リンネの日記
アルザれき689ねん 11がつ5にち はれ
リド村のリンネです。
きょう、わたしは7さいになりました。
7さいのたんじょうびプレゼントに、おかあさんからこのにっきちょうをもらいました。
これからなるべくまいにちかこうとおもいます。
***
アルザれき691年 7月22日 くもり
今日はユーリとおかいものに行きました。
ユーリはお母さんの弟子で、とてもやさしいお姉さんです。
わたしが何かしっぱいしても、ユーリはおこりません。
「わたしも昔、同じしっぱいをしたわ」と言ってわらいます。
ユーリはいつもマスクをしているので、わたしはユーリのかおで知ってるのは目だけです。
でもその目は、お母さんと同じでとてもやさしい目です。
だからユーリはきっと、やさしいかおに決まっています。
***
アルザれき692年 6月5日 雨
今日は、学校で将来の夢を聞かれた。
お母さんのようなトレジャーハンターになることだと答えたら、クラスのみんなに笑われた。先生もこまったような顔をしていた。ムカつく!
みんな、女はトレジャーハンターになれないとでも思ってるの?
わたしのお母さんは「真紅の雪」って呼ばれるすごいトレジャーハンターなのに。
それに、ユーリだってお母さんの一番弟子で、すごいんだから。
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アルザ暦694年 5月19日 曇り
ピアスをつけたいと言ったら、母さんとユーリに「まだ早い」と言われた。
でも、少しくらいオシャレしたっていいじゃない?
ユーリがいつもつけている赤い石のピアス、すっごくキレイであこがれる!
***
アルザ歴695年 11月3日 晴れ
母さんとケンカした。
母さんはどうしてもあたしがトレジャーハンターになるのを認めてくれない。
学校の勉強もしっかりやってるし、運動だって同い年じゃ誰にも負けないのに。
あのユーリだってあたしの才能を認めてくれてるのに。
ピアスもダメ、トレジャーハンターになるのもダメって……。
どうして母さんはあんなにわからずやなんだろう。
ああ、明後日は誕生日だってのに、ちっともウキウキしない。
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アルザ暦695年 11月4日 曇り
どうしよう。どうしよう。
ああ、もう! どうしてこんなことになってるのよ!
ここはどこなの?
あの男たち、なんなのよ?
このあたしを誘拐するなんて、何考えてるの?
あたしと引き換えに要求した「女神の涙」って、母さんの一番お気に入りの宝物じゃないの。
母さん、あたしを助けてくれるかな……?
それともケンカしちゃったこと、まだ怒ってるかな。
怖いよ……。
***
アルザ歴695年 11月5日 雨
あいつらは嘘つきだった。最初からあたしを生かして帰すつもりなんかなかった。
母さんがあたしをかばって殺された。
今日はもう、何も書きたくない。
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アルザ歴695年 11月6日 雨
母さんの葬式をした。
葬式のあと、ユーリがいなくなった。
母さんの集めた沢山の宝物も、ユーリと一緒に消えてしまった。
ユーリ、どうしてそんなことをしたの?
あたしは突然一人ぼっちになってしまった……。
***
アルザ歴695年 11月7日 曇り
あたしをさらった連中……母さんを殺した奴らが死体で見つかった。
連中の人相を覚えていたあたしが、検分とかいうのに立ち会った。
死体の切り傷には見覚えがあった。あれは絶対に、ユーリのナイフだ。
ユーリ、あなたは母さんのカタキを討ってくれたの?
だったらどうしてカタキ討ちが終わったのに帰ってこないの?
母さんの宝物をどこにやったの?
何が何だかわかんないよ……。
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アルザ歴695年 11月10日 曇り
自警団の人たちから調査報告を受けた。
ユーリが持ちだした母さんの宝は、少し離れた街の古道具屋に売り払われていた。
状況から判断して、ユーリは私をさらった連中と共犯だったというのが自警団の結論だった。
連中を殺したのも、「女神の涙」や盗んだ宝を独り占めするために違いない、って。
そんなの信じられない。信じたくない。
でも、そう考えると全部つじつまが合っちゃうよ……。
ユーリ、あなたのことも大好きだったのに。
絶対に許さない……!
