物流の町2
街には魔結晶を利用したランプのオレンジ色の温かな灯りがポツリ、ポツリと灯り始め、
宿屋に併設した飲食店が夕食を求める人々で賑わい始めた頃、
エシルとフレイナもまた行き交う人波に揉まれながら大通りを歩く。
(マリナはシャワーから帰って来た時点でそのままベッドに倒れこんだきり、今度こそ目を覚まそうとはしなかったので、部屋で留守番である)
何が食べたいか聞いてきたエシルに、フレイナは少し悩んだ後とりあえず肉系の料理が食べたいと応えた。
森の中では携帯食料と採った山菜しか食べていなかったので、何となくボリュームのある食事が恋しくなっていたのだ。
エシルはわかった、と言うと、質より量か量より質かとフレイナを横目でちらりと見ながら聞く。
「どっちも、って言うのはナシかしら?」
気持ち的には質より量という気分ではあったが、自分の街以外の料理にも興味があったフレイナは少し欲張ってみることにした。
もちろん、無いなら無いでいいのだ。
その時は量があってマリナに持ち帰れる店ならどこでもいいと言うつもりでいた。
フレイナの言葉にエシルはふむ、と顎に手を当てて少し悩んだ後、いたずらっぽく笑うと沢山歩いたご褒美に少し豪華な夕食にするかと言って前を向いて歩き出した。
「レイネじゃ1番美味しい店紹介するよ、お嬢様」
「あら、それはうれしいですわね」
かしこまって恭しく話すエシルと、精一杯上流階級らしく話すフレイナに、お互い顔を見合わせた後にこらえきれず笑いだしてしまう。
「なかなか道に入ってるじゃないか。
本物のお嬢様みたいだ」
「何てったって宿屋のいち経営者ですもの」
町の中心へと向かって歩くエシルの背中を追いながらフレイナはフフンと胸を張った。
その様子にエシルは間違いではないなぁと笑う。
「エシルはこの町からアゾルに来たのよね?
レイネに住んでるの?」
「いや、住んでいる訳ではないよ。
ただ、今特に行きたい場所があるわけじゃないから留まってるだけだ」
「じゃあ、どのくらいレイネにいるの?」
「うーんと、3ヶ月位、かな」
「あら、結構長くいるのね!」
「ああ、本当はこんなに長くいるつもりはなかったんけど、ここのギルドマスター……ドルダスっていう奴なんだけど気に入られてさ、引きとめられてるうちに早3ヶ月って感じだ」
行きたいところができたらそこに移動するさ。とエシルはのんびりとした口調で言う。
彼曰く色々な景色や国を見たくて冒険者になったのだそうだ。行く先々で他の冒険者や現地の人々から色々な話を聞き、
興味がわいたらそこを次の目的地としてきたのでひとつの場所にとどまることはあまりしていないらしい。
お金と時間があったら一度でいいからフレイナも遠出してみるといい。きっといい出会いや思い出ができるよ。
そうエシルは言うが、アゾルから出たことのなかったフレイナにとってはレイネに来ただけでも十分に遠出になるのだ。
「そうね、お金が貯まったら家族旅行をするのもいいかもしれないわね。」
フレイナの言葉にエシルはチラリと後ろに視線を向けると、家族思いなんだなと微笑んだ。
フレイナは続ける。
「その時は、またエシルに護衛を頼むかもね。」
「一家全員の護衛なら本職に頼んだほうがいいんじゃあないか?」
一人じゃ心もとないだろとエシルは言う。
そうかしら、と前を歩く背中を見つめながらフレイナは漠然とした疑問を覚えた。
エシルが剣を抜いたのを見たのは森で見た一度きりだが、相当強いのではないかと。
冒険者歴が長いらしいというのもあるが、単独で旅をする冒険者自体がそうそういないからだ。
人間に個性があるように魔物の攻撃手段も多種多様で、爪や牙で攻撃してくるものから火を吐くもの、模術を使って攻撃してくるものなど様々だ。
旅をしていれば攻撃方法の違う魔物を複数相手取らなければいけないことが多々あるため、大抵の冒険者は自分の短所をパーティーを組んで補い合うことによってカバーする。
しかし単独で旅を続けられるということは、短所を補い合う必要がないからこそ出来ることとなる。
つまりは強くないとできないことなのだ。
でもきっと自分は一人旅は寂しくてできないだろうともフレイナは思う。
両親がいない今でさえ寂しく感じるのだから、マリナまでいない状況で見知らぬ土地を転々としながら生活するのは心細くて仕方がないに違いない。
こうして改めて考えると妹の存在はフレイナが今まで思っていた以上に大きいのだと実感させられる。
と、妹の存在の大きさを再確認したところで、フレイナはエシルが森で言っていた彼の兄弟について思い出した。
なんとなく彼が自身の家族について触れて欲しくなさそうにしていたので聞かなかったが、やはりマリナが言っていたようにあまり仲が良くないのだろうか。
彼にとって家族はどんな存在なのだろうか。
きっと両親に会いに行くまでの長いようで短いこの時間ではそんなに深いことは聞くことができないだろう、
(私にできることは、たぶん何もないし、余計なお世話だろうけれど…)
それでも、とフレイナは願う。
この優しい青年が自身の家族のことを笑顔で話せる日が来る事を、
前をゆく背中を見つめて。
と、フレイナが一人後ろでしんみりとした気持ちに浸っているとはつゆ知らず、
エシルは長い髪を初夏の生暖かい風と雑踏の喧騒になびかせゆっくりと歩く。
時々後ろをフレイナがついてきているか確認しつつ、この街に滞在している一か月間通いつめてすっかり常連になった料理店へといそいそと足を動かす。
レイネにいる間ほとんどの時間を寝るか依頼をうけるかしかしていなかった彼の唯一といっていい楽しみがこれから行く店での食事だった。
とにかく肉料理が安くておいしい店で、大の男でも見た瞬間引くくらいの量を大皿に盛って出すことに命をかけているらしく、一人で何か注文すると大抵はひどい目にあって出てくることになるのだが、
少人数の商隊ならば一皿か二皿注文すれば全員分の食事を低価格でまかなえるため、商店街に建つ二階建てのそう狭くない店はいつも活気に満ちていて、
気のいい店の主人はよくニコニコと両手にサービスで追加の皿を持ってきては客に根を上げさせて笑っているような男だ。(暗黙の了解として完食するまで会計を済ませても店から出られないのだ。)
とまあ、エシルはそのどう考えても大人数向きの店に足繁く通っては、その有難いようなそうでもないような茶目っ気たっぷりの主人の『サービス』を平然と一人で食べきって一以来、方的に主人に気に入られてしまっているのだ。
一週間前に街を出る前もこの店で昼食を食べていったのだが、最近はエシルがどの程度まで食べられるのか試している節があり、大皿いっぱいの鳥のレモンハーブ焼きを大皿二皿サービスとして出されたときは割と本気で店の心配をしてしまった。もちろん全て美味しく頂いたのだが。
お互い全く別のことを考えながら、夕暮れ時の街を二人は歩く。
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「食材不足につき臨時休業…。」
