特訓その3 後編
他流試合まであと少しとなった川田、最後の特訓とは英理ちゃん先輩とのスパーリングであった。
他流試合の為の最後の特訓、英理ちゃん先輩との条件付きスパーリング……。
「さてと、柔軟体操も終わった事だしぃ〜、そろそろ始めるわよぉ?」
英理ちゃん先輩は普段の部活では上下ジャージ姿で、ダラダラとすごしているのだが今日は違っていた。
「英理ちゃん先輩、その出で立ちは……?」
それはかつて私が憧れた英理ちゃん先輩……現役の頃に身に付けていたボクシングウェアだった。
上はピンクのスポーツブラに下は、腰周りから短めのヒラヒラがスカートの様に伸びるビキニパンツ……幼女体型と見せかけて胸囲は私よりもあると言う隠れ巨乳……その84のDを惜しみ無く見せ付ける様なバトルコスチュームである!
「うふふ、久し振りに試合用……着てみちゃったぁ〜腕が鳴るわねぇ〜?」
こんなにやる気に満ちた英理ちゃん先輩は、入部以来初めて見たと断言出来る。
でも……。
「あの、英理ちゃん先輩は反撃しないと言う条件ですよね?」
念の為確認してみる。
「え?何を言ってるのかなぁ〜?回避に専念はするけどぉ〜チャンスがあったらぁ〜ぶっちゃうかもしれないわぁ〜」
ぐぬぬ、可愛い感じで言っているけど、言うなれば隙あらば打つという事じゃないですかね?
私はガードを固めて英理ちゃん先輩の動きを見る。
が、英理ちゃん先輩は不思議そうに私を見詰めている。
「あのね?そこまで警戒しなくても良いわよぉ〜、今の私はぁ〜柔術部の遙ちゃん位の相手だと思って来て良いわぁ?」
ある意味衛原先輩に対して物凄く侮辱する様な発言、英理ちゃん先輩は侮辱とか考えず、本当に思った事を言っただけなんだろうけど……。
ともあれ、普段の英理ちゃん先輩みたいな有り得ない攻撃はして来ないという事、そして流石の英理ちゃん先輩も私のジャブは本気で警戒している筈だから、回避の方に重点を置くと予想出来る。
「分かりました!行きます!」
私は恐れを捨てて英理ちゃん先輩との間合いを詰めて行く。
柔術家の間合いはボクサーや空手家よりもかなり近い、ならばする事は1つだけ。
「はっ!」
「うわぁ〜鋭いジャブねぇ?」
英理ちゃん先輩との距離を一定に保ちつつ、左ジャブで牽制する、あわよくば当たって欲しい所だったが当たらない、衛原先輩もこの距離で牽制気味のジャブならば、難なく避けるのだろう。
左ジャブ1つ当たればダウンまでは無理でもそこから一気に畳み掛けるきっかけにはなる。
通常のボクシングならばそれが普通の考え……だが、相手が柔術家の場合、何が起こるかわからない。
「川田ちゃん?考えながら戦う川田ちゃんのスタイル近代ボクシングとしては正しいと思うわ、でもね?」
口調が……まとも?
「あっ!しまっ!?」
考えが纏まらず体捌きを疎かにした結果、私のジャブの戻り際に軽くボディへのカウンターが入った。
「う……」
「これが遙ちゃんだったら、絞め落とされてたかも知れない」
た、確かに……。
「川田ちゃん?兎に角今は、私にジャブを当てることだけを考えて頂戴?」
普段グータラな癖に……。
「分かりました!」
本当に憧れる……。
「それじゃあ、始めるわよ!」
それから数時間、私は夢中になってジャブを打ち続けた。
特訓が終わる頃には、大体30発に1発くらいの割合で当たるようにはなっていた。
当てるだけなら……。
「はぁはぁ、川田ちゃん、次で最後にするわぁ〜もう疲れちゃったからぁ〜」
「は、はい!……ふぅふぅ」
私のスタミナは既に限界を突破していた。
試合前にこんなハードなトレーニングするとは思わなかった。
腕を上げるのもひと苦労だ。
「あ、あれ?」
いや、上がらない……腕が上がらない?
