特訓開始
他流試合にて部員募集の宣伝をしようと考えた川田だったが、英理ちゃん先輩の提案により川田が第2空手部主将、小川滋との試合が決まってしまう。
今のままでは到底かなわないという事で、川田は特訓をする事になった。
この1年間、幾度と無く先輩とスパーリングをしてきたけど……。
「どうしたのぉ?打ってきても良いわよぉ〜?」
普段と変わらない口調だけど、明らかに威圧感が違う……。
「……英理ちゃん先輩、本気なんですね?」
私は英理ちゃん先輩直伝のノーガードスタイル、左半身を相手に向け、右手を腰の辺りで構えて左手を相手の方へ突き出した型だ。
英理ちゃん先輩が独学で作り上げたこのファイトスタイル、対ボクサーだけに照準を定めず、あらゆる格闘技に対して全局面に対応するというお題目の元、作り上げられたスタイル……。
「川田ちゃんはまだ私の真似っこするのねぇ?」
このスタイルは英理ちゃん先輩だけが使いこなせるもの、このスタイルを真似てからの私の戦績は公式試合0勝、他校との練習試合0勝1分け……。
それまで校内序列2桁をキープしてきたけど、一気に3桁に急落してしまった。
それでも、私は確実に強くなって来ているはず、少しずつ先輩に近付いているはずだ。
「英理ちゃん先輩は私の目標ですから!」
軽く左ジャブを打つ、牽制して相手の動きを見たり、距離を調整したりする為だが……。
「うぐっ!」
英理ちゃん先輩はこの牽制のジャブにすら超反応をする。
そしてジャブを掻い潜る動作と同時に、懐へ飛び込んでポディへのカウンターを見舞ってくる。
ジャブの打ち終わりにカウンター、常人では有り得ない程の速度と反応、私が英理ちゃん先輩にパンチを当てるには、ここでパンチを貰いながらも強引にカウンターを決めるしかないのだが……。
「今日はいつもより本気で行くからねぇ?」
そう言った先輩は、私の強引なカウンターをもギリギリで回避しながら、余裕の笑みを浮べ私の下顎へと、お手本の様に綺麗なアッパーカットを決める。
そこで私の意識は刈り取られ、次の瞬間リングに大の字に倒れていた。
「……いつもは、本気じゃなかったんですね……」
「ごめんね川田ちゃん、でもぉ〜川田ちゃんは私の真似っこするには不器用過ぎると思う、滋くんをやっつけるにはぁ川田ちゃんのスタイルを見つけないとダメだと思うわ……」
不器用……言われてみると確かに私は不器用だった。
英理ちゃん先輩のファイトスタイルは、相手との読み合いに勝てる事を前提として成り立っている。そして瞬時の出来事を把握し反応することが出来る、動体視力としなやかな筋肉があって初めて完成する。
「私のスタイル……ですか?」
英理ちゃん先輩を真似る前は、ガードを固めた基本に忠実なスタイルだった。
華麗に舞う英理ちゃん先輩の試合を見てからは、こうなりたいと必死に練習して少しでも近付けたと思っていた。
結果は見ての通り、近付く所かさらに離されていたと言う現実……。
「川田ちゃん?えぇ!?な、泣いてるの?」
何だか悲しくなって、自然と涙が流れてきた。
「いえ、大丈夫です……少しだけ頭冷やして来ます……」
私はグローブを置いて部室を後にした。
少しロードワークして戻ろう、せっかく英理ちゃん先輩がやる気出してくれてるんだし、くよくよしてられないよね?
私は第1体育館の周りを走り始めた。
「御託はいいからかかって来い!」
「ん?」
ちょうど体育館の裏に差し掛かった所で、威勢のいい女の子の声が聞こえてきた。
「やれやれ、入学したばかりのお嬢ちゃんが、まさか我々第2空手部に喧嘩を売るとはね?」
空手着を着た集団が女の子を取り囲んでいる。
「うるっせぃ!万年2位の弱小空手部が!」
喚いている女の子は小柄で細身の金髪っ娘だ。
「……言ってはならんことを……」
こめかみに青筋を立てて怒りの表情を浮かべるのは、今度の私の対戦相手である小川滋先輩だった。
身長差は40cm程、体重は恐らく3倍以上有りそうだった。
普通なら止めに入る所だが、この萌高では日常茶飯事であり、お互いの意思により闘争が成立しているので止めに入ることはしない。
「皐月流拳闘術免許皆伝!!皐月牙芽参る!!」
拳闘術?ボクサーなのかな?
