高レベルの闘い
柔術部のホープ、上打明と女子ボクシングのナマケモノ先輩の試合が遂に開始された!
Tシャツとジャージの明と短パンTシャツの英理ちゃん先輩の試合が開始された。
他流試合や大会等の公式な場ではないので、ここに集まった生徒は殆どTシャツやジャージだ。
「瑞穂先輩、よろしくお願いしますね?」
ゴングがなった直後、明は笑みを浮かべて右手を差し出した。
明は小川先輩との他流試合で左肘と左肩を外されて、本人曰く全治1週間とのこと……。
未だに包帯で巻かれており、試合の直前までは三角巾で吊っていた。
でも、先程明が言ったように、永源流では勝てない試合は禁止されている。
明にとっては小川先輩との試合も勝機あり、という事だったのだろう……そしてこの試合も……。
英理ちゃん先輩、この握手にどう応じる?
「えぇ、よろしくねぇ?これからは女子ボクシング部の部員さんとしてねぇ?」
何の躊躇もなく明の右手を握る。
ちなみに英理ちゃん先輩はグローブを着けていない、一応ボクシング部なのでグローブをはめて欲しいんですけど……。
「私に勝てれば!の話ですよね!!」
英理ちゃん先輩が明の右手を握るや否や、明はその右手を引いて強引に英理ちゃん先輩を引き寄せる。
「凄い力ねぇ?力だけなら遥ちゃんよりもぉ〜上ねぇ〜?」
余裕な感じの英理ちゃん先輩だが、明の力に抗う事すらなく易々と引き寄せられてしまう。
「それはもちろん、時期部長ですから!」
そして明は、さも当然の様に左腕で突きを放った。
やっぱり、左腕は完治してたんだ……。
「……」
「……うそ」
明がいくら打撃系の格闘技では無いとは言え、引き寄せられている状況にカウンター気味に放たれた左の突き、常人ならば避けるという発想すら出てこないと思う……それをこの人は……。
「突きの速さもなかなか、正確さに関しては川田ちゃん以上かもね?」
英理ちゃん先輩は明の奇襲とも言える一撃を、首を少し動かしただけで難なく避けていたのだ。
「くっ!!」
明は少し動揺しながらも、すぐに次の行動へと移行していた。
避けられた左腕を英理ちゃん先輩の首へと回し、強引に下を向かせてからの右膝蹴りを放つ。
筋力にはあまり自信の無い英理ちゃん先輩は、逆らえるはずも無く……明の右膝が英理ちゃん先輩の目前にまで迫りくる。
「おっと、あぶない!」
英理ちゃん先輩は、ギリギリで握手した状態の右腕を引いて頭の位置をズラして回避した。
しかし英理ちゃん先輩の危機はまだ続いている、柔術家相手に右手を握られている状況、ボクサーからすれば圧倒的不利な事に違いは無い。
「流石は瑞穂先輩ですね?まさか二段構えの膝まで避けられるなんて、予想もしてませんでした」
「そうね、流石に遥ちゃんの自慢の後輩……簡単には勝たせてはくれないみたいね?」
「……」
お互い握手した状態で動けないでいる、明が右腕を狙おうとすれば英理ちゃん先輩に反撃のチャンスを与えてしまう。
逆に英理ちゃん先輩も自分から攻撃したら、もし外した場合は明に右腕を破壊されるのは確実……。
明としては先程のように隙のない打撃によって、英理ちゃん先輩に隙を生じさせたい所……。
英理ちゃん先輩としては……う〜ん、あれ?英理ちゃん先輩としてはどんな展開が望ましいのかな?
私がこの状況になったら……多分明の打撃を敢えて受けてからの反撃……とか?……かな?
相変わらずの泥臭さに嫌気がさして涙が出そうだった。
「どうします?瑞穂先輩?」
明は蹴りや左腕による素早い打撃を繰り返している、ダメージを狙った物ではなく、避け続ける英理ちゃん先輩のスタミナの消費を狙った打撃だった。
恐らくだけど、英理ちゃん先輩は結構打たれ弱いと思う、明の攻撃を紙一重で避け続けているのもそう言った理由からだと予想できる。
「このまま続けますか?それともギブアップしますか?私としても、川田さんが崇拝する瑞穂先輩を一方的に痛め付けるのは気が乗りません」
「気が乗らないんだったら、貴女がギブアップすれば?」
わからない、英理ちゃん先輩が何を狙っているのか……。
「そうですか、では仕方ないですね?このまま動けなくなる迄続けましょう」
明の攻撃はさらに激しさを増す、避ける英理ちゃん先輩の表情から余裕の色が消えている。
私は時計に目をやると、まだ1分30秒しか経っていなかった。
「このラウンドで決着をつけさせて貰いますよ?」
「そう、それは助かるわね、私もそのつもりだったから」
「減らず口を……」
明が再び右手を強引に引っ張って、身体ごと英理ちゃん先輩にぶつかって行った。
「うぐ、重い……」
英理ちゃん先輩は明の豊満ボディを支えられずに、倒れ込んでしまった。
「こ、この体勢……」
所謂マウントポジションと言われる体勢……明は倒れると同時に右手を離して、英理ちゃん先輩の胴体に跨っていた。
この体勢だと、ガードは出来ても避ける事は不可能であり、2人の体重差を考えると脱出も難しい様に思える。
「ギブアップ、して貰えますか?」
「……重たいわね?少し痩せたら?」
明の表情が憤怒に染まる。
「分かりました、では無様に一撃で失神させてあげますよ?」
明は右腕を振り上げて狙いを定める。
英理ちゃん先輩はガードする素振りすら見せない、躱す?いや、いくら英理ちゃん先輩でもこの体勢でそれは不可能……。
私の想像力では、もはやこの高レベルの闘いの行く末を予測する事など不可能であった。
「防御もしないのですか?永源流柔術は打撃の方も相当……強いですよ?」
そう言いながら明は、右の拳を英理ちゃん先輩の顔面目掛けて打ち下ろした!
