全知の瞳の前で【3】
ロドリゴの最後の死は――最も残酷だった。
それは金曜日の十三日。
偶然か呪いか、運命に仕組まれた日。
酒に溺れ、血への渇きに呑まれたロドリゴは、もはや目的もなく、ただ憎しみと飢え、そして依存に突き動かされていた。
暗い裏通りをふらつきながら歩いていたとき、彼の目に映ったのは――幸福。
ひと組の家族。夫婦とその息子。肩を並べ、笑いながら歩いていた。
笑っていた。
その光景は、彼にとって侮辱に等しかった。
世界は自分の家族を奪っておきながら、他人にはこんな笑顔を与えるのか。
ロドリゴは彼らを追った。
獲物を狙う獣のように。
彼は待ち、観察し、時を計った。
やがて、一時間ほど経った後――低い塀を飛び越え、玄関を蹴破り、家へと侵入した。
そこは、彼の怪物としての生涯を締めくくる舞台となった。
リビングにいたのは三人。
父、母、そして息子。
ただの夜。
ただの家族。
ただの平穏。
だがロドリゴにとっては許されざる光景。
「自分には二度と訪れないもの」を他人が享受しているという事実が、彼の理性を焼き尽くした。
父親が立ち上がり、家族を庇おうとした。
だが遅かった。
ロドリゴは速く、強く、そして冷酷だった。
彼は父親を倒し、意識を失わせ、縄で縛った。
母親は必死に息子を守ろうとしたが、猿轡を噛まされ、動きを封じられた。
少年――十一歳ほど。ロドリゴがすべてを失った時と同じ年齢。
その子も拘束され、両親の隣に転がされた。
ロドリゴは笑った。
その笑みは人間のものではなかった。
「今日は…お前が俺と同じ地獄を味わう番だ」
少年の目は涙で濡れていた。
恐怖に震えていた。
だがロドリゴの瞳は、もはや人ではなかった。
ロドリゴは両親を無理やり目覚めさせ、互いに顔を向けさせた。
涙。
抑えられた叫び。
恐怖。
それらは彼の心に届かなかった。
むしろ、彼を陶酔させた。
恐怖こそが彼の最上の酒。
絶望こそが彼の甘美な薬。
まず、父親。
ナイフを振り下ろし、股間を深々と突き刺した。
大腿動脈が裂け、鮮血が噴き出す。
床を赤に染めながら、父親は呻き声を漏らす。
ロドリゴは笑った。
まるで新しい玩具を手に入れた子供のように。
次に、母親へと視線を移す。
彼女は必死に叫んでいた。猿轡の奥から押し殺された声で。
夫の苦しむ姿を見ながら。
「どうだ? 愛する人がゆっくり死んでいくのを見て…どんな気分だ?」
彼は囁いた。
親密な会話のように。
そして――喉を切り裂いた。
冷酷に。
ためらいもなく。
まるでスイッチを切るように。
残されたのは少年。
ロドリゴは少年を引きずり、血に濡れた床の中央に放り出した。
母と父の亡骸の上に。
少年は泣き続けた。
身体を震わせ、嗚咽を漏らした。
だがロドリゴの瞳には、もはや人間の情など映っていなかった。
それは獣の目。
鬼の目。
悪魔の目。
「人間」という言葉だけが、彼には似合わなかった。
その忌まわしい記憶が魂を焼くように蘇った瞬間、ロドリゴの喉に酸が込み上げた。
吐き気。だが、ここには肉体など存在しない。
残ったのは――魂の奥で渦巻く、苦く酸っぱい味だけだった。
彼は膝を折ろうとした。
だが床はなく、ただ空虚に落ちる感覚。
虚無に沈む錯覚。
涙が滲む。
視線の先には、相変わらず動かずに佇む梟。
黄金の瞳は微動だにせず、彼のすべてを映す鏡のようだった。
「……俺は、憎んでいたものに成り果てた。
ルシウスそのものに……いや、それ以上の怪物に。」
掠れた声で告白した。
梟は沈黙していた。
だがその沈黙は千の声より重く、鋭かった。
時間の感覚は消えていた。
一分か、一時間か――彼にはわからなかった。
ただ、視線を交わし続けた。
彼と、梟と。
魂を抉るその眼差しに、抗うことはできなかった。
そして、梟は翼を広げた。
それは単なる動作ではなく――啓示だった。
右の翼に現れたのは一本の樹。
天へと伸びる枝に、十の輝く球体。
その光は黄金で、脈打つように揺らめき、世界を内包するかのように深遠だった。
左の翼には根。
漆黒の根が地の底へとうねり、絡み合い、しがみつくように広がっていた。
そこにも十の球体があった。
しかしそれらは光を放たず、黒曜石のように鈍く、虚無そのものだった。
ロドリゴには理解できなかった。
だが感じ取っていた。
それは地球よりも古く、時間そのものよりも前から在るものだと。
そして梟が翼を一度――音なき風を空間そのものへ送り込むと、世界が崩れた。