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アルザ歴695年 11月24日 晴れ
母さんの遺品を整理してる最中に、私宛の手紙とプレゼントの包みを見つけた。
手紙には「これからも健康に気をつけて」とか「成績がいいからって油断せずに」とか、沢山のお小言が書いてあった。
そして最後は、「ケンカしてごめんなさい。誰よりもあなたを愛しています」で締めくくられていた。
こんな、まるで自分が死ぬことをわかってたみたいな手紙を残すなんて。
きっと母さんはあの日、何かあったら命がけで私を守るって、そう決めて助けに来てくれたに違いない。
プレゼントの中身は、私がとても欲しがっていたもの。
ユーリがつけてたのと同じ、赤い石のピアスだった。
***
アルザ歴697年 3月15日 晴れ
今日は学校の卒業式だった。
これであたしも大人の仲間入り、自分で自分の生きる道を決める権利が与えられる。
母さんには悪いけど、あたしはやっぱりトレジャーハンターになることにした。
もう、母さんへの憧れだけじゃない。
あたしの人生を狂わせ、母さんを殺したあの女――ユーリをこの手で捕まえるんだ。
***
アルザ歴700年 11月5日 曇り
今日はあたしの18歳の誕生日で、母さんの5回目の命日だ。
村を飛び出して3年以上経つ。ユーリの手がかりは一向に掴めないけど、あたしも近頃じゃ名の通ったトレジャーハンターになってきた。「真紅の雪」と呼ばれた母さんのレベルにはまだまだ届かないけど、食うには困らない生活を送っている。
今年は年中ずっと建国700年祭が開かれていて、王都は凄いにぎわいだ。国中どころか、他所の国からも観光客や商人がやってくる。
そんな商人連中から、最近とても気になる噂を聞いた。
なんでも東の果ての国には、時を遡ることができるという、とんでもない秘宝の伝説があるらしい。
もしその秘宝で過去に行くことができれば、母さんを助けられるかもしれない。
***
アルザ歴701年 6月3日 雨
とうとう明日には、時の秘宝が眠るという古代の塔に挑む。
調べたところによると古代の塔は古代文明時代に建てられた迷宮で、未だ踏破者が現れていない。
たとえ時の秘宝の存在がガセネタだったとしても、相当数のお宝が期待できるはずだ。
しかしその立ち入りは国によって厳重に管理されていて、莫大な料金を支払わなければならない。
ろくに探索もできないまま持て余しているくせに、ちゃっかりしているものだ。
その費用集めにずいぶん時間を費やしてしまった。何しろ下手な貴族の全財産よりも多いのだ。
額が額なので、古代の塔に挑もうとするものはめったに現れないらしい。
最後に挑戦者が現れたのは5年前だとか。その挑戦者も塔に入ったきり結局帰ってこなかったそうだ。
これまであたしが挑んできた中でも、きっと一番大きな冒険になる。
あたしの目的は時の秘宝を手に入れること。他の宝とか塔の初踏破なんてどうだっていい。
そう思ってるはずなのに、胸の奥がドキドキして、なんだか寝付けない。
母さんも、大きな冒険の前はこんな風に気持ちがたかぶってたのかな?
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アルザ歴686年 6月5日 晴れ
信じられないことが起きた。
丸一日以上に及ぶ冒険の末、あたしはとうとう時の秘宝を見つけた。
恐る恐る秘宝に手を伸ばして触れた瞬間、まるで強い酒でも飲んだみたいに周囲の風景がぐにゃりと歪んだ。
気がついたらあたしは古代の塔の前に立っていて、衛兵に勝手に立ち入ったことを咎められた。
許可を取ってるし、料金もちゃんと払ったといくら説明しても、話が全然噛み合わない。
それもそのはずだった。
ここは過去の世界だ。あたしは時の秘宝で時間を遡ったのだ!
街に戻って確認したところ、今日はアルザ歴686年の6月5日だった。
どうやらちょうど15年だけ過去に戻ったらしい。
半信半疑だったけど、まさか本当に過去に戻ることができるなんて……。
でも、これで母さんを助けることができる!