「ええ!?そんなあぁ…!?」
空腹の二人を待ち受けていたのは閉ざされた料理店の扉とそのドアに貼ってあった一枚の休業中の旨を伝える紙切れ一枚だった。
通りに面している窓から中を覗くと、明かりの灯されていない暗い室内にはテーブルの上に丸椅子が裏返しにして置かれ、完全に営業していないことが見て取れる。
「食材不足って…何があったのかしら?」
よくあることなの?とフレイナは隣に立つエシルに問いかけた。
が、エシルは黙ったまま顎に手をあてて何か考えごとにふけっているようで聞こえていないようだった。
フレイナはため息をついてもう一度張り紙を見る、どうやら日付を見る限り昨日から営業していないようだ。
食材を運ぶ馬車が横転でもしたのだろうか、とフレイナもエシルと似た様なポーズで考える。
ともかく空腹もそろそろ耐え難い域まできているので考え事などせずにどこか別の店に行ってさっさと夕食にありつきたいところである。
フレイナは自分の世界に入ってしまっている彼を現実に引き戻すために、名前を呼びながらエシルの肩をポンポンと叩いた。
彼はゆっくりとまばたきをした後、少し残念そうな様子で別の店に行こうと言って再び歩き始めた。
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「諸事情により本日休業…。」
「ここも!?」
この店もなかなか美味しい店なんだけれどな…。と顔を引きつらせているフレイナの隣でエシルは小さく呟いた。
先ほどの店も今いる店も比較的飲食店の多い同じ通りに軒を連ねているのだが、そういえばさっきの店からここまで移動するあいだに何軒か明かりのついていない店があったように見えた。
(何か、おかしい気がする…。)
定休日が重なったとも、食材を仕入れる業者が皆同じで一斉に食材不足に陥ったとも思えないのだが、これがこの街の普通なのだろうか?いや、それはないだろう…。
フレイナはこの街の住人というわけでもないのであまり気にする事もない上に、そもそもアゾルからほかの街へ行った経験もないので《普通》の基準も微妙なところかもしれないのだが、
それでもどことなく漂うこの街の異変に気がつきつつあった。
「フレイナ」
フレイナは不意に肩を叩かれて意識を現実に引き戻された。どうやら先ほどとは逆に自分が考え事に集中していたようだ。
「もうその辺の適当な店に入って食べよう。だいぶ腹もすいただろ?」
行く店行く店閉まってるなんて申し訳ないな。とエシルは苦笑して謝る。
「エシルのせいじゃないんだから、謝らないで?あ、あそこのお店なんて、」
いいんじゃないかしらっ?と、フレイナが言おうとした瞬間、昼から耐え忍び押さえつけひた隠されていた彼女の腹の虫がとうとう痺れを切らし、ぐおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!と雄叫びをあげた。
その音の大きさたるや彼女の後ろをフラフラと歩いていた酔っぱらいが驚いて転ぶほどであった。
ぐうううきゅるるるる…となおも食物を欲して鳴き続ける自らの腹をフレイナはボスボスっと殴って黙らせようとしたが、奮闘も虚しく、真っ赤になった顔を両手で覆って立ち尽くす。
どうして花も恥じらう乙女(自称)が何が悲しゅうて公衆の面前で盛大な空腹アピールをしなければならないのか。恥ずかしさとよくわからない悲しみでじっとりと嫌な汗まで出てきてフレイナは(いっそ殺して…)と思いながら微妙な顔をして隣に立つエシルの腕を力なく掴んで、
「………さっさと入りましょう。」と、か細い声で言うと店内から何とも食欲をそそるいい匂いを漂わせている店に引っ張って行った。
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「お代はこっちで持つから、気が済むまで頼んでいいよ。」
「…………お気になさらず。」
さっきの一件から立ち直れていないフレイナにどうフォローを入れれば良いか考えた末にスルーを決め込むことにしたエシルは、テーブルに座ってからも手で顔を隠し続けている様子に苦笑した。
「生理現象だ。あまり気にしなくてもいいんじゃないか?」
「………………そういう問題じゃないわよぉぉ…。」
うううううう…と今度はテーブルに突っ伏してしまったフレイナの様子に、女心は複雑だな。とか思いつつ、このままでは埒が明かなさそうだったのでメニューから適当に頼んでしまうことにしたエシルは、少し染みのついている紙の束をパラパラとめくった。
(何も考えずに入ったからなぁ、何の料理が美味しい店なんだろう…。)
料理の名前でなんとなくどんな料理かはわかるのだが味まではわからず、うーん、とエシルは少し首をかしげ、
(ま、頼んでみりゃわかるだろう。)
メニューを開いたまま、忙しなく席と席のあいだを歩き回って注文をとったり料理を運んだりしている、小柄なとんがり耳の女性のウェイトレスさんに声をかけた。
ウェイトレスはただいまお伺いします!と明るい声で返事をして、ペンと注文表らしい紙の束を片手に、もう一方の手には水の入ったコップを二つのせたお盆を持って二人のいるテーブルへ来ると、コップを二人の前に置きながら注文を取り始める。
「ご注文をお伺いしますー!」
「ここから…ここまで持ってきて欲しいんだ。」
エシルはウェイトレスにメニュー表を見せながら、一ページ弱の料理をまとめて注文する。
「はーい、かしこまり…えっ!?た、食べきれるんですかぁ!?」
驚いてエシルの細身と注文した品数を見比べてから、お持ち帰りはご遠慮頂いてるんですけどぉ…と心配げに見つめてくるウェイトレスにエシルは朗らかに、このくらい大丈夫大丈夫と笑って
「このくらいじゃ、むしろ追加注文するだろうからさ。」と宣言した。
ウェイトレスは本当にいいんですね?大丈夫なんですよね?とエシルに何度も確認しながら注文書に料理の名前を書き取り終え、ちょっと時間がかかっちゃうかもです…、と言って厨房へ引っ込んで行った。
テーブルに突っ伏したまま眠ってしまったらしいフレイナは、30分後どれだけの量の料理が運ばれてくるのか、まだ知らない。
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どのくらい眠っていたのだろうか、そこまで長い時間ではないとは思うがテーブルに突っ伏したところで記憶が途切れてしまっている。
(いっそこのまま寝ちゃいたい……)
フレイナはもぞもぞと組んだ両腕の上に乗せている頭の位置を変えて、もう一度眠ろうと動いたことで、あいた腕の隙間から入ってきた何とも言えない美味しそうな料理の匂いが彼女の鼻腔を刺激した。
突然飛び込んできた外界からの魅力的な情報は、夢の世界に突っ込みかけていたフレイナの意識を急速に浮上させるには十分で、フレイナは勢いよくガバリと顔を上げた。
顔を上げたフレイナの目に一番初めにとびこんできたのは、目の前に座っていたはずのエシルの顔ではなく、視界を遮るほどに高く積まれた…………手羽先の山だった。
