。
「あの、そちらのお二人は試験を受けないのでしょうか?」
「最初は三人ともと思っておったが、ジュジュが食挑者証を持っておれば要らんじゃよの。二人はどうしたい?」
「私はアマオウ様のご命令に従います」
「面倒くさいんなら私はパス。すぐに終わるんなら取ってもいいけど、けど私は料理なんて作れないわよ?」
そうじゃの。この二人は料理など作れるわけもないから試験は間違いなく落ちるじゃろう。となると二人に食挑者は無理か。
「でしたら冒険者試験はいかがでしょう? 有望な冒険者はギルドとしてはいつも募集しておりますし、場所によっては高ランクの冒険者しか入れないところもあります。お仲間に冒険者が一人いるだけで動ける範囲が広がりますよ?」
「最初の時と違って優秀そうに見えるのおぬし」
最初の時はちょっとおかしな子と思っておったが訂正しておこう。皆がジュジュの実力に引き気味の中こうやって言えるのは素直に感心する。
「セバスチャン、冒険者試験を受けるんじゃ。依頼は基本的に魔獣の討伐や採取依頼しか受けんようにすれば良いじゃろ」
「分かりました、ではギルド長殿よろしくお願いします」
「俺が試験官をする感じかこれ? 身体の動かし方や気配の隠し方とかで、かなり出来る人とは思ってたが……俺も引退したとはいえ冒険者の端くれだ。強え奴とはやってみたいもんでな。試験方法は模擬戦だが、遠慮なくいかせてもらうぜ?」
「お手柔らかにお願いします」
あちらの話がまとまった辺りでどうやらザッハトルテの生地が焼きあがったようじゃな。
もち米のほうを見ればあちらも蒸しあがったようで、餅作りは引き続き自動人形に任せておくとしよう。
オーブンから出した容器を何度か台の上に落とし、容器の底と生地の間に空気が入るようにする。周りをパレットナイフで切り離し、ゆっくりと生地を取り出す。ここが結構神経を使うんじゃが上手くいって良かったわい。
「表面のデコボコを切り、真ん中に横にナイフを入れて二等分にする。そこにアプリコットジャムを塗って閉じ、網み目の台に乗せ残っておるチョコを全体に流してコーティングする。あとはホイップした生クリームを添えて——よし、完成じゃ!」
十二等分と少し小さめじゃが、切ったザッハトルテに生クリームを添えて皿に盛る。ずんだ餅のほうも完成したようで、つきたての餅にずんだ餡を絡ませて皿に盛ってある。
「見事な手際だな……ザッハトルテといったか? 俺はあんまり甘い菓子を食べねえんだが、これはそんなに甘くないんだよな?」
「ずんだ餅と比べればじゃがな。それに本来はコーティングチョコに砂糖を大量に入れてジャリジャリ感を出すが、そこまで甘くしたくないから今回は入れておらん。餅も食べ慣れてない者からしたらとまどう食感じゃし、食べたい者だけ食べるんじゃの」
「〝ワガシ〟ってお菓子はあまり食べた事ないけど、餅は確かに噛み切るタイミングが分からないよね。俺はどっちもいただく事にする、バミーソンとシュメットもどっちも食べるだろう? ガゾブ兄弟は言わなくても大丈夫! どっちもだね」
リンタムが意気揚々と皿を配る。まあ食挑者なら和菓子を知っててもおかしくはないの。フラウマール菓子店でも春頃に餅を使ったお菓子は置いていたし、この世界でも和菓子は多少広まっておるのじゃろう。
布教活動した前世のジュジュのおかげじゃの! うむ!
