悪役令嬢は見飽きた
断罪シーンというのは、だいたい似たような構造をしている。
広間の中央に立つ令嬢。取り囲む貴族たち。涙を浮かべたヒロイン。
──そして婚約破棄を宣言する王子。
エルネスタ・ヴァン・クロッツは、自分が処刑台に引き立てられながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
正確には処刑台ではない。王宮の大広間だ。シャンデリアが七十二本の蝋燭で煌々と照っていて、白大理石の床に貴族たちの影が伸びている。壮麗な舞台装置だった。
処刑台ではないにしても、今からここは公開処刑場に似た場所となるだろう。
「エルネスタ・ヴァン・クロッツ」
王太子アルベルトの声は低く、よく通った。
二十二歳の金髪碧眼で顎の線が美しい、絵に描いたような王子様だ。
そんな感想を十二歳の頃から思っていた。十年経っても変わっていない。絵に描いたようだ、という点において。
「お前がイレーナに行った所業、この場で明らかにする」
イレーナ・ソル。男爵家の娘で、アルベルトの寵愛を一身に受けている少女。
亜麻色の髪と大きな瞳を持つ、いかにも守ってあげたくなるような顔をしている。今もアルベルトの隣で俯いていて、その肩が小刻みに震えている。
芝居が上手いとエルネスタは思った。
悪意のない感想として。
「侯爵令嬢という立場を笠に着た嫌がらせ。陰での中傷。そして——先日の夜会での毒物混入。イレーナの命を狙った、許しがたい行為だ」
広間がざわめいた。
エルネスタは内心で、深い息をついた。
見飽きた。
本当に、見飽きた。
高慢な婚約者令嬢が平民出の少女を虐め、王子に断罪される。
この話の骨格を、エルネスタはもう何度見ただろう。いや、正確には「見た」ではない。
「読んだ」という感覚に近い。どこかで、何度も。登場人物の名前だけ変えて、衣装だけ変えて、広間の色だけ変えて、中身はずっと同じ話が繰り返される。
しかも自分が令嬢の役をやらされている。
「弁明はあるか」
アルベルトが言った。
弁明を聞く気がまったくないことは、その声の質でわかった。これは手続きだ。弁明させて、それを退けて、断罪する。
エルネスタはこの展開の次に何が来るかまで、もう知っている気がした。
婚約破棄。
追放。
そして——令嬢はその後どうなるのか。
たいていは報われる。真実が明かされて、別の素敵な男性が現れて、幸せになる。
なるほど。では自分もそうなるのか。
エルネスタは少し考えてから、口を開いた。
「一つだけ聞かせてください、殿下」
「なんだ」
「イレーナ嬢の食事に混入していたという毒は、何という毒ですか」
広間が静まり返った。アルベルトの眉が僅かに動く。当然だろう、場の空気をまるで分かっていないような物言い故。
「それが何の関係がある」
「大いに関係があります」
「王宮の毒見役は三段階の確認を経ます。その三段階を潜り抜けた毒があるとすれば、相当に高度な技術を持つ者が調合したものになる。クロッツ侯爵家は軍事貴族です。そのような毒を入手する経路が——」
「エルネスタ」
割り込んだのはアルベルトではなかった。広間の端、壁際に控えていた人物の声だった。
視線をやると宰相フォルク・エーデンが開口したのが分かった。
五十代という初老期に差し掛かる年齢で、髪も白髪混じりの黒髪となってきた。
特徴的な老眼鏡の奥の目が細い。
この場において、彼だけが最初から一言も発していなかった。
「続けても構いませんが……少々、場が荒れるかもしれませんね」
エルネスタは宰相の顔を見た。静かな目だった。止めているのは親切心ではない。盤面が崩れることへの懸念だ、とすぐわかった。
「……わかりました」
アルベルトが宣告したことは言うまでもないだろう。流水の如く物事はトントン拍子に進む。
婚約破棄。王都からの追放。クロッツ侯爵家の爵位降格。
それらを聞きながら、エルネスタはまた別のことを考えていた。
追放か。令嬢の話は、たいてい追放から始まるな、と。
※※※
馬車の中で、エルネスタはずっと窓の外を見ていると向かいの座席から、侍女のマルタが声をかけてきた。四十を過ぎた女性、丸顔でいつもは何ともない目が赤く変貌している。
彼女はエルネスタが六歳の頃から仕えている。
「泣かなくていいよ、マルタ」
「泣いてません。埃が入りました」
空気を読むかのようにエルネスタは軽く微笑み顔を逸らす。すると、またしても彼女が口を開く。