「………………??」
フレイナは一瞬自分の目の前に積まれているものが食べ物であると認識することができなかった。
まだ夢を見ているのかと、ゴシゴシと両手で目をこすってもう一度見直してみる。茶色くこんがりと付いた焦げ目と油でツヤツヤと光り、ハーブと鶏肉のいい匂いを山全体から漂わせている目の前の塊が間違いなく数十分前まで自分が欲していた肉料理が、現実のものであるということを全力で主張しているのだと理解した途端、眠っている間全く感じていなかった空腹感が一気にこみ上げてきた。
じわりと口の中に溢れ出した生唾をゴクリ、と飲み込んで、恐る恐る山のてっぺんに手を伸ばしてひとつ手羽先を取るとがぶりとためらいなくかぶりついた。
「美味しい!!!!!!」
しばらく、というほどではそれでもここ数日ほどお預けだった肉に、
こんなに美味しいものだったのね!!!!とフレイナは何だかよくわからない感動に目を潤ませて一心不乱にもぐもぐもぐもぐと咀嚼した。
「あ、起きたのか」
フレイナが感動して思わず放った言葉が聞こえたらしいエシルが肉の山の横からひょいと顔を出した。
フレイナが起きる前から食べ始めていたらしい彼の唇が料理の油でテラリと光る。
急に山の横からのぞいた顔に、フレイナは一瞬ドキリと新しい手羽先に伸ばしていた手を引っ込めかけて、バツの悪そうな顔をしてボソリと抗議する。
「……お、起こしてくれればよかったのに……」
「あぁ、ごめん、そうすればよかったかな」
一応声はかけたんだけどな、一回目に注文した料理が来た時に。と肩をすくめて言った後、エシルはフレイナに、起きたなら好きなだけ食べるといいと言って、取り皿を渡した。
「ありがとう。って、え?一回目に注文?じゃあ二回目に注文した料理なのこれ?」
取り皿に手羽先以外にも山を作っているいくつかの料理を取り分けながら、フレイナは今しがた言ったエシルの言葉の一つに、ふと疑問を感じて問いかけると、
手羽先の山の向こうからあっけらかんとした声で耳を疑うような答えが返ってきた。
「ああ、そうだ。一回目もこのくらいの量を頼んだんだけど、フレイナに声をかけても揺すっても起きなかったからさ。食べきってしまったんだ」
「ええ!??うそでしょ!?」
この量を一回たべてるのこの人!?と、フレイナは驚愕した。
テーブルに置かれているフライパンよりも大きな皿の上にはかなりの量の料理が盛り付けられていて、山のてっぺんを崩すだけでもフレイナならお腹いっぱいになってしまいそうだった。
それを一度完食したうえでもう一度同じ量を注文したというのなら……、一体全体彼の細身のどこに詰め込まれているのだろうか?
太らないのかしら…?うらやましい…。とかフレイナが見当違いなところに関心して何も言えないでいると、
フレイナが寝ている間に一度料理を食べきってしまったことを怒って黙ってしまったのだと思ったらしい、少し申し訳なさそうな声が続けて話す。
「いや、だから悪かったなと思ってもう一回注文して今度はフレイナがいつ起きてもいいようにゆっくり食べてて……。いや、一回目だって結構抑えて食べたんだけど……」
「気を使ってくれたのは嬉しいんだけれど、私こんなにたくさんは食べれないわよ?
それに、こんなに頼んじゃってお代は大丈夫なの……?」
「成長期なんだから、たくさん食べたほうがいいと思うぞ?
あと、お金の方は心配しなくていい。
普段は宿代か食事代くらいしかお金を使う場面がないから手持ちはそこそこあるんだ」
成長期って…子供じゃないんだから……と、フレイナは頭の中で小さく異論を唱えたが湧き上がる食欲に抗うことはできず、食事の手を止めてまで言う事ではないし…と考えて、黙って付け合せの野菜をサクリと噛み締めた。
冒険者とは日々の生活にお金がかかる生き方ではないのだろうかと、今まで自分の宿に泊まる人々を見ていて勝手に想像していたのだがそうでもないのだろうか?そうフレイナは黙々と口を動かしながらアゾルにいた時のことを思い出す。
装備を新調したり、罠や回復薬や傷薬を買い込んでは財布をひっくり返して底を叩き、ため息をついているのを家の近所の道具屋でたまに見ていたせいか「冒険者=貧乏」の等式が、すっかりと出来上がってしまっていたようで少し申し訳なく思う。
エシルが単独で行動しているからあまりお金に不自由していないというのも、あるかもしれないが。
つまりは依頼の成功報酬を一人で全て使えるため、複数人のパーティーよりも宿代や道具代に捻出する分が少なくすむというのもあるだろう。
あるいは……、
(本当はお金がないのに見栄張ってるとか?それはないかなぁ)
もう随分と低くなった手羽先の山の向こうの青年の顔を上目遣いでチラリ、と見やる。
視線に気がついたのか、エシルは鳥の骨をむぐむぐと口にくわえたまま「どうかしたのか?」と首をかしげて目で問いかけてきた。
フレイナは少し呆れたように笑ってその視線に
「よくこんなに食べられるなぁ、って思ったの。いつも携帯食料なんかじゃ足りないんじゃないの?」
と答えた。
エシルは目をぱちくりと瞬いたあと、口にくわえていた骨を左手でつまみだして指先で弄びながら、ぼんやりとした様子で頬杖をついてゆっくりと口を開いた。
「まあ、そりゃ足りないなあとは思うけど……、普段はその分寝てどうにかしてるから」
「寝たってお腹は空くじゃないの」
「うーん……何ていうか、
説明するのが難しいな。とりあえずいつもはここまで大食らいじゃないんだ。
せいぜい一回目に注文した分くらいでお腹いっぱいになるんだけどな……。
夜に見張りとかしてたせいで寝てなかったから、その分食べて取り戻してるって感じで……」
「十分大食らいだと思うわよそれ。て、言うか、えっ?眠れなかった分を食べて取り戻してるの??」
何かそれって変じゃないかしら……フレイナは喉まででかかった言葉をぐっと飲み込んだ。
エシル自身がかなり説明しにくそうな顔で本日何本目かわからない手羽先を頬張っていたからだ。
というか、どれだけ食べるつもりなのか、正直ここまでのフードファイトはフレイナなら全力でお断りするレベルだ。
とりあえず今の会話、というか独り言のようなものと今の状況からわかったことは、エシル・シードという青年は相当に燃費の悪い体をしているということぐらいだった。
「食べ過ぎたらお腹壊しちゃうわよー………」
なんだか見ているだけでお腹が膨れてきたフレイナが取り皿に取った分の料理を食べ終えて、エシルに無意味な注意を力なく発したが、当のエシルは大丈夫だと言うようにひらひらと振って答えただけだった。
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「んーーっ、食べた食べたーー……」
「あれだけ食べといてお腹が出すらしないなんて、羨ましい通り越して怖いくらいだわ……」
「フレイナはあんな量で足りたのか?」
「結構食べたほうよ。もう十分だわ。
って言うか!私くらいの量が普通なんだからね?!
