1話 高岡陽花
たった今、陽太を殺した。
何度も何度も胸を刺した。カエシのついたナイフだ。ぐりぐりと掻き回してやった。煮込みすぎたカレーのように、何もかもが溶けて消えるまで。
だが、そのナイフを引き抜く度胸は、私には無かった。
◇◆◇
女が男を殺した。そう聞けば、まず考えられる理由は痴情のもつれではないだろうか。だが、そうではない。そういうことではないのだ。
私の名前は高岡陽花。父親には他に帰る場所があるということを除けば、どこにでもいる平凡な女子大生だ。
母はたったの十九で私を産んだ。相手は卒業を間近に控えた四年生だった。運命を感じた。今アタックしておかなければ、きっと後悔する。そう思ったそうだ。
母は大学を中退し、やがて水商売に身を堕とした。今では小さな一戸建ての実家をバーに改装して、立派にママをやっている。母は結構努力家だ。幼い頃から彼女を見てきた娘のお墨付きである。
そんな母に押し負けたのかと思ったのだが、話に聞く限り、男は案外乗り気だった。昨日まではまったくの他人だったのに、二人はその日のうちに関係を持った。ピルも飲まず、コンドームも付けなかった。
その先はお察しのとおりだ。母は妊娠した。私を。
男の父親、つまり私の祖父は地主だった。大学生の息子が女を身篭らせた。そんなこと、あっていいわけがない。当然、私は認知されず、祖父は母に金を積んだ。慰謝料、手切れ金である。示談の場に男は現れなかった。要するに、ビビったのだ。腰抜けのクソ野郎である。