「ワシはずんだ餅からいただくかの」
「なら私も。ザッハトルテと比べてこっちのほうがカロリー少なそうに見えるし……一ゾン増えるのは変わらないんだけど」
「餅は喉に詰まる可能性もありますので、私の方で紅茶とコーヒーを用意してあります。飲みたい方はご自由にお取りください」
いつのまに飲み物を用意しとったんじゃセバスチャンは。さて、お菓子の出来がどのくらいかジュジュも食べてみるとしよう。
まずはザッハトルテからじゃ。無糖の生クリームを付けずに、フォークで一口分切って口に入れる。
途端にチョコの濃厚な味と匂いが口の中に広がり、すぐにアプリコットジャムの酸味と甘みが追っかけてきた。
今度は生クリームと一緒に食べる、と、先ほどよりさっぱりして口当たりが軽くなり、次の一口と手が動いてしまいそうじゃ。
結論、成功じゃな!
「おぬしらどうじゃ……と、その表情を見たら聞かんでも分かるの~」
恍惚とした表情を浮かべておるのはセバスチャンとリメッタ以外。シュガンドに至っては今すぐ天に召されそうなくらい穏やかな顔をしておる。
ジュジュ達はさすがに食べ慣れておるからそこまで大仰なリアクションは取らんが、こうやって喜んでもらえるのはやはり嬉しいの。
リメッタは澄ました顔でずんだ餅を食べておるが、時折堪えかねたように地団駄を踏んでおる。顔に出すのを必死に抑えておる感じじゃな。
シュガンドやリメッタにそんなリアクションをさせるずんだ餅じゃが、餡子は今まで作っとるからの。何となく味の予想は付くが食べてみるか。
「これはっ」
食べた瞬間、今まで食べた事のあるどんな餡子よりも強烈な豆の風味が口内に広がる。じゃが決してクドくなく、ソラ豆本来の甘みを砂糖が後押ししているようじゃ。
「そうか、魔獣に実ったものじゃから昔より味が上がっておるのか」
魔王時代は異世界でそのまま買ってきておったからの。ザッハトルテと比べて混ぜ物が少ないから、味の変化をより感じられたというわけじゃな。
「うむ、ずんだ餅は大成功じゃ。おぬしらもどうじゃった? 神々すら虜にするジュジュのお菓子は?」
見れば全員が分けられた分を完食しておった。アンナは泣きそうな目でこちらを見ており「美味しかった、美味しかったよ〜」とずっと呟いておる。ちょっと怖い。
「美味いなんてもんじゃねえ……こう、ああもう! 言葉に出来ねえなこれは!! 美味かった、今まで食べた中で最高の菓子だったぜ」
「……ジュジュアン君、俺は君は過小評価しすぎていたようだ。これ、俺の家兼お菓子屋の住所だ。王都じゃなく西の都ドラビルにあるからもし来た時はぜひ立ち寄ってくれ。それじゃ俺は行く! あんなものを食べさせられて、食挑者の先達として黙ってられない!」
名刺を渡し痛いくらいの握手をすると、リンタムはすごい速さで走っていった。ほかの四人も「ほんとに美味かったぞ」、「今度秘訣を教えてね?」、「「グッ(二人とも親指を上げておる)」」とジュジュに一声かけてその後を追っていきよった。
まあ、ちょっとうるさかったがあのような者達が食挑者をしているのなら、まだまだ絶滅はせんじゃろうの。
「ワシの記憶の中にあるフラウマール菓子店の物より、このお菓子は数段上の味じゃった……魔法に精通し、その歳でお菓子作りの極致に達する〝モノ〟か」
ハンナが皿や簡易キッチンの片付け、セバスチャンとバーバリーが冒険者試験の模擬戦のため離れていく中、シュガンドがジュジュとリメッタに近づいてくる。