そんな、「えー、心配だー」みたいな顔されたら逆にあなたのことが本気で心配になってくるから!!」
そより、と吹いた冷たい夜風がフレイナの頬をなでる。
初夏といえど昼間に吹いていた生暖かい風はなりを潜め、素肌に当たる風は思いのほか冷えていた。
座りっぱなしで固まってしまった全身の筋肉を伸ばすようにグッと伸びをしながらフレイナは空を見上げた。
もうすっかり空は暗くなっていたが、周りの酒場や店の煌々とした明かりのせいか、確かにそこに瞬いているはずの星たちの光はすっかりかき消されて見えなくなっている。
「今何時かしら…」
ふと、フレイナはエシルに渡されてからポケットに入れっぱなしの銀時計を思い出した。
スカートのポッケトの中で確かな重みを持って存在を主張しているそれを手を突っ込んで引っ張り出し、
丸いひらべったい銀色のそれの側面についているのボタンをそっと押すと、蓋が勢いよくパカリと開いて彼女に今の時間を伝えた。
「あ、今何時だ?」
「九時ちょうど、ね。随分と長いディナーだったわね」
全くだ、とエシルは肩をすくめる。
フレイナは酸化して少し黒ずんでしまった時計をスカートの裾で少し拭って、もう一度ポケットに滑り落とした。
(この時計、よくお父さんが磨いてたのよね…)
「えっと、じゃあそろそろ宿にもどるわよね?それともどこか寄ったりするの?」
「んー…、まあ、そうだなあ……」
「なあにその歯切れの悪い感じ?んもー!疲れてるし早く帰りたいんだからはっきりしてちょうだい!」
「はは、元気じゃないか…フレイナがよければなんだけど、少し寄って行きたいところがあったんだ」
フレイナの言葉にエシルは、でも早く帰りたいなら明日にしようか。そう言って宿の方向へ歩きだそうとした。
その肩をフレイナは慌ててつかみ、
「あああ、待って待って!疲れてはいるけど食べたし寝たし別にあるけないほどじゃないわ!明日はゆっくり寝たいし用事があるならさっさと今日中にすませちゃいましょ?」
フレイナはエシルの体を強引に反転させて背中をぐいぐい押した。
「さっさと行ってさっさと帰りましょう!マリナのためのお土産も包んでもらったことだし!」
先程の店で包んでもらったマリナへのお土産を指しながらフレイナはエシルの隣に並ぶ。
彼はチラとフレイナを見て、本当に帰らなくていいのか?と聞いた。
「いいのいいの!あ、それとも私先に帰った方が「それは駄目だ」」
フレイナの言葉を遮ったエシルの鋭い声に、驚いて自分の目線より少し高い位置にある彼の顔を覗き込むんだ。
エシルはフレイナの目を見つめて諭すように、
「確かに、そこらじゅうの店の明かりでここは明るいし、人通りも少ないわけじゃない。
でもこの辺で酔ってるやつらはなまじ腕が立つから絡まれたら一筋縄じゃ行かないんだ」
一人で帰す訳にもいかないし、お言葉に甘えて少し寄り道させてもらうよ。と言ってエシルは緊張した面持ちのフレイナにフッと真剣だった表情を緩めて微笑んだ。
その柔らかな微笑みに、叱られたようにこわばらせていたフレイナの体の緊張がほぐれる。
(心配、してくれたってことかぁ)
フレイナはエシルに気づかれないようにホッと胸をなでおろした。
ひゅう、とまた大通りを風が吹き抜けた。
「ぅっ………」
食後にうっすらとかいた汗が一気に冷えて今度こそブワリと鳥肌が立つ。
(上着着てくればよかったかしら……)
プツプツと鳥肌の立った腕をさすりながらフレイナは暑いだろうと思って上着を着てこなかったことを後悔した。
と、そのとき、
バサリ、と肩に重みを感じてフレイナはとっさに手を伸ばした。
少しごわついたジャケットの布地の感触が指先に伝わり、掴んで目の前に広げるとそれがエシルが着ていたジャケットだとわかってフレイナは慌てて彼を見た。
「エシル、これっ、」
「貸すから。冷えるだろ?羽織っとくといい。」
「でも、そんな、悪いわ!私別に、そんなに寒くないから!」
「女の子なんだから、あんまり風に当たらないほうがいいだろ?」
でもっ、とフレイナがジャケットを返そうとすると、
ほら、さっさと行こう。とエシルは歩き出してしまった。
フレイナはそれを慌てて追いかける。
「もうっ、エシルったら待ってってばっ」
フレイナの様子にエシルは、ふう、とため息を吐いて振り返って意地悪っぽく笑うと、
「あ~、そんなに私の上着は嫌か?もしかして汚れてたとか?」
「なっ、ちがっ」
「なら、いいじゃないか」
人の好意には甘えとけ、と彼は言ってスタスタと歩いていってしまう。
歩くの早い!さっきあんまり離れるなみたいなこと言ってたじゃない!とフレイナは思ったが、
置いていかれても困るので、
(ん~~~~っ、もういいや!!)