「あの、英理ちゃん先輩!ちょっと待って……!?」
そう言おうとした時、既に英理ちゃん先輩は私の間合いに飛び込んできてしまっていた。
「くっ!」
えぇい!ままよ!!
私は上がらなくなった左腕を無理矢理上げてジャブを打とうとした。
「うっぐぅっ!!」
次の瞬間、英理ちゃん先輩の悲痛な呻き声が足元で響いた。
「え?」
私のとっさにはなった左ジャブの様な何かが、英理ちゃん先輩にヒットしたのか?
自分の放った拳だったが、何が起きたのか理解できなかった。
「うあぁ……あぐぅ……」
未だに悶絶しながらリング上を転げ回る英理ちゃん先輩、ちょっとだけ可愛い……。
「うぅっ!?」
英理ちゃん先輩は突然立ち上がり、洗面台まで一直線に走って行ってしまった。
「うえぇぇえぇぇ〜」
何とも言えない声が室内に響いた……少しだけ興奮した。
「……はぁ、はぁ……川田ちゃん……今日の特訓はここ迄……私は……うぅ、医務室に寄るから……川田ちゃんはゆっくり休んで……明日に備えてね……」
そう言うと英理ちゃん先輩はフラフラと部室を出ていってしまった。
室内にはやや酸っぱい香りが漂っていた。
初めて英理ちゃん先輩にクリーンヒットした。
そして思った。
「英理ちゃん先輩って、筋肉全然ついて無いのでは?」
拳に残る柔らかな感触は、英理ちゃん先輩のどこにヒットしたかは分からなかったが、全く鍛えられていない部分である事は理解出来た。
「あっ!ビデオか!!」
私は部室に設置されている、フォーム確認用のビデオカメラの存在を思い出した。
このビデオカメラは自動的にリング上を24時間録画しており、1ヶ月分は自動でレコーダーに保存される。
すぐさまビデオの再生ボタンを押す。
激しいスパーリングの様子が映し出される。
英理ちゃん先輩は衛原先輩のモノマネをしているつもりなのか、似非柔術家っぽいポーズをとっているが、ジャブに対してはかなりの反応を見せてかわしている。
早回しで終わりの方まで飛ばした。
所々ジャブがヒットしてはいるが、勢いは完全に殺されてダメージは殆ど無さそうだった。
そしてラストラウンド……。
「こ、コレは……」
傍から見ると、ただジャブがボディにヒットしただけに見えた。
しかし、それまで余裕の表情でかわしていた英理ちゃん先輩は軽く頭を振っていた。
「……頭を振っていた?」
そう、傍から見ると明らかにボディまでしか上がっていない腕に対して、英理ちゃん先輩は頭を振っていたのだ。
英理ちゃん先輩の躱し方を見ならている私の考察はこうだ、英理ちゃん先輩は普段頭部への攻撃に対し、すぐに反撃に移れるようにギリギリで頭を動かして紙一重で避けている。
今の動作も恐らくは同じだろう、しかし私の腕はボディまでしか上がらなかった……つまり……?
「どういう事?」
フェイント?いや、それは無いはず……そんな事を考える気力はとっくの昔に消え失せていた。
「ダメだ……」
疲労困憊の私の頭では、考えをまとめることは出来なかった。
分からないことは分からない、今は風呂にでも入って疲れを癒そう、そう!それが先決だ。
私は洗面台を洗って、寮の自室へ向かった。
英理ちゃん先輩は心配だったけど、立って歩いて帰れたのだからきっと大丈夫、明日に備えろと言われたのだからそうする事が、英理ちゃん先輩の気持ちを汲む事にもなるだろう。
「ただいまぁ〜?」
寮の自室は明かりがついていた。
「あら、川田、お帰りなさい何だか久し振りに会った気がするけど、気の所為よね?」
格闘奇術部部長、群雲ブラッド(むらくもすみれ)純蓮ブラッドは芸名だ。
彼女は序列下位の格闘奇術部の2代目部長であり、私のルームメイトでフレンドだ。
明とは対象的なスレンダーボディ、凹凸は1つも存在しない!身長は160cm、胸囲は80のA!!あぁ友よ!
