第28話 『お話の続き』
リュシアンがいなくなって、数カ月が経とうとしていた。
「えー、欠席者は、リュシアン1人だけだな。」
変わらぬ教室。
気温は、少しずつ下がり始め、そろそろジャケットが恋しくなる季節。
窓から差し込む光が、床に静かに線を落とす。
彼の席には誰も座っていない。椅子はきちんと机に収められたまま、何日も動かされていないようだった。
彼は、欠席ということになっている。しばらくしたら、転校という形になるのだろう。
誰ももう、深くは追及しない。
最初のうちは「どうしたんだろうね」と囁いていたクラスメイトたちも、今では日常の流れに戻りつつある。
みんな、時間とともに忘れていく。そういうものなのだろう。
私が。私だけが、本当のことを知っている。
でも、それを言葉にしてもきっと、誰も信じてくれない。
彼が『ゲームの中のキャラクター』だったなんて、誰が信じるだろう。
私は、毎日が苦しかった。
彼がいない生活に、全く慣れない。
2人分だった食卓も、今では1人。
食器棚に整然と並ぶマグカップが、やけに静かに見える。
脱いだ服も、洗濯物も、コップも、歯ブラシも——彼のものはすべてそのままだ。
彼がいない日々。
時々、思い出しては、涙が頬を伝った。
私は、あの日からあの鳥居に通っている。
いつ、異世界と繋がるかわからない。
ただ信じるしかなかった。あの伝説と、彼の言葉と、自分の気持ちを。
鳥居の前は、いつも変わらず静かだった。
薄く曇った空からは、光がこぼれそうでこぼれない。
風が頬をなでるたびに、彼の指先を思い出す。
「リュシアン、今日は、部活でミスしちゃったんだ。顧問に怒られちゃって。私ってば、本当にだめだな〜。」
毎日、毎日、話しかける。
もしかしたら、この声が届いてるかもしれないから。
でも、返事はない。
そんなこと、もう分かってる。
それでも、話しかけずにはいられない。
文化祭の話、テストの話、お母さんの命日の話、莉々と遊んだ話——
あることないこと、1人で喋って、1人で泣いた。
風に吹かれて鳥居の赤が揺れる。
少しひびの入った石段に座り込んで、私は夕日に目を細めた。
リュシアンは、元気でやってるかな。
あっちの世界で、ちゃんと笑えてるのかな。
私の知らないヒロインと、もう結ばれたのかな。
わからない。
わからないからこそ、胸が張り裂けそうになる。
「‥‥‥リュシアン、今日はオムライスを作ろうと思うんだ。覚えてる? 初めて私が手料理を振る舞った日のこと。『美味しい』って言ってくれたよね。」
声に出すと、笑ってるはずなのに震えていて、気づけば涙がぽろぽろと落ちた。
堪えきれない。
「ばかっ‥‥‥!! 大体、いつだって勝手なのよ!!!! 勝手に現れて、勝手にいなくなって‥‥。」
「私の気持ちも、ちょっとは、考えなさいよ!!!!!」
夕焼け空に声が吸い込まれていく。
誰にも届かない。返事なんてない。
それでも、願う気持ちは、あの日からずっと変わらなかった。
鳥居にいる時だけじゃない。
朝起きた時も、寝る時も、夢の中でさえ、彼のことを考えていた。
たぶん、これからもそう。
だって、リュシアンは——彼こそが私の運命の人だから。
日が暮れたので、私は帰ることにした。
鳥居を背にして、石段をゆっくり降りる。
辺りは薄暗く、街灯がぽつりと灯っていた。
いなくなってだいぶ経つのに、未だに2人分のご飯を作ってしまう日がある。
そして、食卓を見て——
気づいて、現実に戻る。
一人分の席が空いている。
それがどれだけ虚しいか、どれだけ冷たいか、私はもう知ってしまった。知りたくなかった。こんな気持ち。
向かい側には、いつもリュシアンがいた。『こんな地味そうな料理、俺様は食べないぞ。』
そうやって文句いっても、彼は一度も残さなかった。
そういうところも、全部好きだった。
テレビのそばにある引き出しには、彼のいる世界『kiss ♡ me in the cassle』のカセットが眠っている。