そして片膝をつき、人族特有の敬礼をやってきよった。
「なんの真似じゃ?」
「ここからはイラリアトム王国、宰相付特別臨時顧問としてお相手させてほしい。ジュジュアン・フラウマール……いや、魔王の転生者と思われるモノよ。因縁深き我らが王国の王への謁見を、どうかお頼み申し上げる」
イラリアトム王国。かつてジュジュに女勇者イラリアを差し向け戦争をやっておった王国の、役人としてのシュガンドの言葉を、ジュジュは無言で聞いておった。
「それではこちらでお待ちください。御用がありましたら、テーブルの上のベルを鳴らしていただければすぐにメイドを向かわせます」
「うむ、分かったぞい」
初老の執事に連れられ、迎賓室であろう部屋にジュジュ達は案内された。高価そうな調度品や家具の数々。沈み込むようなソファなど見るからに金がかかっとる部屋だの。
この部屋はイラリアトム王国の王都に鎮座する、姿の見えない巨城『幻影城』の中の一室じゃ。
幻影城。なんでも六百年以上前の魔族との戦争の際、この国に力を貸した神族が神具を用いて姿を隠したと言われておるらしい。
他にも維持に相当な魔石を使うが最高硬度の障壁魔法、攻めてきた魔族を惑わす為の幻惑魔法、どんな大規模魔法も一度だけ跳ね返すミラージュ・カーテンなる魔法も掛けられておるそうじゃ。
さすがにどことも戦争状態にない今は全ての機能は一時停止させ、使える時に使えるようにしておるらしいが、それでも毎年国庫の十分の一は魔石の交換で消えていく……そんな事をジュジュ達を幻影城まで案内する傍ら、シュガンドは愚痴のように漏らしておった。
「しかし、当時この王都にこのような仕掛けがされていたとは思わんかったわい」
「はい。我々からは打って出ず魔界領土での迎撃のみに徹していましたので。当時の魔王軍なら三日と経たず占拠は可能でしたでしょうが、アマオウ様は決して攻め入る事をお認めになりませんでした」
「ジュジュがしたかったのは和平交渉じゃからの。あっちが勝手に盛り上がって疲れたところで対等な和平を結ぶ。疲弊しとる時なら受け入れるじゃろうと見込んでおったが……まぁ、その後の勇者を送り込む事を鑑みるに人とは馬鹿ばかりよの」
幻影城は普段は生い茂った森に見えるよう隠蔽されておる。現に王都に来た時、王族の住まう城が見えなかったので不思議に思ったものじゃ。城壁を囲む堀の手前にある跳ね橋には担当の兵士がおって、シュガンドはそいつに紋章付きの通行証を見せて橋を下ろさせおった。
じゃが、これはとても手間である。
通行証が盗まれたらそれで終わりじゃし、また王城から逃げる時にも時間がかかりすぎて非常に困るはずじゃ。
「神具で魔法をかけたという神族は神格が低いのか手を抜いたのか分からんが、こんなもの大規模殲滅魔法を二〜三度撃ち込めば終わりじゃろう」
「あら分からないの? ここに魔法をかけたのは火の粉の神よ」
「火の粉の神ドン〝ブ〟タか?」
「ドン〝ガ〟タね。確かにブタっぽい見た目してるけど。本神はあなたを裏切るみたいで嫌だって言ってたんだけど、ほら、あそこの主神って火と槌の神じゃない? オリハルコン製の武具を盗られた事を根に持ってたから、何かと人族に肩入れしてたのよ」
あぁ、そういえば魔王の調理器具に使うために鋳つぶした勇者の武具は火と槌の神が作ったんじゃったな。あそこの界隈だけお菓子を持っていっても睨みながら食べてたような気がするの……いや、じゃがしっかり食べてたよなあやつら。矛盾しとらんかの?