「アンタ明日他流試合なんだって?明から聞いたわ」
口調はキツめだけど、友達思いのいい子である。
「うん、柔術部の衛原先輩」
「へぇー、アンタより明らかに序列は上よね?」
口調とは裏腹にその表情は暗い。
「まぁね、でも勝算はあるし、衛原先輩は優しいから無事で帰してもらえるかも……」
「バカ……衛原先輩が優しいのは試合以外の時だけよ、私の先輩……真木ー(まきはじめ)元部長は奇術師生命に関わる大怪我をさせられて引退したんだから……」
初めて知った事実だった。
「そうなんだ、でも……このままじゃ女子ボクシング部が廃部になっちゃうから、やらない訳には行かない」
「そうね、明のバカも浮かばれないしね?」
そうだ。明がその身を犠牲にして小川先輩を再起不能にした、英理ちゃん先輩の言い分からもわかる通り、恐らく小川先輩に比べれば衛原先輩の方がまだ勝ちの目がある相手だったと思う。
「私はもう寝るから、アンタはさっさとお風呂にでも入って来なさい!試合前にボロボロになってどうすんのよ?ばか」
「うん、心配してくれてありがと、純蓮?」
私はタオルと着替えを手に取り、純蓮の頭を軽く撫でる。
「ば、馬鹿!さっさと行きなさいよ!」
顔を赤くして怒る純蓮、いつもの日常である。
純蓮に追い立てられる形で部屋を出て、そのまま大浴場へ向かった。
普段のこの時間は、結構人がいる時間帯だったが、今日は私だけだった。
純蓮よりも僅かに実ったバストを眺めてため息を吐く……。
「英理ちゃん先輩……」
試合用のコスチュームの英理ちゃん先輩を思い出す。
あの幼女っぽい雰囲気であの体は、反則である。
身体を洗い湯船に浸かる。
明日の試合、注意するのはカウンター、ボクシングのカウンターとは違い何処から何が飛び出すのか想像もつかない……。
そして、もっとも警戒すべきは明が小川先輩に繰り出した戦法、あれがまともに決まると、此方が勝ったとしても取り返しのつかないダメージを負うのは必須だ。
自らの身体を囮にして、相手の骨を断つ……。
明が小川先輩で出来た事、部長の衛原先輩と私だったら雑作もなくやってのけるだろう、ならばどうするか?
相手に、衛原先輩にそれをやる程の相手だと認識させる前に仕留める。
これが絶対条件、今日英理ちゃん先輩をKOしたブローは正直よく分からなかった。
英理ちゃん先輩に聞けば分かるかも知れないけど、今から聞いて同じパンチを打てるように練習する時間も体力も無い、当初の目的であるジャブを当てる事は成功したわけだし、何とかジャブを当てて渾身の右ストレートに繋げられればその時点で勝ちと考えていいと思う。
英理ちゃん先輩にも言われてが、私は成る可く頭の中でシュミレーションしながら戦う癖がある。
今度の試合は考えてる余裕は無さそうだし、今の内に色々シュミレーションしておこう。
「………………」
「…………」
「……」
その数時間後、私は風呂場で倒れている所を偶然通り掛かったという純蓮に救われた。
「このバカぁーー!!」
涙目で怒る純蓮の顔がその日見た最後の光景だった。
他流試合まで、のこり16時間!