***
アルザ歴686年 9月18日 晴れ
久々にアルザ王国に戻ってきた。
あたしの知っているアルザ王国とは少し街並みが変わっている。
いや、正しくはこれから年月をかけてあたしの知っている街並みに変わっていくのだろう。
道すがら母さんを助ける方法についてずっと考えた。
9年後のあの日をジッと待ち続けるよりも、もっといい方法を見つけた。
今日からあたしはマスクで顔を隠してユーリと名乗る。そして母さんに弟子入りする。
あの裏切り女――ユーリを母さんの近くに置いておきたくない。
だから、あたしがあの女のかわりに「母さんの一番弟子ユーリ」になってやるんだ。
ずっと大切に持っていた母さんからのプレゼント、赤いピアスもつけることにしよう。
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アルザ歴686年 10月30日 晴れ
目的に一歩近づいた。
母さん――「真紅の雪」ことネージュが、あたしの弟子入りを認めてくれた。
うっかり「母さん」って呼んでしまわないように気をつけなければ。
これからは日記でもネージュと書くことにする。
なんだかくすぐったい。
ネージュは明日、リド村に帰省する。
いつもは隣の家に預かってもらっている娘――つまりあたしだ――の4歳の誕生日を祝うため、一週間ほどリド村で過ごす予定だ。
あたしもそれに同行することになった。
子供の頃の自分と会うなんて、なんだか不思議だ。
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アルザ歴686年 11月5日 晴れ
今日はリンネの4歳の誕生日だった。
つまりあたしの19歳の誕生日でもあるのだけど、怪しまれないようにそれは黙っておいた。
リンネとはずいぶん仲良くなれた気がする。
数日前に初めて会った時は、マスクで顔を隠してるあたしを凄く怖がって泣いてたのに。
今日はずっとあたしの膝の上で上機嫌だった
まあ自分自身なんだから、当たり前かな?
あたしも、少しやんちゃでネージュが大好きなリンネのことが、可愛くて可愛くて仕方ない。
自分で自分を可愛がるなんて変だけどね。
リンネにはあたしの分も幸せになって欲しい。
きっとあたしがネージュを守るからね。
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アルザ歴689年 11月5日 晴れ
7歳になったリンネが日記をつけはじめた。
懐かしい!
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アルザ歴691年 7月22日 曇り
今日はリンネと買い物に出かけた。
学校のテストで100点を取ったご褒美だ。
リンネはとても物覚えがいい。
読み書きでもなんでも、教えたらすぐに憶えてしまう。
さすがあたしだ! ……なーんてね。
元気いっぱいで少しそそっかしいのが玉に瑕だけど、まああたしも小さい頃はそうだったもんね。
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アルザ歴692年 6月5日 雨
リンネは近頃、トレジャーハンターになりたがっている。
ネージュは何故かそれを嫌がっている。
あたしがリンネだった頃もそうだったけど、どうしてネージュはそんなにリンネをトレジャーハンターにさせたくないんだろう?
リンネには才能があると思うんだけどなあ。
将来、古代の塔を踏破しちゃうくらいに。
ふふふ。
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アルザ暦694年 5月19日 曇り
リンネがピアスをつけたいと言い始めた。
あたしの赤い石のピアスに憧れているらしい。可愛いヤツめ。
でもこれは、母さんがあたしにくれた大切なものだから、リンネにもあげられない。
そういえば本物のユーリもこれとそっくりなピアスをしてたっけ。
本物のユーリは、この時代ではどうしているんだろう?
あたしがユーリのかわりにネージュの弟子になったから、彼女の運命も変わっているはずよね。
リンネの誘拐事件だって、きっと起きないはず。
ユーリのことは今も許せないけど、この時代のユーリには罪は無い。
どこかで幸せに暮らしているといいな。
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アルザ歴695年 11月3日 晴れ
リンネとネージュが盛大にケンカをした。
トレジャーハンターになりたがるリンネと、それを頑なに認めないネージュ。
私が15年前にしたのと全く同じケンカだ。
私にはリンネの気持ちがよく分かる。
逆に、ネージュがリンネのことを認めない理由がさっぱりわからない。
今では私は「真紅の雪」の片腕として、それなりに名の通ったトレジャーハンターになった。
ネージュも私のことを認めてくれている。
私はリンネなのだから、それはつまりリンネにそれだけの素質があるということだ。
でも、今回ばかりはリンネに加勢はできなかった。
だって、私はこのケンカのことを後から凄く後悔したから。
そしてネージュがこのケンカのことを後悔していたってことも、後から知らされたから。
だからどちらに加勢もしなかった。
でもね、加勢はしないけど、私は二人の味方だよ。
これからもずっとこんな風にケンカして、そしていつかネージュに認めてもらえたらいいね、リンネ。
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アルザ暦695年 11月4日 曇り
とうとうこの日が来てしまった。
もう夜なのに、学校に行ったリンネがいつまでも帰ってこない。
どうやら15年前と同じように、リンネは誘拐されてしまったらしい。
15年前の時は、犯人たちはユーリと共犯だった。
でも、今のユーリ――私はあんな連中のことを知らない。
ユーリが計画に加わるかどうかに関係なく、誘拐事件は結局起きてしまった。
歴史を変えようとしてきた私にとって、大きなショックだ。
でも、結末まで15年前と同じにはさせない。
私が絶対にネージュを死なせない。
まだネージュは何が起きたか知らない。
でも、もうじき犯人たちからの脅迫状が届くことだろう。
そうしたら、犯人にリンネを解放する気がないことをどうにかわかってもらって、私とネージュの二人がかりでリンネの救出に向かうのだ。
そうすればきっと、盗賊なんかに遅れは取らないはず。
日記を書き終えたら、戦いに備えて軽く食事をしておこう。
***
アルザ歴695年 11月5日 雨
私が目を覚ました時、全ては終わってしまっていた。
昨日の夜、私は戦いに備えて食事をした。そして、そこから先の記憶が抜け落ちている。
まるで食事に睡眠薬でも盛られたみたいに。
一体誰がそんなことを?