「ふえっ?」
それは一瞬の出来事だった。
明の拳が英理ちゃん先輩の顔面に届く直前、英理ちゃん先輩は左のショートフックを明の拳に打ち込み、打撃の軌道を無理矢理変えた。
明は勢い余って前のめりになり、顔が英理ちゃん先輩の前に差し出される形となった。
その隙を見逃さない英理ちゃん先輩は、すぐに右のフックを明の顎先に撃ち込んだ。
「うぐ……」
明は一瞬意識が飛んだように、英理ちゃん先輩に覆い被さる様に倒れた。
「くっ、まだ……やれます……」
明はキャンバスに顔が当たる直前で右手を着いて起き上がった。
その精神力は賞賛に値すると思う。
しかし……。
「うん、やっぱり今の川田ちゃんよりは数段強いわね?」
「え?」
英理ちゃん先輩は既に明の背後に回り込み、腕をがっちりと首に回していた。
「……ギブアップは……しません」
「そう」
英理ちゃん先輩は一気に明の頸動脈を塞ぐ……それと同時に……。
「それまで!!勝者英理ちゃん先輩!!」
「あらぁ?まだこの子、落ちてないわよぉ?」
「いいんです!英理ちゃん先輩の勝ちなのは変わりませんから!」
「か、川田さん……」
明は首を擦りながらヨロヨロと立ち上がる。
「明、ごめんね、試合止めちゃって……」
一年以上ルームメイトとして、一緒に過ごしてきた明が失神する所はなるべく見たくなかった。
「いえ……川田さんのジャッジならば、私は従いますよ?」
いきなりほっぺにキスされた。
「えぇ〜とぉ〜、取り敢えずぅ、絞め落としてもいいかしらぁ〜?」
「はい、どうぞ英理ちゃん先輩!」
「じょ、冗談です!ギブアップします!これからは同じボクシング部員としてよろしくお願いします!川田部長?」
「……はぁ〜まぁいいや、それじゃあ次の試合を始めるから、2人ともリングから降りて下さいね?」
女子ボクシング部に新たな部員が入ったのは嬉しいけど……明は絶対1ヶ月後には柔術部に戻ると思うし……明と毎日部活動するのは疲れそうな気がする……。
「あ、あの〜」
「え?」
次の試合を予定していた生徒と、その他数名の生徒が私の所へやって来た。
「どうかしましたか?」
「えーと、私達……棄権します!」
「……へ?」
その子達は英理ちゃん先輩と同じグループで、あのジャージっ子以外の生徒達9人と、1回戦を勝ち抜いた鈴木さんと琉球さんだった。
「私達ではどう頑張ってもあの先輩に勝てる気がしないので……」
そう言い残して11人の生徒達は部室から出て行ってしまった。
しまった!!英理ちゃん先輩の本気を目の当たりにして皆怖気づいてしまった!?
「はっ!?まさか……」
嫌な予感がして恐る恐る辺りを見回すと、牙芽ちゃんと遼華とジャージっ子しか残ってなかった。
「他の奴らはお花摘みに行くとか言って出てったぞ?」
遼華が能天気に言った。
「皆さんだらしないですね?あの程度でビビるなんて……」
遼華の影になっていて気付かなかったが、私と対戦予定の慳皮愛ちゃんは残っていた。
やった!英理ちゃん先輩だけでもあと2人入部させる事は出来そうだけど、私だけ何も出来ないって言うのは、部長として如何なものかと思ってたけど、取り敢えず1人確保出来た……。
「えぇーと、それでは次の試合、皐月牙芽ちゃんと遼華の試合を始めたいと思います!!両者リング上に上がって下さい」
「ようやく出番か?まぁ、軽く捻ってやるから、遠慮なくかかって来なよ?」
「う、うっせ!1ラウンドで殺すからかな!!」
2人とも気合いは十分だった。
廃部確定まで、あと25日!!