もし、リュシアンがいるなら、奇跡が起きるなら、もう一度彼と出会わせてください____。
私は、テレビの電源をつける。ゲーム画面が見えて、懐かしさと切なさが込み上がった。
画面の真ん中にはリュシアンがいる。赤い薔薇を持って、私に向ける姿が。
背景は、ベル・エタルノ城だった。
私は、すぐさま彼と出会ったセーブデータをロードし、あの日の続きを辿ることにした。
日付、パラメータ、基本情報は全く変わってなかった。
しかし、読み込み中から画面が動かない。
焦りと恐怖の感情が入り混じり、私は急いでコントローラーの色んなボタンを押し続けた。
画面はピクリとも動かない。壊れてしまったのだろうか。
私はこの先どんな事があっても、リュシアンだけを愛し続ける自信がある。
彼が二次元の私と結ばれても。
私は、彼をずっと好きでいたい。
私は必死に願い続けた。コントローラーを強く握りしめ、目をきつくつむる。
彼だけを、強く願った。
すると、テレビの奥から、不気味なほど青白い光が漏れ出した。
「え……?」
私は反射的に一歩、後ろに下がった。
光は、画面の隙間からじわじわと滲み出し、部屋の空気を震わせるように広がっていく。
そして、バチン、と何かがはじけるような音とともに、画面が一瞬、真っ黒になった。
心臓が跳ねる。
私は思わずコントローラーを落とした。
「……壊れた?」
その時だった。
すうっ、と、画面の奥から、何かが浮かび上がってきた。
霧のようにぼやけた人影。
ゆっくりと輪郭が明瞭になっていく。
高い鼻筋、白色の髪、赤いルビーの瞳。
見間違えるはずがなかった。
「……リュ、シアン……?」
私は思わず声を漏らした。
それは間違いなく、彼だった。
目の前にリュシアンがいる。瞬きをして、目を丸くして、私をじっと見つめる。
「……迎えに来たんだよ。アンタがわんわん泣いてる気がしたからな。」
彼は、私の肩を優しく触り、ふっと笑みをこぼした。
「……っ! う、うそでしょ……ほんとに、リュシアン……!?」
私は身体をベタベタと触る。
温かい。
ここにいることは間違いなかった。
「ったく…オレ様以外に誰がいるんだよ。」
「ずっと、会いたかったから。頭の中から離れねえんだよ。」
「……待ってた…‥。ずっと……ずっと待ってた……。もう、会えないかと思ったの…。」
信じられない。
まさか、本当に会えるだなんて。
予想外の出来事に、私はまたボロボロと涙を流した。
「大袈裟なんだよ。いつも。」
私は彼をきつく抱きしめる。
もう、絶対に離さない。
二度と、この手を。
彼の香り、声、ぬくもり——全部、本物だった。
彼も何も言わず、私を強く抱きしめてくれた。
「……ねえ、これからも私の家に暮らしていける? 学校も来る?」
「当たり前だろ。」
胸の奥にあった空白が、すうっと埋まっていく。
やっと、夢が現実になった。
それは奇跡でも運命でも、何でもよかった。
私は、リュシアンが戻ってきてくれたこの世界で、また歩き出せる。
2人で、これからの時間を、重ねていける。
「……桃香。」
彼が私の名前を呼ぶ。
いつもは、『アンタ』としか呼んでくれなかったから、すごく新鮮で、嬉しくて、感情が溢れそうになる。
私は真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「愛してる。」
やわらかくて、優しくて、それでもしっかりと私をここに繋ぎとめるような、確かな口づけだった。
そのキスの先に、これから始まる未来がある気がした。
ゲームのシナリオでもなく、私とリュシアンが選んだ、本当の物語。
彼と共に歩く、新しい世界が、今、そっと扉が開いた気がした。
リュシアンが、なんでこの世界へ戻ってこれたのかはわからない。
でも、彼と私の想いが通じ合って、二次元と三次元との世界が繋がった。
これは、紛れもない真実だと思った。




