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11 クサンチッペは、お化粧をしました

 イワン殿下の同母妹ナターシャは二十歳。玲瓏で硬質な美女だった。笑顔を見せることはほとんど無い。

 高い身分であるとはいえ、帝国で育った娘。これまでにそれなりの経験はあった。

 交渉のあった男は例外なく、ナターシャに夢中になった。その神秘的とも言えるような美貌は、他に隔絶したものだった。

 

 だがナターシャは、どの男にも大きく惹かれるということがなかった。

 兄イワンの友人で、幼い頃からよく見知っている、ペーター、コンスタンチンともそれなりの関係は持ったが、やはり男性として大きく惹かれるということはなかった。


 その理由は、ナターシャには分かっていた。

ナターシャが、この世で最も好きな男性は、兄イワンだったのだ。

 

 草原からの来客のことは、兄イワンから聞いた。到着の日は、お前もこの館にいて、迎えたらいいと、イワンは言った。チャガタイ、トクベイ、オゴタイは、相当な器量の人物と思われる。あるいはお前の運命を変える人物かも知れんぞ。

 

 今、九宝館に住むパウロについても兄は同じようなことを言った。たしかに兄と同質のものを感じた。だがパウロは、帝国の最東部に近いカンクン地方の人。そこで生涯を過ごすという。

 そのような場所で暮らす気にはナターシャは、なれなかった。


 まして、パウロは、その地に、将来を誓ったスタテイラという、五歳年上の女性がいる、ということも、ナターシャに語った。


 一夜、最終に近い行為をなしたことを思い出として、ナターシャは、パウロへの想いは、振り切った。


 パウロも付いてきてほしい、とは言わなかった。


 ナターシャは、兄の言葉に従い、九宝館で、一行の到着を迎えた。

 オゴタイは、その優秀さ、性格の好さが一目で見てとれた。だが、まだ十四歳。ひとりの男性として見ることは出来なかった。

 トクベイは、確かに魅力的な人物だった。だがナターシャには、明る過ぎる、優し過ぎると感じた。

このひとが相手だと、常に温かく、笑顔に満ちたやり取りをする、ということになるのであろう。

ヴァン・トゥルクにも同じようなことを感じたが、このトクベイは、明るさ、活発さが、さらに上回っていると感じた。だめだ。ナターシャは思った。

 私は、このタイプの男性はだめだ。


 チャガタイには、心惹かれた。

兄とよく似た、超然とした雰囲気。寡黙。さらには、兄ほどには、温かさが外面に滲み出てはいない。

ナターシャは、心がときめいた。彼女にとっては、パウロについで二度目のことであったが、そのときめきは、パウロの時を上回っていた。

だが、チャガタイには妻がいた。兄のことがあるから、ずっと年上の女性ということには驚かない。が、九宝玉とは違って特に美しいわけでもない。チャガタイに相応しい女性とはとても思えない。

奪おうか。ナターシャは、そんなことも思った。私が本気になって、振り向かない男などいるはずがない。

パウロについても、私が熱望すれば、彼はスタテイラではなく、この私を選び都に残るだろう。そうも思っていた。

でも、自分にはそれは出来ない。そのこともナターシャには分かっていた。

自分は、男に対し自分のほうから懇願するようなことは決してしない。


 オゴタイは、驚愕した。ナターシャを見て。

この世の中にこんなに美しい女性がいるのか、そう思った。

 オゴタイは、トクベイの講義を受け、美ということについても多大な興味を持ち、考察を重ね、感性を磨いた。

そのオゴタイの目から見てナターシャは、理想の、最高の女性美。とまず思った。

だが、しばらくナターシャを観察して、そうではない。と、オゴタイは思った。

 ナターシャは、その理想とも思える美の中に、ごく微量の歪み、乱れ、そして品のなさがある、オゴタイの感性はそのように見てとった。

 そのことに気付いて、オゴタイの心は、ナターシャにどうしようもなく惹かれてしまった。もし完璧な、何の欠陥もない理想の美であれば、それで全ては自足する。思いはそこから広がることはない。