「まあその武具のおかげで神界の菓子が食べられるようになったから表立って悪いとは言えなかったみたいね。他にやったのはアダマントの鉱床をお告げで教えるくらいだったわ」
「そういえば、急に人族の装備が良くなった時があったの〜」
「はい、ですがアダマント程度でしたら百獣兵団の騎馬団の槍で貫けますので、さして効果があったとは言い難いでしょう」
「そういえば倒した敵の装備はどうしておったんじゃ?」
「無傷なものは装甲兵団に回して、使えなさそうなものは鋳潰して兵士達のボーナスに当てておりました。売ってよし武器を作ってよし。食べれる者は食べてよし、でしたので」
「無駄のない資源運用じゃの……」
と、思い出話に花を咲かせておったらノックの音が鳴り、「準備が整いました」と声をかけられる。
うむ、それでは六百六十六年後のあの愚王の子孫、拝んでやるとするかの。
「ジュジュアン・フラウマール以下二名、謁見の間へ到着しました!」
長い廊下を歩き、一際豪華で大きな扉が開くと同時、先行していた兵士が大声をあげて扉の中に入っていった。
ジュジュ達もその後に続くと、扉の先は大型の水棲魔獣も入りそうな広い部屋になっておった。扉から見て左右に鎧姿の兵士が立ち、中心の椅子から扇状に広がるように数人立っておる。その中にシュガンドの姿があるので、おそらく王国の要職に就く者達なのじゃろう。
ジュジュ達が立つ床より数段上にある白磁の椅子には、険しい表情をたたえた身なりの良い初老の男が座っておった。
頭には宝石をちりばめた冠を被り、手には見事な意匠を凝らした杖が握っておる。絵に描いたような王様像とはまさにこの事じゃな。
……あと説明もないし聞くのも憚れそうな雰囲気じゃから黙っておくが、椅子の後ろに鎮座しとる巨大な『アレ』は、確実にアレじゃよな? ツッコミ待ちなのかの?
「早く頭を下げぬかお主達!」
腹がでっぷりと出ておる中年の男が怒鳴ってくるが、ジュジュは傅く素振りすらしない。セバスチャンもジュジュに従って動かず、リメッタはそもそも神族なので人に頭を下げるなど絶対に嫌じゃろうて。
「おのれ、ただの冒険者風情が王の御前に立つのも不敬であれば。その態度斬られても文句は言えんぞ!」
いやに堅苦しいというか時代がかった口調で、扇状に広がる中の鎧姿の男が腰の剣に手をかけ殺気を放ってくる。
じゃがそれでも、ジュジュは首を捻るしかない。
「その男、王ではないじゃろうが。本物の王ならば一国民としてこうべを垂れるのもやぶさかではないがの。呼びつけておいて偽物を出すなどそっちこそ礼儀がなっておらんのではないか?」
「なっ! 貴様よくもそのような戯言を——」
「やめよ。確かにそなたの言う通りだ」
更に男が怒号を発した時、声変わり前の、それでいて凛とする声が室内に響き渡った。
決して大きな声ではないが、それでも人の心に響く、そんな声じゃ。
「まさかバレてしまうとはね。やはり史上最悪と謳われた魔王の生まれ変わりに違いないのかな?」
「ルクアトム……いや、今はイラリアトム王国か。王は代々〝魔眼〟を継承した者が継いでおる。直系が絶えれば近親者から、それも絶えれば近しい者から魔眼は発動する。偽物を用意するのなら魔眼まで似せねばならんじゃろう」
ジュジュは話しながら、椅子の後ろから出てきた人物に僅かばかり驚いた。いや——かなり驚いたと言ってよいじゃろう。
紺碧色の髪に魔性の月を思わせる金の瞳。瞳の中には魔法陣が刻まれており、時おり赤く輝いておる。
そして見た目はどこからどう見てもジュジュより年下。それもまだ幼年式を過ぎて少ししか経ってないくらいじゃぞい。
このような幼子が王じゃと? いや、じゃがそれにしては纏う気配が歪に感じるの。
「……魔眼の事を知っているのか。もう百数十年は秘匿されてきた我が一族の秘密なのだがね。ん? だけど私のこの姿には驚いてるようだ。どうやら最悪の魔王セバスチャンも神々の祝福の副次効果には驚きを隠せないらしい」