「へっ、皐月流だぁ?聞いたことねぇな?ボクシング部の回しもんか?まぁいい、おめぇ等は手ぇ出すな?」
余裕綽々といった表情で構える小川先輩に対して、牙芽ちゃんは両手を固く握り顔をカバーするように構える。
一見するとピーカブースタイルの様に見えるけど、距離が遠い……。
通常のピーカブースタイルは、ガードを固めて相手の攻撃をさばいて懐に入り、強打を打ち込むファイトスタイルだけど、この距離は異常だよ……。
少なくとも10mは離れてるけど、ここからどうするつもりだろう?
「おいおい?そんなに離れてどうするつもりだ?まさかにげだすつもりかよ?」
「てめぇみてぇな雑魚相手に逃げるわけねーだろぅが!!」
あの子、言葉は汚いけど、声は小鳥みたいに可愛い……。
「ふっ、どうした!さっさとかかって来やが……なっ!?」
小川先輩が威勢よく声を上げようとした刹那、私は信じ難い光景を目にする。
「頭上がガラ空きだよ!!」
牙芽ちゃんは10mはある距離を、1度の跳躍によって詰めると同時に、小川先輩の頭頂部へ拳を叩き付ける。
「ぐっ!お前……」
突然の出来事に面食らった小川先輩は、モロに拳を受けてよろめいた。
「へっ、図体だけの木偶の坊が!」
罵倒しながら再び距離を取る牙芽ちゃん、この瞬間私は無意識に叫んでいた。
「牙芽ちゃん!ダメだよ!」
私の叫びなど意に返さず、牙芽ちゃんは再び跳躍して小川先輩の頭部に向かって拳を振り下ろした。
「調子に乗るなよ?」
私の予想通り、小川先輩は迎撃体制に入っていた。
「タネが分かればどうってことねぇんだよ!!」
牙芽ちゃんの拳は空を切り、代わりに着地体制の牙芽ちゃんのボディに小川先輩の膝が突き刺さる!
鈍い音が響いて、牙芽ちゃんはその場にうずくまって嘔吐してしまった。
「その化け物じみた跳躍力には驚かされたが、拳が軽すぎて大したダメージも無い、更に空中では身動きは取れず、初撃さえ凌げばただの的と同じだ!いいもん持ってるんだ、精進しろよ?」
「牙芽ちゃん!大丈夫!?すぐに医務室に行くよ!」
「うぅ……ち、ちくしょう……」
小川先輩のご講説をスルーして、牙芽ちゃんを抱き上げて医務室へ向かおうとする。
「おい、ボクシング部の川田だったな?」
「う……ど、どうも小川先輩……」
「瑞穂の頼みで試合には応じたが、俺は向かってくる相手には例え後輩のしかもひ弱な女であっても手は抜かねぇ、試合ともなれば殺す気で行くからな、そのつもりでかかってこい!」
「……私だって、本気で行きますから……負けません!!」
精一杯の虚勢をはってその場をあとにする、正直今の喧嘩では小川先輩の実力が全く分からなかったけど、牙芽ちゃんには勇気を貰った気がした。
時間も無いし、早く自分のスタイルを見つけなくちゃね!
牙芽ちゃんを医務室へ運んで、私は足早に部室へ向かった。
萌高の医務室はそこらの町病院が、裸足で逃げたすほどの医療設備と優秀な医者が常に配備されている。
創設以来1人の死者も出していないのが萌高の自慢らしい……。
「英理ちゃん先輩!特訓!お願いします!!」
気持ちを新たに部室の扉を開ける。
「お帰りなさぁい、特訓の前にお昼にしよぉ〜?」
「ほぇ?」
私は壁掛け時計に目をやると、時計の針は12時を指していた。
「食堂、行きますか?」
私達は午後の猛特訓に向けて、腹ごしらえの為に食堂へ向かった。