猛特訓その1
いよいよ始まる特訓、果たして対小川滋の秘策とは……!?
萌高の食堂は午前7時から9時まで、正午12時から14時まで、午後18時から20時まで開放されている。
萌高の生徒と教員だけが利用できる食堂で、生徒の健康が考えられた100種類を越えるメニューを食べ放題、野菜嫌いな英理ちゃん先輩はいつもピザばかり食べているけど、ピザのトッピングは野菜も大量に盛られているのだが、その事を英理ちゃん先輩は知らずに食べている。
「英理ちゃん先輩は本当にピザ好きですよねー?」
私は和食派なので、鰈のカレー煮を食べている。
「美味しい物食べて、特訓に備えないといけないものぉ〜」
特訓かぁ、さっき小川先輩の喧嘩を目の当たりにしてみて、私が勝てる要素がまるで無かった気がするんだけど……。
「あの、英理ちゃん先輩は小川先輩をどう見てますか?」
英理ちゃん先輩は、私が小川先輩に勝てると見込んで敢えて第2空手部に試合を申し入れたはず、だったら私が勝つ作戦を考えているに違いない?
「え?滋くん?そうねぇ〜凄く強いけどぉ、男としてはぁ私の好みとは言えないかしらぁ?」
ピザを頬張りながらよくわからないことを言うこの先輩、タバスコ1リットル飲ませたい……。
「あの、そうではなくて、私に勝算があるのかなって話ですよ!」
私は英理ちゃん先輩の食べかけの、ほうれん草とキャベツのピザを奪って食べた。
「まっず!!」
生のほうれん草とキャベツがピザ生地の上に置かれているだけの謎のピザの味に、英理ちゃん先輩の味覚を疑わざるを得なかった。
この人野菜嫌いじゃないでしょ!?
「勝算〜?う〜ん、私だったら1RでKO出来るかなって思ってぇ」
「……それ、だけですか?英理ちゃん先輩が闘うわけじゃないんですが……?」
「え〜?それはそうだけどぉ、大丈夫よぉ〜川田ちゃんなら2Rで勝てる筈よぉ」
「すぐに特訓を始めましょう!!」
英理ちゃん先輩の腕を掴んで無理やり部室へと全力疾走する。
やっぱりこの人何も考えてない、天才肌の人って自分基準でもの考えすぎだから困りものだ。
「えぇ〜?どぉしたのよぉ〜!?まだ食後のデザートがまだでしょおぉ?」
「いえ、時間が勿体ないのですぐに特訓お願いします!」
駄々をこねる先輩を引き摺って部室へとやってきた。
総合的には英理ちゃん先輩の足元にも及ばないけど、筋力だけは私の方が上っぽい……対小川先輩ではあまり役には立ちそうもないけど……。
「もぉ〜、川田ちゃんっていつもは優しいのにぃ、たまに強引よねぇ?」
私が強引になるのは大体英理ちゃん先輩の所為なんだけど……。
「そんな事より!英理ちゃん先輩!」
「なぁに?」
「私で小川先輩に勝てるんでしょうか?」
今一番気になる事を口にする、さっきは2Rで勝てるとか言われたけど、どこにそんな勝算があるのか私には理解出来なかったからだ。
「勝てるわ」
「は?」
普段ののんびりした口調とは明らかに違う、英理ちゃん先輩の真剣な声、真剣な表情……私は思わずデジカメで撮影してしまっていた。
「勝てるって……どこにそんな根拠があるんですか!?身長体重、リーチ、どれをとっても私に勝算があるとは思えません……」
「根拠ならあるわ、それは滋くんが空手家で川田ちゃんがボクサーだからよ!」
ビシッと人差し指を私の方に向けて言い放つ英理ちゃん先輩、なんと凛々しく、なんとカッコイイんだ!私の憧れた英理ちゃん先輩は試合中いつもこんなにカッコよかった事を思い出した。
「……それは一体どういう事です?」
私は飛び付いて抱きしめたい気持ちを必死に抑えて、一見真面目そうな顔で聞いた。
「その前に、食後のデザートを……」
「そうですか!立ち会って実践で教えてくれるんですね!?」
英理ちゃん先輩の言葉を遮り、強引に話を進める。
英理ちゃん先輩め、真面目なふりして油断ならない……。
「えぇ〜わかったわよぉ、教えてあげるからぁその後デザートよぉ?」
ちくしょう、いつもの英理ちゃん先輩にもどっちゃった。やっぱりデザート食べる為の演技だったか……。
こんな人に特訓して貰って勝てるのかな?小川先輩に……。
なんだか不安な気持ちでリングに上がる。
「川田ちゃん、グローブとバンテージは要らないわよぉ?」
「え?」
「相手は空手の滋くん、グローブなんて着けてたら勝てないわぁ」
ボクサーの危険度が最も高まるのはグローブを外した時って良く聞くけど、拳の保護をする役目を果たすグローブを着けずに闘うなんて……。
