宿屋にて 1
「遅い…」
アゾルにある複数の宿屋のうちの一つ、〝宿屋 ロビン〟にて箒を片手にフレイナ・アムルは呟いた。
というのも、彼女の妹がおつかいに出たっきり帰ってこないからである。
彼女の妹はかなり好奇心旺盛な部類に入るので歩いて十分の場所にある商店に行かせたって二時間後に帰ってくるような、おつかいに行かせてはいけないタイプの子供なのだ。
が、この忙しい時期に何かお手伝いがしたいっ!と目を輝かせて訴えかけてくる純粋な眼差しに負けておつかいに行かせたのが今日の午前10時の話だった。
そして現在の時刻は午後4時、温かな夕焼けが窓から差し込み、彼女のシルエットを細長く室内に伸ばしている。
(いくらなんでも遅すぎる…もしかして…何かあったのかしら…)
彼女の両親はある理由でこの街にはいない。
両親がいない間この宿屋の切り盛りと妹の世話が彼女の使命として課されているのだがいかんせんフレイナ自体まだ16歳の少女である。宿のことで手一杯で妹にはあまりかまってあげられていなかった。
寂しい思いをさせてしまっている自覚はあれど、おつかいという手っ取り早い厄介払いをしてしまったのがアダになったかもしれない…と、自責の念と不安で彼女は翡翠色の瞳を不安げに揺らめかせた。
いてもたってもいられず探しに行こうと箒をテーブルに立てかけたそのとき、
「おね~ちゃ~ん!」
気が抜けるような妹の声が宿屋の扉の前で聞こえた。
その途端、フレイナの顔面筋は悲壮感たっぷりの泣きそうな顔から般若も驚きの女の子がやってはいけない感じの表情にさっと顔を迅速に作り変えた。この間およそコンマ2秒ほどであった。
彼女はその表情のまま箒をひっつかみ怒りに任せて扉をズッバアアアアアン!!と勢いよく開けて
「一体どこまで人参買いに行ってたのアンタ!!!!!」
と、叫んで箒をふり下ろそうとしたころではっと気がついた。
今彼女の目の前に立っているのが妹ではない、ということに。
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「あの…お見苦しいところを見せてしまって…すみませんでした…」
「あ…いや、気にしないでくれ」
完全に頭に血が上っていたフレイナが怒鳴ったのはマリナではなかった。
いや、マリナに対しての言葉ではあったしマリナ自体にだって聞こえはしたのだが正確にはマリナの前に立っていた銀髪ポニテの青年にモロにぶつけられた。
振りかぶった箒を青年の顔面にクリーンヒットさせなかっただけまだマシだったと思いたいところである。
状況を理解して顔を青くしたあとに羞恥で真っ赤にするという器用な芸当を見せながら口をパクパクとさせているフレイナに、どうフォローを入れればいいか考えあぐねた青年が今から買ってこようか…と呟いたあたりからなんとなく二人の間の空気はぎこちない感じである。
(この後復活したフレイナによって振り下ろされた箒はマリナの頭のてっぺんにたんこぶを召喚した)
「本当に私ったら、お客さんになんてお詫びしたらいいか…うう」
「おねーちゃん!自分が悪い時はちゃんとごめんなさいしないとダメなのね!」
昼間学んだ『自分が悪い時はきちんと謝る』を姉に実践させようと、マリナが「ね!」とエシルを見上げる。
「元といえばあんたのせいでしょうが!!!!!」
「マリナが遅くなったのにはちゃんと理由があるのね!エシルのかんこーがいどさんをしてたんだから!」
「あんたお客さんを一日中連れ回してたの!?本っ当にすみません妹がご迷惑をっ!!」
「ん?いや、楽しかったよ。妹さんはこの街をよく知っているんだな。すごいと思うぞ」
「でっしょー!明日もしてあげてもいいのね!」
「ちょっとは悪びれなさいよ!すみません、今日だってこの街には何かご用事があっていらしたんでしょう?」
「…あー、そうだった、そうだった!君に会うために来たんだよ」
「ええっ!?わ、私に?!」
突然告白のような言葉を言われフレイナはたじろいだ。
なんてったてこの青年、かなりの整った顔立ちをしている。
整った中性的な顔立ちに透き通るような白い肌、銀色の髪を高い位置で縛っていて、冒険者のようだがゴテゴテとした鎧などをつけず短めの革のジャケットの下に白いシャツといったシンプルな着こなしがどこか品の良さを醸し出している。
宿屋という職業柄様々な冒険者を見てきたフレイナだが、彼らのような粗野さが青年からは感じられなかった。歳もパッと見た感じ17か18歳に見えるので、もしかしたら駆け出しなのかもしれない…。
まあどちらにせよ腰のポシェットをゴソゴソしている青年はどの動作を切り取っても様になるようだった。
ほわー、とまたもや顔を赤くしたフレイナがそわそわしながら次の言葉を待っていると、ずいっと顔の前に布の塊がさしだされた。
「?こ、これはなんでしょうか?」
「自分で確かめて見てくれ、これを君に渡す依頼を受けていて…あ、これにサインしてくれ」
「サ、サインですか?!」
「ああ、この受け取り証明証にサインをもらっていいか?」
ピラっと小さく受け取り証明証と書かれた紙を渡されてフレイナは、ああ、そういう…サラサラとサインをした。すると、
「わっ、わっ、なんか光った??!」
「よし、依頼達成、と」
ギルドの依頼は依頼を受けた街から遥か遠くに行って達成させなければならないものも多々ある、配達依頼はその代表例だ。受け取り証明証にサインをもらってもう一度依頼達成のために街まで戻るのははっきり言って報告に時間がかかりすぎるし冒険者にとっても負担になってしまう。
そこで最近開発されたのがこの魔導認識証明証だ。受取人のサインを認識魔術によって認識し、依頼達成をギルドに自動で報告してくれるスグレモノである。
青年の説明に便利なものがあるんだなーと思いながらフレイナは布をしゅるしゅるとほどき、
中に包まれていたものを見て、目を見開いた。
「これ…お父さんの…!!」
フレイナが懐中時計の蓋をあけると、ひらり、と小さな羊皮紙が一枚こぼれ落ちた。