ヤケになって少しダボつくジャケットに真っ赤になりながら腕を通して、小走りで銀色の髪が揺れる背中を追いかけた。
実のところ、フレイナが上着を着るのをためらったのは遠慮半分、イケメンの着ていた上着に腕を通す羞恥に耐えられなかったの半分だということをエシルは知らない。
******************
「お、エシルじゃねえか!なんでぇ昼間は急にいなくなりやがって!」
「昼間は悪かったよドルダス。だから今来たんじゃないか」
「エシルが私たちと別行動してた時、ここに来てたの?」
その言葉にエシルは頷いて答えるとフレイナに、
「ここのギルドマスターのドルダスだ。熊みたいな顔をしているが、うん…、まあ、そこまで悪い奴じゃない」
「そこまでってなんでぇ!?そこまでって!!ったく、お前さんってやつはよぅ……」
「朝っぱらから酒飲んでる奴が教育上よろしいとは言えないだろ?
あぁ、わかったって、そう睨むなよ。人望アフレル素晴ラシイギルドマスター様ダ」
「うぐううう!!反論できねえ!!言わせておけばいい気になりやがって!!
この大食い食っちゃ寝冒険者!!くそっ無駄に美形なのが腹立つ!!!!!!!!」
「なっ…………く、食っちゃ寝してたって、働いてるからお前に言われる筋合いはない!」
二人の軽口を言い合う様子にフレイナはプッと吹き出してしまった。
フレイナがクスクスと笑うと、二人は気まずそうに睨み合っていた顔をそらした。
ドルダスは腕を組み、少しでもギルドマスターとしての体裁を取り繕うと一つ咳払いをしてフレイナに向き直る。
「えー、オホン…、オラァお嬢さんの隣にいやがる腹立つ美形が紹介した通り、
ここのギルドマスターをしてるドルダス・アルグバークってモンだ。
ギルドマスターっつたって何やってるかイマイチわかんねぇだろうからな、簡単にセツメーすっと、
ギルドに寄せられる依頼の管理とか、ここいらの冒険者の登録と管理だな。
後は緊急クエストの発生中はそれの作戦練ったり、アテに声かけたりとかな」
ドルダスはそこまで言って一度言葉を切ると、少し真剣な眼差しでエシルを見た。
「緊急クエスト…ですか?」
「おう、普通の依頼とは危険性も重要性も段違いなあっぶねー依頼のことよぉ。
それがちょーっど起きちまっててよぉ、困り果ててんだ」
腕の立つ奴が欲しいんだけどよぉ、なかなかいねぇんだこれが。
ドルダスは手を肩まで上げてお手上げだとオーバーに嘆いて見せた。
なるほど、エシルに連れられて入ったギルド出張所の中の雰囲気はどことなくピリピリと殺気立っているように感じる。
ギルドのシステムについてよく知らないフレイナにも、緊急クエストというものが起きること自体が異常なのだと直感的に理解することができた。
「なんか…大変そうね……」
「……そうだな」
思わす口からこぼれたフレイナの言葉にエシルが短く応えた。
一件目の飲食店が休業しているのを知った時のように、また一人で何か考えているようで話しかけても上の空のようだ。
入口で立ち止まって話している3人を見かねた、
明るい茶色の毛並みをした狐の獣人のクエストカウンターの受付嬢(ワンピースのギルドユニフォームを来ていたので多分女性)がカツカツとヒールを鳴らしながら傍に歩いてくると、三人を奥の部屋へと案内した。
建物の二階にある、普段は冒険者用の休憩室に使っているらしい部屋のソファーにドカリと腰を下ろすとドルダスは受付嬢に首だけひねって振り返り苦笑する。
「悪いなぁレミリー、気ぃ使わせた」
「いえ、お気になさらずに…。
しかしマスター、品不足の店が出始めていると商工会の方からクレームが来ていますので、
そろそろ緊急クエストの本格的な対策を考案なされた方がよろしいかと?」
狐のクールそうな受付嬢は、かけていたメガネのつるをクイッとあげると、
抱えている少々年季の入ったバインダーから10枚ほどの書類を抜き出してドルダスに差し出した。
「現在レイネに滞在している冒険者のリストと、
緊急クエストへの協力を申し出てくださった商隊のリスト及び現在のトンネル被害状況の報告です。ご確認ください」
ドルダスは、おう、と応えてレミリーから書類を受け取り、茶色の瞳を紙面の上から下にゆっくりと移動させていく。
一枚目、二枚目と書類をめくるにつれ、彼の快活そうな気のいいオヤジ、といった顔は険しくなっていった。
(あんまりいい状況じゃないみたい…でも、私に出来ることなんてないし、早く首都に行かなきゃならないし…)
「お二人様は何かお飲みになりますか?お茶かコーヒーくらいなら出せますが」
「えっ、あ、えと、」
テーブルをはさんで前のソファに腰掛けて書類を睨んでいるドルダスの表情を気遣わしげに伺っていたフレイナは、頭上から降ってきたレミリーの声にパッと上を向き、自分の顔の1.5倍はありそうな狐の顔に、
思わずビクリと顔を引きつらせてしまう。
「じゃあ、お茶をお願いするよ」
「あっ、じゃあ私も…それで……」
「かしこまりました。」
エシルに続いてしどろもどろになりながらもお茶を頼むと、レミリー一礼して部屋から出て行った。
(か、顔にびっくりするなんて…、わあああ…私ったらすっごく失礼なことしちゃったああああ…)
過去に一度か二度ほど宿に獣人族が宿泊していったことはあったが、間近で見たのはフレイナにとって今日が初めてで、どうしても人型の獣、という姿かたちに目が行っていしまい、一瞬でも好奇の目を向けてしまった自分に頭を抱えた。
獣人はもともと獣型の精霊と人間のあいだに生まれた種族で、鳥型、犬型、猫型、蜥蜴型(トカゲ型)、魚型…という風に多くの種類に分かれている。
しかし、人間と精霊との子供は魔力の安定した局地的な地域のみ誕生するため、出生率自体が低く獣人人口は少ないのだ。
また、その特異な外見から迫害や奴隷狩りがここ500年ほど前まで続いていたため、人の集まる場所の近くではなく森の奥深くや孤島などに身を寄せ合って暮らしている獣人が多く、なかなか町で見かける機会はない。
昔よりは人々の意識は改善され差別はなくなりつつあるが、エルフやドワーフなどの代表的な人外種族のように完全な人型ではない分、なかなかに難しい問題なのである。
「後悔する意識ってものは、改善への第一歩だと、私は思うぞ」
自責の念にかられてうつむくフレイナの頭に、諭すような声が落ちてきて、それに続いてそっと触れるように頭を撫でられた。
年甲斐もなく頭を撫でられて、フレイナはうつむいたまま撫でられたところに触れる。
「大抵、一度目の失敗は許される。
大事なのは、その失敗からいかに多くを学び、次につなげていくかだと、私は思ってるよ」
「次に…つなげる……」
「そう、次に。気にするなとは言わない。でも、気に病むな。自分の糧にしていくといい」
横を向いて、それでいいのかしら…?とフレイナが言うと、人生の大先輩から有難い忠告だ。とエシルは微笑んだ。
「うん…そう、そうだよね」
ありがとう、そう言ってフレイナも少し照れくさそうにエシルに微笑んだ。
******************
レミリーが三人分のお茶とお茶請け(ちゃうけ)を運んできて、飴色の紅茶の入ったティーカップをフレイナの前にどうぞと言って置いたとき、フレイナは笑顔で、
「ありがとうございますっ!」
と感謝と先ほどの事への謝意を込めて言うことができた。
若干声が裏返って大きくなってしまったのは、人の意識というものはそんなにすぐには改善できないことなので仕方がないとしてめをつぶってもらうことにした。
「いえ…どういたしまして」
フレイナの精一杯のお礼にレミリーの頭のてっぺんにある狐の耳がピクリと動いたが、
彼女は表情は動かさなかった。
しかし、どことなく漂っていた事務的な雰囲気が和らいだようにエシルは感じて目を細めた。
音を立てずにテーブルに置かれたカップに礼を言ってから口元へ運ぶ。
ふわりと薄く立ち上った柑橘系の爽やかな香りを楽しんでからそっとカップに口をつけて紅茶をに流し込めば、ついさっきまで脂っこいものばかり含んでいたからかギトギトしていた口の中がさっぱりと洗い流されていくようだった。
しばらく二人はお茶とドライフルーツのお茶請けを楽しみながら、ドルダスが書類を読み終わるのを待っていたが、ドルダスは出されたお茶を一気に飲み干してタンっとテーブルに置いて、ううむ…と腕を組んで眉間に皺を寄せてうなった。
どういう状況なんだ?とエシルがドルダスに話すように促す。
「思っていた以上に、こりゃあよくねぇなぁ…。どうしたもんかね……」
「穴自体は閉じてるんだろ?