リンネをさらった連中が? それともネージュが?
いずれにせよ、もう全ては終わってしまった。
ユーリとして生きてきた10年間は無駄になってしまった。
私はネージュを守れなかった。
***
アルザ歴695年 11月6日 雨
リンネと一緒に、ネージュの――母さんの葬式をした。
まさか母さんの葬式を二回もすることになるなんて。
葬式の後、私は母さんがこれまで集めていた宝物を根こそぎ荷物に詰め込み、リド村を後にした。
リンネには可哀想だけど、私には今すぐお金が沢山必要なのだ。
そう、下手な貴族の全財産よりも多いくらいに。
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アルザ歴695年 11月7日 曇り
宝物を買い取ってくれる先を探す途中、母さんのカタキはあっさり見つかった。
連中も「女神の涙」を換金しようとしていて、同じ人物に接触を図っていたのだ。
あのおぞましい連中をナイフでずたずたにしながら、私は全部理解した。
15年前、本物のユーリも私と同じことをしたのだろう、と。
いや、「本物のユーリ」なんて初めから存在しなかった。
私はユーリに成り代わったのではない。ユーリになったのだ。最初から私自身がユーリだったのだ。
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アルザ歴696年 5月15日 晴れ
明日、私は再び古代の塔へと挑む。
今度こそ母さんを救う。それだけが私の望みだ。
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アルザ歴681年 5月16日 曇り
時の秘宝の力で、無事に15年前にやってきた。
二度目の攻略だったとはいえ、初回の半分程度の時間で一気に駆け抜けたため、今日はへとへとだ。
最初の時間移動の時から見れば20年前。まだ私――リンネは生まれてもいない。
この時代、母さんはどこにいるのだろうか。
今日はゆっくり休み、明日から母さんの捜索を始めよう。
きっと「真紅の雪」と呼ばれるほどのトレジャーハンターなら、すぐに見つかるはずだ。
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アルザ歴681年 7月19日 晴れ
おかしい。
どこに行っても「真紅の雪」などというトレジャーハンターの噂はまったく聞こえてこなかった。
トレジャーハンターが発掘した宝物を取り扱っている商会の連中に問い合わせても、そんなヤツは知らないと言われるばかり。
この時代、まだ母さんは有名になっていないのだろうか?
