3話 リフティング!
始まってしまえば、時間は駆け足で過ぎ去っていった。
体育の授業でしかやったこともない、初心者そのものであった赤星京は、改めてサッカーの厳しさを思い知った。そして、何も考えずにこの部活に入った自分自身に怒りを持った。
基本ルールは体育と同じはずなのに、僕の今体感、または視界にとらえているものは、僕の知っているサッカーの常識を軽くぶち破った。
坊主頭で高身長の、どこか威圧感のある先輩(自己紹介では、確か鬼塚龍二と言っていた)が、風を切るような凄まじい速度で僕に近づいて来た! 背筋がゾクリとして、心拍数が跳ね上がったが、逃げださず鬼塚先輩の足元にある『サッカーボール』に足を伸ばすが、まるでそれを予知したような鬼塚先輩は速度を急に落とし、ボールが右に左に揺れたと思ったら鬼塚先輩がいきなり姿を消した。振り向くとドリブルしている鬼塚先輩を確認できた。それを見て、僕は抜かれたんだと分かった。
中学の先生が、『サッカーは初心者に厳しいスポーツだ』と言ったが、まさしくそうだと僕は思った。
まず、ボールが静止している時間が極端に少ないのだ。右端にいた筈のボールが、二度三度蹴るだけで真逆である左端に瞬時に移動しており、僕としてはボールから目を離さないだけで精一杯だった。ボールを奪う行為など不可能に近く、頭が反応しても体が思うように動かず、単純な動きになってしまう。分かっているが、どうすることも出来ず、今のところボール奪取率は0%となってる。
そして、攻撃面も僕は足手まといになっていた。時々ボールがパスするか、味方選手と相手選手がボールを奪い合う時に弾かれてたまたま僕の近くに転がってくるケースがあるが、パニック状態の僕は持ってどうするればいいのかが分からず、タジタジしている内に敵に奪われていた。
――――完全に足手まといだ。
どうする? どうしよう? 何をすればいい? 何をすればみんなの迷惑にならないんだ? どうすれば勝てる? 何をしたらダメなんだ? 誰か、誰か教えてくれ――――。
めまぐるしい速度で刻々と変化する状況に完全に呑まれ、翻弄されていた。
いつしか、ボールに関わりたくないと思い始めていた。味方がボールを持っても、自分にはパスをしないでくれと祈ったり。そこには自己中心的な醜い思考があった。
このゲーム練は五対四であり、僕たち一年チームのが一人多い筈なのに、得点数は三対〇と圧倒的な差だった。
戦況も、鬼塚先輩にがガンガンこちら側のボールを奪い、椎名先輩は正確なパスで左右に振り、可愛らしい外見では想像もつかない様な激しいドリブルやパスで攻める轟先輩などの猛攻撃などで、一方的な戦いになった。
大した事をいていないのに体力がどんどん削られていく。汗が毛穴という毛穴から噴き出て、日光が容赦なく体力を奪う。まだ十五分もたっていないはずだが、時間間隔も曖昧ですでに一時間は経過したかと思うぐらい疲労していた。
ふと思い、一年達を見渡す。僕の味方である一年メンバーは、残念ながら名前を覚えていないが、顔や特徴などは記憶した。
―――――驚くことに、一年は大半が初心者のようだ。僕もど素人だが、動きなどでぎこちなさがあり、行動にかなり不安定さがあった。
一際目立つ、18センチを超えるであろう長身を持つ男子は、さっきから自軍のゴールからほとんど離れていなかった。かと言って守るわけではなく、僕同様ボールから逃げているようだった。
一年生でたった一人である女子は、機会があれば全力でダッシュをしてボールを強く要求するのだが、動き方が味方にも予測不明で、結局どこに行き何がしたいのかが謎だった。ただただ暴れ回っているようにしか思えなかった。しかも、今は疲れ切っているのか、息を荒らげながら元気がなさそうにボールを追っかけていた。
僕に優しく接してくれた円成君は、体力面は非常に優れているが何処に走ればいいか分からないようだ。無限に思える体力は、ほとんど無駄に消費していた。
一人、素人目でも分かる経験者の男子がいるが、心底気だるそうでやる気が微塵も感じられない。それでもボールを奪取している大半がその男子なのだが文句は言えない。一定の距離しか全く動きもしないが、ボールコントロールが先輩と同レベル……いや、それ以上に上手かった。先輩からボールを奪い、若干ドリブルするとすぐにパスするので、全くと言ってもいい程繋がらないが。どーせ、パスをもらってもすぐ取られてしまうからだ。
その男子には非常に申し訳ないと思う。せっかく上手いのに僕がドリブルもパスもシュートも出来ない役立たずのせいで不機嫌にしてしまって。謝って許して貰えるのだったら何百回も謝るだろう。