「お嬢様は、怖くないのですか」
「怖いよ。ただ、なんというか」
なんというか。うまく言葉にならなかった。
怖いのは本当だ。追放され、爵位を失い、行く先は父の遠縁が持つ農場という状況が、怖くないはずがない。
しかし同時に、どこかで、この展開を「知っている」という感覚がある。令嬢が不当に断罪されて追放される。そして旅の途中で何かが起きて、物語が動き出す。
自分は今、その「何かが起きる前」の場面にいる。
馬鹿げた考えだとわかっている。ただ、この感覚を誰かに話したことは一度もない。
「行き先は北だ。父の遠縁の農場にしばらく世話になる」
窓の外で、王都の城壁が完全に見えなくなった。
フォルク・エーデン。
エルネスタはその名前を頭の中で繰り返した。宰相がなぜあの場にいたのか、ずっと引っかかっていた。王太子の婚約破棄に宰相が立ち会う必要はない。にもかかわらず彼はいた。そしてエルネスタが口を開いた瞬間、止めた。
荒れる、と言った。
毒の出所を追えば、何かに行き着く。イレーナ・ソルを王太子妃にしたい者。それがクーデターと繋がっているとしたら——
エルネスタはそこまで考えて、止まった。
自分は追放された。この国の政治は、もう関係ないのだから。
※※※
北へ向かう街道の三日目、馬車が止まった。
御者が「木が倒れている」と言った。外に出ると、大きな樫の木が道を塞いでいる。根元を見ると斧の跡だった。
「伏せろ」
叫ぶより早く、茂みから人が出てきた。
四人。黒装束ではなく、普通の旅人の格好をしていた。異様だが、その普通さが手慣れていることを示していた。
先頭の男がエルネスタを見た。
「クロッツのお嬢さん。少し話を聞いてもらえますか」
「断ったら?」
「面倒なことになります」
男は懐から封蝋の手紙を取り出した。
封蝋はクロッツ家のものだった。父の印章。開封すると、父の字で短い文章と、びっしりと数字が並んでいた。
軍の動員記録だ。エルネスタはすぐわかった。三つの部隊が、同時期に、国王の静養地に近い地点へ向けて移動している。
「フォルク様から言伝です。北に行く前に、東に寄り道をしてほしいと」
エルネスタは手紙を折りたたんだ。
静養中の国王。動員される軍。王太子の唐突な婚約破棄。そして──イレーナ・ソルという出自不明の令嬢。
ばらばらのピースが繋がっていく。絵が何を示しているのか、直視するのを少し躊躇った。しかし躊躇しても、絵は変わらない。
「クーデターの準備ですか」
ポツリと消えるようにエルネスタは言った。
聞いてなお男は答えなかった。だが、答えないことが答えだった。
マルタが袖を引く。
「お嬢様、これは——」
「わかってる」
エルネスタは空を見上げた。晴天の空。何も、雲ひとつない空というのに地上は何故こうも曇っているのか。
またか、と思った。
追放された令嬢が、旅の途中で陰謀に巻き込まれる。宰相に利用される形で、国を救うことになる。爵位が戻って、真実が明かされて——それが「令嬢の話」の続きだ。自分は今、そのレールの上にいる。
うんざりした。本当に。
しかし、と同時に思う。
うんざりしていても、国王が死ぬかもしれない事実は変わらない。見えてしまった絵は、目を閉じても消えない。自分が「令嬢の話のヒロイン」なのかどうかなんて関係なく、目の前に人が死ぬかもしれない状況がある。
それはうんざりした話とは、別の話だ。
「馬を貸してもらえますか? マルタは北に行かせます。私一人で東に行くので」
マルタが「お嬢様」と声を上げた。
従者として当然の行動だろう。現に彼女の顔は引きつっている。
「行かなくていい。これは私が選んだこと……」
しかしエルネスタは少し考えた。
見てしまったから。そうとなれば、やることは一つ。
「見えてしまった以上、見なかったふりはできない」
マルタは沈黙した。グッと手のひらに力を込め、覚悟を決めたように宣言する。「私も行きます」と。
「馬が——」
「二頭借りてください。あなたたちも何頭か連れているでしょう」
彼女の意志の固さに根負けし、エルネスタはマルタがついて行くことを許可した。
※※※
東への道を馬で走りながら、エルネスタは思考を巡らせる。
フォルク・エーデン。三十年以上宰相の座にある老人。派閥争いのたびに巧みに立ち回り、誰の敵にもならず、しかし誰の味方にもなりきらなかった。