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アルザ歴681年 7月22日 曇り
この時代でもトレジャーハンターの仕事をすることにした。
単純に生活費や路銀を必要としていたというのが大きいが、他にも理由が二つある。
一つは母さんに会うため。
今は無名でも、いずれ「真紅の雪」の異名で呼ばれる母さんなら、きっと今も宝を探し求めて大陸中を駆け回っているはずだ。私も宝を求めて行動していれば、いつか母さんと出会える気がする。
もう一つは、母さんよりも先に「女神の涙」を手に入れることだ。
あの誘拐事件は「女神の涙」を狙って起きたものだ。母さんが「女神の涙」を持っていなければ、事件そのものが起こらずに済むかもしれない。
このササラ共和国を当面の足場に選んだのも、母さんが「女神の涙」を発見した場所だからだ。
でも「ササラ共和国のどこか」以上のことは憶えてない。情報収集が必要だ。
こんなことなら、もう少し詳しく発見場所を憶えておけばよかった。
***
アルザ歴681年 11月5日 晴れ
29歳の誕生日を迎えた。
生まれる2年前に29歳になるなんて、なんとも不思議な話だ。
こんな数奇な運命を辿る人間もなかなかいないだろうな。
仕事の方は順調だ。しっかり実績を重ね、取引相手や仕事仲間から信頼を得つつある。
大きな依頼やいわくありげな怪情報が私のところに舞い込んでくるようになった。
母さんと会える日も近いかもしれない。
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アルザ歴682年 1月2日 雪
新年早々、気分の悪いことが起きた。
仕事の帰り、トレジャーハンターを襲って宝を奪うのを専門にする強盗団と遭遇してしまった。
賊は全て返り討ちにしたけど、こちらも仕事仲間を3人も失った。
素性の知れない私を仲間に迎え入れて親切にしてくれた、気のいい連中だったのに……。
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アルザ歴682年 5月12日 晴れ
母さんの情報も「女神の涙」の情報もちっとも入ってこない。
そのかわり、気になる話を耳にした。
どうやら私は近頃、「ネージュ・クラモワジ」と呼ばれているらしい。
ササラ語らしく、私には意味がわからない。
でも、ネージュ……母さんの名前と一緒なのが気になる。
共通語しか話せなくても、トレジャーハンターの仕事なら十分やっていけるのだけど――。
ササラ語、勉強してみようかな。
***
アルザ歴682年 7月27日 晴れ
だいぶササラ語がわかるようになった。
私につけられた「ネージュ・クラモワジ」の異名についても判明した。
どちらもそう難しい言葉ではなく、子供が日常的に使うレベルの単語だった。ネージュは「雪」、クラモワジは「真紅の」という意味だ。
年明けの強盗団襲撃事件の際、強盗を返り討ちにする私の戦いぶりを見た人がそう呼び始めたらしい。
ササラ語を理解するにつれ、同時に自分の置かれている状況に対しても理解できてきた。
いや、理解できていると言ったら嘘になるかもしれない。
私は理解することを拒んでいる。
でも一つの恐ろしい仮定が、私の頭から離れなくなりつつある。
***
アルザ歴682年 10月25日 雨
とうとう待ち望んでいた「女神の涙」の情報が舞い込んできた。
ササラ共和国の北西沖ある島に、古代の女神を祀る神殿があるそうだ。
私は覚悟を決めた。
きっとそこで、何もかもが判明するはずだ。
***
アルザ歴682年 11月5日 晴れ
今度こそ私は全てを理解した。
女神像は神殿の地下に広がった迷宮の奥底に佇んでいた。
古拙な微笑みを浮かべた顔、腹の出た豊満な肉体。そして体中あちこちから飛び出し、惜しげも無く晒された無数の乳房。
古代文明で信仰されたという、多産を司る地母神の像に違いなかった。
像の表面は、絹のような滑らかさとゴムのような触り心地の不思議な材質で覆われていた。
左目の下には大人の握りこぶし大の水滴型の窪みがあり、そこに透明な宝石がはめ込まれていた。
見間違えようがない。「女神の涙」だった。
薄暗い地下だというのに、「女神の涙」はキラキラ輝いて見えた。
あるいは石自身が光を放っていたのかもしれない。
像から石を外す時、支えにしていた方の指先にチクリと痛みが走った。
女神が頭に戴いた、茨の冠の棘が刺さったのだ。
その瞬間、不思議なことが起きた。
女神像の瞳がぼうっと輝き、もともと膨らんでいた腹部がさらに膨らんだ。
湯の沸くような音や、金属の擦れるような音、いくつもの奇妙な音が鳴り響いた。
そして、それらが止んだ時、女神像の腹部がぱっくりと縦に割れた。
半ば予想していたことだったが、そこには簡素な産着にくるまれた、生まれたての赤ん坊がいた。
赤ん坊の産声を聞きながら、私はこの信じがたい運命の何もかもを悟った。
この子こそが私。
そしてやがて私へと成長していく、私自身なのだと。
不思議ともう恐ろしくはなかった。それどころか、奇妙な充足感すら覚えている。
最初の「私」はどこから来たのか、この女神像は一体何なのか――理解できていないことは沢山ある。
でも、一番大切なことだけはすっかり理解した。
これから私を待ち受けるのは、命がけで私自身を育み、睡眠薬を盛ってでも私自身を守る――そんな愛に溢れた人生なのだ。
この日記を書き終えたら、私はリンネを連れて地上へと戻る。
日記は宝石のお代替わりにここに置いていこう。
私に素晴らしい愛をくれた女神への慰みに。あるいはいつかここを訪れる後輩たちへの贈り物として。
ああ、そうだ。
できれば長生きもしたいから、この子がもしトレジャーハンターになりたいと言い出したら反対しよう。
でも、きっと無駄かしらね?