発生してから一週間も経っていないならそこまで大規模な繁殖もまだしてないんじゃないのか」
「ただのクローラーの野郎ならまだ救いようがあったんだがなぁ。
今回変異したのは〝イワイクイイモムシ〟だったのが問題なわけよなぁ…。
普通のより何倍も顎がつえぇ、繁殖のために巣でも作ろうとしているらしい、トンネルのそこらじゅうに横穴を掘りまくってるんだとよ…。
このままじゃ…、最悪トンネルが崩落しちまう」
そうなりゃ、あのトンネルを使った貿易で栄えてきたこの街は終わりだなぁ……。
ドルダスは書類をエシルに投げて渡すと、膝の上で古傷だらけの大きな拳をぐっと握り締めた。
シン…と一瞬室内が静まり返る。
次の瞬間、静寂を破ったのはフレイナだった。
「えええええええええええっ!!そ、それって、すっごく大変なことじゃない!!!!」
ねえ!よくわかんないけどそうよね!?とフレイナは慌てた様子でエシルに話しかける。
突然のフレイナの慌てように、エシルもドルダスもポカンとしてフレイナを見た。
「それはそうだが…フレイナが慌てることじゃ、」
「関係大アリよお!!だってレイネがなくなったらアゾルだって人が来なくなっちゃうじゃない!
お父さんとお母さんが帰ってきても宿屋が続けられなきゃ生きていけないでしょっ!?」
フレイナは思わず立ち上がり、右手を握りしめて力説した。
「ふむ……」
ドルダスは顎に手を当ててそれもそうよなぁ…と呟き目をつぶってまた唸る。
と、思い出したようにフレイナをまじまじと見た。
「ん?そういやお嬢ちゃんが件のフレイナだよなぁ?
なぁんでエシルと一緒にいるんでぇ?昼間は時間がなくて聞けなかったからよぅ、ちょっくら説明してくんねぇか?」
「あ、それは……」
「これについては私が話そう」
テーブルに身を乗り出して話始めようとしたフレイナを片手で制して椅子に座らせると、エシルは事の経緯を簡単に説明し始めた。
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「はああ…なぁるほど、それでわざわざアゾルを出てきた訳なぁ…。
いい娘さんじゃないかぃ……。娘の鑑だなぁ、オイ……」
目尻に光る涙を拭いながら大層感動した様子でドルダスは呟いた。
「こんな状況じゃなけりゃあなぁ…何かしら力になってやれたかもしれんけどなぁ……」
「そ、そんな!お気持ちだけですっごく嬉しいです!!」
すまねえなぁ…と申し訳なさそうに謝るドルダスに、フレイナは慌てて両手を胸の前で振りながら答えた。
「それに、エシルがいてくれるので!すっごく頼りになるし大丈夫です。ね!」
と言ってフレイナは、ドルダスに一通りのことを説明し終えてから無言を通しているエシルを見た。
「って、え、もしかして…寝てる?」
ソファの肘掛に左肘を立てて頬ずえをついたまま目をつぶっているエシルからは、微かに静かな寝息が聞こえてきた。どうやらその状態のまま眠ってしまっているらしい。
「座ったまま寝るたぁ…まったく、器用な野郎だぜ……。
………でもなぁ、お嬢ちゃん、こいつに護衛を頼んだのは正解だったと思うぜぃ?
コイツはなぁ、私生活自体はとんでもなくだらしねぇが仕事はきちんとやり通すし、
何より…………おっそろしくつえぇのさ」
少し冷めてしまったティーポットのお茶を自分のカップに注ぐと、お嬢ちゃんお代わりいるかい?と言ってフレイナが応える前にカップに紅茶を注ぎながらドルダスは話し続ける。
「オラァ、出張所のと言えどギルドマスターだからな、なかなか現場行くことはねぇんだけどよぉ、
道中で魔物に襲われた商隊が逃げ帰ってくるときに10匹以上も魔物を引っ張ってきちまったことがあったんだ。西門の近くにな。
俺はたまたま西門の門番に用があってその場に居合わせてよぅ、遠くから土煙が見えたと思ったら必死になって走る馬車とそれを追いかける魔物が上げた土煙でよぅ、ありゃあたまげたなぁ……」
うんうんと頷きながらドルダスは続ける。
だんだんと話している最中に身振り手振りも交わってきて、
まるで子供が絵本で読んだ英雄の冒険譚を説明しているようで可笑しくてフレイナは頬がむずむずするようだった。
「…んで、門番も俺もビビっちまってギルドの連中を呼びに行こうとしたところでな、
幸か不幸か、まあ商隊にとっちゃあ九死に一生だったな。ガハハ!