 だがオゴタイがナターシャに感じた微量の歪み、乱れ、品のなさは、男の心を捉えて離さない深淵。底なし沼だったのだ。

「この人を妻にしたい」

オゴタイは、強く思った。


 突厥一行五人を迎えて九宝館は沸き立ち、活気づいた。


 超然たる雰囲気を持った美青年チャガタイ。

 明るく愉快で機知に富んだトクベイ。

 九宝玉がよく知るイワンとヴァン・トゥルクにも似た組合せ。がこのふたりは、さらにその個性が際立っていた。


 そして、九宝館には今まで不在だったキャラクター。

 真面目で誠実な美少年。生気に溢れた少女。面倒見のよい世話女房(「気品」エヴァと「魔性」クラウディアは、形容に似ずそれに近いタイプではあった)。

そして、彼ら、彼女らの、帝国標準語とは大きく異なる、その訛りは、九宝玉を楽しませた。


 クサンチッペは、鏡に映る、自分の姿を見た。そこには、遺された母の肖像画とそっくりな女性がいた。

これが私? クサンチッペは信じられなかった。


 シルヴィアとふたりだけだった部屋にマンドハイが入ってきた。

クサンチッペを見て、マンドハイは、「ホルフェ様」と叫んだ途端に泣き出した。

 マンドハイは言う。

クサンチッペ様が、ホルフェ様にそっくりなことは私には分かっておりました。

 ホルフェ様の元々のお顔立ちは、クサンチッペ様によく似ておられたのです。

 ホルフェ様が草原一の美女と言われていたあのお顔は、お化粧をされた姿だったのです。

ですからクサンチッペ様も、ホルフェ様と同じお顔になられるはずとずっと思っておりました。でもホルフェ様はお化粧をされる時は必ずお一人。私も席を外すよう申しつかっておりました。だから、どうやれば、あのお顔になるのか分からなかったのです。シルヴィア様、ありがとうございます。


 母は私によく似ていた。クサンチッペは驚いた。


 シルヴィアとマンドハイに付き添われて、クサンチッペは、九宝玉の残り八人、イワン、ペーター、コンスタンチン、ナターシャ、ヴァン・トゥルク、チャガタイ、オゴタイ、トクベイ、パウロ、ガーランドが待つ居間に入った。

待っていた人びとは、息をのんだ。数秒間の沈黙のあと、大歓声が居間に響き渡った。

明日、チャン・ターイーがこの九宝館にやって来る。


 チャン・ターイーとの初対面を前にして、クサンチッペは、さんざん悩んだ末に化粧を落とした。

 そのことにより、取り返しのつかない結果になったとしても、本当の自分を見ていただきたい。

 クサンチッペは、そう決断した。

 

 長い間、憧れてやまなかったその人が、クサンチッペの前に立っていた。微笑みを浮かべて。

「クサンチッペです」と言ったきり、クサンチッペの目から泪がこぼれ落ち、止まらなくなった。

その肩に、チャン・ターイーの手がそっと置かれた。

「クサンチッペ様」

クサンチッペは、泪を浮かべたまま、チャン・ターイーを見た。

チャン・ターイーの口が静かに開かれた。

「私の妻になっていただけますか」


 ペーターは、突厥一行とチャン・ターイーの肖像画を描いた。

 コンスタンチンは、

「草原からやって来た人たち」

「クサンチッペとチャン・ターイーの恋愛日記」

の執筆を始めた。

 

 チャガタイ、オゴタイ、クサンチッペ、チャン・ターイーは、ヴァン・トゥルクの仲介により、九宝屋と代理人契約を結んだ。

近く、彼(女)らのキャラクターグッズが販売される予定である。


 クサンチッペは、化粧方法をシルヴィアに念入りに伝授された。その素顔は、もうチャン・ターイーにしか見せなくなった。

 そしてクサンチッペは、帝国のトップアイドルになったのであった。

「ホアキン年代記 ー普通の人びとの物語ー 第三話 突厥ご一行様のホアキン旅行 」 普通の人々の物語では初めての連載でしたが、これにて完結です。

「神々の物語」、「英雄たちの物語」は、様々な思想、概念を織り込み、主要人物のかっこよさにこだわりましたので、そのような小説を書くことは精神的負担が大きかったです。