ジュジュの事を笑うというより自嘲気味の笑みを浮かべる子供。いや、本物のイラリアトム王に、ジュジュは改めて片膝をついてこうべを垂れた。
「いやはや失礼したの、イラリアトム王。ジュジュからは別に用などないのじゃが、こうして呼ばれたので足を運んでみたぞい」
人族に転生し、その転生した国の王ならばと一応頭を下げる。じゃが言葉遣いまでは丁寧には出来んかった。
そういえば魔王時代もジュジュは丁寧口調は大の苦手じゃったの。
「貴様ああ! その口調改めねばその口今すぐ切り落としてくれるぞ!」
「やめるんだ騎士団長。君の忠誠心はとても嬉しいんだけどね、残りの二人……このままだと王都が一瞬で吹き飛んでしまいそうだ。少し黙っていてくれないか?」
「っ、王がそう仰るのであれば……!」
ぐぎぎと音が出そうなくらい歯を食いしばりながら、騎士団長と呼ばれた男は身を引いた。しかしセバスチャンとリメッタの魔力の高まりを見抜くか。かなり魔眼の扱いに慣れておるの。
理知的に話が出来るのと魔眼の扱い、この時点で既に六百年前の愚王は超える人物じゃな。
王を演じておった偽物は恭しく後ずさりし、空席に年端もいかぬ少年が座る。足が床につかずプラプラしておるので威厳ゼロじゃし微笑ましくもあるが、誰もツッコまぬのでジュジュも止めておいた。
「さて、どこから話したものだろうか。といっても謁見の間でこうして臣下も集めたんだ、聞くべき事は聞いておかないとね」
そうしてイラリアトム王は、その小さな瞳からは考えられぬほどの威圧感でもってジュジュを見据えてくる。
その胆力に更に評価を上乗せしながら、ジュジュは次の言葉を待った。
「史上最悪にして最後の魔王セバスチャンの生まれ変わり、ジュジュアン・フラウマールよ。そなたは我がイラリアトム王国に仇なす敵か?」
うむ。魔王の名前がセバスチャンのままじゃが訂正したほうが良いのかの?
しかし、万が一魔王の名前が実はジュジュアンだと広まったら面倒じゃし……まぁ良いか! 面倒じゃしこのままいこう!
「魔王セバスチャンの生まれ変わり、ジュジュアン・フラウマールは違うと宣言しようぞ。魔人族と人族の戦争は六百年以上前に終結しておる。どうやってジュジュが転生するというを知ったのか分からぬが、ジュジュには目的があって転生した。決して人族に、ましてはこの国に復讐するためではない」
ここでもし世 界 征 服(お菓子で皆を笑顔に)するためとか言ったら、あの騎士団長あたりが襲ってきそうじゃの。
じっ、とイラリアトム王の金の瞳が、瞳の中に蠢く魔法陣が、ジュジュの心を暴こうと見つめてくる。じゃが痛くもない腹を探られてもジュジュに悪意など無い。どれだけ血眼になっても無いものは見つからぬじゃろう。
「……魔眼で心の底まで見させてもらったよ。抵抗しようと思えば出来ただろうにしなかった、それに私は、彼の言葉に別の意味が含まれているようには見えなかった。ここは信用してみよう」
王が苦笑しながらそう言うとざわめきが起こり、すぐに反対の声があがりだした。
「ですがイラリアトム王! やつが本当に魔王の生まれ変わりならいつ心変わりして、魔族を率いて攻めてくるか分かりませんぞ!」
「そうです! 見た目は人族の子供に化けていますが、きっと王にさえ見えぬ心の奥底では復讐の炎を燃やしておるに決まってます。ここは地下牢に入れ徹底的に調べ上げねば」
何ぞ物騒な事を言い出しておるが、要するにジュジュが何をするか分からないから怖いのじゃろう。
やられる前にやれの精神は分からなくもないが、何もする気のないこちらからしたら、たまったものじゃないんじゃがの。
「心の奥底でそう考えていたとしても、今はこの国に対して無害だよ。それに国民の一人でもある。私は自分の国に住まう民を理不尽に虐げるつもりは毛頭ない」
「ほう、昔のご先祖に聞かせてやりたいわい」
「この時代は善王に恵まれたようですね、アマオウ様」
「もう用がないんなら帰りたいんだけど私? お腹空いたわ」
