そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,05 / Chapter 08〉
これは夢。自分は今、夢の中にいる。
それが分かっていても、この夢が終わることはない。これは幼いころから何度も見ている不思議な夢。自分は見知らぬ廊下を一人で歩き、何かに導かれるように、必ず『その扉』を開ける。
そこで待つのは一人の男。立派な誂えの服を着て、腰に大剣を下げている。
幼いころは、その男は誰にも似ていないと思っていた。けれども年を取るにつれて、自分の顔立ちも、体つきも、その男と驚くほどそっくりになっていった。
だからずっと、これは自分の『憧れ』を視覚化した夢だと思っていた。
今ならわかる。
そうじゃない。
これは『夢』でも『憧れ』でもなくて――。
扉を開けると、男はいつも通り、ゆっくりと振り向いてこう言う。
「よう、また来やがったか、チビスケ」
「チビスケじゃねえ、ロドニーだぜ、オッサン」
「オッサンて呼ぶな。こちとら『建国の英雄』だっつーのによ」
「英雄だって三十過ぎりゃオッサンじゃねえか。それともなにか? 実はマッチョなおばさんだとでも言う気かよ」
「おーおー、言うねえ、言うねえ! お前もあと五年も経ちゃあ立派なオッサンじゃねえか」
「五年じゃねえ、六年だ! これだから旧暦使ってる世代は……」
革命戦争以前の暦は、『ゼロ』という概念が発見・認知される以前に制定されたものである。出生と同時に『一歳』と数えはじめるため、現代より一歳多くカウントされてしまう。以前この男は「自分は六十六歳だ」と話していたが、現代の暦ならばまだ六十五歳ということになる。
六十代とは思えない筋肉質な体つき、皺なんてほとんどない顔、しゃんと伸びた背筋。初対面の人間なら、三十代半ばと言っても十分通用する若々しさだ。
「ま、とにかく座れ。オレンジジュース飲むか?」
「だからもうガキじゃねえっつーの!」
「じゃ、酒だな」
いつも通りの挨拶である。これまではここが『夢の世界』だと思っていた。だからロドニーは勧められた椅子に素直に腰を下ろし、自分そっくりなこの男に、他愛ない世間話や、その日あった出来事を面白おかしく話していた。男はそれを嬉しそうに聞いてくれたし、時には非常に役立つアドバイスをくれたりもした。
だが、今日はそんな話をするためにここに来たのではない。
「……なあ、ネロ・ハドソン。教えてくれ。これは……この部屋での会話は、夢か? 現実か?」
革張りの長椅子に体を預け、ネロは『やれやれ』といった様子で首を振った。
「何を『現実』と定義するかによるな。実体を以って、面と向かって話し合うことが『現実』だとするならば、これは間違いなく『夢』のほうだ。俺はとうの昔に体を失っている」
「なら、他の部屋にいるのは誰だ? ネロは、隣の部屋の奴に会ったことがあるのか?」
「会ったことはあるが、誰かと問われると難しいな」
「……みんな、同じ顔か?」
「ああ。年は、それぞれちょっとずつ違うけどな」
「声も、性格も?」
「年相応に老けてるし、一人ずつ、生活していた環境が異なる。多少の差異は出来ているが……まあ、基本は同じだ」
「っつーことは、やっぱりネロも……」
「ああ、食ったぜ。食って、食って、食いまくって……食いきれなくなって、腹が裂けて死んだ。それが俺で、それがお前だ。俺たちは最初から最後まで、ずっとそういう存在だ。嫌か?」
ロドニーは少し考え、はっきりと言い切った。
「嫌じゃない」
「だろ? 面倒くせえ性格してるよな、俺たちってよ」
「おう。面倒くせえな。史上最悪に面倒くせえ」
「仲間と真っ向勝負することになるが、お前、本当にそれで大丈夫だな?」
「ああ……隊長やみんなには悪いけど……ラスボスやれるの、俺しかいねえじゃん? こんなの、他の奴に押し付けんのも嫌だし。やっぱ、俺がやらなきゃな……」
「はは! それな、俺もおんなじこと言ったわ!」
「え? マジで?」
「おー、マジもマジ、大マジだとも。俺も先代に『俺がやらずに誰がやる!』とか言っちまったからよ」
「うへー、やだやだ。そんな暑苦しいテンション、鬱陶しくてしょうがねえや。いくつのころだよ?」
「十三かな?」
「それって、革命戦争真っただ中じゃね⁉ あんた竜族だけじゃなくて、カミサマとも戦ってたのかよ!」
「ん~、まあ、そういうことになるが……好きでやってたわけじゃねえさ。竜族にも、竜族を守護する神がついてたし、どさくさ紛れに勢力圏拡大狙って参戦してくるヤツは、人にも神にもいっぱいいたしな。いざ始めてみたら、気付くと四方八方敵だらけになってやがったんだ。生き残るためには、とにかく戦い続けるしかねえ。んで、戦えば戦うほど、敵側についてた神は闇堕ちしやがる。目の前で闇堕ちされたら、オオカミとしては食うしかねえ。とことん悪い循環が出来てやがったが……ま、戦争なんてそんなもんだ」
「……そんなもん、か……。なあ、あんたのころは戦争中だったから、オオカミが出てくるのも分かるんだけどよ? 今は……オオカミが出るほどの、何があるんだ?」
「さあな。けど、お前もなんとなく感じてるんじゃねえか?」