灰色の虚無は煙のように溶け、代わりに姿を現したのは――神々より古き神殿。
黒い石畳。
脈動する壁。
中央には円卓。
周囲には三脚の椅子。
そこで、裁きが始まろうとしていた。
円卓の最初の椅子には――人影。
顔もなく、表情もなく、黒いヴェールに覆われた存在。
ただそこに座り、動かず、それでも圧倒的な重さを放っていた。
声が響いた。
耳ではなく、魂そのものに刻み込まれる声。
男でも女でもなく、老いでも若さでもなく、機械でも獣でもない。
すべての境界を越えた声。
「――彼女はお前の犠牲者を象徴する」
ロドリゴは凍りついた。
視線を泳がせたが、声の源はどこにもなかった。
ただ梟だけが、黄金の眼差しで「続けろ」と告げていた。
「犠牲者……?」
心の中でつぶやく。
声は即座に返した。
「そうだ。数え切れぬほどの顔。数え切れぬほどの名。数え切れぬほどの魂。お前の手で砕かれたものたち。
一つの顔で表すことは不可能。ゆえに、この椅子には集合の存在が座っている」
黒いヴェールの人影が、泣き声や呻き声を孕んだ影のように揺らめいた。
ロドリゴの胸は圧迫され、呼吸すら苦しくなる。
やがて彼の目は、右隣の椅子へと向いた。
そこにいたのは――自分自身。
だが歪んでいた。
怒りと憎悪に焼き尽くされ、怪物の面影を宿した「もう一人のロドリゴ」。
その目が、彼を蔑むように睨んでいた。
「お前が俺を殺した。お前が俺を怪物にした。」
そう告げているかのように。
ロドリゴの唇が震えた。
言い訳をしようとした。
だが声は出なかった。
そして――彼の視線は中央の椅子へ。
心臓が止まった。
「……ルシアナ?」
声は幼子のように震えていた。
そこに座っていたのは、彼が守れなかった妹。
膝に両手を置き、静かに座っていた。
服装は幼い日のまま。
瞳は澄み、悲しみを帯びながらも、静かだった。
ロドリゴは足を引きずるように一歩、また一歩と進んだ。
抱きしめたい。
謝りたい。
許しを乞いたい。
だが、二歩手前で止まった。
見えない壁に遮られたかのように。
羞恥。
恐怖。
罪悪感。
彼はうつむき、声を詰まらせた。
ルシアナはただ見つめていた。
静かに。
その沈黙は、叫びよりも痛烈だった。
(……死ねば、すべて終わると思っていた。
痛みも。記憶も。約束も。
だが彼女はここにいる。ルシアナが。)
胸が崩れ落ちる。
彼女の瞳には、あの日の光がまだ宿っていた。
守れなかった純粋さ。
彼女は微笑んだ。
「なぜ……笑う?」
ロドリゴの心は砕けた。
「俺はもう兄じゃない。ただの影だ……。
ルシアナ、近寄るな。俺に触れるな。
この手は血に染まっている。もう、守る手じゃない。」
膝をつき、地に額を擦りつけるように震えながら、彼は嗚咽した。
「俺は赦されるべきじゃない……」
涙があふれ、言葉は嗚咽に溶けた。
その時、ルシアナは立ち上がった。
白い衣が光に揺らめき、彼の前に歩み寄った。
ロドリゴは顔を上げられなかった。
だが彼女は膝を折り、彼と同じ高さに身を落とした。
彼の頬に――手を添えた。
温かい。
柔らかい。
母のような、風のような温もり。
ロドリゴは崩れ落ち、声を殺して泣いた。
子供のように。
怪物ではなく、一人の壊れた人間として。
彼女は何も言わなかった。
ただ抱きしめるように、そっと彼を支えていた。
だが、その姿はやがて崩れ始めた。
衣の輪郭が霧のように溶け、髪が光の糸となり、瞳と笑みが金の粒子となって消えていく。
「……やめろ……消えるな……」
ロドリゴは必死に手を伸ばしたが、指先は虚空を掴むばかりだった。
彼女は再び、彼の前から消えた。
何度も。何度も。
静寂。
耳を裂くほどの沈黙。
そして、翼の音がその静寂を切り裂いた。
梟。
闇よりも黒い翼を広げ、黄金の瞳で彼を見下ろしていた。
その羽ばたきの下、影が蛇のように伸び、ロドリゴの腕を、足を、胸を、魂ごと絡め取っていく。
彼は抗わなかった。
抗う力も、意思も、もう残っていなかった。
ただ虚無。
ただ罪。
ただ疲弊。
闇に呑まれていくその時、声が囁いた。
それは彼自身か、それとも彼を越えた何かか。
「――すべての再会が許されるわけではない。
すべての痛みが癒されるわけでもない。」
最後に。
忘却に沈む前に。
ロドリゴは呟いた。
「もし……新しい始まりがあるのなら……俺は俺を忘れたくない……」
そして――沈黙。