クエストに出発するところだったエシルが西門に居合わせたわけだ!
んでそん時に…………」
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『あああ!!そこの兄ちゃん!!すぐ街に引き返して戦える奴呼んで来い!!
お前さんみてぇな線の細っこい新米にゃ手に負えねぇ!!』
『?……何かあったのか?』
『見て分かんねぇのか!!魔物だ!!一匹二匹じゃねぇんだよ!!!!わかったらすぐに……』
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「俺が怒鳴り終える前によぉ、すぐ横を弾丸が飛んでくみてぇな速さですり抜けたと思って後ろをふりむきゃあ、
もう50メートルぐらい先で魔物に追いつかれそうになってた馬車にたどり着いてるあいつが見えた……」
驚くべき速さで馬車のそばへ行った後、エシルはまるで舞っているような立ち回りで次々と魔物を切り伏せて行き、数分もかからずして魔物を全滅させてしまったらしい。
あまりの出来事に慌ててエシルを追いかけたドルダスと門番も馬車に乗っていた商隊の者でさえも口を開けて驚く他なかったという。
「『見た目からして腕っ節の弱そうな新米にしか見えねぇガキが一体どういうことなんだ!?』
ってオラァ目を疑ったね。
んで、魔物共が全部くたばった後にアイツはその場にいた誰よりも冷静に放心してる商隊の奴らを街ん中に避難させたら、さっさと自分の依頼をしに出発しちまった……。
しかも後日荷馬車をやられて文無しになっちまった商隊の奴らがよぉ、なけなしの礼をしようとしてもアイツは頑として受け取ろうとはしなかったんだ。
そんとき俺は思ったね。あぁ、すげぇヤツがいたもんだ。ってな」
まあ、あいつが日銭稼ぐためにギルドに頻繁に来るようになってアイツのだらしなさを知ってちったあガッカリするとこもあったけどよ……。
つえぇし、気取んねえし、イイヤツだしよ……何だかんだ言ってこいつは俺ん中じゃ最っ高に信頼してんだよなぁ。知り合ってひと月もたっちゃいねえけどな!と言うと、ドルダスは照れくさそうに頭をガシガシかいて豪快に笑った。
「へえぇ……エシルって、そんなに強いんですね」
「おうよぉ!俺は今までかなりいっぺぇ冒険者を見てきたがな、こいつは一等強いぞ!
俺のお墨付きだ!!安心して守ってもらいなぁ、お嬢ちゃん!!ガハハハハハ!!!」
「はっ、はい!」
「まあ、お嬢ちゃんに進められるぐれぇ強いからな………。
今回の緊急クエストにゃあ是非ともこいつの力を貸してもらいたかったんだがなぁ…。
こいつは今の時点の雇い主であるお嬢ちゃんの許可さえ取れれば参加してやるとは言ったんだが……」
「え…………」
どうしたもんかね…とドルダスは腕を組んで考え込んでしまった。
チクタクと埃をかぶった柱時計の音だけが室内に響いて、突然訪れた静寂の居心地の悪さにフレイナはもぞりと椅子に座りなおした。
(緊急クエストってどのくらいかかるものなのかしら…?
エシルは協力していいって言ってたみたいだし私の返事次第でどうするか決めるってことよね…。
早く首都に行きたいけれどすっごく困ってるみたいだし、うーん…)
飲みかけの紅茶の入ったティーカップを両手でぎゅっと包み込んだ。
もう紅茶は冷えてしまったようだ。冷たさが陶器の壁を通して手のひらに伝わる。
フレイナは唇をぐっと噛み締めた。
(…………最低だわ、私。自分のことしか…考えてない。
どう考えたって私よりもアルグバークさん達の方が大変なのに)
「お嬢ちゃんが気にするこたぁ、ねぇんだからな?」
そう言ってニカッと笑ったドルダスはフレイナの考えていることなどお見通しのようだった。
「こいつ一人がいねぇぐれぇで結果が変わるわけじゃねぇ。
こいつがいてくれるとそれだけ他の奴らの負担が減るのは確かだけどなぁ」
「でも、」
「それにトンネルの中の魔物を全部討伐するわけじゃなくてよぅ、
あらかた片付けながら突っきって首都まで行って警備隊に本格的な討伐は任せる計画なわけよな」
(え…………)
その言葉にフレイナは目を見開いた。人手もねぇしなぁ、とドルダスはそれに気づかず話し続ける。
「でよぅ、エシルの野郎を連れてっちまったら首都まで一旦行ってからレイネに戻ってくることになるわけだろぅ?
そうしたらエシルが戻ってくるまでの間お嬢ちゃん達はここで結構な足止め喰らうことになるからなぁ、
あんな話聞かされちまったらよぉ、そんなかわいそ」
ーかわいそうだろうー
というドルダスの言葉を遮って、バンっと机を両手で叩いてフレイナは立ち上がった。
「じゃ、じゃあ!!その討伐隊と一緒に私達もついて行くことってできませんか!?」
「そうさな、お嬢ちゃん達がついてくればそのまま首都に行くんだし丁度いい…
いやいやいや、そりゃあダメだろうよ!!大事な娘さんに怪我させるわけにゃいかねぇだろぅ!!」
困った様子で止めようとするドルダスにフレイナはなおも食い下がる。
「わ、私一応学校で習った程度の魔術なら使えますし回復術だって使えます!!
だからっ!!」
「あのなお嬢ちゃん、緊急クエストになるくらいにゃ危険なモンなんだぞ?
何かあってもお前さんを守りきれねえかもしれんだろ。」
「でもっ!」
「ドルダスはさ、こう言いたいんだよ『足手まといだからついてくるな』ってさ」
フレイナの横から眠っていたはずのエシルが言い放った言葉が鋭く彼女の胸に突き刺さった。
その言葉はフレイナにだってわかりきっていたことだったが、改めて言われると自分は無力だということを彼女に自覚させるのには十分すぎて、ぐさりとフレイナの心を抉った。
「エシル、その言い方はねぇんじゃねぇかい。いつから起きてやがった?」
ドルダスは渋い顔をして尋ねた。その表情がエシルの言葉が図星だということを物語っている。
「お前が、西門の話をしてたあたりから」
最初からじゃねぇか…と、うなだれるドルダスを尻目にエシルはググッと伸びをしてフレイナの方を向くと、うつむく彼女の両頬に両手をそっと添えて顔を上げさせ、目尻に涙の光る緑色の目を見た。
「いいかフレイナ、お前はつい五日前まで一度も自分のいるちっぽけな街から出たことのない女の子だったんだ。
急に知りもしない奴と旅することになるわ未知の環境に放り出されるわ、
しかもやっと着いた街では緊急クエストが出てるなんて大変な状況でさほど動じずにいられてなかなか強い子だと、私は思う。
本当に両親のことを想っていないとできないことだ。
それだけ自分の家族を大切に想えるのが、少し……羨ましいくらいに」
フレイナは黙って聞いている。
「でも、本当に両親と会いたいのならもっと自分の力量を考えて行動しろ。
両親の安否がわけのわからないメモ一枚でしか確認できてなくて心配なのはわかるけどな、
そんなんじゃ自分なだけじゃなく、他人も…マリナのことも危険に晒すことになるんだぞ?