「……マルコかな? ベイカー隊長かな? 副隊長も、なんか裏で動いてるみたいなんだけど……」
「全員だろ。みんながみんな、自分のやり方で何かを変えようとしている。それはお前も同じだ。俺はなし崩し的に完全覚醒しちまったが……お前は、自分で選んだだろう?」
「おう。俺は『闇堕ちの毒』なんかにゃ食われねえ。無理っぽくなったら、素直に吐き出しちまえばいいだけだからな。あとはみんながなんとかしてくれる。実際、今回も何とかなったぜ」
「はっ! うらやましいねえ! 俺のときには、神の器はミレイとハインケルしかいなかったからな。タケミカヅチとヘファイストスじゃあ、クソの役にも立ちゃしねえしよ」
「その二柱って、刀鍛冶と刀剣だろ? ちゃんと組めば最強なんじゃねえのか?」
「自尊心が肥大した引き籠りのド変態と、サイコパス一歩手前の超絶ドS美少年だぞ? あいつら、『手入れしてやるから大人しくヤラセろ』、『殺すぞ』以外に会話なんかなくて……どうにもならなかったな……」
「ネロ……友達は選んだほうがいいと思うぜ……」
「いや、器のほうはいい奴だったんだけど、中身がさ……」
「ああ……カミサマは選べねえもんな……」
「そんなわけで、奴らが揉めている間に俺は腹が裂けて死にましたとさ、めでたしめでたし」
「マジかよ、ちょっとした悲劇だな……」
「おう。世界の誰にも知られない程度の、ちょっとした悲劇だな。それが『オオカミナオシ』の器の宿命だぜ」
「……その宿命を変えたら、ネロは、ここから出られるのか?」
「さあな。単に消失するだけかもしれねえし……もう一度、ただの人間として運命の輪に還されるのかもしれない。それは、やってみてのお楽しみってトコじゃねえか?」
「軽く言いやがるぜ。けっこうマジに考えてんのによ」
「そりゃあしょうがねえや。俺はお前で、お前は俺なんだからな。俺が軽いとしたら、お前も軽いってこった」
「あー、クソ、マジかよ。俺、年取ったらこんな軽薄おじさんになっちゃうんだ?」
「なっちまえ、なっちまえ。なんにも悩まない分、全っ然ハゲねえぜ?」
「あー、そう言えばすっげーフサフサ……って、本当に軽いな、このオッサン」
「オッサンて言うな、ネロ様と呼べ」
「ハハ、やなこった! ま、アレだな。ネロが、やりたくてやってたって分かっただけで十分だ。話せてよかった。俺も、俺なりに頑張ってみるわ」
「おう、まあ、気楽にがんばれよ。駄目だったとしても、隣にもう一部屋増築されるだけだしよ。毎晩俺と酒盛りできるぜ?」
「いやぁ~、さすがに毎晩は鬱陶しいなぁ~? じゃあな、ネロ」
「ああ、じゃあな。イエルタメリ」
残った酒を一息に煽り、テーブルにグラスを置く。
その瞬間、ロドニーの意識は『現実』に戻っている。
ゆっくり開けた瞼の向こうに、涙で潤んだマリンブルーの瞳が見える。
心配してくれるのはありがたいのだが、その顔があまりにも情けなくて、思わず『ぷっ』と吹き出してしまう。
「ただいま、マルコ。お前、顔面すっげー不景気に……」
「せぇんぱぁ~い! 良かったぁ~っ! マジ心配したんスよぉ~っ⁉」
「あぁ~ん! 良かったぁ~ん! ねえ、どこも痛くない? しびれとか無いわよね?」
「ロドニー! 大丈夫か! 本当に大丈夫か⁉ 俺、何頭に見える? 四頭? 違う! これは総務で保護してる迷い犬!」
「わん! わんわんわん!」
「おい誰だ医務室に犬連れ込んだのは!」
「すみませ~ん、さっきトイレ行ったときチラッと見たら、職員誰もいなくて寂しそうにしてたから……」
「またお前かレイン! トニーと区別がつかなくなるから野放しにするな! ほらこれちゃんと繋いで……」
「隊長! それトニーッスよ⁉」
「えっ⁉ じゃあ、トニーじゃないのはどれだ? トニー⁉」
「わん!」
「わん!」
「わん!」
「わん!」
「全部返事したぞ、分からん!」
「トニーさん! ちゃんと人間の言葉で返事をしてください! なぜわざわざ犬語で返答するのですか!」
「うるさいヘボ王子! つい反射的に……」
「おぉ~ん? ウォウ、ウォウ? わふ?」
「あぉん! わん、わおん!」
「隊長! こいつの名前も『トニー』だそうです!」
「四頭同時にしゃべるな! 分かりづらい!」
いつも通りの賑やかすぎる面々。その後ろで、ハンクとキールは着替えや顔を拭くタオルなどを手際よく用意している。チョコはいつも通りエアギターの演奏が忙しいらしく、こちらの大騒ぎに気付いているのかどうか分からない。
帰ってきたのだ。自分の、あるべき場所に。
ロドニーは改めて言った。
「ただいま、みんな!」
ぎゃあぎゃあ怒鳴り合っていたマルコとトニーも、ピタリと止まって振り向いた。
そして、満面の笑みで答える。
「はい! おかえりなさいませ!」
「おかえり!」
「ロドニー!」
「待ってたぞ!」
「あーっ! 俺も俺も! 先輩おかえりなさいッス~!」
「あ! あ! ゴヤばっかりずるいです~、私もハグハグ……」
「レインちゃんは駄目ぇーっ!」
「よせ! 溶けるぞ!」
仲間たちにもみくちゃにされて、ロドニーは心底幸せだった。こんな連中だからこそ、安心して決断できたのだ。
戦いの結末が、存在の完全消失だと分かっていても。