その宰相がエルネスタを動かそうとしているのは、使えると思ったからだ。追放された令嬢は動いても目立たない。クーデターの黒幕がアルベルト王太子側であれば、婚約破棄された令嬢には動機がある。
利用される側だ、とエルネスタは思った。無論承知の上だ。
だが、利用されることと、利用されながら自分の目的を果たすことは、別の話だ。
すると案内役のヴェルスが状況を説明しだした。
「静養地の警備は二つの部隊が担当しています。一つは近衛、もう一つは先月から配置換えになった第三師団の一部。師団長はアルベルト殿下の遠戚にあたり、今夜動く、という情報があります」
「宰相は直接動かないのですか」
「動けません。宰相が介入すれば、それ自体が政治問題になるので」
「なるほど。だから私を使う。ということ、か」
「おっしゃる通りです」
エルネスタは苦く笑った。
令嬢が国を救う。なんて綺麗な話だろう。しかし実際は、老獪な宰相に駒として動かされているだけだ。それでも動く。なぜなら見えてしまったから。
本当に、うんざりするような話だ。
筋書き通りに上手く進んでいる。恐ろしいほどに。
※※※
その夜のことを、後に詳しく語ることをエルネスタは好まなかった。
混乱があったのだ。近衛と第三師団の小競り合いが。エルネスタは剣を抜いたが、使わずに済んだ。宰相が派遣した別働隊が、王都側から第三師団の本隊を抑留。
夜が明けた頃には、全てが幕を閉じており国王は無事だった。
三週間後、エルネスタは王都の小さな執務室の扉を数回ノックし中へ入る。
するとフォルクが椅子に座って書類を読みながら「座りなさい」と書類から目を上げずに言った。
「クロッツ家の爵位は戻ります。あなたの追放も取り消しになる」
「ありがとうございます」
「礼は不要です。交換条件の履行に過ぎない」
そこでようやくフォルクと視線があった。
「ただし、婚約は戻りません。アルベルト殿下の件は、別の処理が必要です」
「構いません」
エルネスタは切り捨てるように言った。戸惑う理由などそこには皆無だからだ。
しかしフォルクの言葉は事実だ。
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「宰相は、私がちゃんと動くと最初からわかっていたのですか」
彼はは少し間を置いた。唸り声が聞こえてきそうなほどに間を設けて、言葉を紡いだ。
「賭けでした。しかし——広間で、あなたが毒の種類を聞いた瞬間がありましたね。あの判断は、そこらの貴族にはできない。私が止めなければ、あなたは本当に暴いてしまった」
「暴いていれば」
「別の人間が死んでいました。準備が整っていなかったので」
エルネスタは黙った。
あの瞬間止まったことは正しかったのか、間違いだったのか。今でもわからない。ただ、フォルクの目を見て、止まることを選んだ。計算ではなく、直感に近かったのだろう。
「もう一つだけ。私は、これからどうすればいいですか?」
フォルクは少し意外そうな顔をした。令嬢に今後の展望をどうするべきか求められると思っていなかったのだろう。
それからまた元の無表情に戻り、
「さあ。それはあなたが決めることです。ただ——この国には今、あなたのような人間が必要なのかもしれない」
「どういう意味ですか」
「見えてしまう人間が、ということです」
フォルクはすでに書類に目を戻していた。
エルネスタは軽く微笑むとフォルクに背を向けそのまま退室。廊下に出ると、マルタが待っていた。
「どうでしたか」
「爵位は以前と同じ地位に戻るそう」
「よかったぁ……」
「けれど婚約は戻らない」
「それは────よかったのかもしれませんね」
エルネスタは笑いながら歩き出した。白大理石の廊下は相変わらず長くて、シャンデリアが煌々と光っていた。
悪役令嬢の話は、だいたいここで終わる。爵位が戻って、真実が明かされて、報われる。綺麗な終わり方だ。
でもエルネスタには、続きがある気がした。宰相の言った「見えてしまう人間」という言葉が、頭に残っていた。
うんざりするような話に、またなるのかもしれない。
それでも、と思う。見えてしまう以上、仕方がない。そういう人間に、どうやらなってしまったらしい。
廊下の先にある窓から外を見ると秋晴れだった。エルネスタは少しだけ立ち止まり、今度は空を見上げる。
しばらくしてマルタと並んで、歩き続けた。
「ほんとに見飽きた」と呟いたのは秘密である。