この「普通の人びとの物語」は、前二作の作者自身の二次創作として、同じキャラクターを普通の人にしてしまって、気楽な姿勢で書き始めました。

が書き進めていくうちに結局、自分の趣味、価値観と言うものが段々出てきて、終盤は、どうせそうなってしまうのだったらと、様々な事柄での自分の趣味、価値観をこれでもか、これでもかと、てんこ盛り。纏まりのない小説になってしまいました。

それと言うのも、神々の物語、英雄たちの物語以上にキャラクターたちに愛着が沸いてしまい、どんどん自分が出てきてしまいました。

 こうなってしまうと、もう気楽な姿勢では書けないですね。

自分にとっては本質的にはどうでもよいことを、ゆったりとした姿勢で書くというのは楽しいのですが、自分が大きく出てしまうと、書くのは、もうきついです。

 キャラクターに愛情を持ち過ぎてしまう。いつものような失敗をまた繰り返してしまったようです。


 自分の趣味、価値観をてんこ盛り、ということについてですが、例えば、ホアキン十四塔、オリザレス山、スルサの滝。古典四学に関する言及。

 私は、多くの人が最も美しいと思うもの、あるいは精神的な崇拝の対象になるようなもの。それが失われてしまった喪失の美。というものに強く心を惹かれるのです。

 女性に関しては、様々なタイプの女性に心を惹かれます。

で、色々なタイプの女性を描き出してみました。

 男性キャラクターに対して、年上の女性が多いということに関しては、私は、少年時代、青年時代、男性であれば通過儀礼的に経験するのではないかと思う、年上の女性に憧れる、ということがなく、そのことをとても残念に思っています。

 高校時代に女子大生に。大学時代に年上のOLに憧れる、あるいはお付き合いしていただく、そんなことがあったらよかったなあ、という願望が、年上の女性が目立つキャラクター造形になりました。

 

 ナターシャについては、女性美について、ビジュアル的に、私が考えるひとつの理想像を描いてみました。

 理想の美は最高ではなく、微量の欠陥、歪み、品のなさをもつ美に最高を感じる。説明するとしたら、そういうことになるでしょうか。美に対する感覚を文章で説明するのは難しいです。


さて

・皇帝オットーと皇后シモネッタの話

・皇帝の寵姫という立場はそのままで、年に一度は必ず前夫スオウ、娘メイリンとともに一ヶ月を過ごすために、皇帝との子ニキタを連れてミマナに里帰りするシュアンの話

・結ばれることが決まったトマスとメイリンの話

・ミマナ同様、ハイツー独立国の存在意義に悩むジョセフの話

・チャン・ターイーとクサンチッペの新婚生活の話。帝国騎士剣技会での復活優勝を目指すチャン・ターイーと、それを応援する新妻クサンチッペ

・オゴタイとナターシャの恋愛話

・ヴァン・トゥルクの皇后シモネッタに対する恋の話

・カンクンで父の後を継いで村の子供たちの教師をするパウロの話。

・キプタヌイとテオドラの話

・ヴァン・トゥルクとシャオリンの話

・トクベイとシルヴィアの話

・九宝玉、個々のエピソード

・キプタヌイ夫妻も招待しての、クサンチッペとチャン・ターイーの結婚式

・都ホアキンに残り九宝館で暮らすことになったチャガタイ家の家族生活、ホアキン帝国大学に復学したトクベイの学生生活、第一中等学校二年生に編入したオゴタイの学生生活

などなど、書こうと思っていた話は色々あったのですが、自分の創ったキャラクターに愛情が強くなりすぎて、もう書くのは無理かなと思います。


あと帝国標準語を関西弁風にしたのは、九宝館で、草原の面々が草原訛り(現代日本の標準語)で話すのを、九宝玉から「訛りが可愛い」と言うシーンを描きたかったからですが、効果的な場面を考える気力がなくなってしまいました。

失敗でしたね。


全編通して読んでくださった方、どの程度おられるのかは分かりませんが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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