そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,05 / Chapter 09〉
七月九日、水曜日。
駅前広場での暴動発生からちょうど一週間。このころには青い蝶が完全に無害であることも、メラソン貝塚とそれに関連する遺跡群が安全であることも正式に発表された。
この蝶はただ飛んでいるだけで、人間の生活になんら影響を与えない。それが分かった途端、市民らの反応は百八十度転換した。
こんなに綺麗な蝶なのだから、中央市の名物として観光ガイドに掲載したらどうか。
そんな意見まで飛び出す有り様に、この一週間、不眠不休で対応に追われた公務員たちは発狂寸前だった。騎士団のみならず、どこの省庁の医務室も精神安定剤と頭痛薬、胃薬、整腸剤の在庫が空になっている。
そう、マルコがあの卵の『中身』になったあとも、蝶は消えていないのだ。
「なあ、ものすごく素朴な疑問なんだけどよぉ……」
いつもの出窓で漫画を読んでいたロドニーが、狼の耳をピコピコさせながら話し始める。
オフィスにはマルコとチョコがいるが、チョコはいつも通りヘッドホンを装着し、脳内ライブハウスで妄想単独公演の真っ最中だ。マルコはロドニーが自分に話しかけていると判断して返事をする。
「はい、なんでしょうか?」
しかし、どうやらロドニーが話しかけていた相手は別にいたらしい。
「ん? あ、悪い。マルコじゃなくて、こっちこっち!」
ロドニーが指差しているのは窓辺に置かれた水槽である。中にいるのは真っ青な金魚――の、ように見える水の神、サラである。
「まあいいや。マルコにもついでに聞きてえんだけどよ、サラって、魚? 爬虫類?」
「え? いえ、神ですし、通常の生物の分類とは異なるのでは……」
「でも、もともとは『青龍』だよな? 竜族に似てたんだよな?」
「ええ~と、直接見たわけではありませんが、おそらくは……」
「なら、やっぱりトカゲに近いのかな? だとしたら少なめ……いや、でも今は魚だし……そうなると大量に……?」
「何についてお悩みなのでしょうか?」
「これだよ、これ!」
ロドニーがグイッと突き出したものは、手にしていた漫画本である。タイトルは『漫画で分かる! おもしろ生物大進化!』。
マルコは席を立ち、ロドニーの横に行ってそのページを覗き込む。
〈ニワトリさんは一度に一個、一日に一回しか卵を産めないよ!
爬虫類だって、たくさん産むウミガメさんでも一度に数十個が限界だ!
だけどお魚さんは、多いものでは数万個もの卵を産むんだ!
すごいね! 海の中がお魚さんだらけになっちゃう理由がよくわかるね!〉
マルコはその場に頽れた。売れっ子コメディアンでもなかなか表現できない、見事な『燃え尽き感』である。
消えるはずがない。たった一個孵化させたところで、水色の蝶が消えてくれない理由が分かった。まさに『漫画で分かる!』状態だ。
「ま……まだあるということですね⁉」
「『まだ』っつーか、『まだまだ』じゃねえか……?」
「魚基準だとしたら、あと数千個か数万個の卵が……!」
「とりあえずあの蝶、セントラル市内にしか湧いてないワケだし……あの二柱がいたのも隣のスフィアシティじゃん? このあたりの古代遺跡を一通り調べてみれば……」
二人がそんな話をしているところに、レインが帰ってきた。
彼はいつも通り、海月を彷彿とさせるフワフワした笑顔で言う。
「先輩! マルコさん! 見てくださいこれ! すっごく綺麗でしょう⁉ さっきコルネオタウンで見つけたんです~!」
二人の脳内には、じゃじゃ~ん、という効果音が聞こえた気がした。
レインの首には翡翠のような石と貝殻、動物の骨などを組み合わせて作られたチョーカーが着けられている。誰がどう見ても、一週間前のブレスレットと同じ文明の古代呪物だ。
「あの……レインさん? それはいったい、どちらでお求めに……」
「まさか、また穴の底じゃあ……」
「大丈夫です! 同じ失敗は二度とはしませんよ! 今回のこれは、コルネオタウンの古道具屋でもらったんです! 任務の途中で古道具屋さんの前を通ったら、ちょうど捨てようとしているところで! お店のおじさんが、『自分が触ると蕁麻疹が出るから、良かったらどうぞ』って……」
今度はマルコとロドニーが同時に頽れた。売れっ子お笑いコンビでもなかなかタイミングが合わない、完全同時の『ずっこけリアクション』である。
「ば……馬鹿野郎! レイン! お前それ、この間の自分の症状と同じだって気づけよ!」
「えっ⁉ あ! あの! もしかして、やっぱりこれ、もらってきちゃマズいヤツでしたか⁉ 綺麗だと思ったんですけど……」
「いやそうじゃなくて……だあああぁぁぁーっ! もういいっ! おいレイン! 今からもう一度その店行くぞ! マルコ! 隊長呼んできてくれ! 俺たち先に車庫のほう行ってるから!」
「了解です!」
「ええ⁉ な、何が? 私、なんかやっちゃいましたかぁ~っ⁉」
「いいから来い!」
ロドニーに襟首をつかまれ、入ってきたばかりのドアをもう一度くぐって行くレイン。マルコは玄武を抱え上げ、二人とは反対方向、隊長室へと走る。
オフィスに残されたチョコは彼らのやり取りに一切気付くことなく、瞼の裏のオーディエンスの声援に応えていた。
「みんな! アンコール有難う! まだまだいけるよな⁉ よーし、それじゃあ次は、とびっきりのナンバーをぶちかますぜ! 聴いてくれ! 『Never Ending Story』!」
ノリノリで頭を振ると、その拍子にヘッドホンのプラグが抜けた。
オフィスの中に流れる音楽。慌ててオフィスを見回すチョコだが、誰もいない。
「あれ? 俺だけ? ま、いっか♪ じゃ、このまんま……」
プレーヤーの音量を上げ、音楽に身を任せる。いつの間にか出現したヤム・カァシュも、一緒になってステップを踏んで踊っている。
水槽のサラは胸鰭で水草を引っ掴み、水面をバチャバチャ波立たせる。チョコが『水中モッシュ』と名付けたこの動作で、魚なりにグルーブを表現しているらしい。
「最高だぜサラ! ハイ! ここでヘドバン!」
水草をライブハウスの柵に見立てて、サラは柵から身を乗り出すように頭を振る。もはや『よく訓練されたバンギャル』のノリである。
神々に妙なことを教えているのはゴヤだけではないという事実に、マルコはまだ気付いていない。
「この曲が本日のラストだぜ! 『INFINITE PARTY』!」
そしてチョコも気付いていなかった。
自分が今まさに、『終わらない物語』に登場していることに。
神々の競演は続く。世界という名の劇場の中、運命の輪をキメながら。




