第23話 『決意』
「宮さん?」
日が暮れ、私が家に帰ろうとしたとき、隣の家に住む橋元くんが、声をかけてきた。
彼は、パーカーとズボン。どうやら、学校から帰った後、どこかに出かけていたようだった。
「橋元くん…。」
「え…どうかしたの? 目がすごい赤いよ。」
顔を覗き込まれて、私は必死に目元を隠す。
「あ、ううん。これは特に何も。それじゃあ、また学校でね。」
私は、自然な笑顔で彼に手を振り、家へと向かった。
「僕のせい!?」
すると、彼が私の背中に向かって、大声をあげた。
静かな夕暮れに、彼の声が鋭く響く。
思わず、足を止めて振り返ると、橋元くんが困ったような顔をして立っていた。
「え?」
「僕が…この前、アーチャーさんのこと聞いたから、だよね? 」
「まさか、あんなに思い詰めるとは思わなくて、踏み込んだ話をしてごめんなさい。」
彼は私に近づき、深くお辞儀をした。
そうか。このまえ、リュシアンの正体について問い詰めたこと、気にしてるんだ。
「え…? ううん、橋元くんは何も悪くないから、気にしないで。」
「でも、そんな顔してちゃ、帰るに帰れないよ。話、聞かせて欲しい。もちろん、言える範囲でいいから。」
私は、そっと目を伏せて、静かに頷いた。
私達は、家の近くの小さな公園で話すことにした。
時刻はとっくに18時半を過ぎている。そのため、小さい子どもも、誰もいなかった。
空いている2つのブランコに、それぞれ座る。
本来は、漕ぐ遊具だが、2人ともただ座り込んでいた。
カラスの大群が、空に飛んでいるのがよく見える。黒くまとまっているその大群は、少しだけ儚さを感じた。
沈黙が走る。
私は、重い空気が苦手なので、咄嗟に口を開いた。
「…橋元くんは、体育祭のあの噂知ってる?」
「あー、うん。なんとなくね。」
「誰かと、踊る約束とかあるの?」
「僕には、友達すらもいないから。 …え!?」
彼は、目を丸くして、私を見つめる。
もしかして、私が橋元くんと一緒に踊りたいって思われた!?
「え!? いやいや! そういう意味じゃなくてってね!」
慌てて否定すると、彼が気まずそうに苦笑した。
足で少しだけ、ブランコを揺らす。
その音は、時折、『ギィ…』という音を鳴らした。
「一緒に踊りたい人がいるの?」
「…。遅かったの。 もう、その人はきっと…。」
「宮さんって結構消極的なんだね。普段から、男のことばかり追いかけてるイメージだったから。なんだか、意外。」
「…な!!! どういう意味よ!! それ!」
橋元くんって、思ったことをズバッと言うタイプ。
確かに間違ってない。けど、なんだか恥ずかしくなって、つい、強い言葉をかけてしまう。
私が慌てて彼の顔を見ると、静かにクスクスと笑っていた。
その反応に、私はムッとなる。
「僕の趣味は、人間観察だから。案外楽しいよ。」
そういえば、橋元くんが笑うところ、初めて見た気がする。
なんだか、初めての表情を見て、思わず笑みがこぼれそうになった。
「アーチャーさんだよね? 踊りたい人。」
間を開けて、私に問いかける。
彼の方向を見つめて、静かに頷いた。
「やっぱりモテるんだ。女子は、みんなイケメン好きだからね。」
ぐぬぬ。
否定できない。
確かに、リュシアンはかっこいい。
あの異次元の美貌だもん。
誰もが虜になっちゃうよね。
「僕から見たら、いい感じそうに見えるけど。」
「ほんと!? どこらへんが!?」
今度は、ぱっと明るい表情になり、彼の顔を覗き込む。
しかし、今『いい感じ』ではないから、こういう話をしているのである。
現に、キスをしているところを見ちゃったし。
急に現実に引き戻された感じ。私は、その場でため息をつく。
「…はぁ。」
「感情の波が激しいね。わかるけど、状況を整理しよう。アーチャーさんと踊りたかったけど、もう先約が入ってる。この解釈で合ってる?」
私はコクンと頷く。
「僕としては、譲る必要ないと思うけど。」
「でも…私あんなの見たら…。」
「あんなの?」
首をかしげる彼を見て、私ははっとなった。
さすがに、キスしてるところ見ちゃったなんて言ったら…なんか、なんかリュシアンのこと悪く言われるかもしれない。
わざとらしく、口をモゴモゴしたら、彼は察した表情をした。
「…宮さんがそれでいいならいいんじゃない。変にいい人ぶって、後悔するのは自分だよ。」
「宮さんは、アーチャーさんと踊りたい?」
心臓がトクンと響く。
答えは決まっている。
1つしかない。
私は、さっきよりもより真剣な表情で頷いた。
「なら、答えはもう決まってるんじゃない?」
「自分の幸せは後回しにして、他人の幸せを願うの? それってすごいことだけど、なかなかできることじゃないと思う。後で泣くなら、自分の意志を優先するべきだと思う。」
言葉が、真っ直ぐ胸に届いた。まるで、優しく背中を押されたみたいに。
「橋元くん…。」
「なに?」
「すごいね。恋愛マスター?」
そう言って笑うと、橋元くんはすこしだけ肩をすくめた。
「さっきも言ったけど、僕は友達もいないよ。」
「いやいや、もう私とは友達じゃない? そういうのって、気づかぬうちに、なっているようなもんだけどな。 私はもう友達だと思ってるし。」
「それは、どうも…。」
小声でつぶやく彼に、私は肩をポンポンと叩いた。
「あっはは! そんなに固まらなくていいよ!」
いつの間にか、胸の痛みが少しだけ和らいでいることに気づいた。
ほんの少し、前を向けそうな気がした。
「遅かったな。部活か?」
家から帰ると、いつものように、リュシアンが私のことを待っていた。
「ただいま。そうそう、ちょっと色々あってね。」
私は、靴を揃え、すぐさま夕食の準備を始める。
「すげえ顔。」
手を洗っていると、隣で彼に顔を覗き込まれた。
彼の美貌が間近にあり、慌てて距離を離す。
「は!? 気のせいじゃない。」
「いつも変だけど、今日はもっと変だな。なんだ。顧問にでも泣かされたか?」
いつもって何よ。いつもって。
だけど、やっぱり心配してくれている。
こうやって優しいところもあるんだよね。
「違うし!! 元はといえば…」
だけど、私はやっぱり彼に可愛い言葉はいえない。ついつい、トゲのある言葉を放ってしまう。
本当はそんなつもりないのに。
リュシアンは、今日キスされたのに、この表情。
何事もなかったかのような澄まし顔。どうして、そんなに平気でいられるのだろう。
私は、彼の目をじっと見つめた。
「なんだよ。」
「…私負けないから。」
私は口をとがらせる。
「だから、なにをだよ。」
「なんでもないっ! そのうちわかるよ! 今に見てな!!」
「ほんと変なやつだな。 アンタ。」
そう言いながらも、リュシアンの目が、ほんの少し、長く私を見た。
その一瞬の沈黙に、私の胸をときめかせた。
私は、それに答えるようにニカっと笑う。彼もまた、ほんの少し照れたように笑みをこぼした。
運命を決める体育祭まで…残りあと数日。
次回はいよいよ体育祭編です。お楽しみに。