私は言われるがままグローブ着けずにリングへ上がったが、初めての経験に不安は高まるばかりだった。
「実践の前にぃ」
「デザートは後ですよ?」
念を押しておく。
「もぅ、ちがうわよぉ、いきなり実践だとぉ怪我しちゃうでしょお?準備運動しながらぁ、説明するのよぉ」
成程、それは名案だ。
私は英理ちゃん先輩と一緒にストレッチするのが大好きだ、お互いの肌と肌がこれでもかって位に絡まり合う様は、まさに至高の一時と言えよう。
「ふっふっ……そ、それで、どう言った特訓をハァ……ハァ、するんですか?」
「ン、ふぅ……第2空手部はぁ、伝統派空手のぉ、んふ……ふぅ、部だからぁ……ふぅ、もういいわねぇ?」
一通りストレッチが終わってしまった。甘美な一時の後に残るのは物悲しさばかりだった。
「伝統派空手、フルコンタクト空手とは違い一撃必殺を信条とする空手……」
「そうね、フルコンタクト空手と違うのは当然としてぇ、ボクシングとは真逆を行く格闘技になるわぁ〜」
軽くジャブを打ちながらステップを踏む英理ちゃん先輩、何気なく出したジャブだったが、その動き一つ一つが勉強に成りそうだった。
「答えが見えてきたかしらぁ?」
「はい、何となくですけど……」
つまり英理ちゃん先輩が言いたいのは……。
「カウンター、ですか?」
確かに相手の攻撃を利用するカウンターなら体格の差を埋められるかも知れないけど、決定打になるとは思えない……私と小川先輩ではそれ程までに離れている……そう思えてならない。
「半分正解ねぇ?カウンターで対抗するのはぁ、その通りだけどぉ〜カウンターで狙うのは何処かしらぁ?」
「狙う箇所ですか?それは普通……正中線と言われる急所が集中している正面ですかね?」
セオリー通りならばこれで正解だろう……。
「滋くんと川田ちゃんだとぉ、身長155cmでリーチが157cmの川田ちゃんに対してぇ、身長189cmでリーチが199cmの滋くん、リーチの差は42cmよねぇ?」
「そうですね、コレでカウンターを決めるのは現実的では無いですね?更に言うと上手く決められたとしても、それ程ダメージが与えられるとは思えないです」
「うーん、確かに体重差が50kg有るとダメージもぉ、期待は出来ないかもねぇ〜」
因みに英理ちゃん先輩の身長は152cmであり、体重は私の方が重いのだが、何故私が足元にも及ばないのかはよく分かっていない。
「あの、それじゃあカウンターなんて無理なんじゃ?」
結局の所英理ちゃん先輩が何を言いたいのか理解出来なかった。
「う〜ん、言葉で言うのは簡単だけどぉ、取り敢えず右ストレートを打ってきて貰えるかなぁ?」
「本気で良いんですか?」
「えぇ、構わないわよぉ〜」
英理ちゃん先輩は何も構えずただそこに立っている。
「それじゃあ!遠慮なく!!」
何かあるのは明白だったが、英理ちゃん先輩が一体どんなマジックを使うのか、期待せずにはいられなかった。
「はあっ!!」
大きな掛け声とともに、渾身の右ストレートを放った!!
私の右拳が吸い込まれるように、棒立ちの英理ちゃん先輩の顔面を捉えた……と思った時だった。
「えっ?」
私の拳は英理ちゃん先輩の小さな右手で止められていた。
「川田ちゃんったらぁ、相手が何をしてくるかも分からないのにぃ、本気で来すぎよぉ〜試合前に拳を壊したらどうするのぉ?」
「あ……エルボーブロック……ですか?」
私の拳を止める英理ちゃん先輩の右手の後ろに、英理ちゃん先輩の左肘が待ち構えていた。
肘を顔の方まで上げたために、可愛らしい脇がお披露目されたが写真を撮る様な雰囲気でも無かったので自重した。
英理ちゃん先輩が止めてくれなければ、私の拳はあの肘に突き刺さっていただろう……。
エルボーブロックとは肘で相手のパンチを受ける高等テクニックであり、本来はボディブローへの対策の1つだけど……。
「ボディや顔だけじゃなくてぇ、何処でもブロック出来るようになればぁ、滋くんだってぇ敵じゃないわよぉ〜?」
理屈は英理ちゃん先輩の言う通りだけど、さっきの英理ちゃん先輩みたいに、構え無しの状態から相手には気取られずにブロック出来るなら、の話ですよね……。
「顔をカバーなんて普通は出来ませんよ〜」
アレは英理ちゃん先輩の天性の勘の良さと反射神経があって、初めて実行出来る妙技だ。
「そぉかしら?じゃあ、もう1つ教えてあげるわぁ〜」
試合は決まってしまったわけだし、こうなったらやれるだけやって、華々しく散ってやる!!
その日、私と英理ちゃん先輩の秘密特訓は夜遅くまで続いた。
他流試合まで後二日……。