「オラオラオラ――! 一年生はそんな程度かぁ――ッッ!?」
心底愉快そうに鬼塚先輩が叫ぶ。ついでに坊主頭がキラリと光った。弾けるような混じりっ気が無い純粋な笑顔だった。
――――だが、本当に僕が言えた立場ではないが、このメンバーで勝つのは至難の業だ。ほぼ初心者軍団が、な何の策もなく真正面でぶつかってどうやって勝つのだと言うのだ。
その瞬間、円成が椎名先輩にボールを奪われた。惚れ惚れするような見事で美しいカットだった。それから素早く真後ろに椎名先輩の真後ろにボールを飛ばし、轟先輩がボールを受け取った。それから左サイドにアーチを描くようなパス。慌てて同級生の女子が追いかけるが、それより早く鬼塚先輩がボールを足元に置く。二度、三度触った後、右足の踵と左足の甲にボールを挟んで――――、
ボールが飛んだ。
これは見たことがある。『ヒールリフト』と言うサッカーの技の一つだ。正直、フェイントにしてもモーションが大きいし、実践で使えそうでは無い代物だ。ただ、ボールを足で引っかけて上に跳ばすだけの技だ。
――――いや、だからか。これは純粋な『挑発』だ。
鬼塚先輩は、こんなことをしても余裕で勝てる――の意思表示なのだろう。悔しかったら勝ちやがれ、と。
女子は、これ以上になく慌てて浮いたボールを取ろうとするが、鬼塚先輩にフェジカルで負け、真っ直ぐゴールに向かってドリブルし始めた。疲労は限界値まで蓄積されていて、足がガクガクと震えていた。後半持つのか……?
「じゃあ、五分後後半戦でー」
自軍のゴールに一年、相手ゴールに二年が集まり、休憩をかねて意見交換や作戦を考える時間なんだが――、一年勢は何とも重苦しい空気に包まれていた。
誰も何も喋らない。冷え冷えとした身も凍るような気まずい沈黙だった。
「お前たちが下手糞だから悪い。だから坊主の先輩にバカにされた」
唐突に経験者の男子が呟いた。
「んなヒデ―こと言わなくていいじゃん! 確かに下手くそだけど精一杯頑張ったもん!」
女子が食いついたが、経験者の男子が心底バカにしたような表情で、
「頑張ったのがアレだから下手くそなんだろ。ったく、ムキになりやがって……めんどくせぇ」
と言った。
「……オイ。言い過ぎだ」
円成君が憤怒の形相で経験者の男子を睨んだ。経験者の男子は一瞬たじろんだ後、「ふんっ」とそっぽ向いた。
……先ほどと比べない程の気まずい空気があたりを包んだ。
「おーおー。みんな楽しそうだなー。とりあえず前半お疲れ―。あと邪魔しまーす」
どうやったら楽しそうに見えるのかを小一時間程問い詰めたかったが、タイミング的には良くも悪くもジャストイミングで現れた――――大町先輩であった。
そういえば、大町先輩はほとんどゲーム練ではボールをほとんど触っていなかったな。実際先輩三人に負けようなものだ。
経験者の男子が怪訝そうに大町先輩を見るが、何が嬉しいのか気持ちのいい笑顔で軽く受け流した。
「僕としちゃ後輩達と友情を深めたいのだけど、まぁ時間もそんな無いわけでー、とりあえず単刀直入に言うと、君たちホントに強いねー」
悪気のそびれを見せず、ケロッとそんな事を言う。実に楽しそうに。
「君たちの将来を考えるとキャプテンとしてワクワクが止まんないよー。……ただ、どうやら僕ら先輩は思っていない人がいてねー。あ、これ内緒なんだけどあそこの坊主の先輩が『今年の後輩雑魚ばっか。アッハッハ』って言ってたよ」
ブチッ!! 僕と長身の男子以外の血管の切れる音が聞こえた。……鬼の形相と言う表現が一番合う顔だった。
確かにムカつく。言っては失礼かもしれないけど、あの坊主頭の先輩にバカにされた挙句『アッハッハ』って笑われたら無意識でも手が出てしまうかもしれない程の不愉快な発言だった。
「んじゃー。僕はそろそろ戻るはー。あと、後半は僕抜きで戦うよー。あ、これも坊主の先輩が『三人でも余裕余裕ー』って言ってたからだよー」
そう言い、大町先輩は相手ゴールに戻っていった。見事に空気がぶち壊れた後、お互い顔を見回して経験者の男子最初に言った言葉が、
「……勝つぞ」だった。
「今から君らに『指示』をする。何をすればいいか分からない人は俺に聞け。とにかく何としても、勝つ」
怒りをエネルギーにして、経験者の男子はやる気になった。さっきも挑発で一番ムカついていたし、負けず嫌いなのかもしれない。
僕は、大町先輩グッジョブ! と心で親指を立て、初めて『チーム』となった一年の言葉を聞き逃さないために少しだけ前のめりとなった。