4 少年チャガタイは、黙って生きると決めました
英雄的資質を持って生まれたチャガタイ。だが彼が生まれた時代は、英雄的に生きることが不可能な時代であった。
トクベイは、オゴタイのみの教師というわけではない。オゴタイの異母兄チャガタイ、異母姉クサンチッペの教師でもあるし、突厥で、優秀と見なされている若者たちの教師でもある。
が、チャガタイは、滅多に、その講義には出席しない。興味を惹く講義のときのみ出席する。
トクベイが、現代という時代の歴史における位置付けと、この時代において如何に生きるか、の講義を行った際は、チャガタイは、珍しく出席していた。
それは、チャガタイが、二十年になろうとするそれまでの人生で、行きついていた心境を、はっきりとした言葉で説かれた講義。
チャガタイは、そのように感じた。
チャガタイもまた歴史が好きであった。
ホアキンが、草原以外の世界を統一するに至る歴史。トクベイが説くところの闘争の時代、そして英雄の時代。
その時代の歴史に、少年チャガタイは、どれだけ心を奮わせたことだろう。
自分は英雄という存在に憧れている。チャガタイには、そのことがはっきりと分かった。そして、自分はそうなるに足る充分な資質にも恵まれている、と感じていた。
ホアキンは、世界を統一した。しかし、この草原は、多くの部族が、雑多に暮らしている。今の時代であっても、草原統一という英雄的事業を行うことは可能なのではないか。少年チャガタイは、そう思った。
少年チャガタイは、ある日、父、キプタヌイにその気持ちを訴えたことがある。父上は、草原を統一しようと思ったことはなかったのか、と。
「草原統一か。まあ、お前なら、そういうことを考えるだろうな。俺も少年時代、いや青年と呼ばれる年齢になっても考えていたな。草原統一だけではない。統一された草原の、その騎士たちを率いて、帝国と干戈を交え、帝国を征服することまで夢想したこともあるぞ」
「帝国の征服、そのようなことまで考えておられたのですか」
「ああ、想像は自由だからな」
「では何故」
「それをしなかったのか、というのか。愚問だな」
「・・・」
「今のこの時代をみてみろ。どこに戦いを始める大義があるというのだ。人と人が、その命をかけて戦わなければならない、どういう理由があるのだ。
今の時代であっても、金持ちはいるし、貧しいと形容できなくはない人々もいる。だが今の時代にあっては、絶対的な貧困は存在しない。何の能力もない人も、飢えることはない。生活を営む最低限の保証は手厚くなされているからな」
「・・・」
「身分の違いというものは確かにある。生まれながらにそれが決まっているのだから、そのことを理不尽に感じるものもいるだろう。だが庶民と呼ばれる大多数のものは、こう思っているぞ。王族、貴族、聖職者、騎士階級、世の中で特権階級と呼ばれている人々は、たしかにいい暮らしはしているのだろう。だけどその身分に伴って色々な義務や厄介事も多そうだ。庶民のほうが、余程気楽でいいとな」
「・・・」
「草原も同じだ。帝国と生活様式が違うというだけだ。草原で生産するものの余剰部分は帝国へ売られ、その対価として、帝国の豊かさは、この草原もはっきりと享受している。そのような販路、そして、社会的仕組みが出来あがっているしな。たしかに草原は統一されてはいない。だがそれは統一される必要がないからだ。草原の生活様式は、大国家を必要とはしない。また、この草原において、部族による差別も存在しない。どこかの部族が自然的災禍を受ければ、直ちに災禍を受けていない部族が援助する。そういう社会的仕組みもまた出来あがっているしな。」
「・・・」
「なあチャガタイよ。今のこの時代で、草原を統一し、帝国を征服する。そういう声をあげて、一体誰が付いてくる。想像してみろチャガタイ」
想像してみた。
そのようなことを声高に唱える人物は・・・
笑い者だ。あるいは、現実認識能力のない者の誇大妄想。
「想像したな。チャガタイ。そういうことだ」
「・・・分かりました」
チャガタイは、その場を辞した。
「チャガタイ」
父が呼び止めた。チャガタイは振り返った。
「なあ、チャガタイ。人は、その資質通りに生きられるわけではない。チャガタイ、お前はこの時代に生まれてきたのだ。そのことを嘆くな。嘆きながら生きるのは、お前に生命を与えたこの世界に対して失礼なことだと思うぞ」
チャガタイは頷いた。
どうやって生きるか。これからゆっくり考えてみよう。
いや、考える必要もないのかもしれない。
だがもう嘆くことはしない。俺はこの時代を黙って生きていこう。
この時、チャガタイは十四歳だった。