「リメッタ、おぬしその調子じゃとデブるぞ……」
ジュジュらの雰囲気は周りと違って弛緩しており、とにかく早く帰りたいという思いじゃった。
せっかく食挑者になれたのにその活動の前にこんな面倒な話。誰だって勘弁してほしいものじゃ。
じゃがジュジュらがふざけておると思ったのじゃろう、忠誠心は強いが愚直すぎる騎士団長が腰の剣を抜き、ジュジュに切っ先を向けて立ち塞がった。
「騎士団長、やめろ」
「いくら王の言葉でも聞けません! そもそも昔から言い伝えられているという、食挑者になる者の中に魔王の転生者が居るというのも嘘か誠か分かりません! もしかしたら魔族が我々をせせら笑うために用意した戯言かもしれません」
「王家に伝わる予言を戯言扱いとは言っている意味が分かっておるのか! 今すぐ王に謝罪を述べよ!」
「もし私が間違っていようならその時はこの首、刎ねて晒し首にしていただいて結構! だがその前にこの怪しき者達を捕まえ、フラウマール家の者も共に地下牢に——」
「おい……〝貴様〟今なんと言った?」
何気なかっただろう騎士団長の言葉に。
ぶちん、と。
自分の頭の中で何かが切れる音がした。
「〝儂〟のお母上とお父上を、どうすると言ったのじゃ貴様は?」
視界が明滅し、薄赤色に染まっていく。身体からは魔力が漏れ、密度をもって黒に染まる。
この男、儂の両親に手を出すと言ったのか?
儂を生み育て、最後まで心配をしてくれたあの両親を、地下牢に。
……そうか、人よ、人族よ。貴様らは六百年経とうと変わらず醜いままなのか。
儂の命を賭けた献身も、勇者の悲哀を込めて振るわれた剣も。
貴様らの醜い魂を変えるには至らなかったのか。
平和のために命を懸けた多くの者達に代わり……。
その醜き有り様を、儂は許さぬぞ。
「いけませんアマオウ様」
「弁えろ、セバスチャン——〝こうべを垂れよ〟」
刹那、力ある儂の言葉によってその場にいる全ての者がこうべを垂れた。魔法抵抗力の強い者は四つん這いに、それ以外は倒れ伏して。見えぬ圧力となってその身をギシギシと押さえつける。
「……セバスチャン、リメッタ。儂はこの者共に仕置をせねばならぬ。先に帰っておれ」
「なり、ませぬアマオウ様。ここでこのような事をすれば、六百年前に戦争を止めるため投げ打った、あなたの命が本当に無駄になってしまいます」
「っこれ、ほんとヤバい。あなたステータス弱いままなのに女神を押さえつけるってどれだけなのよ! ここで、はいそうですかって帰ったら月の女神の名が泣くわ」
「頑固者どもめ」
二人の言葉に少しだけ頭が冷めた〝ジュジュ〟は、改めて倒れておる騎士団長を見やる。奴の頭にかかる圧力だけ緩め、魔力で強引にこちらを向かせる。
その目には、明らかに恐怖が映っておった。
「騎士団長といったか。こうやってジュジュに押さえつけられている現状貴様の推察は間違っていたようじゃの? イラリアトム王よ、こやつが放った暴言の数々、どう責任をとるつもりじゃ?」
「……臣下の過ちは私の責だ。その男は口より先に手が出る粗忽者だが、この国に必要な男だ。だから、処罰するなら私にしてもらえないか?」
「そんな、王!」
「おははは! 良い王を持ったようじゃな。じゃが王よ、貴様にもあるようにジュジュにも許せぬラインというものがある。この男はそれを超えてきたのじゃ……相応の罰は必要じゃろうて」
イラリアトム王はまだ何か言いたげじゃったが、結局何も言わず顔を伏せた。これ以上言葉を重ねても意味がないと悟ったのじゃろう。
「ジュジュへの無礼を働きながら、たった一人で許される事に感謝せよ。この痴れ者の頭を切り落とす事で、貴様らの無礼許してやろうぞ」
「やめろ! やめてくっ——」
手刀の形にした右手を、下へとおろす。
ごとん、と何かが床に落ちたのは、そのすぐ後の事じゃった
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