気持ちだけ先行させるんじゃない」
フレイナはハッと目を見開いて、悔やむようにエシルから目をそらした。
頬に触れるエシルの手に温かい雫が伝う。止めど無く頬を伝うそれをエシルはそっと親指で拭った。
「…………と、まあキツイ事言ったけど、
ここまで言われてまだついて行くってんなら…うん、まあ、そのなんだ……」
ボロボロと声もなく鳴き続けるフレイナからエシルはフイと目をそらして、
「優しい雇い主の意見にはどうしてもって言うなら従うというか…………、
ああもう!笑うなドルダス!泣かせるつもりはなかったんだよ!!」
恥ずかしそうに言った。
「あああ!そんな泣くな!!そんなに泣くほどキツイ事言ったか私!?」
「そりゃあお前さん…相当キツイ事言ったとおもうぜぇ??」
泣き止まないフレイナにオロオロしながらハンカチを差し出してエシルはドルダスに視線だけで助けを求めたが、ドルダスは自分でなんとかしろとにこやかに手を振った。
エシルはそれを睨みながら、さっきフレイナに諭すように静かに話していた時とは別人のようにしどろもどろになりながら必死に弁明する。
「いや、だから、何が言いたかったって言うとさ、
そんな積極的に危険に突っ込むなって言いたかったのであって、
別に他人に迷惑をかけるなとは思ってないから、その…………」
「ううん、私こそごめんなさい…。エシルにも他の人達迷惑がかかること、なんにも考えてなかった」
ゴシゴシと目をこすりながらフレイナは言う。
あまりのエシルの慌てようにかえって頭が冷静になって考える余裕が出来てきたようだった。
ごめんなさい、とフレイナはエシルにペコリと頭を下げる。
「私、早くお父さんとお母さんに会いたいのと、エシルを独占しちゃってる罪悪感からすっごく自分勝手なこと言ってた。
私がそこにいるだけで、いろんな人に迷惑がかかっちゃうの、本当に考えてなかった……」
フレイナはうつむきながらもう一度ごめんなさい、と呟いた。
「…………人は迷惑かけながら生きてくもんだろうよぉ、お嬢ちゃん」
ドルダスの声にフレイナは顔を上げて彼の方を見た。
彼は目尻に深いシワを刻みながらニカッと笑ってこう続けた。
「だからよぉ、頼り合いながら生きてんだ。
ギルドもそうさなぁ、普段は頼られてばっかりだけどよ、こういう時は誰かに頼ってばっかりだ。
持ちつ持たれつってやつさなぁ」
「持ちつ持たれつ、ですか……」
「おうよ!だからな、今は頼っとけ!!
頼って頼って頼りまくって、いつか恩を返せばいいんさなぁ。
まだまだガキなんだしよ、甘えたっていいんだぜ。
それにな、お嬢ちゃんの一人や二人守れなくてなぁにが護衛だってんだ!なぁエシル!」
「え、あ、あぁ、そうだな…。
さっき足手まといだとか言ったけど、私と一緒に討伐隊について行く分は別に問題ないと思ってるしな」
「え、」
「だってさっきのフレイナだったら『自分だって戦えるー!』って言い出しそうだったから釘を刺さないとな、と思って」
「さ、さすがにそこまで無謀じゃないわよぉぉぉ……」
「あとはもうちょっと自分を大切にして欲しいと思ったんだよ、言い方が悪かった。…すまなかった」
フレイナは脱力したようにうなだれた。エシルは困ったように笑って謝る。
(私ってそんなにバカみたいかしら…)
はああああああ…と大きく息を吐いたあと、
吹っ切れたように顔を上げてフレイナはエシルの顔を覗き込んだ。
そのフレイナの瞳をエシルはまっすぐとらえる。
「じゃあ!あ・れ・だ・け言われて、まだ私がついて行くって言ったら、エシルは止めないのねっ?」
「私のそばを離れないって約束するなら、二人を守りきる自信はあるが」
「私、怪我人が出たら回復魔法使いに行くかもよ」
「じゃあマリナ抱えて付いて行ってあげるさ」
「結局、エシルが私に合わせてくれるんだ」
「仕方ないから、合わせてやるよ。雇い主様には怖くて逆らえないからな」
そこまで言って、二人共しばらく黙って真面目くさった顔で睨み合うと、
「「ブッフゥゥゥウ!!!!!」」
同時に吹き出して笑いだした。
響き渡る楽しげな二つの笑い声に、ついさっきまでこの部屋を包んでいた空気は霧散して何処かへ吹き飛んでいったようだった。
すっかり和解❘(?)した様子の二人を見てしばしニヤニヤと笑っていたドルダスは、どっこいしょとソファから立ち上がると、一階に集まって待機をしている緊急クエストの協力者達に指示を出しに一階へと降りていった。
(彼曰く、作戦の不確定事項が残るはエシルが参加するかどうかだったらしい)
エシルとフレイナも本来ならば作戦の内容を協力者たちと共に聞かなければならなかったのだが、
ソファから立ち上がった時、流石に疲労がピークに達しているらしいフレイナが倒れそうになったため、クエストに行く道中で直接説明を受けることになった。
「急で悪いけどよぉ、出発は遅くても明日の昼だ!それまでにはここに来てくれ」
クエストボードに貼られた地図の前に立って説明をしていたドルダスがギルド出張所から出ようとしていた二人に向かって叫んだ。
「本当に急だな…。」
それに左手を軽く振って応え、エシルは苦笑して呟くと、フレイナの体を支えながら出張所を後にして夜道をゆっくり歩き出した。
もう半分寝ながら、エシルに支えられて隣を歩くフレイナがもぞもぞと何か言ったような気がして、
エシルは「ん?」と聞き返すと、口元に耳を近づける。
「……エシル、ごめんね……ありがとう……」
申し訳なさそうに何度もつぶやかれる言葉にエシルはフ、と少し悲しげに笑った。
「いいんだよ…………私には…………、時間ばかり…たくさんあるんだから…………」
さみしそうな声は冷たい夜風に溶けて消ていった。