第6話 『秘密主義な彼』
ようやく、自宅に着いた。
学校から私の家までは、徒歩で15分ほど。わたしの住んでいる所は、非常に田舎なので、他の高校、と考えても、1日に数時間しかない電車に揺られるのが面倒なので、運良く、近い高校を選んだのである。
せまい玄関に、私達の濡れた制服の滴が地面に倒れる。
私はすぐさま、思わず少しだけ、スカートを絞った。想像を超えるほどの水量で、手が止まる。急いで、靴を脱ぎ、湿った靴下も脱いで、洗面所へ向かう。
私の家のことがいろいろと無知な彼は、私につられるように後を追う。
「はあ、制服びちょびちょだよ。洗濯機回さないと。」
「なんだよ。洗濯機って。」
「いいから、服脱いで。乾かなくなっちゃうから。」
「アンタ…そういうの平気なのな。」
彼は、私に対して、冷淡な顔つきをする。
「なんのこと?」
「まあ、いいや。脱ぐぞ。」
すると、彼は、すぐさまワイシャツのボタンを、プチン、プチン、と静かに外し、露出度の高い下着がチラリ、と見えた。
それと同時に、鍛え上げた、白く、美しい肌がみえた。
私は、本能的に見ちゃいけないものだと思い、おもわず、手のひらで、目を隠す。
でも、ちょっとだけ気になって、指先の隙間からの彼の身体をちらっと見た。
「きゃあああああ!」
「なんなんだよ。脱げって言ったの、どっちだよ。」
彼は、脱ぐ手を止める。やめてほしいような、でもやっぱり、やめてほしくないような、そんな複雑な気持ちだった。
そんな自分の不純さが恥ずかしくなり、急いで父親の部屋から、今の季節に合いそうな服装を適当に取りだした。
「う…うるさい! やっぱりなし! ほら…お父さんの昔の服貸すから、あっちの部屋で着替えてきて!」
「変な奴。」
彼はぽつりとつぶやき、呆れ顔で服を受け取った。その目が、私の顔を見透かすようで、視線を避ける。また、心の中がばれていそうな気がする。
「私は、リビングで着替えてるから、いいって言うまで見ないように!」
声が裏返る。リビングのふすまをバタンと閉めて、私は一息つく。雨に濡れたシャツが肌に張りついて冷たい。でも、胸の奥だけが、妙に熱くて、落ち着かなかった。
やっと、洗濯機が回せた。いつもは、1人分しかないのだから、ついついためこんでしまう。2人分洗うのは、本当に久しぶりで、かえって違和感があった。
洗濯機の音が静かに響き、部屋の中に漂う静けさを、私は少しだけ意識した。
リビングに戻ると、既に彼がテーブルのそばに座っていた。
「…え!」
私は、彼が着たTシャツをみて、あまりの似合わなさに、笑いが隠しきれない。笑っちゃ行けないのは分かっているのに、それでも、無意識に口角が上がる。
「アンタさ…わざとこういう服選んだだろ。」
英語で、『GREAT』と書いてある、にんじんを食べているウサギがプリントされている、ピンク色のTシャツ。にんじんを一生懸命にほおばっている顔が何だか間抜けに見えて、どうにもツボに入ってしまう。
父親は、そういえば休日の時よく着ていたことを思い出す。あのときはそんなに気にしなかったのに、リュシアンのような顔面国宝が着ると、どうにも違和感がある。
「たまたまだって。まあ、明日休日だし、服買いに行こう。」
私は彼のために、冷蔵庫に入っている冷えたお茶をしばらく使っていないコップに流し込む。その音が、部屋にほんの少しの温かみを与えているようで、なんだか落ち着いた気分になった。
「ブランド物にしてくれ。」
「そんな高級専門店、ウチの近所にはありませーん。」
お茶を机まで運び、彼が座っている席にそっと置く。彼は、不思議そうに見つめ、手で仰ぎながら匂いを嗅いでいた。彼が珍しそうにするのが、ちょっと可笑しくて、心の中で微笑む。
会話が一区切りしたので、私はお茶を一口、ゴクリと飲み込む。その後、少しだけ喉を湿らせるようにお茶を口に含み、軽く舌を動かしてから、彼に向き直る。
「それで? いつ、あっちの世界に帰るわけ?」
『あっちの世界』というのは、乙女ゲームの世界、つまり、二次元と言うことである。
彼は、同じ人間といえど、ゲームの世界の人間だ。いつかは、元の世界に帰るだろう。
「オレに聞かれてもな。気がついたらここにいたわけだし、帰れるもんなら、とっくに帰ってるっつーの。」
「それじゃあ、帰れる方法が見つかるまでは、ここにいるってことね。」
「そういうことになるな。ただ…」
「ただ?」
彼は、目を細めた。このどんよりとした、窓の外を見つめながら。
まるで、誰かのことを思っているような、切ない表情。私もまた、彼の姿を見て、胸がきゅっと切なくなる。
きっと、『私』の事を思っているのだろう。
彼には恋している人がいる。ゲームの世界の私に。
それがなんだか、少しだけ切なくて、声が出なかった。
「…なんでもない。」
彼は言いかけて、何も言わずに口を閉じる。そして、別の話題を切り出した。
言いかけた言葉が気になったけど、あえて、私は口を開かなかった。
「これはなんだ。苦くも甘くもない…、独特な味がするぞ。」
「お茶だよ。美味しいでしょ。」
「庶民とは食うもんがちがうもんで。紅茶しか飲んでなかったから、まあ、これはこれで悪くねえな。」
彼の言葉に、少しだけ照れくさくなる。なんだか家のお茶を彼に褒められて、普段なら気にもしないことなのに、ちょっと嬉しくて。無意識に微笑んでいる自分が恥ずかしかったけれど、それがなんだか心地よかった。
先ほどの彼が窓の外を見つめながら、どこか遠くを思っているような姿に、私は少しだけ胸が締めつけられた。
彼がどうしてこの世界に来たのか、何を思っているのか、それが分からないままだった。彼は、自分の事を隠したい性格なのだろうか。
それが余計に、私の心に不安を残して、何も聞けずにいる自分がもどかしい。
多分、その答えを聞くことは、簡単にはできないのだろう。
時計を見ると、19時近くなっていた。
そろそろ彼のために、夜ご飯を作らないと。
今日、何作ろう。リュシアンに『まずい』って言われるのはゴメンだし…。
私は彼の瞳をじっと見つめ、必死に心を読み取ろうとしたが、なかなかレシピは思い浮かばない。
彼の顔には、何か深い思いがあるように見えたけれど、今はその真相を探ることができなかった。